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闇の胎動  作者: 雨竜秀樹
解き放たれる悪

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第2話 策謀する蜘蛛



 調査団を率いる者は、教会から派遣されたルミナという女の神官戦士であり、厳格で勤勉な人物として知られていた。彼女の補佐をするのはドワーフの老戦士グリンガングである。彼はドワーフの中でも最高位のルーンマスターの一人である。

 ルーンマスターとは、魔法の文字を武器や防具に刻み込めることができる職人であり、ドワーフの中でも特に優れた者しか就くことしかできない職業である。そしてドワーフは全員が優秀な戦士でもあるのだ。


 調査団は目に映るすべてを警戒し、魔力を探知する武器は絶えず警戒色を浮かべていたが、ローレンス伯爵領に入ると、その反応はさらに強くなった。

 まるで領地全体が何か不吉な魔力に覆われているかのようである。


「これはただ事ではないな」


 ルミナはグリンガングに向かって低く呟いた。

 ドワーフの老戦士も無言で頷き、その短く硬い指で斧に刻まれたルーン文字をなぞる。それは魔除けか、あるいは敵を切り裂く祈りか、女神官戦士には判断できなかったが。

 彼らが伯爵邸に辿り着くと、重厚な門が不気味に軋みながら開かれた。

 中から現れたのは領主としての威厳を保ちながらも、どこか影を纏ったローレンス伯爵であった。彼の目は以前にも増して鋭く、野心家の顔が浮かんでいる。


「ようこそ、我が領地へ。何とぞ、この地の繁栄をその目で確かめていただきたい」と、伯爵は恭しく調査団に頭を下げたが、その声にはどこか鋭い棘が含まれていた。


 ルミナはその言葉に軽く頷きながら、邸内を調査する旨を告げると、伯爵は全く動じることなく案内を申し出た。邸内は豪奢でありながら、どこか寒々しい雰囲気が漂っていた。美しい装飾品や調度品が並ぶ一方で、壁に掛けられた絵画はすべて不気味な光景を描いており、異形の者たちが跪く姿が映し出されていた。


「これは……、何だ?」


 女神官戦士が一枚の絵に目を留めた。その絵には、人間の形をした存在が、闇の中で巨大な影に跪く姿が描かれていた。


「ただの芸術品にございます。古の神々を描いたものですよ」



 ローレンス伯爵は淡々と答えたが、調査団の眼差しは鋭さを増す。


「古の神々か…」


 誰かが呟き、その言葉を吟味するように繰り返した。

 描かれた存在は、彼らの知るどの神ともかけ離れており、禍々しい姿であったからだ。

 一行がさらに館の奥へ進むと、地下へ続く階段が現れた。その階段は薄暗く、冷気が漂っていたが、伯爵は躊躇うことなく進んだ。調査団もその後を追うが、階段を下るたびに、重い空気が彼らを包み込み、不安感が増していった。

 地下の広間に辿り着くと、そこには異様な光景が広がっていた。数々の祭壇が並び、それぞれの上には人々が跪き、低い声で何かを祈り続けていた。彼らの顔は蒼白であり、その目には生気がなく、まるで死者のようであった。


