とある名医が師匠と呼ぶ女についての述懐5
負傷描写あります。
「そりゃあ、死ぬべき時に死ぬことよ」
「ふーん?そういえば師匠って、わりと諦める時はスッパリ諦めようとしますもんね」
「……まぁね。今のこの世界で、私の持てる知識とできる治療の最善を尽くしたとしても無理なら、それはもう天命なんじゃないかと思うから」
「すごい自信」
普段から「防げる病気や治せる怪我による死は天寿ではない」と師匠は主張する。怪我や風邪で死ぬのは許せないらしい。
その匙加減が僕にはよくわからない。
師匠がいなければ助からないのならば、それも仕方ないのではないかと思うのだ。しかし、師匠は「自分にできることは他の人間にも出来る、出来る人間が増えれば良いのだ」と主張して、啓蒙と教育を続けている。気の長い人である。
「まぁ、怪我や感染症はともかく……病気は、ねぇ」
そう思っていたら、師匠はやけに重いため息をついて、ポツリと呟いた。
「どうしても、この世界ではまだ難しいわ」
「そうなんですか」
眉間に皺を寄せて苦しげに吐き出された言葉に、僕はまた首を傾げた。
病気、とは何か。どこまでを指すのか。そのへんの違いが僕には謎だ。
師匠は体の中のデキモノを取るなんて大胆不敵な治療をしているくせに、あれは師匠の中ではどういうくくりなんだろうか。
「ふぅん……だから師匠にとって、病気は天命、天寿のくくりなんですねぇ」
いろいろ考えた末に、僕は師匠に問いかけた。
「師匠って、神の与えた寿命を無理矢理弄ろうとするなんて罰が当たる、とか考えてます?」
僕からしてみたら、怪我や病でも治せるものを治している時点で、神が与えた運命には逆らっているのでは、と思うのだが。
医者の介入自体が、神への不敬では?
そう思いつつ尋ねれば、師匠はなぜか自嘲するように苦く笑ってつぶやいた。
「いいえ、医学なんてすべからく、神への反抗だもの」
「反抗してるつもりなんですね」
「反抗できる限りは、ね」
短く呟いて、師匠は手の中のペンでトントンと紙に叩く。何かを考えている時の師匠の癖だ。ぼんやりと空を見つめていた師匠は、しばらくするとまたポツポツと語り出した。
「でも寿命や死病で、避けられない状態での死……その人なりの天寿を迎えているのに、魔道具を使っての無理な延命をするとしたら、それは医者である私の傲慢に過ぎないと思うから」
「なるほど……?」
分かったような、分からないような気分だったが、僕はひとまず頷いた。
正直いまひとつ納得はできていないが、師匠なりのこだわりがあるということは理解した。
「延命、研究テーマとしては面白そうですけれどね。やれば出来るんじゃないです?体内魔力循環を制御して、栄養だけ注入できれば、数時間とか数日とか、ちょっとくらいなら」
口にしてみてから、うん、面白そうなアイデアだな、と頭の中で思考を巡らせる。
魔道具で体内に魔力を流し続けたりしたら出来そうだなぁと思いつき、魔力回路のサンプルをいくつか脳内で思い描いた。研究テーマはたくさんあればあるほどいいのだ。
だが、師匠は乗り気ではないようだ。
「数時間伸ばして、死にゆく人にとってなんの意味があるの?」
「まぁ確かに」
それだけ待てば会いたい人に会えるとか、その数分や数時間で新展開が起こるとか、そういう利点があれば良いけれど、たいていはただ苦しむ時間が伸びるだけかもしれない。
「まぁ、場合によるでしょうけれど。回復の見込みがあるならばともかく、死を待つだけなのだとしたら……出来たとしても、私はやらないわ」
「そうですか、残念」
過去に何かあったのか、師匠は疲れた顔で力なく首を振った。しかし僕が残念だと口にすると、ハッとしたように顔を上げて、口元を緩めた。
「でも私はやらないけれど、あなたが研究するなら応援するわよ?」
「へ?反対しないんですか?」
「しないわ」
あっさりと言い切って、師匠はどこか眩しいものを見るように僕を見つめた。
「私にはない視点と着眼点で、新しい医学の道を切り開けるかもしれないもの」
「おや、これは期待が重いですね」
「ふふ、エディはなんだかんだいって、一番斬新だから……私には見えない世界を見つけてくれるんじゃないかって、期待しているのよ」
