ひねくれ者が遺した言葉5
「来世では、ただの女に生まれて、アンタの子供を産んであげるわ」
「………………へ?」
何を言われたのか分からなくて固まってしまった僕に、師匠は照れたような顔で首を傾げた。
「ふふ、いらないお世話かしら?」
「やっ、あの、……え?師匠、こども欲しかったんですか?」
核心から随分ズレた質問だと、己でも呆れてしまうが、ちっとも脳がうまく働かず、気の利いたセリフは出てこなかった。
けれど師匠は僕の間抜けな発言にも笑わず、いや、正確には嘲笑はせず、柔らかな苦笑を浮かべた。
「こどもねぇ、欲しくなかったと言ったら嘘になるわ。でも」
そこで言葉を切ると師匠はそっと目を伏せて、そしてゆっくりと窓の外を見る。静かな視線の先を追えば、夕暮れの赤が夜の黒へと変わる境目の空だ。
沈黙の落ちた部屋で、死の闇と血の赤が隣り合わせの世界を、情熱のまま走り抜けてきた人生を思う。
誰よりも長く師匠の隣を走って来た僕は、この女の歩んできた道の過酷さを知っている。
「今世の私に子供はいらないわ。……危険すぎる」
静かに落とされた呟きに、僕はそっと目を伏せた。
力ある聖女を欲した権力者たち、美しい聖女に焦がれた男たち。
この長い人生で、僕が見ていただけでも、師匠は何百もの人間たちから求愛され、求婚されてきた。
けれどいつだって、師匠は笑って申し出を受けなかった。
「この人生で子を産む気は更々ないから。私に結婚は必要ないの」
見合い話を持ち込まれるたびに断っては、愚痴混じりに酒瓶を傾けて、苦笑していた姿を知っている。
「もし子供が、守るべき存在がいたとしたら……私の弱みとして狙われるのは目に見えてる。良い歳した男の弟子たちですら、私のせいで誘拐されかけたりしたのに」
「そんなこともありましたねぇ」
今となっては馬鹿な笑い話だが、己の要求を聞かない師匠に苛立った大貴族の馬鹿公爵が、僕たちを攫おうとしたがあった。
ブチ切れた師匠がその国に出荷する予定の貴重な薬品を全て燃やして消し炭にしたので、真っ青になった国王が王家の騎士団を使って僕らを救出し、その場でくだんのお偉い公爵様を免職し、謹慎を言い渡した。それでも納得せず、今後は協力しないし今すぐこの国を出ていくと言い切った師匠に、国王が次々と更なる懲罰を追加しながら半泣きで許しを乞うていたことを思い出す。
「いやぁ、今思い出しても、あれはなかなか凄まじい見ものでしたよ」
「アンタもいい根性してるわよねぇ、ほんと」
しみじみと思い出し笑いをする僕に師匠は呆れた顔をしているが、本当に面白かったのだ。
どんどん顔色をなくして死人のような面持ちになっていく公爵サマと、脂汗だらだらの中年国王、そして怒りのあまり発光しているように見えた師匠。太陽のような金眼が、この国の全てを燃やし尽くしてやろうと言わんばかりに輝いていた。
「まぁ、あの馬鹿貴族は本当に自業自得でしたよね」
「本当に、潰れて正解の家だったわ」
あの貴族は効率的に敵を屠るための毒薬と、他人を思うままに操るための洗脳薬を求めていた。
あの時の師匠は僕らを守るためというよりも、医学の適正使用のために戦ったのだ。
いくら僕らの命を盾にされても、師匠がそんな腐った要求を受け入れることは決してないのだが、権力者たちはそんなことも分からないらしい。
師匠はどこまでも敬虔な、医学のしもべなのに。
「それにねぇ、子供がいたら、私の行動も制限されるでしょう?こんなに身軽に、身一つで大陸中を飛び回れなかったわ」
ふふ、と笑って、師匠はベッドサイドから数枚の肖像画を取り出す。師匠の甥や姪たちが生まれるたびに送られて来た、師匠が捨てた家族たちの肖像画だ。
「小さくて、不自由で、弱くて、世話が焼ける……子供はね、大変なのよ。本当に我が妹ながら、よくこんなに産み育てたと思うわ」
愛おしそうに指で小さなひとたちの顔をなぞり、ふふ、と小さく笑う。
そして一度目を閉じてから、僕を見返して、師匠はあらゆる葛藤を全て受け入れたような静謐な微笑を浮かべた。
