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天才と呼ばれた一人の令嬢と、彼女を取り巻く人々の、身勝手な言い分  作者: 燈子
【愚かで甘ったれな私は、立派なお姉様の代わりに当主の座と婚約者を引き継ぐことになりました。】
3/35


「はぁっ……はぁっ……」


私は走っていた。

途中まで乗っていた馬車は、途中で車輪が壊れて動けなくなってしまったから、護衛騎士を一人だけ連れて、飛び降りた。


私の心情を慮ってか、そのままついてきてくれる騎士に甘えて、私は姉がいるはずの施設の門の中に飛び込んだのだ。




「お姉様っ」

「……メアリー?」


扉をあけ、制止の声を無視して駆け込めば、たくさんのベッドが並んだ広い空間の真ん中で、周囲に指示を飛ばす姉がいた。


「あなた、なんでここに」


一瞬驚きに眉を上げた姉は、周囲にいくつかの指示を告げてから、早足に私のところに来た。


「何をしにきたの」

「ロレンス様が……ロレンス様が、戦地で」


言葉に詰まれば、姉は静かな声で問いかけた。


「死んだの?」


冷静な声に、私は咄嗟に首を振る。


「い、いいえ、新聞の、生死不明者の欄に」

「それなら、まだ分からないわ。あなたにも私にも出来ることはない。屋敷に帰って大人しくしていなさい」


私の答えにひとつ息を吐くと、すぐに踵を返した姉を、必死に呼び止める。


「お姉様ッ」

「……なに?忙しいのよ、手短にお願い」


ちらりとこちらを見る目の淡白さに、私の中で焦燥が募り、涙が溢れそうになる。


「ど、どうかお屋敷に、帰ってきてくれませんか?」

「は?私はもう、伯爵家とは絶縁した身よ。おかしなことは言わないでちょうだい。……ロン、何?聞くわ」


私に遠慮しながらも近づいてきた白衣の青年に声をかけられ、姉はすぐに私から興味をなくした。


「お姉様っ」


それが悲しくて、私は必死に姉にとりすがった。

今の私には、姉しか頼れる人がいないのだ。


「お願いっ!お願いよ、お姉様!お屋敷に帰ってきて!お父様とお母様も伯爵領に戻られて、どうしていらっしゃるかわからなくて……ロレンス様の生死も分からないし、ひとりじゃ心細いの……っ。私のお願いを、一度くらい叶えてくれても良いじゃない」

「……馬鹿馬鹿しい」


泣きじゃくる私を一言で切って捨て、姉はあからさまな軽侮と苛立ちをこめて睨みつけた。


「そんなことでここに来ないで!()に屋敷に帰って()()()()と!?神様の像に向かって祈ったところで、時間の無駄よ」

「ひどいわっ!」


祈りを無駄と吐き捨てられ、私もカチンときた。私の祈りは届くと、ロレンスは励ましてくれたのだ。それを胸に、この不安な日々を耐えていたのに。


「お姉様はなんでそんなに冷たいの?お父様たちが心配じゃないの?ロレンス様は、お姉様の幼馴染でもあるのよ?……お姉さまには、人の心がないの!?」

「こ、の、愚か者ッ!」


私の幼稚な罵倒に堪忍袋の緒が切れたのだろう。姉は悪魔のごとく顔を歪め、私を真正面から怒鳴りつけた。


「人の心がないのはあなたでしょうッ!ここには、今!死にかけている人がたくさんいるのよ!?……この人たちから()()()()ことが何を意味するのか、わかっているの!?」

