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天才と呼ばれた一人の令嬢と、彼女を取り巻く人々の、身勝手な言い分  作者: 燈子
【天才と呼ばれた一人の令嬢と、彼女を取り巻く人々の、身勝手な言い分】
17/35

恐慌を統べる苛烈な聖女1

連載再開します。今日から5話連続で毎日更新です。

「なっ、魔狼の群れの襲来だと!?」


避暑と休息のために訪れていた侯爵領。

突然の早馬に驚きつつも、使者を執務室に迎えたロレンスは、あまりにも唐突な報告を受けて一気に顔色をなくした。


「全く何の予兆もなく、突如群れをなして人里に襲いかかってきたとのことです。国境沿いとは言え森を挟んでいたため警備も薄く……既に二つの村が壊滅し、群れは領都に向かってきています」

「なんだと!?」


絶望的な顔で報告する部下の言葉に、ロレンスは瀟洒なドレスシャツを脱ぎ捨て、執務室のクローゼットから軍服を手に取った。


「ブルーノ団長を呼べ!即刻騎士団を編成し、対応に当たるよう伝えろ!」


控えていた従者の手を借りて袖に手を通しながら、指示を飛ばす。主人の意を察した別の従者がロレンスの剣を持って駆けてきた。


「旦那様、どうぞ」

「ありがとう」


久々の得物を軽く検分してから腰に佩く。腰に感じるずしりとした重みに、ロレンスは厳しい顔で歩き始めた。


「ロレンス様!」

「ブルーノ」


この地の防衛を担うブルーノ騎士団長は、既に装備を整えていた。険しい表情で足早にロレンスの元へ寄ってくる。


「追加報告を受けました。最初にやられた西の端の二村は壊滅的状況です」

「壊滅ではわからん。被害はどれほどだ」

「牛や馬は半分近くやられ、残りはほぼ脱走。魔狼だけでなく逃げ出した家畜が物を壊したり人を蹴ったりして、領民への被害が相当大きい。無傷の者は一割にも満たないかと」


とんでもない話に、ロレンスは思わず舌を打ちそうになった。


「怪我人は各地で一箇所に集め、急ぎ医師団を編成して派遣しろ!」


荒々しく命じるが、ブルーノは首を振る。


「医師団の準備はさせていますが、おそらく追いつきません。死傷者があまりにも膨大で……どこかを切り捨てた方がよろしいかと」

「そんな!?」


後ろを駆け足でついてきた早馬の男が、聞こえてきた内容に唇を噛み、顔面蒼白で項垂れる。おそらく最初に襲われた地方の出身者なのだろう。


「ロレンス様、ご指示を」

「…………その決断はまだ早い、ひとまず騎士団の元へ向かう」


ブルーノの提案をひとまず保留にし、ロレンスは騎士達を集めた広場に続く扉を開いた。






「こんなことあるのですか!?なぜ!」

「狼でもなく、魔狼だなんて!」

「神の怒りに触れたのでは……ッ」


突然召集をかけられた騎士たちは、ロレンスからの説明に明らかに取り乱した。

ただの狼ではなく、ごく稀にしか発生しない突然変異種の魔狼と呼ばれる大型種の大量発生だ。敬虔な者が多い地方の民が怯えるのも仕方なかった。しかし。


「た、戦っても大丈夫なのでしょうか!?神の罰を受けてしまうのでは……っ」


一人の純朴な騎士の怯えた声に、ざわり、と騎士団に大きな動揺が走る。


「馬鹿者がッ!ならば貴様は、民を見殺しにして、魔狼に喰わせろと言うのか!」

「いえそんな!け、けれど……」


巨躯から発せられるブルーノの怒声に、新人騎士が泣きそうな顔で震えている。空気を読んでか、彼に同調する者はない。しかし、緊張と恐慌は、あっという間に集団へ伝播していった。


