すれ違う姉妹と苦労人の思い出話 1
プロットのメモを見つけたので更新です。昔のルイーゼとロレンスのおはなしです。
これは、僕らがまだ幼かった頃の話だ。
「ロレンス、あなた変わってるわね」
「いや、ルイーゼほどじゃないと思うけれど?」
茶菓子を口に運ぼうとしていた僕は、唐突に言われた言葉に苦笑した。この少女よりも変わっている人間なんて、僕は見たことがないのだ。
「三度の食事より本が好きな引きこもりって?」
先ほど僕が口にした暴言を繰り返して、ルイーゼが片方だけ口角を上げる。聞いていないようで聞いていたらしい。
でも、僕にも言い分はある。恒例のお茶会に、僕がわざわざおめかしをさせられて来ているのに、ルイーゼはいつもの格好で片手に本だ。そしてチラリと目を挙げて「いらっしゃい」だけ発したら、後はずっと本から目を離さなかったのである。少しくらい意地悪を言いたくなったとしても、僕はそんなに悪くないと思う。
「それだけなら、たまにいるよ」
僕はため息を吐きながら目の前の見目麗しい少女にじっとりとした目を向ける。今のところルイーゼが趣味とするものはことごとく室内で完結するため、肌は雪のように真っ白で、傷みのない艶やかな髪は輝かしい太陽のようだ。見た目だけなら、深窓のご令嬢と言っても信じてもらえそうだが。
「ドレスより白衣が欲しくて、舞踏会より学会に行きたい。誕生日にねだるのは専門書と実験室。……そこまでなら、まだ変わり者の範疇だったけれどね」
いや、貴族令嬢としては十分問題だが、両親が頭を抱えるだけで済む。しかしルイーゼは。
「最近はねぇ、よその国の学者の先生と対等に議論を交わして熱烈に勧誘されたり、大喧嘩して大学への出入り禁止を言い渡されたりしているじゃないか。……そんな貴族令嬢は、いないでしょう?」
「まぁ、そうでしょうね」
「あっさりしているねぇ?」
僕の言葉にしれっと頷いたルイーゼに、僕は首を傾げて片目をすがめた。僕からの非難を感じ取ったのか、ルイーゼはこちらから目を逸らし、クッキーを三枚まとめて口に放り込んだ。随分と行儀が悪いが、わざとだろう。多少は気まずく思っているらしい。
「ねぇ、お隣の国から招聘された教授と喧嘩したって聞いたよ?」
「仕方ないじゃない。あのおじさんったら頭が固いんだもの。古い理論に固執して頓珍漢なことをやってるから、荒療治してさしあげたのよ」
「おじさん……」
隣国の名誉ある偉大な教授に対して、なんという無礼な発言だろうか。ここがルイーゼの家でよかった。
「僕の従兄が、そのおじさんの研究室に所属していてね。君との喧嘩以来教授がずっと不機嫌らしくて、涙目だったんだけれど?」
「従兄の方は気が弱いのね」
「君から見たら、大抵の人間は気が弱いと思うよ」
はぁ、とため息が漏れる。まだ少年と言うべき年齢なのに、この少女との付き合いが始まってからは、ため息が癖になってしまった。
「なんにせよ、君は異端だよね。……気になっていたのだけれど、それは、前世の知識ってやつのせいなのかい?」
前世。
それは、僕とルイーゼが二人の時にだけ使う単語であった。
ルイーゼが十歳になった誕生日の、祝いの場だったろうか。
出会って五年ほど経ち、変わり者の婚約者に手を焼きながらも、なんとなく信頼関係が築けてきた頃だ。
大人たちが酒に酔い、小さな弟妹たちは乳母や侍女に連れられて部屋に戻った、狭間のような時間に、ルイーゼがふいに漏らしたのだ。
「こんなに誕生日を祝ってもらえるなら、生まれ変わってよかったと思うわ」
と。
それを聞いた僕は、妙な納得感と共に笑いが込み上げ、そして「それはよかったね」とだけ返した。
その一週間後、訪ねてきたルイーゼが、教えてくれたのだ。
自分には前世の記憶がある、と。
「私、前世の記憶があるのよね」
「……へぇ、そいつはすごいね」
珍しく突然我が家に訪ねてきた婚約者は、真顔で物凄く変なことを言った。
内心多少驚きつつも、ルイーゼが変なのはいつものことだ。
そういえば誕生日祝いの時に何か言っていたなぁと思いながら、僕はいつも通りの顔で相槌を返した。
すると、ルイーゼはどこか安堵したように苦笑して、ぼすんと僕の目の前の椅子に粗雑な仕草で腰を下ろした。
「私の頭の中には、この国より、いいえ、この大陸のどこよりも、ずっと進んだ世界の記憶がある。……嘘だと思う?」
「いや、君が言うならそういうこともあるかもなって思っているよ」