「……あ」


その言葉にハッとする。ぐわりと視界が揺れ、私が感じていた世界が崩れる。

キーン、と、目の回りそうな耳鳴りの後で、私には、それまで()()()()()()()音が聞こえてきた。


「う……うぅ……」

「み、ずを、くれ……」

「いたい……いたい……」

「あいたい……かぁさん……」


血の気のひいた顔をめぐらせれば、辺りからはうめき声や泣き声、悲鳴が聞こえてくる。


「うっ、くすりを……お、おたすけを貴族さま……ッぐぇっ、ぉえええッ」


そして私のもとへ這いずってこようとした片腕のない男は、数歩先で嘔吐して意識を失った。


「ジュリアン!……邪魔よ、どきなさい!」

「きゃっ」


駆け寄ることもできずその場に立ち竦む私を押しのけて、姉が素早く男の横に片膝をつく。

吐瀉物を避けて男を横たわらせ、痙攣する男に何かの薬を注射した。


「あぁ!あなたが興奮させるから!この人はもうすぐ処置の順番だったのに、無理して動くから……チッ!出血が悪化してるわ。早く処置室へ!」

「お、おねえ、さま……」


貴族令嬢にはあるまじき舌打ちも、この現場では適切だった。チッという音一つに重い悔恨と激しい苛立ちを放り込み、姉はすぐに次なる一手を考え、止まることなく動き出す。


「ご、ごめんなさ」

「うるさいわ、帰って」


伸ばした手はぴしゃりと拒まれる。けれど動揺する私は、そのままオロオロと立ち尽くした。


「で、でも、私のせいで」

「何もできないくせに、居るだけで邪魔だとわからないの!?いい加減にして!」


殴りつけるような怒声に、頬を張られたかのように脳がぐわんと揺られた。


「ここは私の()()なの!なるべく多くの人を生きてここから帰すために、私は私の全てを懸けて戦っている真っ最中なのよ!()()()()()()()で邪魔しないでちょうだい!」

