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天才と呼ばれた一人の令嬢と、彼女を取り巻く人々の、身勝手な言い分  作者: 燈子
【愚かで甘ったれな私は、立派なお姉様の代わりに当主の座と婚約者を引き継ぐことになりました。】
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一番最初に割り込み投稿しました。以前に短編として掲載した作品で、本作の前編(本編)です。

シリーズにしていましたがわかりにくかったので、こちらにもまとめました。内容は同じです。



***



お姉様は立派だ。


人の命を救うために、地位も身分も家も捨てて医師となった。

王宮医としての招聘もあったのに断って、より多くの命を救うために日々飛び回っている。


「甘ったれで可愛い、私のメアリー?この家くらいなら、あなたにも継げるでしょう?」

「……はい、ルイーゼお姉様」


私はお姉様の代わりに、家を継ぐ。

その第一歩として、姉の婚約者であった人と、婚約を結び直した。


「これからよろしくね、小さなレディ」


私を優しく見つめるのは、かつて熱い眼差しで姉を愛していた人。


「よろしくお願いします、ロレンス様」


叶わぬ初恋で終わるはずだったのに。


今、この方は、私の婚約者だ。





「ルイーゼは我が家の誇りだ」


いつもの朝食の時間。

新聞を読みながら、お父様が嬉しそうに笑う。

またお姉様の記事が載ったのだろう。


『勇猛果敢に戦地へと乗り込み、敵味方分け隔てなく救う、麗しき白衣の天使』


お姉様はそう言われている。


「本当に、ルイーゼは我が子とは思えないほどに立派な子ですわ。どうか無事に帰ってきてくれると良いのですけれど」

「あの子は神がこの世界に遣わした天使だ。この度もきっと無事に帰ってくるさ」


お母様もハンカチで目元を押さえながら、しみじみと同意する。母として子を案じる言葉に、父も目を細めながら祈るように呟いた。


「ええ、ほんとうに。お姉様には、神様がついてらっしゃいますもの。きっと、ご無事で帰ってらっしゃいますわ」


父母を励ますように口を開き、私はそっと手を合わせる。


「皆で祈りましょう、お姉さまの無事と、人々の安寧を」


おっとりと柔らかく告げれば、父母も表情を緩め、私を見つめた。


「そうだね、メアリー。そうしよう」

「本当にあなたは、優しい子ね」


いつもの褒め言葉に柔和な笑みを返し、私たちは食事から手を離して切に祈る。姉の無事を。

そして争いが早くおさまり、人々に平穏が訪れることを。


「お姉様は今、二つ隣の国にいるのですよね」


私が確認すると、父は心配そうに眉尻を下げて頷く。


「あぁ、あそこは代替わりしてから治安が悪化して、今は酷い暴動が起きているらしくてね。我が国を飛び出していったらしいよ」

「まぁ、恐ろしい」


気が遠くなりそうな母の横で、私はしみじみと呟いた。


「お姉様は、本当に勇敢な方ですわ」


お姉様は立派だ。

私も心底そう思っている。

けれど、天使というよりは、戦女神のようだけれど。







ルイーゼお姉様は、歴史ある伯爵家の令嬢でありながら明らかな異端だった。


五歳上の姉は幼い頃から才気煥発で、周囲の子供達から浮いていたらしい。私が物心ついた頃には、姉は既に子供の社交界からは飛び出して、大人……特に学術者たちと話すことを好んでいた。

私にとって、姉は最初から偉大なる大人だった。


姉は何事にも優れた才を発揮したが、特に熱中したのは医学者たちとの討論会だ。


とても子供とは思えない知識の広さと考察の深さ、先見性に、当時の医学界には衝撃が走ったらしい。

姉は定期的に彼らの集会に呼ばれるようになり、我が国の医学の現状を知ると、更に貪欲に知を求めた。家の力を駆使して国外まで手を伸ばして最新の情報を集めるようになったのだ。その情報は姉の手による選別を経て、惜しみなく我が国の医学界に提供された。姉のおかげで我が国の医学は一年の間に十年進んだと言われる。


