天才令嬢と凡人婚約者の破談の一幕
本編とは雰囲気が違い、コミカルです。
予想はしていたけれど、それが告げられたのは唐突だった。
「正式に絶縁しようと思うの」
「は?」
婚約者とのいつものお茶の席。
輝く金髪をざっくりとひとつに纏め、飾り気のない姿をしたルイーゼは、僕にあっさりと告げた。
「もう伯爵家令嬢として得られるものはないわ。むしろ邪魔になるだけ。だから、私は名字のないただのルイーゼになる」
「本気かい?」
「ええ」
まじまじと見つめながら問いかけると、ルイーゼは淡々と頷く。既に決めたのだろう。僕に渡されたのは、決定事項の事後報告であり、意見は求められていないらしい。
「さんざん利用し尽くした後に、随分だなぁ」
「利用できるものを利用するのは、当然じゃない。みんなやっているわ?」
非難がましく眉を顰めれば、ルイーゼは悪びれることもなく飄々と嘯いた。
「程度問題だろう。君のやり方はやりすぎでは?伯爵家の財も人脈も絞り尽くしたくせに」
「あら、私は程度をわきまえていたと思うけど?それを言うならば、私が学問のため……学術書を買い漁ったり留学のために消費した金額より、あなたのご実家のお姉様たちがお茶会やら夜会やらで浪費した金額の方が高くないかしら?」
まぁ確かに、宝飾品やドレスには各家で膨大な予算が注ぎ込まれている。我が家の姉たちは格上の侯爵家に嫁ぐことが決まっていたため、色々と妥協が許されず物入りだったこともあり、一時期は家計が火の車になったこともある。だが。
「一般的な貴族令嬢にとって、茶会や夜会は仕事なんだよ。度を越さない限り、あれは経費だ」
「へぇ、じゃあ私の場合は?」
おかしそうに尋ねてくるルイーゼに、僕は呆れと諦念をこめて吐き出した。
「……まぁ医学の発展、つまりは国益に期するわけだからね。なんなら全人類のための投資だよね。一伯爵家ではなく国に出してもらいたいよ」
僕がため息混じりに言えば、そうきたか、と呟いてルイーゼがコロコロと笑う。
「ふふ、でも父も母も、きっと苦笑しながら出してくれるわ。ルイーゼはこれにしかお金を使わないから、と言って」
「君のご両親の寛大さは異常だ。感謝するべきだよ」
この規格外でとんでもない少女を、ただの娘として愛している彼女の両親の気苦労を思いやり、僕は何度目かのため息を溢した。
巷では聖女などと呼ばれるルイーゼよりも、彼らの方がよほど聖人君子と呼ばれるのに相応しいのではと、僕は思っている。
「ええ、心から感謝してるわよ。私の羽をむしったり、翼を折ろうとする愚かな親じゃなくてよかったわ」
「感謝の仕方も傲慢だ」
皮肉を絡めてしか感情を吐露できないルイーゼの子どもっぽさは、僕には頭痛の種だった。こういうところからトラブルやすれ違いの芽が出るというのに。
「まぁいいじゃない。私の名声のおかげで、今や我が伯爵家は乗りに乗っているのよ?」
「結果論だな」
「経営がノリノリなのは悪いことじゃないでしょ?」
悪意がない、それどころか善意だけの発言だと分かってはいるが、相変わらず誤解を生みやすい少女である。
ルイーゼはたしかに情緒的な駆け引きが要求される女性たちの社交界よりも、学術的な根拠に基づいて判断し、理屈と論理で回っていく医学の世界の方がよほど生きやすいのだろう。
「まぁとにかく、そういうことだからあなたとの婚約は破談にさせて欲しいの」
「くくっ。はぁ……まぁいつかはこうなると思っていたけれど」
あっさりと告げられた破談の申し入れに、僕は苦笑するしかない。
一呼吸分の沈黙に、勝手に切り捨てられた己の身への憐憫をこめて、僕はルイーゼを見返す。
「君は相変わらず身勝手だね」
