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天才と呼ばれた一人の令嬢と、彼女を取り巻く人々の、身勝手な言い分  作者: 燈子
【天才と呼ばれた一人の令嬢と、彼女を取り巻く人々の、身勝手な言い分】
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とある名医が師匠と呼ぶ女についての述懐1

「師匠って生きるの下手ですよねぇ」

「……よく言われたわ」


揶揄いのつもりで投げた言葉に、うんざりとした声が返され、僕は思わず顔を上げた。


「おや、師匠相手にそんなことを言える人が僕以外にもいたんですね」

「どう言う意味よ、エディ」


太陽のごとく輝く金眼に睨みつけられる。だが、病魔を殺すと言われる眼力にも慣れている僕は飄々と笑ってみせた。


「こんなに怖い師匠に、豪胆だなぁと」

「あなたの高すぎる自己評価が察せられるわね」

「いや鬼師匠に五年もみっちり扱かれて平気な僕って、わりと凄いでしょ?」


師匠の元に弟子入りする者は国籍を問わず数多いが、大抵はある程度の技術を習得すると二年前後で自国に帰っていく。

永年雇用を求めてやってくる弟子希望者も、もって三年だ。

このアクが強い女性相手に軽口が叩ける人間は、僕が知る限りは僕を入れて数人である。正面切って人格への批評を告げられる人なんていただろうか?


「それ言ったの、どっかの王様かなんかですか?」

「違うわ、普通の貴族男性」

「貴族?」


どこぞの国で仕官を断った時に言われたのかと推測したが、違った。

普通の貴族男性とはなんだ。そう思っておうむ返しに尋ねれば。


「私の昔の婚約者よ」

「は!?」


さらりと返された言葉に、僕は相当動揺した。整理中の貴重な試薬をこぼしかけたくらいだ。


「師匠に?婚約者!?」

「何かおかしい?貴族ってのはたいてい子供の頃から婚約者がいるもんなのよ」

「きぞく……?」


あまりにも目の前の女傑とかけ離れた単語に驚愕する僕を、師匠がジロリと睨んだ。


「……あぁ、そういえば昔は貴族令嬢をやっていたとか言ってましたね!本当だったんですか!?」


僕が十五歳で師匠に出会った時にはもうその面影はなく、奇天烈なことばかりやらかすトンデモ医者だったから、冗談なのかと思っていた。

しみじみと驚きを噛み締めていたら、師匠が「ふんっ」と鼻息荒く言い放った。


「あったのよ!そんな時代が!」

「はぁ……貴族令嬢だったっての、ネタじゃなかったんですね」

「ネタよ。爆笑必須の鉄板持ちネタよ」

「やっぱりネタなんだ」


僕は思わず吹き出した。

師匠が飲みの席でまずい酒を飲まされた時の決め台詞が「元貴族のご令嬢にこんなモン飲ませるんじゃないわよ!」なのである。弟子たちの掛け声は「嘘つけ!」と「お貴族様の方が可哀想だ!」である。


ちなみに酒の不味さは、値段や味というよりも、その日の研究の進み具合とか、我々の研究を支援してくれるお偉いさんとの交渉がうまく行ったかどうかに左右されるので、同じ酒を飲んでも


「今日の酒は王様が飲むくらい美味しいわね!」


とか言っている日もある。


こんな女がお貴族様の家に産まれてきたら、ご家族が可哀想だというのが弟子たちの統一見解だ。


そんな貴族とは思えない師匠だが、一応ご令嬢様をしていた時期もあったらしい。信じがたいが。

そんなことを考えていたら。


「ロレンスにもよく言われたのよ、もっと上手くやれ、って」

「ロレンス!?」


僕はそこで二度目の衝撃を受けた。


「あのよく出てくるロレンスって、婚約者だったんですか!」

「元、ね。っていうか、そんなに名前を出したことあったかしら?」


本人は自覚がなかったのか、不思議そうに首を傾げている。だが他人に興味がなく、人名を()()()()()()のが特技の僕が覚えているくらいなので、割と頻出単語だと思う。