「あ……」


言葉を返すこともできず、私は喘ぐように苦い空気を呑む。


その通りだ。

私は、一体何を考えていたのだろう。


王都の中ならば安全だと、姉も王都にいるのだと、それしか見えていなかった。

ここが……戦場と地続きのこの施設がどういう場所なのか、ちっとも分かっていなかったのだ。


「あのね、愚かなメアリー。私はあなたと違って、この人たちを救うことが出来るかもしれないの」


出来る、と言い切らない姉の潔癖な誠実さが、より私の胸を抉った。


「あなたには、人間に見えていないのでしょうけれどね。この人たちも、みんなあなたやロレンスと同じ人間なのよ」

「そんな、こと……」


否定の途中でくちごもる。

ないとは言えない。さっきまで、私は彼らの姿など見えず、声も聞こえていなかったのだから。


「みんな、貴族たちの指揮で突撃させられて、訳もわからず戦争の前線に引っ張り出されて、大怪我を負っているのよ。この人たちには、何の罪もないのに!」

「あ……」


自分は後方にいる指揮官だと語っていたロレンスを思い出す。

そしてやっと気がついた。

貴族が後方にいるのならば、きっと貴族ではない平民の兵士たちが前線に出ているのだ。

そんな簡単な理屈が、なぜ私はわからなかったのだろう。


「この人たちはみんな、誰かの夫で、誰かの恋人で、誰かの息子で、誰かの大切な人なの。分かるかしら?守られた花園で育った、愚かな子」


私は戦争が始まっても、安全な王都の屋敷で神に祈り、少々清貧に努めるだけで、大して変わりなく暮らし続けている。

恐ろしくて醜い現実など、かすりもしない世界で。


そんな私を知っているのだろう。

姉は忌々しそうに私を睨みつけた。


「そんな綺麗な格好で、膝をついて服を汚す気もないくせに、ここに来ないでちょうだい!」

「おね……さま……」

「甘ったれたお嬢様。いつだって自分のことしか見えていない、あなたのそういうところが本当にイライラして仕方ないわ!」


燃えるような怒りの瞳に射抜かれて、呼吸もできない。


「メアリー、邪魔よ。今すぐ帰りなさい」


血と吐瀉物に汚れた白衣を纏いながら、姉は強い眼差しで私を見つめて言い放つ。


「私はここに来た人たちを、一人でも多く生かさねばならないのよ」


どこまでも誇り高く、まるで本物の女神のように。




「申し訳、ありませんでした……」


誰一人聞いていない謝罪を呟き、深々と頭を下げてから、私は施設を後にした。

後ろを静かについてくる護衛騎士以外に、とぼとぼと歩く私を気にする人はいない。


あの場所で、私は気を遣うべき高位貴族令嬢ではなく、外部からの迷惑な侵入者でしかない。

花畑と地続きだからと勘違いして戦場に紛れ込んだ、場違いな蝶々だ。


「……ご、めんなさい、おねえさま」


情けなくて、悲しくて、みじめで、涙が次々と溢れてくる。


なぜ姉と私は、見えているものが、見えている世界が違うのだろう。同じ家で同じ両親の元に生まれ、同じように育ったはずなのに。

姉に言われるまで、私は足元に寝転んでいる人たちの悲鳴も呻きも聞こえなかった。人間は、認知していないと認識できないのだろう。


いつもいつも、何も見えず、聞こえず、理解せず。

姉の邪魔ばかりして、失望させて。


あぁ、恥ずかしい。

十五歳にもなって、なんてみっともない。

甘やかされた愚かなお子様だ。

伯爵家の跡取りでありながら、一人で留守番すらもできないのだから。


「っ、こんなんじゃ、だめなのに」


こんな私はとてもじゃないけれど、ロレンスに釣り合う大人の女性とは言えない。

だからかつて姉を愛していたロレンスは、いつも私を守るべき子供のように扱うのだ。

こんな守られて当然だと思っている私のようなコドモは、きっと女として愛してもらえないだろう。






ふらふらと王都の屋敷に帰り着いてからも、私は数日間泣き暮らした。


そしてひたすらに神へと祈った。

何か出来ることはないかと考えたところで、無能な私には、それしか出来ることがなかったからだ。






一ヶ月後、停戦協定が結ばれたと言う報が入った。


王都は安堵に沸いた。

両親からは連絡があり、後処理をしたら一、二ヶ月後には帰れるだろうとのことだった。


「よかった……お父様、お母様……」


ほろほろと安堵の涙を流す私の肩を抱いてくれる人はいない。私は一人、肩を震わせて手紙を抱きしめ、神に感謝を捧げた。


「ロレンス様……」


婚約者の安否を伝える連絡はまだない。

けれど私はただ無事を信じて、ロレンスのために刺繍を続けた。

姉には無駄と切り捨てられたけれど、祈りは届くと、ロレンスは言ってくれたのだから。




そして、停戦が報じられた一週間後。




「ただいま、私の小さな恋人さん」

「……ロレンス、さま」


私の元に現れたのは、左腕が痛々しい包帯で包まれた、愛おしい婚約者だった。


「ご無事だったのですね……」

「あぁ、多少怪我はしたけれどね。ちゃんと生きているよ」

「あ、ああ!ああぁっ!よかっ、よかった…!」


多少というには大怪我であったけれど、生きていたということに安堵して、とてつもなく嬉しくて、私はそのまま泣き出してしまった。


「そうして心から心配して、無事を喜んでくれるあなたがいるのが、僕はとても幸せだよ」


頑是ない子供のように泣きじゃくる私に、ロレンスは嬉しそうに頬を緩め、そして右腕で強く抱きしめてくれた。埃の匂いがする。実家に戻る前に、こちらに寄ってくれたのだろう。その優しさに、ますます涙が溢れた。


