恐慌を統べる苛烈な聖女2
作中のトリアージはふんわりイメージでお願いします。
「うっ……うぅ……」
「アレス、もう着きますからね。しっかりするのよ!」
母に抱かれたまま、僕が馬車で運ばれたのは、領都の中央診療所だった。
「怪我人は診療所に入れ!」
「怪我してないやつは指定された避難場所へ向かえ!このへんだと教会だ!」
次々と担ぎ込まれる怪我人、泣く子を抱えた親たち、足を引き摺る老人、仲間たちに肩を抱かれてよろよろと入ってくる若者。
そして混乱する人々に向けて大声で指示を出す自警団と、魔狼の出現や暴動を警戒する騎士達。
「中には聖女様が率いる聖医師団がいらっしゃる!怪我人は彼らの指示に従え!」
以前父と共に視察した時の静けさは嘘のように、怒声と悲鳴が混ざり合っている。
そこは、もうひとつの戦場のようだった。
「歩ける怪我人はこっちだ!緑の天幕のところに来い!」
「歩けないやつは、正面玄関に入れ!」
医神のシンボルを背負った聖医師団の医者たちが、大声を張り上げて混乱した怪我人たちと、右往左往する不慣れな職員たちを取り仕切る。
荒々しい指示の声が飛び交うその中を、母は僕を抱いたまま急いで門の中へと飛び込んだ。
「ああっ!いらしたわ!」
診療所の扉を入ってすぐ、母が安堵したように声を漏らした。
「もう大丈夫よ、アレス。お姉様が……聖女様が、きっとすぐに助けてくれるわ!」
先ほどまでは真っ青で、僕よりもよほど死にそうな顔をしていた母が、やっと柔らかく笑った。
いつもの母を思わせる微笑に安堵して、僕も小さく口角をあげた。
「聖女さま……伯母さまに、あえるの?」
「そうよ、あなたの伯母様が、きっと助けて下さるわ」
「よか、った……」
先ほど護衛騎士に飲まされた、応急処置の痛み止めが効きすぎているのか、それとも出血のせいなのか、正直ちっとも頭が回らない。
けれど、お姉様のところに来れたらもう大丈夫だと、何度も繰り返す母の声だけが頭に響き、意味も分からず安心した。
「お姉様!」
僕を抱き抱えたまま、母は大きな声で呼びかける。殺気だった喧騒に細い声が掻き消されても、何度も何度も呼びかけながら、精一杯の早足で向かった。
僕も薄く目を開けて、母の「お姉様」、つまりは僕の伯母に当たるという、有名な聖女様を探す。
「……あ、のひと、か?」
母が呼びかけていたのは、まるで下男のような単純な形の白い服を身に纏った女性だった。
「あ、れが……僕の、おば、さま?」
薄汚れた白衣に身を包み、母に似た豊かな金髪を雑に一つにまとめた女性。
世間では聖女と呼ばれる伯母は、隣の白衣の男とともに血だらけの人々を次々と診察していた。
浮かべる表情は厳しいけれど、その人にどこか母に似た面影を認め、思わず僕は母と同じように安堵の息を吐いていた。
「うわ、こりゃ痛そうだな!でも死なねぇ、黄色だな。おい担架!こっちに来てくれ!」
かつぎこまれた少年を診てすぐに指示を飛ばす男の横で、伯母は淡々と母親に抱かれた赤子を診察する。
「この子は……切り傷だけね。緑でいいわ。抱いたまま、あっちに歩いて行ってちょうだい」
「えっ、聖女様に治療してもらえないんですか!?」
まだ少女のような母親が、足を怪我した赤子を抱いて動揺する。聖女と呼ばれた女性は苦笑して、「しないわ」と返事した。
「ここは篩い分けしかしないの。緑の幕のところで手当てしてもらえるから、そっちに行って指示に従ってちょうだい」
「ふる、いわけ?」
母に抱かれながら、漏れ聞こえてきた会話に僕はぼんやり首を傾げた。けれど母は周りを気にする余裕もないのだろう。必死の形相で、伯母にむかってまっしぐらに進んでいく。