探るようにこちらをまっすぐ見てくるルイーゼを真っ正面から見返して、僕は本音でそう返した。
「そうだとしたら君の不可解さが、少し理解可能になるからね」
ルイーゼが口にしたのは、夢みがちな子供の妄想のような内容だ。けれど、僕は納得した。だからこの少女は、僕の理解を超えているのだ、と。
「……あなたが思ったよりもあっさり信じて、びっくりだわ。色々と信じさせるために秘策を考えていたのに」
「別にいらないよ。君が僕を騙す意味なんてないじゃないか」
妙に思い詰めたような顔の十歳の少女に、僕は余裕を装って笑いかけた。いつも偉そうなルイーゼが、この時ばかりはきちんと一歳歳下の女の子に見えておかしかった。お兄さんぶりたくなったのだろう。
「まぁでも、君のご両親は心配するかもね。悪魔付きじゃないかとか、その手のことを言い出す可能性があるね」
おそらくその話だろうと見当をつけて口にすれば、案の定、ルイーゼは黙って僕の話を聞いている。
「言いたいなら言えば良いと思うけどね、信じてもらえるかという話の前に、なんというか……普通に心配されると思う」
むしろ、心配するのが普通の感覚だ。それはルイーゼもわかっているのだろう。
はぁ、と小さくため息をついて「そうよね」と呟いた。
「なんだか騙しているようで落ち着かないのだけれど、まぁ仕方ないわね」
破天荒なくせに、妙なところで真面目で融通が利かないところがある幼馴染は、秘密というものが苦手なのだ。その不均衡さを面白く思いながら、僕は笑って頷いた。
「うん、仕方ないと思うよ」
「……そうよね」
おそらくルイーゼはただ、誰かにこう言って欲しかったのだろう。
憑き物が落ちたようにすっきりとした顔で、ルイーゼは肩をすくめて笑った。
「悪魔祓いのところに連れて行かれたり、幽閉されるのはごめんだもの。ただの素晴らしく賢い天才娘として生きていくわ」
「くっ、ははっ、素晴らしい自認だね」
否定はしないが、相変わらず自己評価が高い、と吹き出してしまう。いや、まったく否定できないのだけれど、自分で言ってしまうから、面白くていけない。
「それにしても、この世界以外に世界がある、かぁ。まぁ、そういうこともあるかもねぇ……神話の魔界とかとはまた別のやつでしょう?」
僕のふわりとした問いかけに、ルイーゼは「ええ」と頷いて、自身も首を傾げながら続けた。
「まぁ正直、神様と会った記憶はないから、よく分からないのだけれどね」
「ふぅん。僕はここしか知らないけど、死んだ後に違う世界に転生するかもしれないってことだから、死ぬのが少し怖くなくなったね」
僕は軽く笑ってから、ルイーゼの前世がどんなものだったのか、少しだけ尋ねた。
しかし、ルイーゼの話はどれも不可解で謎めいて、とんでもなく意味不明だった。でもきっと、ルイーゼはわざと分からないようにしていたのだろう。
他の世界を知るなんて、平凡な人間のして良いことではないのだから。
「ふーん、面白いね。全然わかんないけど」
僕は肩をすくめて笑った。
その時、それでこの話は終わったのだ。
「異端……、随分と直球ね」
「君相手に気を遣っても仕方ないだろう?」
言葉の烈しさに、さすがに眉を顰めるルイーゼを、僕は肩をすくめて笑った。
「まぁ、そうね」
無神経さと紙一重の信頼で、僕らは目を見合わせた。
「私が変わっているのに前世の記憶が影響しているのは確かだけれど、それだけじゃないでしょうね」
「そうなのかい?」
意外さを覚えながら、僕が続きを促すと、ルイーゼは微苦笑を浮かべて肩をすくめた。
「ええ。当時は分からなかったことが今はわかるし、当時はできなかったことが今はできる。……総じて、今世の体の方が有能だわ」
「へぇ、じゃあ今世はのびのびとやりたい放題できるじゃないか」
「ふふふっ、あなた、本当に変わっているわね」
賞賛するように嫌味を言って、ルイーゼはもう一度声に出して笑った。いや、実際に嫌味ではなく、ルイーゼ独特の褒め言葉なのだろう。部分的ではあるものの、僕がルイーゼの理解者であると、ルイーゼは認めてくれているのだ。
「それならよかったのだけれどねぇ。でも、ダメなの。この世界は未発達すぎる。あまりにも……劣っているわ」
「そうかい」
僕の住む世界をあまり馬鹿にされるのは、楽しい気分ではない。しかし苦しげに表情を歪めるルイーゼを前に、否定しても仕方がないと、僕は静かに相槌を打った。
