この世で一番ホタテが嫌いなホタテ漁師の一生
ホタテ
俺の名前は海原帆立。
北海道の端っこにある小さな漁村の生まれ。
「こら、帆立。またホタテを残しやがって」
「しょうがねえだろ。俺、ホタテが嫌いなんだからよ」
俺が生まれた漁村はホタテが唯一の名産で、他には何もない田舎だ。村にいる男たちのほとんどがホタテ漁師で、それは当然俺の親父も――
「うるせえ。俺のとってきたホタテが食えねえってのか」
夕食の度、親父はホタテが食えない俺をなじった。
「…………クソ親父」
親父にとっちゃ自分が命懸けで捕ってきたホタテだ。それを目の前で、皿の端に避けられたのだ。良い気分はしないだろう。
「まあまあ、あなた落ち着いて」
いつものようにお袋が親父を宥めている間に俺はそそくさと居間を離れ、自分の部屋へと戻っていった。
「けっ、ホタテ漁師の息子のくせにホタテが食えねえなんて情けねえ」
俺は、この世で一番ホタテが嫌いな男だった…………
時が経ち、この世で一番ホタテが嫌いな男は親父の跡を継いでホタテ漁師となった。
学もなくこれといった特技もない俺がこの辺鄙な村で生きていくためにはやるしかなかった。
生きていくためだ。
俺は嫌々、親父から譲り受けた船に乗り、ホタテを取るために海へ出た。
量はいらない。(生活していくのに)必要最小限の量さえ捕れればいい。そういう保守的かつ消極的な気持ちで漁に出続けた俺だったのだが…………
何をどう間違えたのか――
「なんでだよ」
気づけば俺は村一番のホタテ漁師になっていた。
「またホッタが(今年のホタテの漁獲量)村一番か」
ホッタは小さい頃からの村での俺のあだ名である。
帆立だからホッタ。捻りも何もない安直な名。
なんでホタテ嫌いの俺に帆立なんて名前つけたんだよ、恨むぞ親父。
「これで五年連続だな」
「引退したおやっさんも鼻が高ぇだろ」
皮肉なことにできるだけホタテと接したくない俺はできるだけ短い時間で漁を終えられるようホタテの生態について調べまくった。
結果、ホタテが一番好む環境を独自に導き出した俺はその条件にぴったり当てはまる海域(その年の天候や海流などで条件に当てはまる海域は変わる)で漁をし続けた。
気づけば、俺は全く望んでいないのに村一番の漁獲量をたたき出す、村一のホタテ漁師になってしまっていた。
時が経ち、俺は同じ年頃の娘と結婚した。
「お疲れ様。今日も大量でしたね」
「そう、だね」
未だに俺は村一番のホタテ漁師であり続けていた。
今年で十年目である。
「お風呂にしますか、それとも先にご飯にしましょうか」
「お腹空いてるかな」
俺の子供っぽい返答に、妻はふふっと笑った。
「すぐに用意しますから。そこに座ってゆっくりしていてくださいね」
結婚三年目を迎えた俺たちだが夫婦仲は悪くはない。むしろ仲睦まじくやっている。
妻は気立ても良く、家事全般そつなくこなす、まさに良妻賢母のような女(人)だ。
そんな妻に対して俺が不満を持ったことなど結婚してから一度もない…………のだが――
「はい、どうぞ」
「っ…………」
目の前に置かれたのは捕れたて新鮮な、ホタテの刺身。
「まずはそれを抓んでいてください。もう少しでホタテのバター焼きを持っていきますからね」
当然といえば当然だがホタテ漁師の家の食卓にはほぼ毎日のように手を変え、品を変えたホタテ料理が並ぶ。
俺は妻が離れた隙に皿の上に様々姿をしたホタテたちを手に取ると自分のポケットにそっとしまった。
「はいできましたよ。ホタテとキノコのバター焼き」
皿一杯に盛られたホタテたちを見て、俺の顔からは血の気が引いた。
俺は妻に悟られないよう、こっそりキノコを口に、ホタテをズボンのポケットに運び、今日の食事を終えた。
食後、外の風を浴びたいと言って家から出た俺は真っ暗な海を眺めながら、ポケットに忍ばせたホタテたちを海へと返した。
「いつまでこんな生活を続ければいいんだ」
俺の心は毎日、軋みを上げていた。
しばらくして、俺と妻の間に子供が生まれた。
「ニンジン嫌い」
「こらっ、好き嫌いしちゃだめでしょ、大きくなれないわよ」
息子よ、嫌いな食べ物があっても人は大きくなれる。
俺が、その証拠だ。
「お父さんを見なさい。何でもキレイにペロッと食べてるでしょ」
「そりゃあ、お父さんは大人なんだから、何でも食べられて当然でしょ」
息子よ、大人でも食べられないものはあるぞ。
大人だって子供と同じ、嫌いなものは嫌いなんだ。
妻と結婚した日から毎日、俺は食卓に並ぶホタテをどうにかできないか考え、悩んだ。
そして、ある一つの答えを見出した。
そうだ――漁で捕ったホタテを全部売り捌いてしまえばいいんだ。そうすれば家の食卓にホタテが並ばなくなる。
海外にはホタテを縁起物として扱っている国があるらしい。
その事を知った俺は早速、その国のバイヤーと会う約束を取り付け、直接ホタテの売買交渉を持ち掛けた。
新しい販路を獲得した俺は当然、売るために必要なホタテの量も今までと比較にならない程多くなり、俺が漁で捕ってきたホタテはすべて、商品として各方々へ梱包されることになった。
こうして我が家の食卓からホタテは完全に絶滅した。
ちなみに新しい販路を開拓したことで、俺たちの漁村はちょっとしたバブルを迎えることになった。
俺はついに、村の英雄とまで呼ばれるようになってしまった。
時が経ち――俺はホタテ漁師を一人息子に引き継ぎ、引退した。
ようやくあの忌々しいホタテから解放されたと思ったのだが…………
「オヤジっ、見てくれよ」
「…………」
すくすく立派に育った息子は満面の笑みを浮かべながら、これまた立派なホタテを俺の目の前に突き出してきた。
「俺が捕った今年一番のホタテだ、食ってくれオヤジ」
「…………いらない」
「あなた」
俺が首を振ると息子はあからさまに肩を落とし、長年連れ添った妻は俺を非難する声を上げた。
「まだ、認めてくれないのか」
居たたまれなくなった俺はそそくさとその場から離れていった。
「いつかオヤジも認める立派なホタテをとって一人前のホタテ漁師として認めてもらうんだ」
息子よ、ホタテにそれだけ情熱を注げる時点ですでにお前は、俺より立派なホタテ漁師だ。
俺はお前を認めている。
だからもう、やめてくれ。
頼む。
気持ちだけにしてくれ。
それからさらに時が経ち――
俺は寝たきりとなった。
「今日が山場かと」
村唯一の医師が家族にそう告げた。
最愛の妻と息子、そして息子の嫁さんと嫁さんに抱かれる生まれたばかりの孫に囲まれ俺は最期の時を迎えようとしていた。
「オヤジっ、頼む最後に俺の捕ってきた最高のホタテを食ってくれ」
「…………」
朦朧とする意識の中、俺は息子の手に持つ貝殻から開けたばかりの捕れたてほやほやのホタテに手を伸ばした。
(思えば俺の人生、ほとんどこいつと二人三脚していたようなものだったな。今でもコイツのことは嫌いだけど)
俺は最後にそれを口に放った。
(……………………やっぱり、美味しくはないな)
なんだこれは…………
なぜ俺はこんな話を書いてしまったんだ
誰か教えてくれ