「なんか叱られたりすると、よく言ってますよ。てっきり教師か何かだと思ってました」

「……お小言が多い男だったのよ」


師匠は苦虫を噛み潰した顔で言っているが、その横顔を見つめる僕の心境は複雑だ。


「へぇ……誰かと思っていたら、婚約者だったんですねぇ」


理由もなくモヤモヤした気分で呟いた。


実験ノートはきちんと纏めろとか、出した器具は元の場所へ返せとか、好きなものばかり食べるなとか、食べながら本を読むなとか、人と話す時は他ごとをしながらではなく目を見て話せとか、そういう注意を周りからされる時。

師匠は多少の気まずさを浮かべた顔で言うのだ。


「あー、それロレンスにも言われたわ」


と。


嫌そうに眉を顰めて、ため息混じりの声なのに、声には懐かしさがこもっている。幼少期に家庭で叱られたことでも思い返しているのかと思っていたのに。

元とはいえ、婚約者だったのか。


なんとなく面白くない気分で、僕は話の続きを促した。ここまで聞いたからには、もう少し教えてほしい。


「今はその、元ご婚約者の方はどうしてるんです?」

「妹と幸せなご夫婦になってるわよ」

「妹さんと!?」


思いがけぬ超展開に、僕は目を見開いた。本日三度目の驚愕である。


「あははっ、師匠、妹さんに婚約者をとられたんですか?」

「人聞きの悪いこと言わないで!円満破談よ」


憤然と反論する師匠によれば、貴族の中では婚約者を兄弟姉妹間で取り替えるのはわりとあることらしい。家と家の結びつきが大切だから、相手は誰でも頓着しないことが多いのだとか。平民とはやはり考え方が違うものである。