「あぁ、神に感謝いたします」


そう呟いた私に、ロレンスはくすりと笑い、私の頬を突いた。


「僕が帰ってこられたのは、メアリーのおかげだよ」

「え?」


意図を理解できず首を傾げる私に、ロレンスは優しく笑みを深める。


「メアリーの元に帰りたいという願いがあったから、僕はこの場所に帰って来られたんだ」

「そんな……私は王都で泣いていただけです。何もできませんでした」

「そうかい?僕の夢には君が出てきたよ。君の祈りが届いたのかと思っていたけれど」


冗談まじりに告げられた言葉にほんの少し心が明るくなる。けれど、私の祈りにそんな力があるのだろうか。私にはそうは思えなかった。


「きっと違いますわ、私にはなんの力もございませんもの。私はただの……愚かで甘ったれた、貴族のお嬢さんですわ」

「おや、またお姉さんに何か言われたのかい?」


ひどく落ち込んでいる私に、勘のいいロレンスが問いかける。

いや、昔から私が落ち込むのは姉絡みが多いからだろう。

実際にほとんどその通りなので、私は反論もできず、力なく肩を落として首を振った。


「いいえ、身に染みて再認識したのです。これまでずっと何もかもお姉様に全てを任せきりで、私には貴族の自覚もありませんでした」

「まぁ、君はまだ学生だ。仕方ないよ」


慰めの言葉に、子供だから仕方がないのだと言われた気がして、なおさらに落ち込んだ。だって、姉は私の年齢よりも幼くても、ずっと昔から()()だったのだから。


「でも、姉はずっと昔から、強く貴き者の義務と使命を理解しておりました。私だって、姉と同じように学んでいたはずなのに、情けなくて……」

「うーん、ルイーゼはちょっと特殊だからなぁ」


苦笑するロレンスの言いたいことも分かる。天才の姉と比べるなということだろう。けれど、振り返ればやはり、私は怠惰で無責任だったと思えるのだ。


「当主教育も、両親は私と姉に同じものを施してくれました。……それなのに、きっと優秀な姉が跡を継ぐのだと思い込んで、私は真面目に当主となる教育を受けていなかったのです。だから、今更慌てて学び直しているのですわ。どうしようもない愚か者です」


両親だってもちろん優秀すぎる姉に期待していた。けれど父母はとても常識的な人たちだったから、私たちを大きく区別することはなかったのだ。二人とも女の子だから、どちらが嫁ぐか分からないと、同等の教育を施してくれた。それを無駄にしたのは私だ。


「たとえそうだとしても、メアリーは放り出さず、ちゃんと学び直しているじゃないか」

「放り出すだなんて、出来るはずないではありませんか」

「それがね、世の中にはたくさんいるんだよ?義務を放り出す、身勝手な人と言うのが」


面白がるように、ロレンスが笑う。

そして、内緒話のように声を顰めて続けた。


「実はね、……君のお姉様もその一人なんだよ?」

「え?」


あまりにも思いがけない言葉に、私は驚いて目を見開く。姉のことを身勝手だなどと、考えたことはなかったのだ。あれほど、己に与えられた使命というものに、忠実で誠実で情熱的な人はいないだろうに。


「彼女は己の才覚と信念に基づき、天命だと言って、貴族の、この家の当主となる義務を手放した。メアリーに()()()()()()()()と考えて」


穏やかに告げられた冷たさを纏う言葉に、ふるりと背が震える。私はそんな風に考えたことはなかった。いつだって、姉は誰よりも強く、正しい人だったはずだ。


「そ、そんな…お姉様は、いつだって強く正しく、人を救うことを使命としていました。立派な方ですわ」


姉を否定されることが恐ろしく、私は拙い言葉で言い募った。姉を否定してしまったら、これまで信じてきた世界が崩れてしまうような気すらしたのだ。

私の困惑と焦燥に、ロレンスは柔らかく眉を落とし、厳しかった表情を和らげた。


「たしかに強く正しい。けれどルイーゼは、あらゆる人間に優しいからこそ……本当ならば最も大切にするべき身内には、優しくない人だったと思うんだ」

「ロレンスさま……」


悲しげな言葉にいくつもの過去が思い当たり、私は静かに息を呑む。


「ルイーゼははっきりした使命感を持って、他の人には出来ない尊い仕事をしている。それはわかっているけれど、……ねぇ。彼女を大切に思う周りの人間は、悲しい思いをすることも多かっただろう?」