「百年に一人の才媛」

「神が遣わせた、美しき知の女神」


そう呼ばれるほどに眉目秀麗で、溢れる才能に満ちた姉へは、王宮からのラブコールが止まなかった。

少し歳は離れているけれど、第二王子の婚約者にどうか、という誘いもあったほどだ。

当時、幼少の頃から姉を跡取りとして育ててきた両親は大いに慌て、身分が足りませんのでと断ろうとしていた。王子妃となるのは、一般的に侯爵家以上のお家柄だからだ。けれど。


「ルイーゼ自身の価値が、生まれつきの身分などを遥かに上回る」

「ぜひ王族に連なってもらいたい」


とても血統主義の王族とは思えないようなことを言って、王宮はずっと勧誘を続けていた。きっと姉を手中に、せめて国内に置いておきたかったのだろう。


そしてまた、我が国最先端にして、政治からの学問の自由と独立を謳う、聖リリアータ研究所からも、頻繁に勧誘があった。


「ルイーゼ嬢の力は、神から授かったものだ。王族として政務に翻弄されるべきではない。彼女は世俗に振り回されることなく、全人類のために研究を続けるべきだ!」


学問の神リリアータを祀る研究所は徹底した能力主義で、貴族だろうが王族だろうが、最初は研究室補佐員から始めさせると有名だ。

その彼らが、姉には特例として、入所したらすぐに研究室と複数の研究員を持つような地位を与えると、普通に考えたらとんでもない条件を出してきた。


姉が国立学園に在学中、王宮と研究所が姉を取り合い続ける事態になった。しかし、当の本人はどちらの誘いも歯牙にもかけなかったのだ。


「学会の相談役ですら雑務が多くて面倒なのに、王族になるなんて絶対にお断りだわ。研究所に入ったら内部の政治に巻き込まれるし、自分より年上の高慢な部下を統率するのも、権力争いもごめんよ」


姉は、象牙の塔からの熱心な勧誘も、王宮からの熱烈なラブコールも、全ての誘いをけんもほろろに断ったのだ。


「私は私の理想のために、私の道を行くわ」


そして姉は、学園を卒業すると、医学を学ぶのだと告げて、あっさり東国に留学してしまったのだ。








「いやぁ、驚いた。今更ですが、ルイーゼ嬢は只者ではありませんな」

「ここまでくると、気持ちが良い」


一切の世俗の価値観を振り払う姉の生き様は、「非常識な変わり者」「愛国心のない恩知らず」などと非難されてもおかしくはなかった。

しかし、前年の流行病の際に、姉が予測した対応策が抜群の効果を上げていたことで、姉の恩恵を受けた人間が()()()()のだろう。

姉を非難する方こそが常識がないと言わんばかりの風潮で、社交界では好意的に受け取られた。


おそらくは、どこまでも謙虚に振る舞う平和主義な我が家の在り方も良かったのだろう。

もし私たちが、姉の業績をもって権力や名誉を求めようとすれば反感を買っただろうが、私たちは「変わり者の天才娘に振り回される、欲のない凡庸な伯爵家」であった。

だからこそ姉の縁者でありながらも、毒にも薬にもならない者たちだと、お目溢しをされていたのだ。







姉は、大陸一と呼ばれる外国の大学すらも飛び級で卒業して、数年で帰ってきた。


「東の医学は、やはり、この世界では最先端だわ。この国はまだ五十年遅れている。……でも、私が百年先の未来に連れて行ってみせるわ」


そんな傲慢な台詞を自信たっぷりに言い切り、姉はすべての()()()()を放り捨てた。

自分自身の人脈と力を手に入れた姉には、もう貴族令嬢という身分など必要なかったのだ。


そして姉は、人の命を救うために、貴族の身分も家も捨ててこの国で初めての女性医師となった。

熱烈を極めた王宮からのラブコールを振り切り、医師として最も名誉と言われる王宮医としての招聘すらも断って、今日もより多くの命を救うために、姉は世界中を飛び回っている。