「あと、私の妹は婚約者がいる男性に色目を使うような真似しませんからね!」

「いや、それは失礼しました」


どうやら貴族様としてうまくやっていけていたとは到底思えないこの変人師匠だが、それなりに家族という人たちには愛着がある様子だ。

彼らの話題になると少しだけ表情が緩むし、侮辱されると普通に怒る。先ほどは僕の失言だった。


「妹がもう、貴族令嬢のお手本みたいな、人との調和をとるのが上手な子だったのよねぇ。それに比べて、私はしょっちゅうトラブルを起こしていたのよ」

「でしょうね」

「ほんと、さっさと家を出て正解だったわ」

「そうですか」


そう懐かしそうに呟く師匠に相槌を打ちつつ、僕も作業に戻る。

師匠は論文に夢中で話す気がなくなったようだし、僕もすっかり聞く気が失せたので。







ロレンスという名前は、その後も時折出てきた。

頻度としては多くはないはずが、やたらと僕の意識に残り、その度にチリリと心の端が焦げ付くような気分になった。




「あら、エディ?どうしたの、お酒が進んでいないわよ」

「師匠ほど飲める人はあまりいませんよ」


皮肉っぽく返せば、師匠はケラケラと笑って言った。


「いつも嫌味な子ねぇ!」

「……嫌味な、()?」


子、と言われてカチンとくる。出会った時は十五歳だったから、当時の印象が抜けていないのかもしれないけれど、もう僕は二十歳だ。


「もう僕は立派な成人男性ですよ?子供扱いしないでください」

「年下のくせに」

「五歳上なだけのくせに」

「五歳も、よ。なんか、妹と同じ歳だと思うと、お子様に見えちゃうのよねぇ」


そう言って師匠は、巨大なグラスを片手に僕の方をにやにやと見る。妹に見えると言われてしまった。せめて弟がいい。酒のせいか、そんなよくわからない思考が脳内を巡る。


「妹さんと似てます?僕」

「ううん、全然似てないわ」


試しに尋ねて見れば、バッサリと否定された。


「あの子はもっと単純で愚直な善人よ」

「素直で可愛い良い子って言いたいんですね」

「まぁそういうこと」


しゃあしゃあと続ける師匠に呆れて、僕は「はぁ」とあからさまなため息をつく。


「なんで師匠ってそんなに口が悪いんですか?」

「うるさいわねぇ。……あぁ、でも」


テーブルに頬杖をつき、隣に座る師匠を半眼で見上げる。

すると師匠は煩わしそうに吐き捨てた後で、どこか遠くを見るように空を見上げ。


「言葉選びが下手すぎるって「ロレンスにもよく言われたわ」」


師匠の赤い唇の動きに合わせて音を発すれば、思った以上にぴったりと重なった。我ながら見事である。


「あら、よく分かったわね」

「まぁ、長く一緒にいますから、なんとなく」


飄々と言ったが、半分は嘘である。表情で読めてしまったのだ。

師匠がこんなふうに、少し懐かしそうに目を細めて笑うのは、ロレンスとやらの名前が出る時ばかりだからだ。


「そういえばエディって、ちょっとだけロレンスに似てるのよねぇ」

「え」


あまり嬉しくない評価に眉間に皺が寄る。そんな僕の反応など意にかいさず、師匠はくすくすと笑いながら続けた。


「まぁ、彼よりはだいぶ性格が悪いけれど」

「せめてイイ性格してるって言ってもらえます?」

「イチイチ面倒な子ねぇ」


ネチネチと絡む僕に呆れた顔でひょいと眉を上げ、師匠は僕を見ながら過去を追う。


「顔立ちとか、全然違うはずなのに、なんだか目が似てるのよねぇ。賢そうな茶色の目で、こっちをジロリと見ている時とか」


そう言って僕の目の前で、師匠はクルクルと指を回す。指の動きを追ううちに、少し酔いが回ったようだ。唇が僕の思考を超えて、勝手に動いた。


「……ねぇ、師匠。僕はロレンスさんじゃありませんよ?」


言ってから気が付いた。

時々僕を見て懐かしそうな顔をする師匠に、僕はずっとモヤモヤを溜め込んでいたのだ。

変なことを言ったと気まずく視線を逸らす。

普段は強気な僕のそんな様子に、師匠は軽く目を見開く。そしてふにゃりと破顔した。


「知ってるわよ。あなたは私の可愛い弟子のエディだわ」

「かわっ……!?」


可愛い、と言われて顔に血の気がのぼる。けれど、そんな僕をニヤニヤと眺める師匠の意地の悪そうな顔に、僕は眉間に深く皺を刻んだ。


「……皮肉ですか?」

「もちろん皮肉よ?」


ぴたりと目を見合わせて、そして同時に吹き出す。


「ははは、ひどい人だなぁ師匠は」

「ひどくないわよ」


笑いながら詰る僕に、師匠は柔らかな表情で肩をすくめる。


「あなたは私の弟子のエディよ。いつでも後ろをついてくる、頭の中がとっても可愛い馬鹿弟子だわ」

「こんなに優秀な僕に!」

()()()()()よ」


普段なら「図々しい」とか「自己評価が高すぎるわ」とか笑って切り捨てるくせに、酔ってご機嫌な師匠は僕の隣で楽しそうにグラスを傾ける。


「どこの国に残っても大層素敵な身分で受け入れてもらえるくせに、全部蹴り飛ばしちゃってねぇ」


どうしようもない、と首を振りながら、柔らかな苦笑を浮かべた師匠が僕を見る。


「未だに私にくっついて、弟子なんかしてる時点で、エディはとんだお馬鹿さんよ」


でも馬鹿な子ほど可愛いのよね、と小さな声で呟いて。

書いているうちにルイーゼのキャラが変わってきて、作者が一番戸惑っています。すみません。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ひとりの超天才の側面といえば面白い。 だいたい突き進む偉人は善人ではない。(たいがいは真っ当な他人には迷惑) [一言] 人間味が表に出てきて違和感。 というか現実の常識的に考えれば人である…
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