「おねぇ」
「おい、そこの親子、並べ!叩き出すぞ!」
近くで伯母に呼びかけようとした途端、突如ぶつけられた怒声に、びくり、と僕を抱く母の腕が震える。医神を背負った白衣の男が、通り過ぎさまに僕らを怒鳴りつけたのだ。
「傷病者は、まずは篩い分けを受けろ!それがこの場の規則だ!」
「っ、わかりました」
反論もできずに、平民と思われる数人の者たちの後ろに並ぶ。僕を抱く母の腕は、細かく震えていた。
日々貞淑な貴婦人として敬われ、優しい父と睦まじく暮らし、穏やかな日々を送る母だ。こんな荒々しい声で怒鳴られたことなどないだろう。どれほど恐ろしく、衝撃だったことか。
けれど母は、そんな内心は押し隠して僕にそっと笑いかけた。
「もう少しよ。大丈夫、もう少しでお姉様に助けてもらえるわ」
僕の傷が痛まないようにそっと抱き直し、母は僕の耳元でひたすら何度も呟いた。
「お姉様!」
「っ、あなた、メアリー?」
ほんの少しの、けれど永遠のようにも感じた待ち時間の後、僕らは伯母の前に辿り着いた。姉と呼びかけた母に、伯母は軽く目を見開いた。そして母が抱える僕を見て、軽く眉を顰める。
「お姉様、息子が、アレスが!魔狼にやられて、血がたくさん出て!」
「あぁ、あなたがアレスなのね。……爪?牙?」
「つめ、です……」
伯母を前に緊張が解けたのか、母はほとんど泣き出さんばかりだった。取り乱した母からの要領を得ない説明を聞き流して、二つの金眼が僕の目を覗き込む。説明を求められていると感じて、僕は痛みに喘ぎつつ、なんとか言葉を絞り出した。
「小型の魔狼に、脇腹を爪でやられました。あと、吹き飛ばされて、横腹と足を木にぶつけました」
強い光を宿す金眼に、僕は少し怖気付きながらも、なんとかしっかりと言葉を返した。
「いいわ、返事はできるのね。牙でないなら毒や感染症の可能性は下がる……怪我は……血がまだ出てるのね」
ばっと服をめくり、手袋をはめた手で、手際よくアレスの体に触れた後、女性はふっ、と息を吐いて言った。
「でも、よさそうね」
「え?」
「お姉様?」
「おい師匠!」
呟かれた言葉の意味が分からず、聞き返した僕と母を気に留めず、伯母は隣の医者の声に振り向く。
「そっちの子供は?担架はいるか?」
「……黄色よ、待てるわ。母親が抱いていけるから担架は不要よ」
あっさりと断ると、伯母は僕らに向かって告げた。
「メアリー、アレス。あなたたちは向こうの待機場所に移動して、向こうの指示に従って」
「お姉様!?」
これで話は終わりだと告げて、女性は僕らから目を離し、次の患者を呼ぼうとしていた。さっさと移動しろと言わんばかりの態度に、動揺した母が女性の袖に縋り付く。
「ねぇお姉様、お願いですからこの子を診てください!」
「もう診たわ」
「そんな!?」
本当に見ただけではないか。
狼狽え、泣き声混じりの母を、横の医者と怪我人たちを仕切る男が怒鳴りつける。
「おいそこの貴族!もう検傷されたんだから向こう行け!」
「規則を守れ!移動しろ!邪魔だって言ってんのが分からないのか!」
「嫌です!お姉様!お姉様ッ!」
僕を抱いたまま伯母の前から動かない母を、血に汚れた白衣を纏う男たちがが、蹴り飛ばさんばかりに睨みつける。
それでも血塗れの僕を抱いた母は普段の穏やかな様子からは考えられないほど激して、必死に叫んだ。
「……はぁ。説得の方が時間の無駄ね」
続くかと思われた膠着状態を一瞬で終わらせたのは、伯母のため息だった。
「……私の妹と甥よ。百秒だけ抜けるわ。患者の検傷をお願い」
「あー、ちっ、了解」
「悪いわね。……メアリー、アレス。こちらに来なさい」