姉が()()()()……我が家の娘という身分を投げ捨てた日のことは、今でも鮮明に覚えている。

あれは私が、姉が背負っていた全てを、手に入れることになってしまった日でもあるから。




「お父様、私を絶縁して下さいませ」


家を捨てると決めた姉は、潔く貴族の身分と名字を捨て、我が家と完全に絶縁することを選んだ。


「今後、私の選択や行動により、いかなるトラブルが起きようとも、この家に迷惑はかけませんわ。そのために、どうか私を絶縁してくださいませ」


夕食後の談話室でそう勇ましく告げる姉に、両親は泣いて縋った。しかし、姉の決意は固く、とてもではないが意見を翻しそうになかった。


「メアリー、メアリー。あなたもルイーゼをとめて」

「そうは言われましても……私には、お姉様を止めることなど」


泣きながら訴える母に、私は困り顔でテーブルに視線を落とした。

私が何を言ったところで、姉の意思は変わらない。いや、両親が泣いたところで同じだろう。そんなことは分かりきっているのに、優しくて情け深い両親はなんとか引き留めようとするのだ。


「理解してくれて嬉しいわ、メアリー」

「理解、と申しますか……」


姉から笑いかけられて、私は思わず言葉を濁した。

私は、姉の気持ちや、志の尊さなどを理解したわけではなかった。

ただ、姉という人をそれなりに()()している私には、姉の説得など完全に無理だと分かっていた。

だから、努力をする気になれなかったのだ。愁嘆場を演じたところで単なるセレモニーにしかならないと、分かっているのに。


けれど、だからと言って私は姉のために両親を説得したり慰めたりすることもできず、湿った空気の中でただ戸惑って座っていた。


「ふふ」


そんな私を、姉がくすりと笑う。


「あぁ、メアリー、あなたは昔から変わらないわね」

「お姉様?」

「分かっているのに分かっていない、その幼さが庇護欲をそそるのかしらねぇ」

「え?」


私を真正面から見つめる姉の、妙に柔らかい苦笑に戸惑った。


「ねぇ、メアリー」

「はい」


強い意志を秘めた呼びかけに、私は従順に「はい」と返す。

姉の瞳は何かを見極めるように、しっかりと私を見据えている。こんなにまっすぐ姉に見つめられるのは、何年ぶりだろうか。世界中を飛び回る姉と、しっかり時間を過ごしたことなど、ここ最近はなかったかもしれない。こんな時なのに、少しだけ嬉しくて、そう感じる自分と姉の関係性が切なかった。


「なんでしょうか、お姉様」


そう思いながらも、こんな妙な感傷は場違いで口に出せなかった。私は従順で物分かりのいい妹として、しっとりと姉を見返す。


「ふふ。ねぇ、甘ったれで可愛い、私のメアリー。この家くらいなら、あなたにも継げるでしょう?」

「……はい、ルイーゼお姉様」


そう冗談めかして笑う姉の言葉に、私は淑やかに頭を下げた。下げるしかなかった。

我が家で誰よりも賢く強い姉。

彼女の言うことは絶対だったのだから。





かくして、私は姉の代わりに、この伯爵家を継ぐことになった。


翌日には家族皆で王宮へ涙ながらに絶縁状を提出し、その瞬間から私は伯爵家唯一の嫡子にして歴史ある伯爵家の跡取りとなったのだ。


そして、その第一歩として私は、姉の婚約者であった人と婚約を結び直した。


「これからよろしくね、小さなレディ」


私を優しく見つめるのは、かつて熱い眼差しで姉を愛していた人。

姉の数少ない理解者であり、姉と相愛であったはずの人。

六歳下の私を、まるで実の兄のように慈しんでくれた人。


「よろしくお願いします、ロレンス様」


叶わぬ初恋で終わるはずだったのに。

今、この方は、私の婚約者だ。




***




「ルイーゼが、新たな医術のための魔道具を開発したらしい」

「自然界のエネルギーを元にした、画期的な仕組みですって。凄いわねぇ」


新聞を読みながら、父母は今日も姉を称賛する。戦場で姉の身に()()あった時に、我が家に累が及ぶことを懸念して正式に絶縁して以降、両親も姉の意思を尊重して、一切手出しはしていない。