苦笑するロレンスに同意することもできず、私は小さく俯きながら、昔のことを思い出した。


姉は常に己の信条のままに行動した。

姉は誰にも相談せず留学を決め、家族の誕生日や祝い事よりも学会や研究会を優先したし、親族の葬儀でも戦地から戻らない時もあった。


ロレンスに対しても同様だ。

一般的な婚約者との行事を無意味と切り捨てて軽んじ、急病人があればロレンスとの約束を反故にすることも多かった。


「ルイーゼだから仕方ないと、次第に僕らもみんな受け入れていたけれど、ただ見守っているしかないのは辛かったよね」


しみじみと続けられる言葉に、私は無言をもって同意する。

どれだけ涙ながらに止めても、私たちの心配を歯牙にもかけず危険な場所に駆けていってしまう姉を見送るのが、私は何より辛かった。


「ルイーゼがあまりにも規格外だから、うっかり気づかないけれど、わりと僕たちって振り回されてきたんだよ?」


おどけて言うロレンスに、私は少し考えてから小さく頷いた。

確かにそうかもしれない。


普通ならば非難されるだろう姉の振る舞いも、その行動の全てが人の命を助ける尊い役目のためであったから、私たちは口にはできなかった。


特に婚約者のロレンスは姉に振り回されることが多かったのだろう。

けれど姉の婚約者であり、理解者でもあったロレンスは、その状況を甘受し、むしろ姉を応援すらしていたように見えた。


しかしロレンスだって、寂しくないわけではなかったのだろう。

婚約者がいるから、他の女性を誘うことも叶わず、いつだって一人で出向く夜会やお茶会、学園のパーティー。そんな日々に、虚しさを感じないわけがない。


「……ロレンス様、寂しかったのですか?」

「ふふ。まぁ、メアリーが居てくれたから平気だったけれどね」


ぽつりと尋ねれば、ロレンスは笑って答えた。

私は時折姉の代わりに、小さなパートナーとして務めていたのだ。未来の義妹として。

それでロレンスが、少しでも慰められていたのならば嬉しい。

そう思って表情を和らげれて見上げれば、ロレンスはとても愛おしそうに私を見つめていた。


「そうやって僕の心を思い遣ってくれるメアリーが、僕はとても愛おしいんだよ」


ちゅ、と愛らしい音をたてて、私の額に口付けが落とされる。ロレンスは過去を思い返すように、静かな顔で続けた。


「理想が高く、気高く、それ自体はとても美しい。けれど周りの、近しい人を苦しませる人でもあった。君やご両親は、ルイーゼのために何度も泣いただろう?逆に、君はご両親やルイーゼを泣かせたことがあったかい?」

「それ、は……」


たしかに、私は親を泣かせたことはない。それは当たり前だと思っていた。むしろ、私には親の言うことを聞くくらいしか出来ないのだと、自嘲していたのに。


「大切な人を泣かせたくない、そのために夢や希望を諦めるとしても、それはとても美しく素敵な、愛のある行動だと僕は思うんだよ」

「……私の場合は、ただ何も考えず、父母の言うままに生きてきただけです。そんな立派なものじゃありませんわ」

「ふふ、それが一般的には優しくて良いお嬢さんだと言われるんだけれどね。それじゃあメアリーには意味がないのかな?……仕方ない、少し説明を変えようか」


卑屈な私のために、ロレンスはゆっくりと語ってくれた。

彼がこれまで口にしなかった本心を。


「僕はね、ルイーゼのことはとても尊敬しているけれど、でも、……彼女と夫婦となり、家庭を築くことは出来ないと前々から思っていたんだ」

「え?」


思いがけない言葉に戸惑う。私の目から見て、姉とロレンスは相思相愛だったのだ。

ロレンスと話している時の姉は生き生きと輝いていたし、姉を見つめるロレンスの瞳にはいつだって情熱が焦がれていた。

私を見つめるロレンスの瞳には浮かんだことのない熱が。


「……ロレンス様は、お姉様のことを、その」

「ああ、好きだったよ。けれど、……()()()()()()と思った。彼女の死をも恐れぬ生き方は、僕には耐えられない」


口籠った私に微笑して、ロレンスは肯定し、同時に否定した。

姉という人を、その生き様を含めて、丸ごと愛することはできなかったと。


「ルイーゼは千人の命を助けるためならば我が身を、いや、我が子であっても犠牲に出来る人だ。彼女は本当に、とても強く、尊く、得難い人だと思う。……けれど僕は、そんなルイーゼと()()を築くことはできないと思ったんだ。僕は、千人の他人よりも一人の愛する人を守りたいと思ってしまう凡人だからね」