「何度も言うけれど、私は医者になるために生まれたの。女伯爵として生きるより、その方がみんなにとって良い選択でしょう?」
「みんな、ねぇ」
「あなたにはメアリーの方がお似合いよ。メアリーもあなたに憧れているみたいだし」
図々しく言い切る幼馴染は、本気でそう信じているのだろう。まぁ僕もそれが妥当だとは思うけれど。
「六歳も上だぞ?今はそうでも、学園に入ったら年が近くてもっと素敵な人を見つけるかもしれない」
まだ小さなメアリーを思って僕が忠告すれば、ルイーゼは眉を吊り上げて反論した。
「だからじゃないの!変な虫がつかないように、さっさとあなたと婚約しておくべきだわ!まぁあの子は共学の王立学園ではなく、女学院に入れるように両親には言っておくけれど」
「君もなかなか過保護だよなぁ」
相当わかりにくいけれど妹を溺愛しているルイーゼは、己の認めた男以外をメアリーに近づけたくないらしい。そのルイーゼが認めた男が僕であるというのは、悪くない気分ではあるが、メアリーの意思を確認しないのはやはり問題だと思う。しかし。
「私の妹だってだけで手を出そうとする屑がたくさんいるから、仕方なくよ」
苦虫を噛み潰した顔で憤慨するルイーゼの意見に、僕は頷かざるをえなかった。
「まぁ確かに。ルイーゼのファンが、御しやすそうなメアリーを狙うのは十分考えられるな。というか、すでに茶会ではよく見られる光景だよ」
「なんですって?」
「『あのルイーゼ嬢も、幼い頃はこんな感じだったんですか?』とか言いながら寄ってくる奴らがいるんだよ。まぁ『全然似てません、顔も雰囲気も声も性格もまるっきり違いますねぇ』て言ってるけど」
最近メアリーと連れ立って出向いた際によくあるトラブルを伝えると、ルイーゼは美貌を悪魔の如く歪めた。
「……許し難いわね、偶然を装い断種させてしまいたいわ」
「やめろ、公爵家断絶は大問題だ」
「公爵家なのね……ふふ、なるほど……?」
「余計な情報を漏らしてしまった……」
魔女のような微笑みを浮かべて妙な空想に耽っている幼馴染を視界から外す。
今のはなかったことにしよう。公爵家のお家問題など、僕の心配することではない。
「まぁいいわ、あとは全部あなたに任せるから」
「え?本気かい?婚約も?」
あっさりと思考を切り替えたらしいルイーゼが僕に告げた。全部、という台詞に、僕が何度目かの確認をすれば、ルイーゼはにっこり笑って言い切った。
「あの子は私の意見に反対しないわ」
「本当に傲慢で勝手な姉だな!」
呆れて僕が喚くと、ルイーゼはしゃあしゃあと続ける。
「いいのよ、あの子の方が伯爵家の当主は向いているわ」
「まぁ君には向いていないよね」
「あなたの妻も、メアリーの方が適任よ」
「いや、生まれた順で決まってただけの爵位はともかく、婚約に関してはまずはメアリーの意見を聞きなよ。相性とかあるだろ!?」
常識人を自認する僕がこんこんと言い聞かせても、ルイーゼはさっぱり聞く耳を持たない。
「メアリーのこともよろしく頼むわ。あなたならうまくやってくれるでしょう」
「いやだから、そこだけはメアリーの確認をとってくれよ!姉のおさがりを押し付けられるのは可哀想だろう?」
何度言って聞かせても同じ台詞を繰り返す、物分かりの悪い幼馴染に、僕は頭を抱えた。ルイーゼは自分が絶対に正しいと信じて疑っていない。本当に厄介なやつである。
「もうっ、自信がない人ねぇ!俺が幸せにしてやる、くらい言ったらどうなの?あの子のこと可愛がってるくせに」
「可愛がっているからこそだよ!」
「大丈夫よ、あの子の初恋はあなたなんだから。なお今も恋心は継続中みたいよ」
「子供の初恋なんて当てになるか!後からオジサンはイヤとか言われたらどうしてくれる!」
