すれ違う姉妹と苦労人の思い出話 2
「ねぇルイーゼ、君は前世に振り回されすぎていないかい?」
「なんですって?」
成人を前にして、デビュタントの衣装を見繕っていた頃。
遠い昔に終わったはずの話を久しぶりに蒸し返したのは、ルイーゼに言ってやりたいことがあったからだ。
「もう少し今を大事にすべきだ。君は君の周りの人々を、ちょっと軽視しすぎている。……少なくとも、家族はもっと、大切にしなよ」
気まずそうな顔で、ルイーゼが目を逸らした。
「……自覚があるなら、なんでやるの」
はぁ、とため息をつきながら、先週、妹の十歳の祝いの席をすっぽかした婚約者殿に、僕は苦言を呈した。
「せっかくのおめでたい十歳の祝いで、主役を隠れて泣かせるんじゃないよ、まったく」
十歳の祝いは教会から加護を授かる、成人の儀に次いで重要な祝い事だ。貴族の嫡子ならばそれなりの規模のパーティーを開き、一族総出で祝う。海外にいる身内は、そのために帰国するほどだ。
それなのにルイーゼはその日に大陸中の研究者が集まる学術大会があるとかで、あっさり欠席したのだ。
人前では笑顔で振る舞っていた幼いメアリーが、陰でこっそり涙を拭っていたのを思い出すと、小言も言いたくなるというものだ。
「遠くにある大きな夢だけではなく、すぐそばの周りの者のことも、もっと大切にできないのかい?」
「……だって、そんな暇はないもの」
どこか苦しそうに呟くルイーゼを、僕は眉尻を下げて見つめる。あぁ、違う。僕はこの不器用な幼馴染を追い詰めたい訳ではないのだ。
でも、もっと近くのものにも目を向けて欲しい。世界を救うなんて無謀な挑戦より、身近な愛や些細な夢に笑って欲しい。つまらなくて優しい幸せに気づいて欲しいのだ。
そうすればきっと、ルイーゼは今みたいに苦しまなくてもいい。
いつだってルイーゼを追い詰める飢餓にも似た切迫感は消え、穏やかで小さな喜びに満たされるのではないかと、そう思うのだ。
「あなたの言いたいことは分からなくもないわ。でも、私はもう決めているの。この世界に生まれた意味を見つけた、その時から」
机の上に積み重ねられた論文をじっと見た後、視線を上げたルイーゼは僕を睨みつけて言い切った。いや、僕を、ではない。おそらくは僕が象徴する、平凡な幸せというものへの訣別のように。
「……でも」
ルイーゼの覚悟を理解しても、僕は言わずにはいられない。メアリーや、ご両親からも頼まれてしまっているのだ。最近命を削るように生きているこの少女をどうにか止めてくれ、と。
「ねぇ、ルイーゼ。そうだとしても、最近とみに無茶をしているよね?あまりにも詰め込みすぎていないかい?」
凄まじい勢いで書物を読破し、研究室に篭りきりになったかと思えば、嵐のように方々を駆け巡って舌戦を繰り広げる。毎日を常人の五倍ほどの密度で駆け巡っているルイーゼを、僕も、彼女の家族も心配していた。
「あまりにも生き急ぎすぎているように見えるよ」
「仕方ないじゃない!どいつもこいつも馬鹿ばっかりで話が通じないんだもの!時間なんていくらあっても足りないんだから!」
苛立たしそうに吐き捨てて、ルイーゼは嫌みたらしい目つきで僕を睨んだ。
「あなたみたいに普通に生きるなら十分でしょうけれど!」
八つ当たりのような口調で言い放つと、ルイーゼは、つん、とそっぽを向いた。
悪童の癇癪じみた振る舞いのルイーゼに、僕は頭痛を堪える。
「ルイーゼ……、君の言っていることは、僕らには難しすぎるんだよ。君は早く、そのことを理解するべきだ」
僕は正直、ルイーゼが言っていることはいつも一割も理解できない。それをルイーゼは責めたことはなかった。僕は無知な素人だからだ。
けれど最近、高名な学者達と議論を交わすようになって、ルイーゼは知ってしまったのだ。この世界で一流の学者とされる人たちですら、ルイーゼの話を理解できないのだ、ということを。
だから、焦っているのだろう。
心に決めた夢の世界への道が、自分の思うよりも遥かに長く険しく、苦難に満ちたものであることを察して。
「……まったく」
僕は、最近のあまりにも苛烈さを見せ始めたルイーゼの言動に、危機感を隠せなかった。
ルイーゼは何か大きな脅威にでも追い立てられるように、過激に知識を追い求めている。