「……まずい流れだな」


ロレンスは焦りを隠して奥歯を噛んだ。

侯爵領は温暖な気候と穏やかな領民性で、普段は荒事や災害とは縁遠い地だ。

十年前の戦争にも参加していない者がほとんどである。


この滅多にない災厄を前に、騎士達は動揺と恐怖で落ち着きを失っていた。

魔狼の群れという強敵に、一致団結して立ち向かうべき騎士団の士気が下がるのは問題だった。

一刻も早く現地へ向かわねばならないのに。


そう焦るロレンスの元へ、再び一人の男が飛び込んできた。


「国境警備隊より、早馬です!」

「なんだ!」


空気の読めないやけに明るい声に、ロレンスは苛立ちを隠して振り返る。


「ええいクソッ、今度は何が起きた!?」

「ご報告申し上げます!」


ブルーノが八つ当たり気味に怒鳴りつけるが、現れた男は何故か晴れ晴れと高揚した顔でその場を見渡す。

そして、弾んだ声で彼らに吉報を告げた。


「聖女様が……聖女様がご降臨されました!」

「はぁ!?」


あまりにも突飛な言葉にロレンスは絶句し、ブルーノが「貴様、狂ったか!」と叫んで目を剥く。

しかし、早馬の男は騎士団長の怒りにも恐れを見せず、目を輝かせながら声を張り上げた。


「奥様の御令姉様の、ルイーゼ様が!たまたま国境近くにいらっしゃったらしく、協力を申し出て下さっております!」

「なんだと、ルイーゼが!?」


ロレンスは息を飲んで、足早に男へと詰め寄った。


「確かか!?この混乱に乗じた偽物ではあるまいな!?」

「はいっ!医神のシンボルを掲げた、本物です!既に聖女様率いる聖医師団が、傷病者の救助と治療に当たって下さっております!」


朗々と広場に響く男の言葉に、騎士達の間から歓声が湧き上がる。


「おおおぉっ、なんと!」

「ルイーゼ様が!?」

「我らの危機に、参じてくださったのか!」


感動して泣き出す者すら現れ、先ほどとは異なる混乱と興奮の渦がその場を支配する。

紅潮した頬の報告者は、まるで神の言葉を託されたかのように誇らしげに、高らかに告げた。


「また、聖女様ご自身が医師団の半数を連れて、現在領都へと向かっていらっしゃいます!到着次第、領都の医師団と協力して治療に当たるから、任せよとの仰せでした!」

「おおっ!神よ!」

「聖女様がこの地へいらっしゃるぞォッ!」


男の報告に、一人の騎士が神への感謝を叫び、先程まで暗く不安に澱んでいた場が晴れ渡っていった。目を輝かせた男達が、歓喜の声を上げる。


「神の助けだ!」

「侯爵領は守られている!」

「神の敵を打ち倒すのだ!」


先ほどとは打って変わり、気炎を吐く騎士達を見渡して、明らかに空気が変わったことを感じ、ロレンスはふぅと息を吐いた。


「なんというタイミング……っ!ありがたく、君の名を使わせていただくよ。ルイーゼ」


くすりと口の端で笑うと、ロレンスはひらりと馬に飛び乗り、剣を掲げた。


「皆、聞け!」


光る刀身を太陽の光に煌めかせ、騒めく騎士達に向けて、高らかに宣言する。


「侯爵領の民を守るために、神は聖女様を遣わされた!必ずや魔狼の群れを殲滅し、我が領地の民を守るのだ!」


おおおおおおォッ!


高揚し、血気にはやった男達の、地鳴りのような雄叫びが木霊する。戦意充分な騎士団を見送って、ロレンスは苦笑まじりに呟いた。


「ルイーゼが現れたことだけは、この不幸の唯一の幸いだな。……相変わらず、美味しいところどりな奴だ」





***





「魔狼の侵入だ!斬り殺せ!」

「まさか侯爵家の屋敷に入り込むなんて!」


慌てた騎士の怒号とメイドの悲鳴が響く。


「よし、仕留め……ダメだッ、もう二匹来た!」

「奥様、アレス様!逃げてください!」


あぁ、夏休みの避暑に来ただけだったのに、なんでこんなことに!


