戦場を駆ける血塗れの聖女2
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「早くここを脱出するべきよ」
避難してきた国境沿いの村の住民たちを前に、いつも通り冷静な顔をした師匠は声高に主張した。
僕も話し合いに参戦したかったが、冷ややかな目をした師匠に「どうせ役に立たないから、エディは引っ込んでなさい」と言われてしまったので、今は大人しくしている。
「敵国との国境にほど近いこの地に留まるのは危険だわ」
本当にそう思うから、僕としては一刻も早く師匠を担いで脱出したい。しかしそういうわけにもいかないだろう。師匠の目の前には今、何十人もの患者未満の民がいるのだから。欲張り人間な師匠が、今なら助けられる人間を捨てていけるはずがない。
「余所者が何を言うか!」
「今はどこもかしこも危ないじゃないか、どこに逃げるって言うんだ!」
「お医者サマだかなんだか知らねぇが、俺らに指示するんじゃねぇ!」
殺気立つ荒くれ者たちに唾を飛ばしながら凄まれようが、師匠は顔色を変えない。いつ刺されてもおかしくないと思える緊迫感だが、師匠は平然とした顔で、普段の態度を崩さなかった。
「……相変わらず凄い根性だよなぁ」
僕は呆れてひとりごちた。
昔は怖くないのかと聞いたこともあったが「己の手で人を殺すかもしれない治療行為に比べたら、たいがいのことは平気よ」と言われた。
まぁ、気持ちはわからなくもないが、それにしても肝が据わりすぎだと思う。前世は勇者か、はたまた魔王でもしていたんじゃないだろうか。
僕がそんな取り留めのないことを考えている間にも、野蛮な話し合いは進んでいく。
「なら、アンタはどこに行くべきだって言うんだ」
多少は冷静そうな男が、師匠を睨みつけて尋ねた。
「西側の国境に向かいましょう。今回の戦争に、西の国は中立を表明しているわ。私たちが先導します」
「はっ、知らん国だな」
しかし、村人たちは馬鹿にしたように吐き捨てる。そして、まるで敵を見るような目で僕たちを睨みつけた。
「アンタの言うことが正しい証拠がどこにある?」
「そうだそうだ!そう言って、俺らを囮にして、自分たちだけ逃げるつもりじゃねぇのか!」
「俺らを売り払う気かもしれんぞ!」
怒鳴るように叫ぶ言葉は、常に自分たちを切り捨ててきた、権威者への不信だ。悲痛と苛立ちを浮かべるいくつもの瞳に、師匠はまっすぐな眼差しを向ける。そして、一呼吸だけ間を置いて、淡々と返した。
「それならば、私たちがしんがりを務めます。なんでもいいから、一刻も早くここを出るべきよ」
「……ちょっ」
また師匠が勝手なことを言い出し、僕のこめかみがピクピクと痙攣した。あまりにも無茶だ。それでは何か起こった時に、治療できる人間がいなくなってしまう。最大多数を救うための、最善策ではないはずだ。
そう考え、止めようとしたその時。
「いえ、お二人とも先に行ってください」
「バン先生!」
場の空気に合わない涼やか声が一帯を支配した。荒れ狂っていた村民たちが、ホッとしたように顔を上げる。田舎者たちに先生と言われるバン氏は、地方の伝説や伝承を専門とする、大陸でも名高い有名教授である。
「遅くなりすみません、教室の片付けなど、呑気なことをしてしまいました」
「いえ、貴重な資料を残したいという思いは、一研究者として理解しますわ、バン教授」
笑みすら浮かべ、穏やかに話すバン教授に、場の空気も少し和らぐ。バン教授はゆっくりと師匠へ歩み寄りながら、しっかりと口にした。
「しんがりは、私たち夫婦で務めますよ」
「……ええ、そうね。私たちは子のいない、身軽な二人ですもの。しんがりには最適でしょう」
隣の夫人は多少ギョッとした顔をしたが、夫の顔を見てすぐに覚悟を決めたようだった。肝の据わったご夫婦だ。
「ただ、何かあった時のために大陸の学術連盟への手紙と、資料をお預けしてもよろしいですかな」
「もちろんですわ」
軽やかな口ぶりでそう頼み、落ち着いた足取りで師匠に近づいてきたバン教授は、握手の手を差し出しながら、小さな声で師匠に尋ねた。
「まだ我々に、時間はありますか?」
「ええ……もうしばらくは、ね」
苦しげに眉をひそめたバン教授が呟く。
「……しばらく、か」
「大丈夫よ」
差し出されていた手を握り返しながら、師匠は力強い目で請け負った。
「あなたたちは、ここから出ることだけ考えれば良いの。……私が助けるわ」
「師匠、バン教授がしんがりを引き受けてくれると分かってて、村民を煽ったんでしょう」
「あら、気づいていたの?一番危険なしんがりの覚悟を見せれば、信頼してくれるかなと思ってね」
「はぁ……」
あっけらかんと返す師匠に僕は呆れてため息をついた。
「じゃあお願いします、と言われたらどうする気だったんです?」