だから、我が家と姉の間に連絡は途絶えているので、姉の状況は新聞を介してしか入ってこないのだ。


まるで他人のようだといつも思う。

いや、絶縁した今となっては、書類上は間違いなく他人なのだけれど。







久しぶりの夜会に出向けば、いつだって私たちの周りは姉の話題で持ちきりだ。


「なに!?開腹手術だと!?」


会場に入った途端に聞こえてきた言葉にため息が漏れる。今夜の話題は、姉が国内で初めて成功させた開腹手術についてらしい。私たちも今朝新聞で知ったばかりだ。

私はエスコートしてくれるロレンスを見上げた。彼も私を見て苦笑している。

きっと今日も姉について聞かれるのだろう。




「治癒エネルギーを注ぎ自己治癒力を高めるだけではなく、直接手を加えて臓器の損傷を修復するらしい」

「東の果てでは以前よりされていたと聞くが、我が国では初めてではないか?」

「ルイーゼ嬢は東で修練を積まれ、その経験をもとに、さらに改良されたらしいぞ」

「私は医学校の教授をしている友人から、もっと凄い話を聞いたぞ」


頬を興奮であからめた年配の紳士が、にやつきを抑えきれない様子で話題を提供する。


「なんとルイーゼ嬢は、微細な魔力操作によって、血液の流れを止めても心臓だけを動かすこともできるそうだ!」

「まさか!それは魔の領域だろう!?」


畏怖を交えた興奮が重なり、そこにまた別の一人が言葉を重なる。私も思わずロレンスと目を見合わせて驚きを共有する。そんな人間離れしたことが可能なのだろうか?と。


「それが本当らしい。ルイーゼ嬢は医師として外科処置に携わる中でそんな神のような仕業を思いつき、魔法理論学的にも可能にする方法を見つけたわけだ!今では、ルイーゼ嬢の弟子たちにも可能で、他国からも医学を学ぶために留学にくるほどだとか」

「はぁ、もったいない。それだけの新技術を独占しようとしないなんて!相変わらずルイーゼ嬢は、損得勘定というものがない方だなぁ」


我が国の専売特許にしてくれたら良いのに、と嘆いているのは、おそらく外交か経済の重鎮の方なのだろう。まだ社交界に出て日が浅い私はお見かけしたことがない方だから、よく分からないけれど。


「……お姉様らしいわ」


ぽつりと呟く。

姉は自分にしか出来ない手技というものを嫌っていた。修練さえ積めば誰もが可能なものでなければ意味がない、と言うのが、姉の信念だからだ。

王家がどれほど嫌な顔をしたとしても、姉は国内外問わず学びに来た者へ、技術と知識を惜しみなく与える。

今は大陸中に姉の弟子が散らばっていることだろう。


「ルイーゼ嬢の手術は、どの術式も東よりもはるかに成績が良いとか!ついこの間まで、我が国は医療が遅れていると言われていたのに」

「いやぁ、素晴らしい。どこまでも医神に愛されたお方だ!……おや、噂をすれば」


あぁ、とうとう見つかってしまったらしい。

恰幅の良い威厳ある紳士が、ひょいと眉をあげる。ひっそり会場に入り、目立たない場所に逃げ込もうとしていた私たちの名を呼び、声をかけた。


「久しぶりですなぁ、伯爵。良ければルイーゼ嬢の親として、ご感想をお聞かせ願いたい」

「はぁ、いやはや、私どもには、何がなんやら……」


両親は苦笑しながら、ご立派な人々の中に交じっていく。今日は姉の大ファンで、やけに姉の幼少期の話を聞きたがる侯爵様に加えて、噂話好きな公爵様までいらっしゃる。当分解放してもらえないだろう。


「お二人はしばらくあちらにいらっしゃるだろうから、僕たちは向こうに行こうか」

「ええ、ロレンス様」


同じことを考えているらしいロレンスと、私は若い人たちが集まる区画へ向かった。しかし。


「おいロレンス!久しぶりじゃないか、ちょっとこっちに来いよ!」


私の婚約者は、陽気な侯爵令息に声をかけられてしまった。

彼も姉のファンの一人だから、きっとまたロレンスから姉の話を聞きたいのだろう。我が家もロレンスの実家もしがない伯爵家、身分が上の方からのお誘いを無下にはできない。苦笑したロレンスは「今参ります」と返し、私を令嬢たちが集う場所へと導いた。


