13 レイン
「設計図が無ぇ……」
レイン・ペタルは舌打ちをした。研究室と思しき部屋の棚は全て確認したが、研究用のメモ一枚も見つけることができなかった。廊下に出る。懐中電灯の細い明かりがリノリウムを不気味に照らす。やがてレインは廊下の最奥の分厚い扉の前に行きついた。
「ここはまだ中を見てないな」
つぶやくと、レインはポケットから小型の爆発物を取り出す。鍵穴にセットし、ドアノブに固定する。
「ええと、ここを押して離れるんだったよな」
レインはポケットから出したメモのカードに書かれている説明を読み込んだ。爆発物の起爆方法に間違いが無いことを確認すると、スイッチを押し、数メートル離れた。爆発にしてはごく小さい音で鍵は破壊され、扉は細く開いた。レインは銃を顔の高さに構えながら慎重に扉を抜け、足を忍ばせながら下へつながる階段を下りて行った。階段を下りるたびに肌に感じる空気は涼しくなり、どこか潮の匂いが増していった。階段を下りたところに、劇場で幕として使われるような、重厚で赤いビロードのカーテンが閉めてある。
レインは一気にそのカーテンを開け放ち、銃を素早く四方に向けた。しかし、その部屋には武装した人はおらず、ただ巨大な水槽の中に人魚がいるだけだった。
「あなたが侵入者ね」
人魚はレインの存在に驚く風もなく言った。人魚の下半身はすでに足ではなく、ひれに置き換わっている。ここまで人魚化が進んでいるのに人魚警察に殺されず無事に隠れて来たことが信じられないほどだった。人魚の青い目には、吸い込まれるような不思議な引力があった。
レインはさっと自分の手の甲に目を走らせる。そこには逆さづりにされた人魚の入れ墨が彫られていた。シンボルのそばには、『人魚を殺せ』という文字も彫られている。一気に湯が沸騰するかのように、レインの胸の中で人魚に対する憎悪の感情が沸き上がる。人魚に銃口を向ける。
「あなたは人魚警察?」
「俺はフリーのマーメイドハンターだ。警察組織にも教会にも属したことはない。端的に聞くが、薬の設計図はどこだ」
人魚は首を振った。
「ここには無い。ここはただの薬を生産するための場所」
「ここにお前以外の人は?」
「いない」
レインは銃口を人魚の額から水槽に変更し、躊躇なく何発か引き金を引いた。水槽が割れる。轟音と共に大量の水が流れ出し、割れたガラスと混じりあって部屋中に押し寄せた。排水設備は整っているのか、十数秒後には水は引いていく。部屋の中心には、泳ぐことができなくなり、もはや地を這うしかできない人魚が倒れていた。ガラスでいくらか怪我をしているようだったが、銃弾は当たっていないようだ。
レインは素早く人魚に近づき、縛り上げた。さるぐつわを噛ませ、目隠しもした。縛り上げるときに手に触れた鱗は、今までに触ったことのない感触がして鳥肌が立つ。レインは人魚の自由を奪うと、ビロードのカーテンに近づいた。カーテンを外し、それで人魚の身体全体を簀巻きのように覆った。完全に人魚になる前は水から上がっても肺で呼吸できると聞いたことがあるので、窒息はしないだろう。
レインはカーテンの簀巻きを肩に担いだ。人魚の少女一人とはいえ、水を吸ったカーテンが重く、身体中の筋肉が悲鳴を上げた。しかし、さほどふらつくことも無く、しっかりとした足取りでレインは階段を上っていった。研究所を出る前にレインは、ポケットから出したメモのカードを取り出し、鍵を壊した扉の前に置いた。
研究所を出たところの廃墟の裏に停めていた車の後部座席に簀巻きを押し込み、車を発進させた。ヘッドライトは点けず、街灯の少ない通りを選んで走っていく。夜は深夜に差し掛かり、月のない夜、車は世闇に掻き消えた。
やがて車は一軒の大きな屋敷の前で止まった。この街の主要港、オールドヘイヴン港とは少し離れた場所にある小さな港にほど近い、黒いレンガ造りの豪邸だった。車が止まった瞬間、使用人の手によって庭に入るための門が開けられて、車が敷地内に入るとすぐに閉められた。レインは玄関の扉の前に車を横付けする。すぐに玄関の扉が開いて、ランタンを持った一人の少女が駆け出してきた。闇夜の中にぼうと浮かび上がるような輝く金髪を流し、見るからに上等そうなドレスを着ている。