「その時はその時で考えるわ」
日々各国で、王侯貴族相手に丁々発止でやりとりしてるのだ。世渡りが下手な割に、口もハッタリもうまい師匠なら、村人程度を言いくるめるのは造作もないのかもしれない。
「ほんっとうに性格悪いですねぇ……しんがりを務める気なんてないくせに」
「当たり前でしょ」
「うわぁ」
堂々と言い放つ太々しさに呆れていたら、師匠は笑いながらもっと傲慢な台詞を吐いた。
「私はね、絶対に助からなきゃいけないの。だって、私が死んだら、全部おしまいだもの」
自分が死ねば全員死ぬ。
そう言い切る師匠に、僕はため息をついた。師匠がそう言うということは、そういうことだ。
「……やっぱり、毒ですよね?」
「ええ、毒霧を撒かれたんでしょうね。全員、軽度の中毒症状がでてきているわ」
「えげつないなぁ……」
妙に顔が赤らんでいる者が多く、状況のためもあるだろうが、やけに興奮している。落ち込み嘆く者がおらず、攻撃的な態度ばかりなのは、異常だった。
「バン教授以外は、気づいていないようですけど」
「知識がないのと、あとはまぁ、緊張のためでしょうね」
肩をすくめながら、師匠は背負う荷の確認をしながら淡々と続ける。
「けれど一人でも倒れたらパニックになる。どうにか気づかせずに、なるべく早くこの地から去らないと」
厳しい眼差しで話す師匠を長め、俺は口布を当て直しつつため息を吐いた。
「一応、粉塵避けに口布は当てるように言ってますけど、特殊布じゃないから効果が足りないですよ」
「特殊布は少ししかないから仕方ないわ」
特殊布の口布はわりと貴重な装備なので、自分たちの分と予備しかない。
「うーん、ひとまずバン夫妻に渡しておきますか」
僕が悩みつつ提案すれば、師匠も一拍遅れて頷いた。一番危険な場所で、一番長く有毒区域に滞在することになるのは、あのご夫婦だ。
「そうね。……彼らが辿り着けるのは、一番最後になりそうだから」
「ご夫婦そろって立派な方達ですねぇ」
あれだけ高名な教授ならば、どこの国も受け入れてくれるだろう。自分たちだけ勝手に逃げ出せばよかったのに、自分を先生と慕う村人たちのために、最も危険な役目を引き受けてくれるのだ。
「バン教授は優れた者が負うべき責務を知る方よ。あの方は、本物の知識人だもの」
静かに言い切られた言葉が重い。捻くれ者の師匠が素直な賛辞を口にするとは、よほどのことだ。しんがりを務める、彼らの見事な覚悟への敬意だろう。
「そんな方たちを死なせたくないですねぇ」
「同意よ」
僕がぼやいた言葉に、師匠は頷いた。
そのためには、さっさと脱出して、村民たちに解毒剤を飲ませないといけない。あと半刻後には移動を開始することになっているが、果たして間に合うのだろうか。
「助かりそうにない人間を置いて行った方が、早く出られますけれど?」
「無理よ」
試しに口にした提案は、にべもなく却下される。
「身内を置いていけない人間の方が多いわ。その説得をするよりも、体力がある男たちに背負ってもらった方が早いわよ」
「まぁ、たしかに」
あの気性が荒く、同胞意識が強い村民たちに、その説得をするのは至難の業だろう。
助かりそうな人間から、いや、助かりそうな人間だけ助ける方が安全策だと思うが、師匠にとって、今回はそこまで切羽詰まった事態ではないらしい。
まぁ確かに、火が目の前に迫っているわけではないしな。
「なにため息ついてるのよ、本番はここからよ?」
「分かってます、分かってるからこそです!ため息も出ますよ」
とりあえず西の研究協力施設に辿り着いて、村人たちから検体を採取してから分析して……などと考えていたら気が遠くなる。今日から三日は寝られないのではないだろうか。
「師匠、やけに強気ですけど、成分の見当はついているんですか?」
「大体ね」
恨めしげに睨めば、師匠は当然のように頷いた。
「体内の魔力調和を狂わせるための処理がされている気がするのがネックだけれど、身体に作用している薬剤の基本は、向こうの国が拷問で使ってる薬の応用だと思うわよ」
「はぁー、何でもよく知ってますねぇ」
「短期留学のときに、見たことがあるのよ。成分も分かるわ。……拷問と戦争が発達した国は、医学も発展してるのよ。皮肉なことにね」
「なるほどねぇ」
やけに納得した僕が何度目かのため息をつくと、師匠はニヤリと笑いながら偉そうに胸を張って宣言した。
「さっさと抜け出して、チャチャッと解毒薬を調合するの!それが一番、多くの命を救う方法だわ!」
「……了解です」
本編やこちらの感想欄などで頂いたコメントに対してのアンサー(正確に言うとコメントに対して「たしかに…それは見たい…それも気になる…」となって空想が広がった結果の産物)として書いているのですが、やたらヘビーな話が続いてすみません。そのうち軽い短編も書きたい……。