「そ、れは……普通のことですわ、きっと」


どう反応して良いのかわからず、うまく言葉が出てこない私に、ロレンスは自嘲まじりに続けた。


「もちろん僕も貴族として、そして領主としての責任は果たすつもりだ。必要とあれば僕だって我が身を差し出すし、場合によっては我が子を人質として差し出すだろう。けれど僕は葛藤し、ひどく苦しみ、泣きながら神を恨むだろう。でも……おそらくルイーゼはその時に、葛藤しないと思うんだ」

「そんな……」


確信しているかのように語られたロレンスの言葉に、私は言葉を失ったが、同時に納得もしていた。たしかにロレンスの言う通りだと思ったのだ。

目から鱗が落ちたような気分だった。

家族として盲目的に愛し、信じている私たち家族が見てきた姉と、婚約者という立場からロレンスが見てきた姉は、随分と違う形だったらしい。


「ルイーゼは、その行動が最大多数の最大幸福につながるのであれば、それが正しいと考えるからね。彼女の揺るぎなさ、それが僕のような俗人には理解できないんだ。……これが、僕がルイーゼからの婚約破談の申し入れを受け入れた一番の理由だよ」


幼い頃から多くの時をともに過ごし、おそらくは姉の最大の理解者でもある私の婚約者は、そう言って悲しく笑った。


「ロレンス様……」


なんと言えば良いのか分からず、私は名前を呼んだきり押し黙った。気の利いたことが言えない己の不甲斐なさを噛み締める。

またしても自己嫌悪に襲われている私に、ロレンスは苦笑した。


「あぁ、こんな言い方じゃ伝わらないよね。……ちゃんと言わなきゃ」


小さく呟き、ロレンスはしっかりと真正面から私を熱く見つめ、そして優しく囁いた。


「今、僕がこの世で誰よりも愛しているのはメアリー、君だよ」

「っ、ロレンス様?」


唐突な愛の言葉に、私は動揺する。こんなにはっきりと告げられたことはなかった。いつだって幼い子供をあやすような、大人と子供のような対応しか、されたことがなかったのに。


「僕を愛し、僕の愛を受け取ってくれて、僕の愛するものをきちんと愛してくれる君が、僕はとても愛おしいと、そう思っているんだ」


淡々と、しかし切々と、ロレンスは私に語りかける。優しい熱を帯びた瞳に囚えられ、私は顔が熱くなるのに、視線を外すこともできなかった。


「歴史に名を残すような偉大な発明をしなくても、数多の人命を救わなくとも、身近な数人を幸せにするだけで、人生の価値はある。僕はそう思うよ」

「ロレンス、さま……っ」


ぽろり、とまた新しい涙が零れ落ちる。

私は、ずっと姉と自分を比べて自信がなかった。

唯一無二の姉の代わりにはなれなくても、この家の娘として伯爵家を継ぐことくらいなら出来るかもしれないと思ったのに、結局ひとりで留守番すらできない為体(ていたらく)で、私は打ちのめされていたのだ。


「ほ、んとう、ですか?……私にも、価値はあるのでしょうか?」

「あぁ、もちろんだよ」


力強い肯定の言葉に涙が溢れて止まらなくなる。

何も成せず、誰の役にも立たない自分には、価値などないのではないかと思っていたのに。

私の愛する人は私に価値があると、私を愛していると言ってくれるのだ。


「あぁ、メアリー、そんなに泣かないで?言葉が足りなくてごめんね」


泣きじゃくりながら首を振る。私が卑屈だったのがいけないのだ。

でもそう訴えても、ロレンスは「そんなことはないよ」と優しく笑うだけだ。


「お互いに言葉が足らなかったんだと思う。僕たちにはもっと互いに心を通わせあい、想いを伝える時間が必要みたいだね。でも大丈夫、時間はたっぷりあるから」


何度も繰り返し私の髪を撫でながら、ロレンスは私の耳元に甘く囁いた。


「僕とメアリーは、もうすぐ夫婦になるんだからね」

「……はい。きっと私は、世界で一番幸せな花嫁ですわ」


戦地から帰ってきてくれた恋人に、私は泣きながら笑顔で頷いた。


「愛していますわ、ロレンス様」


穏やかで幸せな家庭を、私はこの愛しい人と築いていくのだと、確信して。







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