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3.夢のような現実のような記憶

 拓だけは、最初のうちから一緒にいることが自然で、安心感があったと今なら言える。それに、いつも自分を肯定的に見てくれた。


「僕も不器用な方だし、できないことがいろいろあるから分かる。愛美がうまくできなくても頑張っているところ、一生懸命なところが素敵だよ」


 かぎりなく優しい言葉で、愛美の胸に確かな光を灯してくれた。それは、二度と暗闇に閉ざされることはないと約束してくれるような、温かな明かりだった。


 でも、あまり束縛するようなことをしたら、拓は離れていってしまうかもしれない。

 そう考えて「お互い仕事が忙しいんだから」などと話して連絡も遠慮し、やや距離のある付き合い方を続けてきたつもりだった。

 それなのに、例えば二人で図書館に行ってそれぞれ好きな本を眺めていても、どこかでつながっているような心地よさがあった。

 彼と過ごした時を経て、愛美の心は奥底から癒されていた。

 



 プロポーズをしてくれたときに、拓はこう告げた。


「遠慮しないで、愛美のことをどんなことでも聞かせてほしい」


 だから、最近になって昔の恋人のことも話したし、辛かったことも以前よりずっとたくさん共有するようになった。

 彼はひとつひとつ丁寧に聞いてくれて、いつでも気持ちに寄り添ってくれたのだった。


 そんな恋人に、愛美は何か返したいと思っていた。その気持ちを打ち明けたこともある。


 ところが、拓はこう答えた。


「むしろ甘えてほしいんだけど」

 

 甘える? 


「何というか、頼ってほしいとかそんな感じ。あ、いや、僕って別に頼りになる方じゃないし、頼りにするようなこともないよね」


 拓は一人で笑い声をたてたが、愛美は考え込んでしまった。


 不器用な何もできないわたしでは、いつしか拓の重荷になってしまうのでは。

 そんな負の感情が湧き上がってきて、ひどく惨めな気持ちになることもある。


 だけど、本当は拓との未来を信じたい。

 その想いは、愛美のなかでは切実だった。




 愛美には、夢か現実か分からないような記憶がある。


 現実でなければ夢のはずなのだろうけど、本当に起こったかのような現実感の強い出来事。それは何ひとつ曖昧なところがないまま、胸に刻まれているのだ。


 記憶の海は、決してその思い出を深いところへ落とし込むことがない。本当のことかどうかは関係ない。時々は浮かび上がり、波を立て、心をかき乱すのが問題なのだった。


 現実では一度も会ったことがないと思う。けれど、その回想のなかでは、中学時代の自分によく似た女の子がいる。

 ツインテールの髪に眼鏡をかけているなど、実際の中学生だった自分とはさまざまな違いがある。それなのに、なぜか自分自身を思わせるような少女だ。


 記憶は、仕事から帰ってきたときに、女の子がどこからともなく現れるところから始まる。黄昏時(たそがれどき)にどういうわけか、一人きりで歩きまわっているのだ。

 気になった愛美は、その子を家に招くこともあれば、その子のあとをついていくこともあった。


 そう。似ているけれど異なるパターンがいくつかある。

 その時点でどう考えても現実とは思えない。けれども、単なる夢や幻とは言いがたいほどリアリティがあるのだ。

 

 さらに、そのあとスーパーに買い物に行って火事に遭ってしまう。いつの間にか炎に囲まれている。高熱、激しい痛み、恐怖、混乱の想起が迫ってくるほど鮮明にある。

 これもいくつかのバリエーションが存在する。状況がやや変化し、近所の民家の火災に巻き込まれることもあった。

 いずれにしても、愛美は左腕に大火傷を負って入院するのだ。


 確か、拓がプロポーズしてくれた日の数日前に、近所で数か所の放火があった。実際にスーパーと民家が被害に遭っている。その現実が夢に反映されたのではないかという気もする。

 愛美自身の感覚では、いつの間にか自分の心のなかにあった一連の追憶。

 しかしながら、入院したときの様子は、まるで現実の出来事としか思えないほど、はっきりと細部まで覚えている。


 火事に遭った愛美は、入院先で拓にプロポーズされることになる。現実では自分の部屋で夕食のあとにプロポーズされているというのに。


 病院の白いベッドに、愛美は横になったまま。包帯を巻いた箇所を、拓は見つめる。全く動かせず、自分のものとは思えないような左腕を。


「大丈夫?」


 そう尋ねられて、愛美は急に心細くなっていく。


「傷がきれいに治るといいのだけど。左腕、きちんと使えるようになるのかしら。この先……」

 

 不安を。

 込み上げてきた未来へのさまざまな不安を、どうしてだかその場で滔々と訴えてしまう。


 やがて、拓は告げる。

「それなら、結婚しよう」と。


 聞きたかった言葉に、ただひたすら安堵するのだ。

 その安らかさに浸りながらも、自分が拓に言わせてしまったのではないかという気持ちが心の底に残っている。

 重々しく引きずるような記憶。


 けれど、現実はそうではない、はず。



 10月下旬のある日のことだった。

 愛美の住むマンションへ拓がやってきて、肉じゃがを食べていたときに、彼は話したのだ。


「愛美の肉じゃがをずっと食べたいと思ってた。これからも、ずっとずっと一生食べたい。他の料理だって、愛美の作るものなら、何だって食べたい。それに、時々は僕が愛美に何か作ってあげたい」


 そんなに美味しかったのかとひたすら驚いた。すごくお腹が空いていることは聞いていたけれど、一体どうしたのかと。

 言葉もなく、呆然としていると、拓は「ずっと愛美と一緒にいたい」と話し、さらにはこう告げたのだ。


「これからは、人生のパートナーとして、愛美のことをたくさん理解したいし、いっぱい話し合ったりもしていきたい。愛美、結婚しよう」


 愛美は喜びのままに、素直に答えた。


「嬉しい。結婚しようって言ってくれるの、本当は待ってた。遠慮していたけど、本当はわたしも拓ともっと近づいて、もっと一緒に、ずっと一緒にいたかった」


 それにこう付け加えた。


「拓にわたしを、……選んでほしかったの」


 選んでほしかった。

 愛美にとっては、思わず口をついて出てしまった言葉だった。


 これまで、誰にも一番に選ばれなかった自分。家族の間では常に先に選ばれず、学校や社会に出てからもいつも自信がなくて。そんな自分が一生を考えた人でさえ、自分を選ばなかった。


 もう誰も自分を選ぶことなどないと思っていた。

 それなのに、拓は応えてくれた。


「僕は愛美だけしか選ばないよ。愛美だからこそ、選んだんだよ」


  嬉しくて嬉しくて嬉しくて。ただ涙が溢れた。

 こんなに温かくて心が満たされる涙もあるのだと知った。


 夢みたいだと思う。でも、決して夢にしてはいけないのだ。



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バレンタインの恋物語企画
― 新着の感想 ―
ここまで読ませていただきました。一度は心に傷を負った愛美が、親友の梨帆に応援されながら、開いた扉の向こうに、拓がいて。二人それぞれに本を眺めていても、つながっているような心地になるのは、本当に素敵なこ…
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