戦場を駆ける血塗れの聖女3
いつも誤字脱字報告ありがとうございます。
今日は一話が長いです。
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「私の薬を、軍事転用したわね」
終戦の翌日、戦勝国の謁見室には機能のみを重視した白衣に身を包んだ女が、ひれ伏すこともなく、王を睨みつけていた。
「何の話だ」
「あなたがたが伝統的な拷問に使う毒に、私が疼痛緩和と鎮静のために創り出した薬を合成したでしょう?中立研究機関で分析した結果だから、誤魔化せないわよ」
報告書を王の前に叩きつけ、腕を組んだ女は憤然と、立ち並ぶ高官たちを睨みつけた。
「この知恵も知識も、人を救いたいと願う神が、私に授けたものよ」
護衛も付き添いもなく、女は一人でその場に立っている。何の武力ももたない、恐るるに足らない存在のはずだった。けれど女の覇気は、明らかに広間を圧していた。
「それを人殺しに使うだなんて、人々を慈しみ救いたいと願う神への、愚かしい冒涜と心得なさい!」
激しい憤怒に煌めく金の瞳が、ギロリと王を射抜く。王は両脇に護衛騎士を控えさせながら、焼かれそうな眼光に内心たじろいだ。
「だから、なんだと言うんだ」
圧倒されそうな内心を押し隠し、王は傲慢な顔で、綺麗事ばかりを、と吐き捨てる。
戦争は政治だ。いくら聖女と呼ばれる女でも、政治に口を出されては困る。
「謝罪でも欲しいのか?」
「口先だけの言葉など無意味よ。私は伝えにきたの」
揶揄するように嘲笑すれば、女は鮮烈な笑みを浮かべて断言した。
「向こう十年……いえ、毒霧の被害に遭った一般市民が全員回復するまで、私はあなた方の国に一切協力しないわ」
「なんだと!?」
思いがけない言葉に、王は目を剥いた。周囲に控える高官たちも騒めいている。
「薬や技術の提供も止めます。人材も全て引き上げましょう」
「ふざけるな!」
「私の薬や技術を悪用するなんてふざけた真似を、先にしたのはどちら?」
現在、どこの国の医療機関や研究施設にも、この女の弟子たちがいる。そして、皆が皆、重要な役職についているのだ。
もちろんこの国もそうだ。彼らが全員引き上げたとしたら、医療が崩壊する。
「そんな勝手をされては困る!国を壊す気か!」
「知らないわ」
けんもほろろに切り捨てて、女は慌てる王の無様を嗤う。
「まったく、自分たちで患者を大量に作り出しておいて、権力者ってのはいい気なものね?……一度手に入れた医療体制が崩壊すれば、待っているのは地獄よ。おそらく国民は、あなた方のことを許さないでしょうね」
薄笑いを浮かべて吐き捨てる女の非情な眼差しに本気を悟り、王は懐柔するように声音を和らげた。
「そ、それは君の医者としての信念に反するのではないかね?君がいつも心にかけて救って回るのは、力を持たない民だろう?」
「ええ、だから、隣国の私のところまでこれば、平民はいくらでもみてあげるわ」
国民を国から引き離すようなことを平気で口にした後、女は付け足すように言った。
「あ、たとえ隣国に来ても、王侯貴族の傷病者への治療を、私は決して行わない。もちろん、弟子にも禁じます」
「なんだと!?」
「私にしかできない治療も、手術もたくさんあるから、あなた方、お怪我や病気には十分気をつけることね」
慈愛に満ちた笑みを浮かべた女は、やけに優しい声で歌うように告げた。一歩も引く姿勢を見せない女に、王の額にはじわりと脂汗が滲む。
「……どうしろと言うのだ」
「被害者の救済に死力を尽くしなさい」
歯噛みしながら尋ねる王に、女は淡々と要求した。罪なき民への救済を。
「そして、二度とこんな愚かな真似はしないようにね」
悔しげに女を睨みつける王に、女は冷たい怒りに燃えた顔で告げた。
「少なくとも私の目が黒いうちは、私の生み出した薬や医療技術を、人殺しのために使うことは許さないわ。絶対に、ね」
簡素な装いのただ一人の女の眼光に怯み、豪奢な服を纏った権力者たちはその場に立ちすくむ。
「次は、私は己の死を持って、あなた方に抗議しましょう」
