聖女と呼ばれる娘を持つ親の日常
短編の方に掲載していたおまけ番外編をこちらにも。
「おぉ!なんと!」
「あら、ルイーゼの記事ですか?また何かの勲章を?」
夫の様子からして悪い話題では無さそうだと思い、おっとりと尋ねた私に、彼は興奮気味に告げた。
「ルイーゼが結婚するらしいぞ!」
「へ?」
『白き女神、南の島国に永住か』
そんな見出しの記事に書かれていたのは、我が国の誇る知の女神たるルイーゼ、つまりは私たちの娘が、南の島にてしばし羽根を休めるという情報だ。彼の地には美しい王があり、ルイーゼはその男性と大層親密なのだとか。
「このまま落ち着いてくれたら良いのだが」
「遠いですけれど、戦のない豊かな楽園と言われておりますものねぇ」
「平和が一番だからなぁ」
しかし。
そんな私たち夫婦の願いも虚しく、数日後に記事は誤報だと判明した。
「勘違いでしたわねぇ」
「あぁ……」
ルイーゼはその地の風土病の研究と治療のために留まると表明したのだ。結婚の気配など全くなかった。
いたく気落ちして力なくソファに項垂れる夫に、私は苦笑を向けた。
「どうか元気を出してくださいな」
「うーん」
呻いて天井を見上げる夫の顔に浮かぶのは、自嘲だ。
ここ数日はどこでもルイーゼのことを聞かれ、いつも以上に気苦労の多い日々だったからか、疲労の色も濃い。
「はぁ……愚かなことだなぁ。私たちがあれやこれや考えたところで、あの子はひょいと飛び越えてしまうのに、ついつい思い悩んでしまうんだから」
「あんなとんでもない娘でも、親からしたらただの子供ですからねぇ」
親とはそういうものだ。
私だって、これで落ち着いてくれたら、と願わなかったわけではない。ただ私は、夫よりもルイーゼに普通の娘としての考えを期待していないから、そこまで落ち込んでいないだけだ。
「元気にしていると良いのだが」
「もう随分と会っておりませんものねぇ」
夫のポツリとした呟きに、私もため息まじりで頷く。
「メアリーの結婚式にも帰ってきませんでしたし」
「必死になって伝手を辿って招待状を送ったのに、絶縁したのだから、とか言って来なかったなぁ」
空笑いする夫の言葉に、去年の暮れの騒動を思い出し、私は苦笑いする。
妹の結婚式にも参加しないのだ。
ルイーゼはもう戻ってくるつもりはないのだろう。
「メアリーも寂しがってましたわ」
「うん。でもまぁ、……ルイーゼの考えも分かるからなぁ」
しみじみとした夫の呟きに、私も同意をこめて頷く。
「ルイーゼが来てしまったら、主役がルイーゼになってしまいますものね」
「その辺も気にしていたんだろうな」
「ルイーゼもあの子なりに、メアリーのことを大切にしていますから。メアリーの晴れ舞台を邪魔したくはなかったのでしょう」
親族だけの挙式ならともかく、関係のある貴族のお歴々も招いての式だった。
メアリーの結婚式なのに「ルイーゼが出席するならば呼んでくれ」と、ウキウキした顔で随分なことを言ってきた公爵様もいたほどだ。
ルイーゼの判断は正解だったと言えるだろう。
「また機会があれば、花嫁姿の絵でも見せてやろう」
壁に飾られた結婚式の絵を見上げて言う夫に、私はくすりと笑った。
「いつになるかわかりませんけれどねぇ。その頃には孫が生まれているかも」
「でもまぁ、ルイーゼが結婚するよりは早いんじゃないか?」
「ふふ、それはそうでしょうねぇ」
少し投げやりな夫の台詞に、私は思わず吹き出す。そして自己嫌悪も合わさってか、随分と落ち込んでしまった夫を慰めた。
「親としては、危ない目に遭わず、穏やかな幸せを得てほしいと願ってしまうのは、当然のことですわ」
「あぁ。だが、あの娘の幸せを考えれば、引き留めることも出来ないしなぁ」
「言っても聞きませんしねぇ」
いつも新聞でしか分からない娘の現在に、私たちは冷や冷やしている。戦地を飛び回る娘がどうか無事でありますようにと、祈らない日はない。
「あの子の無事を祈り、いつあの子が疲れて帰ってきても良いように……私たちが出来るのはそれだけだな」
「ええ」
世間で女神と呼ばれている、もう一人の私たちの可愛い娘。
あの子とは、もうどちらかが死ぬまで会えないかもしれないと覚悟している。けれど、娘の死に顔は見たくないので、出来れば私たちより長生きして欲しいものだ。
そして願わくば、時には疲れた羽根を休めに帰ってきて欲しい。
書類上は絶縁しても、ルイーゼは私たちの娘なのだから。
「娘の道を受け入れるのも、親の役目ですわ」
「辛いなぁ」
「そうですねぇ」
夫と我が子について語り合い、午後のひとときを穏やかに過ごす。
私はこんな幸せを愛おしく思うから、つい娘にもと、願ってしまうけれど。
「でも、親と子は違う人間だからな。生き方や幸福を決めることは出来ないものなぁ」
「そうですわ。私たちがあの子を愛していると、いつ帰ってきても良いのだとだけ、伝わっていればそれで良いのです」
無駄だと分かっても、娘を引き留めた日のことを思い出す。
止められると思ったわけではない。
けれど、どれほど非凡な娘でも、私たちが親としてあの子を愛していることが伝わっていれば良いと願ったのだ。
ただの子供として、ルイーゼを愛しているのだと。
「……ねぇ、あなた」
「ん?」
顔を上げれば、私の目に映るのは世界を守り支えて下さる、創世神様の像だ。
それを見上げて私は微笑み、夫に声をかけた。
「私たちは今日も神に祈りましょう。可愛い娘たちの幸せを」
「そうだな」
柔らかに笑って同意した夫とともに神の像の前に膝をつく。
静かに目を伏せて、私は心から神に願った。
どうか私たちの可愛い娘が満たされて、彼女たちらしい幸せな人生を全う出来ますように、と。
それが親である私たちの、唯一の望みなのだから。