「遅かったじゃない。設計図は手に入れた?」
この少女、クリスティーナ・マクナマラこそがレインの仕事の依頼人だった。クリスティーナは車に駆け寄るが、運転席のドアを開けた瞬間臭ってきた煙草の臭いに顔をしかめた。
「私の車で煙草吸わないでって言ったわよね? あなたが必要だと言うから貸してあげたのにどういうこと?」
「煙草は俺の呼吸みたいなもんだから仕方ない」
レインは後部座席のドアを開け、簀巻きを引きずり出す。濡れた座席を見てクリスティーナは悲鳴を上げる。
「最悪! 他人の車の座面を濡らすなんて常識ってものが無いわけ?」
騒ぐクリスティーナを無視してレインは簀巻きを肩に担ぎ、屋敷の中に入る。入ってすぐの玄関ホールの真ん中に簀巻きを置く。クリスティーナは玄関の扉を閉め、レインの元まで歩いてきた。屋敷は明かりが灯されておらず、クリスティーナの持つランタンだけが、がらんとした玄関ホールの中で唯一の灯りだった。
「この大きくて濡れたカーテンが設計図?」
クリスティーナは目を輝かせて傍にしゃがむ。ぱっちりと開いた二重瞼や、形のいい唇など、華やかで整った顔立ちは、彼女の感情の変化をわかりやすく表現していた。レインは簀巻きを解いていく。
「いいや。でも、確実に設計図につながる、設計図と同じ価値を持ったものだ」
濡れた人魚の姿が現れる。人魚はぐったりとしていた。腕や背中など、点滴の針が刺さったままになっていたり、無理に引き抜いたせいで、そこに泡が滲んでいるところもあった。さるぐつわと目隠しも外す。人魚はぜえぜえと浅く呼吸をし、空気をむさぼった。
「は?」
クリスティーナはレインをにらみつけた。その声は少女が出したとは思えないほど低く、怒気を孕んでいた。
「私が依頼したのは薬の設計図よ。私がいつ人魚を拉致して来いだなんて頼んだ?」
「いや、話を最後まで聞けよ。まず、あの研究所には設計図は無くて、薬を生産する設備しかなかった。だから、とりあえず人魚を捕まえてきて、こいつをダシに研究所側に脅迫すればいいと思ったんだ」
「脅迫ですって?」
クリスティーナは立ち上がってランタンを蹴り飛ばした。ランタンが床を転がる。
「人魚なんてどうせ実験動物だわ。もう薬は完成しているのよ。つまりもう実験は必要ない。いったいどこの誰が使用済みの実験動物を取り戻すために、大切な研究の成果を引き渡すっていうのよ! それに、薬を生産しているのなら設計図があって当たり前でしょう? あなたが探すのが下手だという言い訳なんかいらないわ!」
「落ち着けよ。俺はちゃんと探した。でも無かったんだ。プランAが駄目ならプランBに移行するのが賢いやり方だ」
「だからそのプランBってのが機能しないって言ってるのよ! 誰もこの人魚を助けになんか来ないわ」
「人魚は人を誑かす妖術が使える。この人魚は研究所での生活が長い。おそらく研究所の人間の一人や二人取り込んでいるはずだ。今に妖術にかけられた阿保が助けに来るさ」
「おとぎ話をしてる暇は無いわ。ああ、あんたなんかに頼んだ私が馬鹿だった。人魚アンチはやっぱり皆宗教に狂っていて、ことあるごとに大真面目におとぎ話を始めるのね」
クリスティーナは髪を振り乱して癇癪を起こし、その場で地団太を踏んだ。綺麗なドレスの裾が踏みつけられ、汚れる。
「俺は人魚警察にも、教会にも関係ないって言っただろ。個人で活動してるマーメイドハンターで、教会の言う人魚悪魔説を本気で信仰してるわけじゃない」
レインも語気を強めて主張したが、クリスティーナの耳には入っていないようで、クリスティーナはつかつかと奥の部屋に入っていってしまった。玄関ホールにはレインと人魚が残された。人魚は冷めた目でレインを見ていた。拉致されて、この後どんなことをされるのかわからない状況に置かれているというのに、取り乱したり泣き叫ぶことも無く、冷静に、ただ淡々と状況に身を任せていた。
「ちっ、気味が悪いぜ」
レインは倒れたランタンを立て直し、どこかこちらを観察するような視線を送ってくる人魚に目隠しだけをした。