少し後ろに下がりながら、伯母は母を座らせた。
「あぁお姉様、よかった!」
上擦った声の母が、伯母に明るい目を向ける。安堵の息を吐く母の前で、伯母は躊躇いなく僕の服を脱がせ、あらわになった傷口をさっと確認した。
「血が止まらないのです!アレスが、狼にっ」
「見れば分かるわよ」
必死の訴えを冷たく切り捨てられ、僕を抱く母の腕がびくりと強張った。それを察したのか、伯母は少しだけ声を和らげて続ける。
「焦るのはやめなさい。大丈夫、この子はまだ体に魔力が満ちているから、死なないわ」
「あぁ、よかった!」
伯母の言葉を聞いて喜びの声を漏らす母の前で、伯母は淡々と包帯を手早く巻き終えた。
「さぁ、これでいいわ。後はあっちで待ってて」
「え!?」
明らかに応急処置を行っただけの状態に、母が狼狽する。
僕も口の中で「なんで」と呻いた。
馬車の振動や痛みに耐え、指示に従って順番を待ち、やっと伯母のところまで辿り着いたのに。
「そ、そんな、お姉様!?この子、こんなに血が……何か他にできることはないのですかッ」
「止血はしたから死なないわ。あと肋骨と足が折れてるけど、そっちは急がない」
「肋骨と足が!?そんな大怪我を!」
「でも死なないわ」
苛立ちを滲ませた伯母が、母の訴えを断ち切る。
「もう痛み止めも飲んでるみたいだし、あなたが抱いてあちらの非緊急の待機場所へ移動して。非力な貴族夫人でも、そのくらいの体重なら運べるでしょう?」
非緊急。
後回しにされるのだと理解して、僕は目の前が真っ暗になり、母は顔色をなくした。
「そんな……っ」
「特別扱いはここまでよ」
絶句する母に、金の目の女性が淡々と告げる。
「私が応急処置をしただけでも過剰な対応なのよ。理解なさい」
「っ、お、ねぇさま」
絶句して凍りつく母の前から、伯母があっさりと立ち去る。
「まっ、まって!見捨てないで、お姉さ」
「師匠、こっち来てくれ!子供の超緊急だ!」
喘ぐように呼びかけようとした母の声を打ち消すように、切羽詰まった声が響いた。
「やばい!赤も赤だ!」
「腕がちぎれかけてて、出血がとまりません!これは俺たちじゃ無理です!」
「っ、チッ、すぐ行くわ!カール、検傷担当はあなたがやりなさい!」
指示を叫んで走り去ろうとする伯母の袖を、母は咄嗟に掴んだ。
「待って、お姉様!」
「離しなさい!この子はまだ待てるって言ったでしょ!?」
「そんな!なぜ私の子が後回しなのですか!?どうかお願いします、お姉様に助けてもらえると思ってここまで来たのです!」
「この子の傷くらいなら、私じゃなくても大丈夫よ!後で弟子に向かわせるから向こうで待ちなさい、これ以上邪魔しないで!」
鬼気迫る形相で怒鳴りつける伯母は、正直とてつもなく恐ろしかった。けれど母は普段の気弱さが嘘のように、一歩も引かず叫んだ。
「そんなひどい!この子は、お姉様の血の繋がった甥ですよ!?」
「じゃああなたは、己の息子をより早く治療させるために、同じ年頃の子が死ねば良いって言うのね!?」
「なっ、ち、ちが」
「そう言ってるのも同然よ!」
過激であからさまな非難に、母の勢いが弱まる。
「あなたは我が子に、自分が少しでも早く痛みを逃れるために他の子を、しかも己の守るべき領民の子を死なせたという罪を、生涯負わせるつもりなのね!?」
「も、申し訳ありません、そんなつもりは」
伯母の激しい叱責に冷静さを取り戻し、状況を理解したのか、青ざめた顔の母が苦しげに首を振る。しかし苛立った伯母は、まるで母をあえて追い詰めるように、怒れる荒神のごとき眼光で僕らを睨みつけた。