「子供の存在は、今世では不利益しかない。だから、後悔はしていないわ。私に子供は要らないし、求めちゃいけなかったの」
「そ、う、ですか」
強く言い切る言葉に、僕はただそう頷いた。師匠は、己の選んだ苛烈で過酷な人生を、己で肯定しているのだ。それならば僕は何も言うことはないし、言えることもない。
胸に渦巻くやりきれなさを飲み込もうと、一人大きく息を吸った、その時。
「ええ。……でもね」
師匠は悪戯っぽく僕を見て、ニヤッと笑った。
「エディと私の子だったら、きっと可愛かったと思うわ」
「っ、……なんですか、それ」
思いもかけない刺激の強い発言に、僕は呼吸を乱して、世慣れぬ少年のように言葉に詰まった。
「ふふ、言葉通りよ」
「なんですか、師匠、急に」
やけに美しく、そして儚げに笑む師匠に、僕は不安と焦燥に駆られた。
なんで急にそんなことばかり言うのか、と。
まるで、後悔を消していくかのように。
「ねぇ、……死ぬんですか?」
「うーん、そろそろ……ね」
直球で尋ねた僕に、師匠も苦笑いしながら首を傾げて、そして頷く。
お互いになんとなく分かっていたことを、今やっと互いに認め合った。
そろそろ別れは近いのだ、と。
「……言い残しがないようにしとこう、みたいなの、やめてくださいよ。本当に昔から勝手だなぁ」
「なんでよ。心残りなく死なせてよ」
八つ当たりのように吐き捨てる僕に、師匠はケラケラ笑いながら目を細める。まるで反抗期の息子を見るような、愛おしむ目で。
「だってね、それ聞いた僕は明日からどんな顔して師匠と話せばいいんですか」
頑是ないこどものように詰る僕に、師匠は柔らかい笑みのままで眉を下げた。
「明日がないかもしれないからでしょ」
「明日も明後日も、僕とくだらない会話してくださいよ」
「うーん、そろそろ限界だと思うのよねぇ」
「……いやです」
「医者の台詞じゃないわね、エディ」
どこまでも穏やかに、年長者の顔で、師の眼差しで、死にゆく優しい女は僕を諭す。
「私だってもうイイトシよ?れっきとした本物のお婆さんだもの。なんならひ孫がいてもおかしくない年よ。天寿で死ぬのは仕方ないわ」
師匠の信念を思い出し、思わず言葉に詰まる。それでも理解したくなんかなくて、師の教えに逆らうように、僕は不貞腐れて吐き捨てた。
「それでも、嫌なもんは、嫌なんですよ」
「……相変わらず、アンタはわがままねぇ。寿命なんだから、受け入れなさいな」
呆れた声とともにそっと伸ばされた手が、優しく優しく僕の髪を梳く。白くなった老人の頭を、まるで泣き出す前の少年を慰めるように柔らかく慰撫するのだ。硬く噛み締めた唇からは血の味がして、床を睨みつけている視界はぐにゃりと歪んだ。
「大丈夫よ、エディ」
全てを受け入れるような優しい声が、ますます僕の恐怖を煽る。
「っ、……いや、です」
涙声の懇願を絞り出して、僕は師匠の寝台に突っ伏した。
良い歳をした老人が、老いた病人に縋り付いて「死んでは嫌だ」と泣くのだ。なんと滑稽なことだろう。
「なんで、……っ」
何を言えば良いのかもわからなくて、僕はそのままみっともない嗚咽を漏らした。
これまで何百何千もの他人の死を、顔色ひとつ変えずに見送ってきた。そんな冷血漢の医者が、ただ一人の死だけは受け入れられなくて、童のように地団駄を踏むのだ。
「馬鹿ねぇ、エディ」
そんな情けない僕をどこか嬉しそうに見つめて、師匠の指先が弱い力で僕の顔を上げさせる。
渋々とぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げれば、冬の朝の太陽のような目が、僕を静かに見つめていた。
「大丈夫、……私は、死んだ先で待ってるわ」
囁く声はまるで祈りというよりも予言だ。確信に満ちた声が、夢のような未来を描く。まるですぐ先の現実のように。
「来世では、普通の女として、普通に姉さん女房させてちょうだい」