そして、まだ成人前の十五歳という、幼いと言っても良いような年齢でありながら、彼女は世界の常識を変えようと一流の学者たちと言論を戦わせているのだ。
ルイーゼはいつも、自分が世界一優秀だと言わんばかりに生意気な態度で、学者たちを相手にあえて波風を立たせて、議論を荒ぶらせていく。確かに、ルイーゼの目論見通り、その激動に揺れる波間から生まれたものは数知れない。
この世界を進歩させるために、ルイーゼは賢すぎる、けれど、頭のおかしな少女のふりをしているのだ。
ルイーゼのためを思えば、そんなことはやめた方が良いと言いたいのだが。
「君の目的は君の正しさを理解させることではなく、君の望むような世界に近づくことなんだろう?せめて、やり方を考え直した方が良い。敵を作るばかりでは、夢への道は遠ざかるよ」
「……考えておくわ」
せめて悪役になって怒りや憎しみを買うのはやめてくれと告げれば、本人も自覚はあったのだろう。ルイーゼは気まずそうに目を逸らした。
十五歳の幼馴染は、年相応に子供っぽいところがあり、感情的になって喧嘩腰になりがちなのだ。
「周りに……家族やあなたに、迷惑がかからないように気をつけるわ」
「……僕らは、君自身のために、気をつけて欲しいと言っているんだけれどね」
目を逸らしたまま小声で呟くルイーゼに、なんとも言えない心地になる。
もう諦めれば良いのに、と思う。
さっさとこの世界を受け入れて、今の自分に相応の幸せというもので満足してしまえばよいのに。
この頑固で夢見がちな幼馴染は、到底そんなことは出来ないのだ。
年に似合わない皺の刻まれた眉間を揉みながら、何度目かも分からないため息を吐いた。
「せめて、そういう顔を家族の前でも見せなよ。みんな心配して良いのか、そこから悩んでいる」
「心配なんかしなくて良いわ」
「……素直じゃないな」
ルイーゼの親とは思えないほど穏やかで人格者のご両親は、あまりに賢すぎる自分の娘に戸惑い、自分達のような凡人が何か言うのは烏滸がましいのではと考えてすらいる。いわんや、まだ幼い妹のメアリーをや。彼らはルイーゼに意見することはおろか、心配すらして良いものかと悩んでいるのだ。
「あのねぇ……少なくとも、家族に対して妙に距離を取るのはやめた方が良いよ。超人の仮面を被って格好つけてばかりいないで、きちんと娘として、姉として接するべきだ」
「いやよ」
せめてもと口にした僕の提言を、ルイーゼはけんもほろろに切り捨てる。そして、金眼に底の見えない感情を宿して、窓の外を睨む。
「走り続けるために、余計なものは捨てなくてはならないの」
余計なもの、と切り捨てられる側の身としては悲しいものがあるが、まるで追い詰められた狂人のようなルイーゼの瞳に、反論は出来なかった。
太陽の如く輝くこの瞳が、曇るのは耐えられないと思ったのだ。
「私は限りなく卓越した天才で、強靭な人間でないといけないのよ。そうでなければ、この世界に生まれた意味がないわ」
「……君は、すべて分かってやっているのだものね」
全く譲る気がないルイーゼを見て、僕は諦めるように、はぁぁ……、と深く長く息を吐いた。胸の内に渦巻く様々な感情を追い出すように長く息を吐き、そして片手で目を覆う。
「ねぇ、君には僕の……僕らの言葉や想いは、どうしたって届かないのかい?」
「さぁ」
僕の嘆きを短く切って捨てると、ルイーゼは露悪的な表情を浮かべて鼻で笑った。
「どちらにしても同じことよ。私は聞かないわ」
迷いに揺れる心を押さえ込むように、一度だけ強く目を瞑って、ルイーゼは僕を睨みつけた。
「私は私の夢を追う。そう決めたの。邪魔を、しないでちょうだい」
瞳に金色の炎に輝かせて言い切ってしまうルイーゼに、僕はあらゆる言葉を飲み込んだ。
「そうかい。……じゃあ」
僕のような凡人には分からない激しい覚悟を秘めた金眼。太陽のような熾烈な輝きを前に、僕は喉元まで込み上げていた感情を飲み下した。そして代わりに、小さな諦めの笑みを落とす。
「まぁ、君の好きにするが良いさ」
精一杯の愛情と同情をこめて、僕はそう呟いた。
それからしばらく経って、勝手に留学を決めたルイーゼは国を出た。