人々を焼き尽くす太陽のように、金眼が燃える。己の価値を知る女が、躊躇いもなく差し出そうとする己の命に、王は怯み、そして俯いた。
その様子を冷たく見据え、女は最後に一言だけ告げた。
「私の怒りは、神の怒りと思いなさい」
翌日、新聞は『女神の怒り』と報じ、同時に女神の怒りに触れた国から被害者への救済措置が取られることを告知した。
***
「ルイーゼ先生って神様だったっけ」
隣国に身を寄せてから半年。
なんだかんだあって、すっかり先生と打ち解けた俺は、先生の研究室で新聞の一面を見てぼそりと呟いた。
「レンったら、面白い冗談ね!」
通りすがりに俺が見ていた記事にチラリと目を落として、ケラケラと笑った後で、先生はにやりと意地悪く口角を上げた。
「あぁ言っておけば、新聞がうまく煽ってくれるでしょ?」
「自分でネタを渡したの?」
ジロリと半眼で見上げれば、先生はフフンと偉そうに笑って胸を張った。
「そんなことしなくても、私の信奉者はそこかしこにいるのよ。誰かが記者さんに、熱烈に伝えてくれたのでしょうね」
「わぁーお」
さすがの自信である。
俺は再び新聞に目を落とし、面白いフレーズを拾い読んで行く。
「女神の怒りと共に、広間には灼熱の雷が落ちたとか書いてあるけど」
「比喩表現でしょ」
「女神の去った後で、王は神の怒りに触れて頭髪が全部白くなったってのは?」
「心労じゃない?っていうか、元々白髪で薄毛だったわよ。私のせいってことにして、明日からカツラを被るのをやめるのでは?」
「……信じるやつもいるよ?」
「好都合じゃない。ハッタリっていうのも世の中では大切なの。覚えておきなさい」
「はぁ……ふふ、でも、いい気味だな」
実は、先生がここ……国境近くの研究施設にいると聞いた戦勝国の貴族や王族からは、以前から多数の治療依頼がきていた。なんでも風向きの関係で自分たちが撒き散らした毒霧にやられた高位の軍人や、戦争で怪我をした貴族令息の治療をして欲しいらしい。
あまりにも調子の良い奴らの言い分に、俺もはらわたが煮え繰り返っていたので、先生の宣言にギョッとして顔色をなくしたであろう奴らを思うと少しは気が晴れた。ざまぁみろだ。
しかし、内心そう呟いていたら。
「でも一応、来た患者は追い返しちゃだめよ?」
「え!?」
「治療するかは別として、話だけは聞くから。あれだけ言っても来るのなら、よっぽど事情があるかもしれないし」
「えー、そうなの?」
情けを見せる先生が不満で、俺は唇を尖らせた。
「先生、めっっっちゃ怒ってるんだと思ってたんだけど」
「怒ってるわよ。でも、それとこれとは別」
あっさりそう言って、机に座った先生は淡々と書類の分類作業を始めた。
「私は技術の軍事転用を許さない医学研究者であると同時に、一人の医者だから。目の前で苦しむ患者を切り捨てることは出来ないわ。その人だけが悪いわけでもないしね」
「……女神の激しい怒りは雷のごとくその場を貫いた、とか書いてあったのに」
「戦争なんだから、向こうにも死者はいるわ。あんまり突っつくと、藪から蛇を出すわよ」
「……たしかに」
そういえば、そもそも数十年前に俺の国が攻め入ってから関係が悪化したとか聞いた気もする。難しい。
「先生が怒ってるのは、戦争自体についてじゃなくて、先生の薬が使われたことだけなんだ」
「だけ、ではないけれど……」
俺の素朴な問いかけに苦笑した先生は、答えを探すように窓の外に視線を彷徨わせた。
「私が医学者として怒れるのは、そこだけよ。私は、政治家じゃないから」
「ふぅん」
先生の考えはよくわからない。戦争を始めた奴らに、俺は普通にめちゃくちゃ怒ってるんだけれども。
先生が完全に同意してくれなくて落ち込んだ俺に、先生は苦笑しながら飴玉をくれた。口に放り込めば、久しぶりの甘味に少し心が和らぐ。綻んだ俺の顔を見ながら、先生は力付けるように笑った。
「でもまぁ、あれくらい言っておけば、あの国の権力者も、救済支援に本腰を入れるでしょ。研究のためのお金も、しっかり回ってくるはずよ」
「金ぇ?やらしいこと言うなよぉ」
女神様への夢が壊れる、と嘆けば、先生は眉を吊り上げて憤慨した。