「言われないように頑張りなさいよ、せいぜい年上の魅力を磨きなさい」
「くぅうう!」
可愛いメアリーに嫌われず、憧れの人で居続けるために、今後は相当頑張らねばなるまい。
頭を抱えて呻いている僕を、ルイーゼは面白そうに見下ろしていた。
「じゃあ話はこれで……あ。そういえば、はい」
言いたいことだけ言ってお茶会を終わらせようとしたルイーゼが、何かを思い出したように呟き、ポケットから小さな瓶を取り出した。
「え?なんだこれ」
瓶の中でキラキラと光る白い粉に、僕が首を傾げていると、ルイーゼはあっさりと告げた。
「万能傷薬よ。まだ開発途中だけれど」
「へ!?伝説のエリクサーみたいな!?」
「そんなわけないでしょ」
仰天して問返せば、呆れた顔で首を振られる。
「ざっくり言うと、傷が膿むのを抑える薬。怪我そのものより、感染で命を落とすことの方が多いから」
「はぁー」
「基本的には強すぎる抗生剤だから、無駄に使いすぎると耐性ができて酷い目に遭うからね。いざという時だけ使いなさい」
使い方を説明して僕に瓶を渡したルイーゼは、なんとなく満足そうである。
「よくわからないけれど、ありがとう。でもなんで?手切れ金?」
「人聞きが悪いわね、せめて慰謝料と言って。……まぁそれは冗談として」
軽口を叩き合った後、ルイーゼはやけに真剣な顔をして僕を見た。
「あなた、やけに熱心に近衛騎士団で訓練してるじゃない。そのうち駆り出されるわよ」
「はは、手抜きしろって?」
常に全力投球なルイーゼを揶揄うように聞けば、ルイーゼは嫌そうに眉を顰めた。
「そうは言わないけれど、不思議に思ってはいるわ。別に出世したいわけでもないくせに」
「まぁ、君の婚約者としては、それくらいできないとね」
「あら、私の婚約者として?その心は」
「僕の婚約者はあまりにもご高名だから。隣に立つには必要かなって」
一応僕は、救世主と崇められている天才令嬢の婚約者だったわけで、何か一つくらい得意なことがあってもいいかなと思ったのだ。少なくとも最初の動機はそうだった。
そう思い返していた僕の目を見据えて、ルイーゼは口角を緩めながら問いかけた。
「本心は?」
「君と喧嘩になった時のためさ」
「ふふふっ」
僕の返答がお気に召したらしいルイーゼが声をあげて笑う。令嬢らしからぬ、けれどルイーゼらしい裏表のない笑い声だ。
「あなた、女の子に対して武力に訴える気なのね」
「口では勝てないからね」
剽軽に返した僕に、ルイーゼはゆるりと目を細めて尋ねた。
「じゃあ、もしもの時は、私を討ち取ってくれるのね?」
「まぁ……いざという時はね」
「ふふっ、あはは!頼もしい幼馴染がいて幸せだわ」
先ほどよりも更に楽しそうに笑い転げる幼馴染に、僕は複雑な気分である。
そんな日は来ないと思うし、来ないで欲しいと願っているけれど、猪突猛進な幼馴染の未来はどう転ぶか分からないから。
もしも彼女が道を外れた時は、彼女の友人であり、おそらくは数少ない理解者でもある僕が止めなければ。
それくらいの覚悟でいるのだ。
……だというのに。
「さて、円満破談が済んだわけだし、お開きにしましょうか」
そう自己完結すると、ルイーゼは、さっさと片付けを始めた。
胸のつかえがおりたと言わんばかりの晴々とした顔をしている幼馴染に呆れ果てる。
まったく、こっちの気も知らないで。
「君は本当に勝手だなぁ!」
本編の
「破滅に導く情熱だとしたら、あなたが討ち取ってくれるでしょう?」
「幼馴染を手にかけることはしたくない、気をつけて生きておくれ」
「ええ、肝に銘じるわ」
の台詞がどういう経由できたのかなぁと思っていたら浮かんできたお話です。
思った以上にコミカルになりました。
また思いついたものから順番に書いていきます。