「……こわいなぁ、もう」
聞き入った後で苦笑して、僕は瞬きひとつで涙を払った。涙に歪んだ視界はくっきりと美しさを取り戻し、部屋はいつもよりも明るく、空気は澄んでいるようだった。
「師匠ったら、勝手に僕の来世の人生計画を組まないでくださいよ」
「嫌よ、もう決めちゃったわ」
「ははっ、……そっか」
我儘な少女のような口ぶりに笑いが漏れる。笑みを噛み殺して僕はまっすぐに追いかけ続けた人の顔を見た。
「師匠ったら、口にしたことは全部実現させちゃう人だからなぁ」
「ええ、そうよ。諦めなさい」
どこまでも眩しいこの人は、この世で死ぬまでの僕の人生も、きっと来る次の人生も、明るく照らしてくれるのだ。
「くくく、まったくもう……仕方ないなァ、受けて立ちますよ」
涙を拭って顔を上げれば、師匠はどこかワクワクしたように僕を見ている。まるで来週のピクニックの予定でも立てるかのような顔で。
「まず子供は五人は欲しいわね。メアリーに負けないくらいの子沢山がいいわ」
「ふふふ、近隣諸国でも評判の、子沢山なおしどり夫婦と張り合うんですね。来世でも相変わらずの、負けず嫌いなんだ」
「幸せを競うなんて、楽しいでしょ」
「ちがいない」
あるのかどうかも分からない未来の予定を、笑いながら二人で描く。
「じゃあ、来世では、僕はきちんとあなたに愛の告白をして、求婚もできるんですね」
「ええ」
さらりと胸の奥に仕舞ってきた本音を口にすれば、当然のような顔であっさりと頷かれる。周知の事実だったから仕方ないのだけれど、少しくらい照れてはにかんでくれても良いのに。
まぁさっき、師匠のくせに可愛い顔で告白してくれたから、よしとしよう。
「言っちゃだめかと思って、この何十年口を閉ざしてたんですけど」
「許すわ。今度は口説いていいわよ」
「くくくっ、偉そうだなぁ」
胸を張って頷く師匠に吹き出す。笑いすぎてまた涙が滲んできた。
「頑張って美人に生まれておくわ」
「ははっ」
なんとも師匠らしくない、まるでただの女のような台詞を呟く師匠に、僕は笑った。
「師匠はどんな顔に生まれてても、絶対僕の好みど真ん中ですよ」
「あらやだ、口説かれてる?まだ私死んでないわよ?」
「なんですかそれ。事実を言ってるだけなので、セーフです」
「……あ、そ」
照れ隠しなのか、随分とズレた不謹慎発言で僕を牽制する師匠に、笑いながら首を振る。照れたのかなんなのか、無言になってしまった師匠が可愛らしい。痩せ衰えた老婆なのに、まるで初めて出会った頃よりも若い少女のように見える。
とうとう歳のせいで、僕の目もおかしくなったのかもしれない。
「……次の人生は、」
僕が師匠を見つめて物思いに耽っていたら、師匠は夢見るような目で、ポツリと呟いた。願うような、祈るような、透明な声で。
「普通の恋の駆け引きを楽しめるような、恋のことでしか悩まずにすむような、気楽な時代に生まれて、あなたと馬鹿みたいに喧嘩したりしながら過ごしたいわ」
「そんな時代あるんですかねぇ」
話を合わせながらも、疑い深い台詞が出てしまう。僕が生まれてから、いや、僕が生まれる前だって、この大陸のどこにもそんな国はありやしなかったのに。
「あるわ」
けれど師匠は柔らかに笑って断言した。
「あるのよ。一時の奇跡みたいな平穏の時代。その時代に生まれたいわ」
「まるで知ってるみたいに」
「ふふ、どうかしら」
あぁ、そうか。
知ってるんだな。
直感的に、そう思った。
きっと師匠は、こんな碌でもない世界じゃない世界を、知っているのだ。
「……そっか」
言い尽くせない感情が込み上げて、長いため息が漏れる。
ずっと目の前で、この人の苦しみや痛みを見てきた。
なぜこんなに師匠が苦しむ必要があるのか、なぜ師匠ばかりが背負わねばならないのかと、怒りや苛立ちとともに生きてきた。
この人は馬鹿なのか。
さっさと見捨ててしまえばいいのに。
全て放り出して仕舞えば、簡単に幸せになれるのに。
そう思うことばかりだった。