「科学者がどれだけ頑張っても、お金がないと研究ってのは進まないのよ!研究のためのお金を集めるってのが、研究の第一歩なの!」
片付けを手伝っていた先生の研究室を、ぐるりと見回す。いろんなものがたくさんだ。
たしかに、金がないと始まらないか。研究に必要ないろんな材料も買えないもんな。
納得した俺は、力説を続ける先生に「それもそうだね」と頷いた。
「俺らは先生のおかげでさっさと逃げられたからいいけど、よその奴らは大変だろうなぁ」
「大変よ。暴露量が多いほど中毒症状は重いし、回復も遅いわ。せいぜいあの国には頑張ってもらわないと」
苦々しく吐き捨てた後、先生は少しだけ同情を浮かべて肩をすくめた。
「まぁ、権力がある馬鹿どものせいなのに、ここから頑張るのはあの国の研究者なんだけれどね」
上の奴らの尻拭いをするのは、いつだって下っ端だ。そう嘆いて首を振る先生に、俺はふと不思議になって首を傾げた。
「向こうの国に任せちゃうの?師匠がやれば早いんじゃないの?」
「身体に出てくる中毒症状については、私の解毒剤で中和できるから、もうその資料は提供したわ。……でもあの毒、タチが悪いことに暴露量と暴露時間が増加すると、体内の魔力循環が崩れるようになってるから」
悔しそうに眉を寄せて、先生はハァと大きなため息をつく。
「あなたたちは暴露量が少なかったから、身体的な症状がメインだったでしょう?だからなんとかなったんだけど、魔力干渉作用は私の専門領域じゃないのよ。ここから先は手に余るわ。専門家に任せた方がいい」
「へぇ、なんでも出来るわけじゃないんだ」
不得手をあっさり認める先生に、俺は内心かなり驚いた。毎日毎分毎秒、いつだって自信たっぷりで、どんな患者が来てもなんとかしてしまうくせに。
「てっきり、神様なのかと思ってたよ」
先ほどの新聞を引き合いに出して小さく笑えば、先生はひょいと眉を上げた。
「あら、レン。神様だって信じてくれてもいいのよ?」
「信じないよ、苦手なものがある神様なんていないもん」
「ふふっ、私ってば即物的だから、目に見えないモノってちょっと苦手なのよ」
エディたちによれば、先生はその苦手分野ですら、偉業と呼ばれる業績をあげているらしいけれど。先生本人にとっては、苦手という認識なのだろう。
「先生みたいな人でも、苦手があるんだね」
「当たり前じゃない。私ですらそうなんだから、あなたみたいな凡人の子は、一人でなんでも出来るとは思わないことよ」
「嫌味だなぁ」
冗談ぽい口調でじろりと睨め付けられ、俺はぎゅっと顔を顰めた。
「全てを出来ないことは、恥ずべきことではないのよ。適切に周りを頼りなさい」
「……はぁい」
最近一人で解決しようとして余計に拗らせた案件があったばかりの俺は、気まずい思いで肩をすくめた。
カサカサと書類を整理する音ばかりの研究室で、俺はぼんやりと新聞を眺める。視線の下にあるのは、綺麗な真っ白なドレスに身を包んだ先生が、王様を懲らしめているように見える風刺画だ。俺が覚えているあの時の先生とは、似ても似つかない。
こんな綺麗な格好をしているよりも、あの日の先生の方がずっと神々しかった。
「……ねぇ先生」
「なぁに、悪ガキ」
あの日、きっと元は真っ白だった白衣を煤と血に汚していた先生を思い出しながら、俺は呟いた。
「……せんせ、母さんに薬を渡してくれたんだろ?」
「あら、よく知ってるわね」
「エディに聞いた」
母さんが炎で焼かれて苦しんで死ぬ夢を見て、夜中に飛び起きて泣いていた俺に、同室のエディがあくびまじりで言ったのだ。
「お前の母さんは死んだことにも気づかなかったと思うぞ」
と。
「貴重な麻薬だったって。眠るように意識がなくなって、痛みも薄れる。ふわふわの夢が見られる薬、って聞いた」
「まぁそうね。手術の時や術後に使う薬よ。私の力作だから、効果はバッチリよ」
「ふっ、あはは」
真面目に感謝しようとしているのに、こんな時まで自信満々な先生に、思わず笑いが溢れる。
「泣き喚いてた俺を責任もって引き取るって言って、母さんの心残りを軽くして、貴重な薬で死の恐怖から救いあげてくれたんでしょ?……今更だけど、ありがと」