「ローレンス伯爵! これはいったい何だ!?」


 女神官戦士は詰問するように叫び、メイスを伯爵に向けた。

 後ろにいた調査団も、それぞれ武器を抜き放ち、命令があればいつでも伯爵を取り押さえることができるように包囲する。

 唯一、ルーンマスターのドワーフだけは無言で、地下神殿ともいうべき目の前の光景を見ていた。それは彼の知る建造物からは程遠いものであったのだ。


「これが私の領地の繁栄の秘密です。古の神々への礼拝と奉納が、我が領地に無限の恵みをもたらしているのだ」


 伯爵は丁寧な対応を消して、まるで王のように傲慢に答える。

 その言葉には、何の躊躇もなく、確信が込められていた。


「ローレンス伯爵を捕らえろ、ここは邪神の神殿だ」

「無理だな」


 調査団が動こうとした瞬間、彼らの影から怪物が飛び出して、次々に命を奪った。

 それは人の形をしていたが、頭は山羊で、背中には蝙蝠の翼が生えている。手には三又の槍を持ち、調査団の一撃で葬るだけの力を持っている。


「彼らは私の護衛だよ。契約により、呼び出した従者だ。代償は赤子一人。安いものだろ? 一匹で十人以上の兵士と互角以上に渡り合う」


 少なくとも数十人以上を犠牲にしたことを告白したが、権力者にとって支配下にいる者の命などいくら犠牲にしようと心を痛めるようなものではない。

 今度は怪物たちがルミナを包囲する。


「貴殿は禁断の力に魅入られたようだが、その繁栄は長くは続かないぞ。我らが戻らねば、軍が動く、ドワーフも動く」


 伯爵は高らかに笑う。


「それは困ったな、どちらかひとつなら対抗することができるが、王国軍とドワーフ軍の二つを同時に相手にできるだけの対価を用意することはできない」


 ローレンス伯爵はドワーフのルーンマスターに語りかけた。


「しかし、ドワーフ殿。貴殿らに私と戦う理由はありますまい」

「何を言っている。ドワーフは我らの盟友だ。まして、貴様は邪悪な存在だ」

「邪悪な存在か、だが貴殿の国はドワーフ殿にとって誠実な存在なのかね? 私はこの国の伯爵であった身だ。ゆえに神官戦士殿よりは国勢に通じておる。そして、ドワーフの国との交易で不当な取引が行われている証拠もつかんでいる。ひとつでなく、いくつも、そしてそれが長年にわたって続いていることもだ!」


 叱咤するような怒気に負けぬよう、ルミナは叫ぶ。


「で、でまかせを!!」

「偽りか否かは、ドワーフ殿が調べればよいこと。グリンガング殿でしたな。貴方は無傷でお返ししたします。この書状をもって貴方の国にお帰りなさい。そして書状の内容が偽りか否かを確かめるとよろしい。人間同士の無駄な争いに巻き込まれる必要はないでしょう」


 ローレンス伯爵、いや反逆者ローレンスはドワーフに封のされた書状を差し出す。


「……グリンガング殿」


 ルミナの言葉を無視して、老ドワーフは書状を受け取ると懐に入れる。

 そして、勢いよくルーンの刻まれは斧を反逆者に叩きつけた!


「書状の内容が嘘か真かは知らんが、このような禍々しい神殿を建てる奴を、ドワーフが見過ごすと思うてか!」

「このぉ、劣等種があぁ!!!」


 ドワーフの斧を叩きつけられたにもかかわらず、ローレンスは血の一滴、傷の一つもなく、ただ謀略が失敗した怒りに顔を赤くして怒声をあげる。


「殺せ、八つ裂きにしろぉ!」


 狂気を含んだ怒号を受けて、怪物――下級悪魔たちが動き出すが、ドワーフの老戦士は鈍重そうな見た目に反して素早く動き、次々に下級悪魔を仕留めて包囲網を崩す。


「殿は儂に任せよ、お前さんは一刻も早くこのことを伝えるんじゃ!」

「かたじけない!」


 ドワーフが悪魔たちと戦う音を聞きながら、ルミナは必死に駆けて館から脱出すると、事の次第を報告するため、急ぎ王都に戻る。彼女を追跡するため、ローレンスはさらに悪魔を呼び寄せ、猟犬をけしかけたが、ついに女神官戦士を捕らえることはできなかった。怒り狂った彼はドワーフの老戦士の亡骸を獣に食わせて辱めると、その死体をドワーフの国に従わぬ者の末路として送った。


 かくして、ユルゲナム王国、ドワーフ、教会の三者はローレンスを共通の敵とみなして、討伐軍を送ったのである。

 その様子を、黒い塔の上から見下ろすのは、ユーグであった。

 彼に手には、ローレンスがグリンガングに送った書状があり、それを持ってきたのは、ローレンスが使役していた悪魔である。


「ご苦労」


 ユーグはそう言うと、下級悪魔は無言で頭を下げて闇に姿を消す。


「このカードは別の機会に切らせてもらうとして、さて生き残った神官戦士殿はどうするべきか……」


 教会が派遣した神官戦士団の中心に立つルミナの姿を、遥か遠方から見下ろしながらユーグもまた新たな策謀を巡らせるのであった。




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