第7話・温もりに導かれて
「ぐっ………!?」
突如心臓に痛みが走り、堪らずアグルナムは胸を抑えてその場にへたり込む。
深紅に染まった瞳は原色の漆黒へと戻り、肩口の風穴からは出血が目立つようになる。
星が見えていた夜空にはいつの間にか不穏な雲が被さり、冷たくも優しげな雨が降り注ぎアグルナムを清める。
死を乗り越えて異常な興奮に身を任せたアグルナムは身体に走る痛みと雨の冷たさで冷静さを取り戻し、自身が殺害した大男の顔を除き込み恐怖する。
「人を……こ……殺しちまった……この手で……こんな酷い殺し方を……!」
――鼻はあらぬ方向に曲がり、中央部分が陥没した血塗れの顔。
こんな言葉も憚られるほどの死因を与えたのは他の誰でもない自分自身であり、いくら自分を殺そうとした相手とはいえ勢いのまま犯した初めての殺人がこのような残酷な形で行われたことが受け入れ難かった。
「うぐ………うえゲェェェ………!」
――返り血と体液に塗れた両手を見て、己の罪をより深く認識してしまった俺は思わず嘔吐してしまう。
畑を荒らす獣を殺す感覚とはまるで違う、肉を叩き骨を砕く醜悪な感覚を残した両手が更に吐き気を催し、嘔吐は2分以上もの間続いた。
「はぁ……!あ…あぁ………うあぁぁぁ!?」
――吐き気が落ち着いた俺は今ある現実に耐えられなくなってその場から逃げ出した。
ただがむしゃらに叫びながら、その場から立ち去るためだけに走り続ける。
消耗した体力に出血の激しい身体ではそう遠くまでは行けず、肩に感じる痛みと強い熱を感じる身体に耐えきれず、ぬかるむ地べたに這いつくばってしまった。
「………死ぬ……だろうな……怖いな……やっぱり……友達を裏切った罰……なんだろうな………ごめんよ……エルク……セラ……親……父……」
――鈍る痛みと熱さ、薄まる意識が肉体の死を告げる。
雨の音も聞こえなくなった瞬間、重い瞼を閉ざし意識を闇に落とした。
――――――――――――――――――――
(………ここは……?)
――気がつくと白い空間にいた。
辺り一面、塵芥一つ無い完全な白の世界。
この世のものでは無いであろう空間は、自身が死後の世界に誘われたのだと推測するには十分だった。
突如、白い空間を裂いて強い琥珀色の光が漏れ出す。
(…!?何て暖かい光だ…)
光は徐々に人のような型を成してゆき、遂にはとても美しい女性の姿へと変化する。
(まさか…死後に楽園へ連れて行ってくれる女神様…なのか?逸話は本当だったのか…)
――優しく微笑みかけてくれる女性は俺の身体を抱擁し、心地よい気分になる俺を琥珀色の光へと誘おうとする。
あの光を越えた先にはきっと楽園が待っているのだろう。
(あぁ…楽になれるんだ…)
――女神に導かれるままに光へと脚を運ばせ爪先が触れた瞬間に、あれだけ恐れた死に確かな喜びを感じた俺はそのまま全身を光へと任せようと目を閉じる。
――その時、俺の左手に光よりも心地よい柔らかな温もりを感じた。
――驚いて後ろを振り返ると俺と同じ深紅色の髪をした若い女性が俺の手を握っていた。
少し悲しげな表情を浮かべる女性を見て、朧気な記憶が脳内を駆け巡った後、自然と言葉が紡がれる。
「母…さん…?」
――物心つく前に亡くなってしまい、ほとんど記憶に無い母の肖像を目の前の女性に重ねる。
言葉に反応するかのように柔和な笑顔を浮かべた女性は、俺の身体を引っ張り女神から引き離す。
倒れぬように支えながら抱きしめてくれた女性の腕からは懐かしい温もりを感じた。
「ギィィッ…!!ギャアアァァッッッ!!!」
――俺の身体を引き剥がされた女神は、容姿に似つかわしくない叫び声を上げながら肉体を変体させていく。
美しかった女神の面影はどこにも残らない、醜悪な顔だけの姿になった女神だった者は牙を剥きながら俺と深紅色の髪をした女性へ迫りくる。
「くッ……!?」
「――――――――。」
「えっ……?」
――『だいじょうぶ』と声をかけられたような気がした。
女性は女神だったものに対し、右腕の人差し指と中指をくっつけながら立てる仕草を行い、右腕は線を描くように真横へと切られる。
「ギッッッッ!??ギャッッ!!!?」
鋭利な牙が女性の額に触れる寸前に、女神だったものは一瞬で細切れとなり、細切れとなった肉片は灰と化し宙に溶けていった。
――俺を光に導こうとした存在は女神というよりは、死神に近い存在だったのだろうと邪推する。
改めて深紅色の髪の女性へと向き直り質問する。
「貴方は…俺の母さんなんですよね…?」
――質問に肯定するかのように笑顔でコクリと首を縦に振る女性は、俺の首にかけられた母の形見である鎖を模したペンダントを両手で掬うように持ち上げる。
するとペンダントは光を纏って、女性の手から離れた後も宙に浮き続ける。
纏った光は徐々に強くなっていき、遂には俺の身体を包み込むほどになった。
「これは……」
暖かさと優しさと…僅かに悲しみを感じさせる光は俺を白い空間から隔てているのだと直感した俺は、急ぎ女性に声をかける。
「母さん…!俺は…生きていくのが怖い…!友達を裏切って…期待にも応えられず…挙げ句の果てには人まで殺してしまった…!こんな罪を背負って生きていくなんて耐えられない…!でも…死ぬことも怖いんだ…!俺は…!」
「―――――――――――。」
「…ッ!」
――女性は光で輪郭がボヤけてきた俺の首の後ろ側まで両腕を絡ませて優しく抱きしめてくれる。
声は出ていないのだが耳元で『どんなに辛くても強く生きて、貴方は強くて優しい子なのだから』と囁かれた気がした。
勇気づけられ感極まった俺は思わず涙し、女性へと抱き着き返す。
「…頑張らないと…駄目なんだよな…!俺…強く生きていけるかな…!償っていけるかな…!」
「――――――――。」
――『だいじょうぶ、貴方は私と勇者デアンの子なんだから』と諭された気がした。
光が身体を浮かせ、抱擁から引き剥がされると同時に、俺の身体は完全に輪郭を失って球状の光となって天高く飛び上がっていった。
飛び上がる瞬間に見た母の口の動きから、最後に『愛してる』と伝えられたことを理解した。