「ふん、子どものくせに殊勝なこと言っちゃって」
「たまにはね」
憎まれ口を叩いてくる先生に軽口をかえしながら、俺はハァ、とため息をついた。
俺は、死ぬ間際の母さんを安心させてあげることができなかった。
最期の挨拶が出来なかったのは悲しいけど、俺のせいだ。
でもあの時は仕方なかった。俺もまだ、本当に子供だったから。
「まぁ知ったからには、薬代分は働いて返しなさい」
「……あーもう!普通に感謝されとけよ!」
感傷に浸っていた俺を現実に引き戻す先生の言葉に、俺は思わず喚いた。先生なりの気遣いなのかもしれないが、ズレている。浸らせてくれよ、たまには。
「女神とか言われるくせに、性格悪すぎる!」
「何度も言うけれど、私は女神じゃないわ。ちょっと思い切りがよすぎるだけの医者よ」
赤い唇が弧を描く。傲慢に笑って、先生はいつものように胸を張る。
「性格は悪いけど、腕がとっても良くて、たくさんの命を救う医者」
「うーん」
まぁ、たしかに。
その通り過ぎて反論できない。
親は内心でひとりごち、口の中で溶けて半分以下になった飴玉をガリ、と奥歯で噛み砕く。途端に口の中で甘さが広がった。
「さて、片付けを続けるか……ん?」
溜まった資料の後片付けを再開しようとしたところで、向こうからバタバタと走ってくる足音に顔を上げる。先に気づいていた先生が足早にドアに向かった。
「なに?」
「急患だ!若い女が、右胸を猪の牙で一突されたらしい。多分肺が派手にやられてる!」
「あぁ、なんてこと!この人手がない時に!」
ドアを開けたと同時に叫んだエディに、先生が天を仰いで呻く。隣村で騒ぎがあり怪我人が多数だと聞いて、先生の弟子医者が朝から何人も応援に行っているのだ。
「今すぐ行くわ!…… レンっ、アンタ、暇なら手伝いなさい」
使える者はガキでも使え、と先生は俺の首根っこを掴んだ。
「アンタでも、物を出すくらいできるでしょ!」
「師匠、そんなこともあろうかと、そのガキには物品準備と扱いの基本だけは叩き込んでおきました!さぁ僕を褒めてください!」
「エディさすが!偉い!」
手術場へと全力疾走する大人二人の後ろを必死に追いかけながら、緊迫感のない会話に笑いを噛み殺す。きっと命がかかった場面なのに、こんな空気ならきっと大丈夫な気がした。
他の弟子によって既に手術台の上に寝かせられていたのは、俺より少しだけ年上の女の子だった。真っ青な顔色で苦痛と恐怖に表情を歪める彼女に、手早く術着に着替えた先生が晴れやかに笑いかける。
「初めまして、聖女と呼ばれる天才医師ルイーゼよ」
「る……いぜ、せんせ?」
名前を聞いた女の子は、少しだけ目を丸くして、そして安堵したように緊張を解いた。
「ここまで辿り着いたのならばもう大丈夫よ。安心して眠っちゃいなさい!」
ふざけた自己紹介とほぼ同時に、先生が麻酔を開始する。眠りに落ちる直前の女の子の顔はやわらかに綻んでいた。安心したような寝顔に、俺は感動する。先生の無駄な自信って、意外と役に立つんだな、と。
「とはいうものの、なかなか厳しい状況ねぇ……でも、助けるわよ!」
「はいっ!」
眠った女の子の上で力強く宣言する先生たちの後ろで、せっせと必要物品を準備しながら、俺は昂揚した気分で拳を握りしめる。
あぁ、この人たちはなんてカッコイイんだろうか。
この人たちと一緒なら、もう少しだけ、この世界は良くなるかもしれない、と。
これは「ルイーゼの広めた医療技術から生まれた大量破壊兵器とか出てきたらどうなるか」というコメントで思いついた話でした。きっとブチ切れるだろうけれど、ルイーゼに出来るのは「以後協力しない」くらいかなぁと。うまく行くのか、可能なのかはともかく、ルイーゼはこの気合いで生きていると思います。たぶん。ファンタジー。
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実はこの次に、天災の話を書く予定だったのですが、今はとても書けそうにないので、落ち着くまで更新が止まるかもしれません。書けそうだったら、少し設定を変更するか、別のコミカルなものを書きにきます。