数年して、やっと国に帰ってきたと思ったら、あっさりと僕との婚約を解消し、実の家族と絶縁し、完全に飛び出してしまったのだ。
本当に、幼い頃からずっと変わらず、傍迷惑で身勝手で、とんでもない奴だった。
あれから、どれほどの月日が経ったことだろうか。
「ねぇルイーゼ、君、いい歳をして!もう少し素直になれないのかい!?」
「あら、今更人間性は変わらないわよ」
中年を迎えてもまだすれ違っている姉妹に挟まれ、僕は頭痛のする頭を押さえていた。
ルイーゼは現在、またもや国家規模の揉め事を起こして、実家である我が侯爵家に軟禁状態である。
隣国の王家の姫君の怪我で、跡が残ってはならないからとルイーゼご指名の治療依頼があったのだが、それを断ったのだ。
ルイーゼの言い分としては、その時ちょうど落石災害があり、手の離せない重体の怪我人が複数いたらしい。隣国へは自分が行く代わりに、十分に能力のある弟子を派遣して問題なく治療は完了しているのに、文句を言う方がおかしいらしい。
まぁその通りではあるのだが、隣国の王家は至極おかんむりである。我が国に苦情が入り、王家からの依頼で、話し合いに決着がつくまで、一応体裁上は我が家が身柄を預かっているところだ。
こんなことばかりで、勘弁してほしい。
だがまぁ、巻き込まれるのも慣れてきた僕は、この時とばかりに昔馴染みの特権を振り翳す。つまりは、我が愛しの妻と、きちんと向き合って欲しいと嘆願しているのだ。
なにせ先ほども、久しぶりに姉と会えるとそわそわ現れたメアリーに対して、ルイーゼは相変わらずツンツンとそっけなかったのだ。メアリーは間違いなく傷ついた。
「照れ隠しも大概にしてくれないか?」
「照れてなんかいないわ」
「久しぶりに会えて嬉しいわ、くらい言いなよ。素直じゃないな!」
「生きてることは把握してたから別に」
「ここには僕らしかいないんだからさ。実は君が妹が可愛くて仕方ないから、妹家族は人質に最適だ、なんてこと、誰にも分からないよ」
「……自己評価が高くてびっくりするわ。私にとって、あなたたちにそこまでの価値はないわよ?」
「はいはい」
残念ながら、ルイーゼが身内であるメアリーを彼女なりに愛しく思っていることを僕は昔から知っている。悔し紛れに減らず口を叩くルイーゼを受け流し、僕は淡々と苦情を続けた。
「ねぇルイーゼ。頼むから君たち、もう少しちゃんと話し合ってくれよ」
「時間の無駄よ」
「無駄も人生には必要だよ」
「普通で平凡な人生を歩んでいる人とは、きっと分かり合えないと思うから。やめとくわ」
「ダメだよ、死ぬ時に後悔する」
はぁ、とため息とともに俯けば、眼鏡が重さで下にずれる。そういえばこれも、ルイーゼの発明品の一つだったなと思い出しつつ、眼鏡の位置を直しながら、僕は顔を上げた。
「君たち、お互いに相手のことがきちんと好きで大切なんだからさ。ちゃんと伝えるべきだよ。……特に君」
「なんでよ」
「メアリーは伝えているだろ。そしてメアリーには伝わっていない」
眉間に深い皺を何本も刻んでルイーゼを見ると、罰が悪そうな顔で目を逸らしている。本当に昔から変わらない。都合が悪くなると、すぐこれだ。
「君はいいだろうよ、そりゃあね!君にはメアリーの気持ちはなんだかんだ伝わっているからね。君は死ぬ時に愛されていなかったとは思わない。けれどこのままだと、メアリーは姉からの愛に気づかず死ぬことになるんだ。メアリーをこよなく愛する夫として、それは我慢ならないね!メアリーはちゃんと愛されていたことを知るべきだ」
朗々と演説する僕に、ルイーゼは苛立たしそうに吐き捨てた。
「……長々とうるさいわね」
「ふん、図星だろ?……今回こそ、ちゃんと家族愛を伝えてから帰ってくれよ?」
僕の心からの願いに、年甲斐もなく口を尖らせたルイーゼは小さく呟いた。
「考えておくわ」
「……はぁ」
否定ではないだけ一歩前進だが、さて。
「君が素直になるまで、一体何年かかるんだか」
僕らが生きてるうちにどうにかなることを祈るしかない。
勢いで番外編更新したものの、ずっとふんわり書いてきたもので、時系列が合っているか不安になってきました。今更ながら年表でも作るべきかしらと思いつつ……。




