とある名医が師匠と呼ぶ女についての述懐4
「ねぇ師匠、いつまでその調子なんですか?」
「何が」
背中に暗雲を纏うような師匠に声をかければ、いつもよりかなり温度の低い声で短く返された。昼からこの調子だから、他の弟子たちは怯えて近づこうともしない。困ったものだ。
「はぁ、まったくもう。辛いことがあった時は辛いことがあったって主張してくださいよ。じゃないとタダの機嫌の悪い人ですよ」
「うるさい弟子ね」
呆れ半分にため息をつき、処理が終わった書類を回せば、バッと乱暴にひったくられた。
「いつも性格の悪い人だから今更よ。それに、辛いことなんてなかったわ」
「あーあ、また今日は不機嫌を拗らせてますねぇ」
刺々しい言葉を吐き出す師匠に、僕はあからさまなため息を吐いて見せた。
「そんなにお嫌でしたか?お貴族の坊ちゃんに、ココを荒らされたことが」
今日は研究に協力してくれている貴族様たちを招いての、施設内部見学会だった。
「手術室以外であんな怒鳴り声、久々に聞きましたよ」
「チッ」
揶揄うように言えば、師匠は嫌そうに舌を打ち、書類に目を落としたまま顔を歪める。
「清潔区域には入るなと告げたのに、……あの子が入ったからよ」
「まぁねぇ」
診療所は常に、師匠の聖域であり戦場だ。だから、そこを無配慮な輩に侵されることを、師匠はひどく嫌い、激怒する。今日はソレが起きた。ただ、その相手が小さなお子様だったのが師匠の中では問題のようだ。
「あの子、五歳らしいですからね。興奮したら駆け込んじゃいますよねぇ」
「でも、普通の服と靴のまま駆け込んだのよ!?しかも、微細魔力管理が必要な魔道具に、素手で無遠慮に触ろうとするから!」
「あはは!それで怒鳴りつけて、大貴族のお子様を号泣させたわけですか」
師匠の気持ちはわかるが、村にいた時は子守りをしていた僕だ。五歳児の瞬発力もわかる。あの年頃の子を相手に、「話を聞け」「親が見ておけ」は限度があるのだ。
「最初から見せなきゃ良かったのに」
「……あんまりにも熱心だから、つい見せたくなったのよ!馬鹿だったわ!」
その判断が軽率だったと、師匠は悔やんでいるのだろう。目の前の資料を苦々しく睨みつけながら、師匠は吐き捨てた。
「あそこで何か少しでも触れたら大惨事よ。貴重で替えの効かないものも多い。コドモのお遊びで機材の破損なんて、絶対に許されないわ」
実際、故障していないかの確認のために、その後の急患に対して少々治療が遅れた。師匠がいたからどうにかなったし、僕からすれば「そこまで落ち込まなくても」と思うけれど、師匠はまだ許せないらしい。
もちろん、子どもを、というよりも、自分を、だ。
「お子様、大泣きでしたねぇ」
「……うるさいわ」
目をキラキラさせて魔道具を見てくれる子どもに嬉しくなってしまって、師匠は少々気が緩んだのだろう。軽率な判断をした自身への苛立ちと、咄嗟にブチ切れて号泣させてしまった五歳男児への後悔。そんなものにずっと苛まれているらしい。
「親のお貴族様、めちゃくちゃオカンムリでしたけど、許してもらえたんですか?」
あのお子様が医者嫌いになったらどうしよう。
医療の発展に協力的な貴族を育成しようとしたのに、逆効果になったら笑える。
「許すも何も、悪いのは向こうよ!」
「まぁそうですけど。そんな態度でよく支援打ち切られませんでしたね」
笑いを含みながら問いかけたら、師匠の眉が吊り上がった。なんだ、この様子だと、やはり打ち切りを匂わされたのか。
「どうやって支援継続に持ち込んだんです?」
「ふんっ、だったら二度とあなた方の一族の治療はしないし、即刻この国から立ち去ると言ってやったわ」
「いや強いなぁ!?」
「向こうが金をチラつかせて脅して来たから、こっちもやり返しただけよ!」
相変わらず傲慢な言い草である。だがまぁ僕たちの医師団は、基本的にどこの国にも所属していない独立組織だ。決裂したらそこまで、というスタンスでここまで来たのだから、それでも良いのかもしれない。
そんなことを考えて勝手に納得していたら、師匠は決まり悪そうな顔でポツリと呟いた。
「……でも一応、ご子息へは怒鳴ったことの謝罪はしたわ。近くで見たい気持ちは分かるもの。怖がらせてしまって可哀想だったわ」
「あはは、気にするのはそこなんだ!」
親のお貴族様の心証ではなく、子供の心の傷を心配している師匠に笑いがこみあげる。相変わらずブレないおひとである。
「本当に師匠の精神って強靭ですよね。どんな男よりも逞しい。たまに引きます」
「なによ。今更女らしくないとか、可愛げがないとか言われても、残念ながらダメージはゼロよ?」
「言いませんよ、僕の師匠はカッコいいなって思っただけです」
「ふん、調子の良いことばっかり言って」
忌々しそうに僕を睨みつけてくる師匠は、けれどおそらく、僕越しに過去を見つめている。
「……あの魔道具を作るのに、どれだけの費用と手間がかかったと思ってるのよ」
かつて救えなかった人たちを救うために、師匠が作り上げた一作だ。
あまりにも緻密な魔力操作が必要になるから、量産は難しいかもしれないが、師匠はきっとそれも諦めていない。
「取りこぼしたくないのよ、私は」
「知ってます」
意外と愚痴っぽい師匠は、けれど絶対に弱音を吐かない。強い目で、いつだって未来を見据えている。
「私はね、全ての人が、きちんと天寿を迎えて死ぬ世界になって欲しいの」
「天寿、ねぇ」
いつもの言葉で未来を夢見る師匠に、僕は首を傾げた。
「いつも謎なんですけれど、師匠のよく言う天寿って、結局何なんですか?」
震災に怯えたりギックリ腰になったりで、ご無沙汰してしまいました。
申し訳ありませんでした。短めですが連載再開します。