「なぜこんな記憶を持って生まれてしまったのかしらね。毎日考えているわ。何の意味があるのかしら、って」
「神様のうっかりじゃないかい?」
「いいえ」
あえて楽観的に話しても、ルイーゼは眉間に深い皺を刻んだまま低く呻くように否定した。
「そんなわけがないわ。いえ、あってたまるものですか。この世の全てには理由があると言われているくらいだもの。……何か意味があるはずなのよ。絶対に、ね」
「そうか」
僕は短く返して、静かに紅茶を啜った。
慰めも意見も、求められてはいないことを知っていたので。
この世界と前の世界について話題にするとき、ルイーゼが苦しげな顔をするのは、珍しいことではなかった。
ルイーゼは今目の前にある現実と、己の記憶にある知識、そして内面に根付いている感覚の乖離に苦しみ、足掻いていたのだろう。
このままでは壊れてしまうのではないかと思った時すらあった。
ルイーゼはしばしば、僕らが常識と考えていることや、当然と思っていることに唐突に怒り、嘆き、許せないと憤った。
たとえば、こんな会話だ。
「子供は死にやすいから、少なくとも二人は欲しいね。後継がいなくなってしまうから」
後継のために子を望む。
貴族なら当然の発想だが、ルイーゼは不快そうに眉を寄せた。
そして何より、僕らにとっては常識である、子供が死にやすいということ自体にも至極腹を立てていた。
「仕方ないだろう?我が国では貴族の子供でも、三人に一人は死ぬと言われているんだぞ?君たち姉妹は二人とも幸運だったんだ。神に感謝するべきだよ」
「死ななかったから、神に感謝?絶対に嫌よ」
心底不愉快そうに吐き捨てて、ルイーゼは苦々しそうに呟いた。
「子供が死ぬ世の中なんて、おかしいわ」
その後は憤然と大陸各国の子供の生活、医療体制や栄養状態を調べて、死亡率の高さに打ちのめされていた。冬を越えられる赤子は三割足らずと言われる国もあるほどだ。我が国は基本的に国内が平和だから、これでもまだ平均寿命が長い方なのである。
「こんなのおかしい」
「そんなの間違っている」
頭を抱えて悲痛な嘆きをこぼすルイーゼに、僕はできることなどなかった。
だってそれは、当然のことだからだ。
どうにもできないからこそ、僕らは神に祈るのだ。
そこを受け入れられないルイーゼは、長い間、随分と苦しそうであった。
一時期は、婚約者として僕はどうしたら良いのかと思ってみたりもした。
けれど、まぁ、予想通りというべきか、結局ルイーゼは僕の手など借りることなく、乗り越えた。
「私、やっと分かったの」
学院への入学を目前に控えたある日。
ルイーゼは久しぶりに見た曇りのない笑みで、勝気に言い放ったのだ。
「耐えられないのならば変えれば良いのよ。私が、世界を変えてみせるわ。きっとそれが、私がこの世界に生まれた意味なのだわ」
唖然とする僕の前で、ルイーゼは堂々と言い切った。
「私はこの世界で、かつて救えなかった人たちをも救ってみせる」
己がここにあるのは、神の意志だ、と。
全ては神に与えられた使命なのだ、と。
他の人間が口にしたらとんでもない世迷言だが、ルイーゼだと本当にやらかしてしまいそうで、背中に冷や汗が流れたものだ。
「そんな馬鹿な」
僕は笑ってしまいたかったけれど、ルイーゼは完全に本気だった。
その覚悟を胸に宿したことで、ルイーゼはバラバラになりかけていた己の内面を立て直し、両の足で力強く地を踏み締めて立ち上がったのだ。
彼女が苦しんできた日々に何もできなかった僕が言えるのは、たった一つだった。
「……心から、応援するよ」
ルイーゼがどんどんと離れていくことが分かっていても、僕には応援するしかなかったのだ。
そして、彼女のとんでもなく傍迷惑な人生が始まったと言えよう。
王立学院に入学する前からルイーゼの名は良くも悪くも轟いてしまっていたが、彼女は入学して半年ほどで次々と驚くような業績を打ち立てた。学年が上がる頃には、近隣諸国でも有名な天才令嬢として名を馳せてしまったのである。
まぁ、まだ序の口なのだろうなという薄寒い予感もしていたのだが。
ルイーゼは多分、現代日本の感性で生きているので、「この世界では当然」の色んなことが耐えられないんだと思います。
耐えられなくてしんどくて、この世界に自分を放り込んだ神の意思を「自分にこの状況を変えろと言っているんだ」と解釈(ある意味曲解かもしれない)をした結果の暴走、からの今、です、多分。