「今この場で、私にとって、どんな関係性の相手だろうと、命に貴賤はない!優先順位があったとしたら、それは医学的な優先順位以外には拠らないのよ!」
「おね、……さま……すみませ、ん……」
カタカタと震える母の腕の中で、僕も同じように震えていた。
己の中の傲慢を突き刺されたような気分だ。
これまで侯爵家令息として、そしてこの地では領主の息子として、優先されて当然の生活をしていた。
だから、この場所で優先されないことに衝撃を受け、無意識に理不尽だと感じていたのだ。
「す、みません……」
母の腕に守られながら、僕も小さく呟いた。けれど、それが伯母に届いたかどうかは、分からなかった。
伯母は、おそらく僕ら母子に目を向けながらも、僕らを見てはいなかった。瞳の奥に炎を燃やし、目に見えない宿敵を睨みつけるように、苦々しく吐き捨てたのだ。
「私は二度と間違えないわ」
と。
「おねえさま…?」
「おい師匠ッ!何してんだよ!」
不思議そうに呟く母の声に重なるように、怒声が飛んでくる。
「ガタガタ言ってねぇで早く来いよ!」
「今行くわよ、手術の準備は終わってんでしょうね!?」
「アンタが着替えれば始まるさ!」
駆け出した伯母は、二度と僕らを振り返らなかった。
「うぅ……痛っ、うぁ」
「あぁアレス、ごめんなさい、ごめんなさい……っ、母が不甲斐ないばっかりに」
今、父の指示のもと、領内の全ての医者が数箇所の拠点に集められている。
屋敷に戻っても治療してもらうことはできない。なにより、侯爵領の屋敷には大きな裂傷や骨折などの重傷を対応する設備などない。
だから、ここで治療の順番を待つしかないと、母は痛みにうめく僕を抱えて、涙をこぼしながら待機場所に移動した。
付き添いの騎士が僕を抱くのを代わろうかと言ったが、母は首を振り、僕を自ら運んでくれた。
温かい腕に抱かれるのは何年振りだろう、と、指示された場所にとぼとぼと向かいながら僕はぼんやり思った。
「もう少し、もう少しよ。お医者様が来てくださるまでの、もう少しの我慢ですからね」
ぽとりとぽとりと温かい涙が僕の頬に落ちる。声は穏やかで優しい、いつもの母だ。僕の腕を撫でさする柔らかな手に、僕は息を吐き、少しだけ安堵した。
「大丈夫、大丈夫よ。お姉様が大丈夫と仰ったのだもの、もう少し耐えれば、きちんと治してもらえて、痛くなくなるからね」
まるで呪文のように唱えられる「大丈夫」が、幼い頃の優しい子守唄に似た音階で僕の耳を揺らす。
身を焼くような痛みは変わらない。
けれど、母がそばに居て守ってくれたから、僕は心の片隅できちんと、どこの誰かわからない少年の無事を祈ることが出来た。
(みんな……たすかりますように……)
駆け抜ける魔神のような女性の残像を、ぼんやりと思い返す。
朦朧とする頭で僕は、まるで神様に捧げるような祈りを、伯母に向けて願った。
ルイーゼは絶対トリアージ導入してる!と思った後で「トリアージって日本語でなんて言うんだろう?」となりました。
ウィキペディアを参照して、この世界では検傷・篩い分けと呼ぶことにしました。(傷を検めるって分かりやすいなと思ったので)
また、現実の分類は実際とは違いますが、話の中では
「赤」…(超)緊急で、直ちにルイーゼたち医師団含むトップレベルの医療集団による対応が必要。
「黄」…対応は必要だけど急がないので非緊急扱い。ただし本職の医者による対応が必要。応急処置だけすれば、本格的な治療は待てる者も含む。
「緑」…軽傷扱い。医者による対応なしで集められた村の薬師(村では医者を兼ねている)などが対応している。全体監督役の医師はいる。
という裏設定にしています。