「少し行ってくるよ。……また後でね、メアリー」

「ええ」


ダンスを踊る間も無く、あっという間に引き離されてしまった私たちは、お互い小さくため息をついた。


「帰る前に一度くらい踊れるといいんだけれどね」

「いつものことですもの、仕方ありませんわ」


嘆くロレンスに私は柔らかく苦笑した。

半年前に私が十五歳を迎え、夜会に顔を出すようになってから、毎回この状況だから、もう慣れてしまった。


「まったく、僕みたいな面白みのない人間の話を聞いて、何が楽しいんだろうな。まぁ、彼らが聞きたいのは、()()()ではないのだけれど」


普通ならば、年若い妹に乗り換えたと言われてしまいそうなロレンスも、姉が相手では「ルイーゼ嬢に捨てられた男」として面白がられているらしい。

おどけて嘆くロレンスに私はくすりと笑う。


「それは私も同じですわ。()()()を聞きたい人は誰もおりませんもの」

「ははっ、僕らはルイーゼのおかげで、()()()だね」


ロレンス様は姉の元婚約者、そして私は妹。

滅多に社交の場に出てこない私たちに対して、姉の話を聞きたいと望む人たちは多すぎるのだ。





「メアリー様、お姉様とはご連絡をとってらっしゃるの?」

「南の国の王から求婚されたという噂は本当ですの?」


令嬢たちの中に入れば、すぐに姉の話を振られる。ほとんどは私も知らない噂話についてだ。


「まぁ、今はそんなことが言われておりますの?」


私は目を丸くして、驚きを表した。


玉石混交の噂話の中で、若い彼女たちに人気なのは姉と他国の貴公子たちとのロマンスである。

姉をよく知る私は、全て作り話だろうと思っているが、わからない。姉は恋愛に溺れる人では決してないが、自分の存在を対価に、彼らと何かを交渉している可能性は十分にある。


「私にもさっぱり分かりませんの。お姉様は、家を出る時に私たちと縁を切ってしまわれたから……」

「まぁ、ご家族なのに!お手紙もありませんの?」


いつもの理由を口にすれば、いつものように芝居じみた悲嘆の声が返される。


「ありませんわ。姉と縁が繋がっていると、私たち家族や、この国にも累が及んでしまうかもしれないから、と」


私は悲しげに俯き、そっと小さく鼻を啜る。かすかに唇を震わせながら、姉がいる遠くの場所に思いを馳せているかのように窓の外へと視線を向けた。


「危険な地に赴く私は死んだと思ってくれと、たとえ人質となってもいかなる要求にも屈しないようにと、強く仰って……」

「まぁ……」


勇ましくも悲しい姉の訣別の言葉に、年若い少女たちは眉尻を下げて、か細い感嘆符を溢す。私は弱々しい笑みを彼女たちに向け、そして祈るように囁いた。


「でも私たち家族は、……いつも姉の無事を祈っておりますわ」


涙をほろりとこぼして、そっと絹で目元を押さえれば、周りの喧しい小鳥たちもしんみりと口元を押さえる。共感力の強い少女たちの数人は、ともに涙を押さえながら頷いてくれた。


「えぇ、えぇ、ルイーゼ様はきっと今回もご無事にお戻りになりますわ。だって天使様がついてらっしゃいますもの」

「ありがとうございます。そう、願っておりますわ」


あぁ、今回も切り抜けた。


内心で安堵の息をつきながら、私は疲労感にそっと肩を落とす。

ルイーゼの妹として名を知られた私は、人の集まる場所に行けば必ず姉のことを尋ねられる。

けれど何を聞かれても、たいてい一つとして答えられないのだ。

だから私はこうして、話題を逸らして煙に巻くことばかりがうまくなる。


あぁ、疲れる。


無理だとは分かっているけれど、どうかあまり姉のことは聞かないで欲しい。

姉の考えていることなど、子供の頃から一度として、分かったことがないのだから。







しかし、悩み事と言えば姉の話ばかりだった平和な日々も、半年後には消え失せた。

ついに我が国でも、戦争が始まったのだ。









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