わざとらしいほど軽やかに呟いて、師匠が天井の灯りから逃げるように机へ視線を落とす。端正な美貌に陰が落ち、横顔は妙にか弱く見えた。
「師匠……」
なんと声をかければ良いのかわからず、僕は続けようとした言葉を飲み込んだ。
なぜかはさっぱり分からないけれど、きっと師匠はずっと自己の限界に絶望し続けているのだろう。
自分では出来ないことがある、と……いや、自分でなければ救えた命があるのだと、慟哭するような横顔を何度も見た。
この大陸で最も高名な医師であり、天から遣わされた医神の愛し子。
その名前ひとつで国を問わず民は熱狂し、その怒りに一国の王が畏れて凍りつくとすら言われる人が、これほど己の無力を嘆いているとは、きっとこの世界の誰も思うまい。そして師匠も、知られたいとは思っていないだろう。
けれど、だからこそ。
「知識も技術も、私が持てるものは全て与えるわ。だから……いつか、私を超えていきなさい」
師匠は己の持つものを独占しようとはせず、医学教育にひたすら情熱を傾ける。
そして弟子たちに、未来に期待するのだ。
自分にできないことを、成し遂げてくれ、と。
「……ははっ、本当に、期待が重いなぁ」
柔らかく笑う師匠からの向けられるのは、どこまでも透明で混じり気のない期待だ。
「でもまぁ、大船に乗ったつもりで任せてください。なにせ僕はあなたの一番弟子ですからね!」
「ふふ、頼もしいことね」
なぜか泣きたくなったけれど、そんな気持ちを隠して僕がひょうきんに請け負えば、師匠は嬉しそうに破顔した。
「まぁ、とは言えエディもまだまだ知識も腕も足りないしね。私を超えるのは当分無理そうだし、上を目指すなら、もうしばらく私の弟子として頑張りなさい」
「はいはい」
先ほどの高評価は忘れたかのように、しれっと酷評する師匠に苦笑いする。
少し違った唇に、これが師匠の照れ隠しだと分かってしまうからだ。
天才の名をほしいままにし、天使だ、いや女神だとすら称される人だ。
けれどそんな師匠が、苦手なこともたくさんあるただの人間だと、今の僕は知っている。
この人はただ、見果てぬ夢を追い、強くあろうとしているだけだ。
己の中の弱さを無視して、ひたすら駆け抜けているだけ。
「でも、僕もだいぶ成長したと思いますよ?もう少し師匠に頼ってもらっても良い気がするんだけどなぁ?」
「あなたに出来て私に出来ないことは、今のところ思いつかないわね」
「厳しいっ」
ばさりと切り捨てられて、笑いと共にため息を吐き出す。
なんでこの人は、僕にもたれかかってくれないのだろう。
確かにまだまだ師匠には及ばないけれど、僕も相当の水準にはなっているはずなのに。
師匠はなかなか弱さを曝け出して、頼ってはくれない。
まっすぐ天に向かって伸びていく樹木は、幹に一度でも傷がついたら根本から折れてしまうとでも言うのだろうか。
この強い心を持つ人が、そんなにヤワな訳がないのに。
「……ま、いいか」
今は頼りない弟子扱いの僕だけど、そのうち師匠の頼れる右腕になる予定だから。
その時には、この見栄っ張りな捻くれ者を、大きな心でドーンと受け止めてやろう。
そんなことを思いながら、僕は笑った。
こんな日々が永遠に続くと、信じていたから。
それは、幸せな勘違いだったのだけれど。
「ははっ、カハッ、なんでそんな顔してるんです、か」
「黙りなさいッ!今止血するからッ」
顔に真っ赤な血を浴びた師匠が、地面に寝転がる僕に向かって怒鳴り散らす。
師匠が魔道具を取り出すために僕の体から手を離した瞬間、ピューッと勢いよく血液が飛び出した。綺麗な金髪が赤く染まる。
それを見て、あぁ、ダメだな、と思った。だってとっても綺麗な色の血だ。これは心臓から出てくる、新鮮な方の血だよ。出血の勢いが良いはずだ。
「ボンヤリしてんじゃないわよッ!意識を保ちなさい!」
「あはは、さすが師匠、きびしー」
泣き出しそうな師匠の顔を見上げて、僕は力なくヘラヘラと笑った。
このひと、こんな顔も出来るんだ、なんて考えながら。
ルイーゼがどんどん人間になってきているのが面白くないかもなぁと思いつつ、私の中では「この世界では一芸(?)に秀ですぎただけで、変わり者で独特ではあるが普通の人間」なので……。