そう思いながら、僕は護衛騎士の指示通りに屋敷へと駆けた。少し前を、妹の手を引いた母が走っている。


庭で散策を楽しんでいたら、突如として敷地内に現れた魔狼の群れに、僕らはパニックだ。

護衛騎士が立ち向かっているが、他の場所にも侵入しているからか、応援が来ない。


「うぁああんっ」

「ロッテっ!」


窪みに躓いて転んだ妹の手が、母から離れる。慌てて駆け寄る母の横の死角に小型の狼を見つけて、僕は息を呑んだ。また現れたのか。


「うあーーんっ」

「ロッテ、大丈夫よ、母様がここに」

「母様っ、後ろ!」


慌てて叫ぶが、泣くロッテを抱き起こそうとして必死な母は、気がついていない。

ダメだ、飛びかかる、間に合わない。

僕は咄嗟に母と妹の元へと走った。


「危ないっ!……ぐ、あぁあッ」

「アレスッ!!」


妹を抱く母ごと突き飛ばした僕の脇腹を、狼の爪が裂く。吹き飛ばされた体は木の幹に叩きつけられ、横腹と足に鋭い痛みが走った。


「かはっ」


痛みでまともに息ができず、僕は必死で浅い呼吸を繰り返した。


ガルルルルッ


悍ましい唸り声に顔を上げれば、息を荒げた狼が牙を剥き出しにして僕を睨みつけていた。

逃げなければ、と思うのに、恐怖と痛みで足は全く動かない。


「アレスーーーッ!」

グルゥッ、ガアアアッウ


悲鳴のような母の絶叫に煽られように狼が獰猛に吠え、僕に飛びかかってきた。

襲いかかってくる牙に、死を悟った。

あぁ、もうダメだ。

そう僕は覚悟して、固く目を閉じた、のだが。


「ーーーーアレスッ!」

キャンッ……ギャゥッ


聞き慣れた声が、焦って僕の名を呼んだ。それと同時に、シュンッ、と空を切る音が通り過ぎる。

そして鈍い音ともに狼の短い悲鳴が聞こえ、目の前から威圧が消えた。


「アレス、無事か!?」

「とぉ、さま……」


駆けつけてきた父が、真っ赤に染まった剣から狼の血を払いながら僕の足元に膝をつく。


「間に合ってよかった、アレス」

「父さま……」


生ぬるい感触に、チラリと視線を回せば、首に弓が刺さった狼が、僕の足の上に崩れ落ちるようにして倒れていた。首から背中にかけて切り付けられ、どくどくと赤い血が流れ出ている。


「無事だな?」

「はい、……無事です」


足と胸の痛みを告げるべきなのか一瞬迷ったが、切羽詰まった様子の父に心配をかけたくなくて、つい誤魔化した。


「よかった」


僕の答えを聞いて、父は、僕を染める血は全て狼のものだと思ったのだろう。安堵したように笑って、それ以上尋ねることはなかった。


「よく立ち向かい、母と妹を守った!七歳にして、お前は既に勇敢な騎士だ!」

「へへ」


父は力強く僕への賞賛を口にしながら、無造作に僕の膝から狼を掴み上げ、茂みへと放り投げた。


「領都に侵入した魔狼は、これが最後のはずだ。だがまだ多数の群れが領地を襲い、領都へと向かっているらしい」


緊迫した気配を纏った父が、淡々と告げる。焦りを見せないようにしながらも、相当気が急いているようだ。


「私はそちらの指揮に行く。小さな騎士よ、城の者は頼んだぞ」

「は……はい!」


僕がしっかりと頷いたのに笑みを浮かべ、父は護衛騎士に「あとは任せた」と一声かけると、あっという間に馬に飛び乗って外へと駆けていった。


「アレス、アレスっ、無事なのね!?」

「あはは、母様……」


妹を騎士に預けた母が、真っ青な顔で駆け寄ってくる。目の前で息子が狼に食い殺されかけたのは、相当衝撃的だったのだろう。


「なんと、かッ、ぅぐっ」


錯乱しかけている母を安心させようと笑おうとして、ズキリと脇腹が痛んだ。


「は……ううっ」

「アレス!?アレス、どうしたの!?」

「うあァッ」


慌てた母に抱きあげられ、ぶつけた場所が更に酷く痛んだ。思わず叫ぶと、母が慌てて僕の体をさする。


「ア、レス……?」


僕を抱き上げた母は、じわじわと溢れてくる赤い水に呆然として、それからかたかたと震え始めた。


「……この、血は、あなたのものなの?」


真っ青な顔で震える母を見上げて、僕はへにゃりと眉を落とした。


「へへ、ちょっと、……爪で、やられちゃいました」

「あぁあッ!アレス!?」


痛みが酷くて耐えられない。

けれど、母の腕の中にいるという安堵に、僕は目を閉じて意識を手放した。

ロレンスの独り言をもしルイーゼが聞いたら、「全然美味しいところ取りじゃないわよ!大変なところ取りよ!」とキレる気がします。


ルイーゼ20歳頃に故国の戦争(愚かで甘ったれな私〜)、25〜26歳で噴火と地震(とある名医〜6)、29〜30歳で魔狼(このお話)、くらいのイメージです。

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