けれどやっと、なんとなく、この背負いたがりな人の生き方を肯定できる気がした。
この人にとっては、この世界は一瞬の夢で、一時の青い春だったのだろう。
「楽しかったわ。ずっと子供みたいに走り続けて、とっても良い人生だった」
「そうですか」
「付き合わせて悪かったわね」
「別に、望んで追いかけ続けただけですから」
走り続けた日々を思い返すように目を瞑り、柔らかな声で呟く。
夢のような人生を、この人は駆け抜けたのだ。
その後ろを、放り投げられた物を受け止めたり拾い集めながら、僕は追い続けた。この人が一人で走らなくても良いように。せめて背中だけは守れるように。そして、何一つ取りこぼさないように、と。
「でも大変だったからねぇ。次は平和な時代で、呑気に暮らすって決めてるのよ」
神様に交渉しなきゃ、結構頑張ったからお願い聞いてくれると思うのよね、とブツブツ呟いている師匠に笑ってしまう。当たり前の顔で神様と交渉しようとするなんて、この人くらいだろう。
でも、その図々しいほどの逞しさが、僕はとても好ましいと思う。
この人といれば退屈しないし、きっと毎日楽しいだろうから。
「じゃあ僕も追いかけます。導いてくださいね」
「ええ」
気軽に頼めば、やけに自信満々に頷かれた。本当に面白い人だと思う。
「来世も愉快に遊び明かしましょうね」
来世だって最高に楽しむつもりだけれど、もちろん今世だって最高だったのだ。
そう思ってニヤリと口角を上げれば、僕の意図を読み取った師匠もくしゃりと笑んだ。
「ふふ、来世では子沢山の父親よ。てんやわんやの大騒ぎだからね!こき使ってやるから覚悟しておきなさい」
「ははっ、そりゃいいですね」
まったく、このひねくれ者は、愛の告白すら素直に言えないらしい。遠回しだけれど次の幸せを確約してくれるらしい師匠に、僕はふにゃりと相好を崩して、愛しい人をじっと見つめた。目に焼き付けるように。
「ありがとうございます、期待して待ってますね」
「ええ、期待してなさい」
喜びをあらわにくしゃくしゃに笑う素直な僕に、師匠は照れた顔でふわりと笑った。
「またね、エディ」
「はい、また」
寝る前に交わしたその約束が、最期だった。
翌朝から昏睡状態に陥った師匠は、数日後、静かに息を引き取った。
「自分の死期を悟るなんて、名医にもほどがありますよ、師匠」
僕は泣き笑いを浮かべながら、開くことのない瞼にそっと口付ける。
「約束ですよ、師匠」
今世では、愛の言葉は結局許してもらえなかった。
けれど、これまでも、そしてこれからだって、ずっと。
「愛しています」
告げられなかったこの一生を賭けた愛を捧げて、抑え込んできた独占欲を解放する。死者相手に取り繕っても仕方ないのだから。
「次はみんなの師匠じゃなくて、僕だけのあなたでいてくださいね」
夢物語のような平和な世界が、果たして本当にあるのかなんてわからない。
けれど、師匠が言うのならばきっとあるのだろう。
今生では相当頑張ったのだから、来世では平穏で平凡な、ただの女としての人生を歩んで欲しい。
そして願わくば、あの優しすぎるひとが泣くのも笑うのも、僕の隣でありますように。
いるのかわからない神に、僕は初めて本気で祈った。
「神様、どうか次の世では……」
あのひとがいつも笑って在りますように。
読んでくださりありがとうございました!
またいつか、現世?現代?でのルイーゼや二人の話も書きたいですが、ひとまず一区切りです。
ところで「この二人はどうしてもこうなるんだよぉー」と泣きながら書いた作者による、コミカルなスピンオフが、ムーンライトノベルズの方でのんびり開始しています。
十八歳以上の皆様限定となりますが、もしよろしければ、本作のタイトルやキャラの名前等で検索してくださいませ。
ほぼ作者による二次創作なので、本編とキャラが違う可能性もありますが、気が向かれましたら、そちらも楽しんで頂けると幸いです。
読んで下さりありがとうございました!




