003
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時間が止まったように広大な宇宙の中に、ただ一人自分が浮いている。
(ここは?)
宇宙では呼吸ができない、そう思って息を止めたけれど、特に何も起きない。
(待て待て、宇宙に生身で放り出されたら呼吸止めた程度でどうにかなるのか? いやちがう、俺はさっきまで戦ってたはずだ。あの白いロボットと――)
そんなことを考える間もなく、意識はものすごい勢いで引っ張られていく。宇宙を高速で通り過ぎ、その向こう側まで景色が飛ぶ。
白い空間を抜けて、宇宙の奥へ。星から星へ。中へ、中へ、中へ。
(なんだよ、これ……!?)
その星の一つ一つが目まぐるしく駆け抜けていく。直後、頭の中に古い記憶のような光景がフラッシュバックする。
どこかの路地裏。見慣れない外国の文字が並んだネオンサインの下で、くたびれたフライトジャケットを身に着けたブロンドの少女が、こちらに向かって声をかけている。
『アンタ、誰よ』
そして、それに呼応するようにさっきであった少女の声が返される。
『わ、私、は……ル、ルネット……コスモス・ジェネレータ、宙匣の魔人、ルネット……』
『なにそれ。まあいいや、ルネットだっけ、いやルーネって呼んでもいい? とにかくなんか事情がありそうね、助けたげる』
『……』
『私はシルヴァ。アンタ、腹減ってるでしょ。とりあえず、飯でも食いに行かない? この先にある食堂のラムとキャベツのスープ、安くて旨いんだよ』
にっこりと笑う彼女が誰なのかは分からない。だが、誰かにつられるように不思議と温かい気持ちが込み上げてくる。
(これは……この子の記憶なのか? なんで俺はそれを見ているんだ?)
直後、視界がねじれて別の場面に移り変わる。今度目の前にいるのは血まみれの女性だ。着ているフライトジャケットが同じでさっきの少女のような気もするが、明らかに髪の毛は色褪せ年老いたように見える。そして傍らには、一切見た目に変化のない箱の少女の血まみれの手。
『シルヴァ、お願い。私、あなたがいないと……』
『私のことはいい。誰か人のよさそうな奴を見つけるんだ。私たちの旅を無駄にしちゃいけない。いいか、そいつに……』
そう言って彼女が何かを手渡す。それが何かは見えない。
『これは……?』
『持っときな。覚えていても、思い出すにはモノが必要だろ』
いつの光景なのかすら分からないまま、再び景色が目まぐるしく変わる。
今度の景色は今自分のいるロボットの中と同じ場所。だが乗り込んでいるのは先ほどのやさぐれたフライトジャケットの少女だ。最初に見た頃のほうに年恰好は近い。目の前にいるのは同じような敵と思しきロボット。どこかで戦っているのか。
『シルヴァ、わ、私どうしたらいいか――』
『安心しなよ。奴等が持ってたアンタの報告書からネタが割れてんだ、武器はある!』
『で、でもまだ試しすらしてないのに?』
『覚悟を決めな、ルーネ! 行くよ――』
彼女が口を開く前に、俺はその言葉が何なのか理解していた。理由は分からない。だが間違いなく、武器はあるのだ。その箱の中――この記憶の宇宙の向こう側に。
同時に視界が現実に引き戻される。目の前には剣を振りかぶった白いロボット。
先ほど見た光景に引きずられるように、無意識に自分が叫んでいる。
「来い――『第一の牙』!!」
念じたから、なのだろうか。自分でも分からないまま叫んでいた。
その瞬間、何も握っていなかった手には一振りの剣が握られていた。
『!』
敵の大剣と短めの片手剣がぶつかり合う。普通なら質量差で押し負けるはずなのに、剣はしっかりと大剣の両断を防いでいた。標識のようにひび割れる様子もない。
『いいぞ我が好敵手! それでこそ!!』
スティック越しに伝わってくる重圧に歯を食いしばる。鍔迫り合いではこっちが不利だ。受け止めきれず、一度いなして後ずさる。
『すごい、ちゃんと取り出せた……』
「これならどうにか……!」
剣一本でも、武器があるという事実だけで話は違う。さっきまでは対抗手段すらなかったのだから。
とはいえ、それでも相手の大剣をどうにかかわすのが精いっぱいだった。一回いなしただけだが、この短い刀身であの大剣とやり合うのは厳しいと感覚的に分かる。同じサイズのロボットでも、明らかに相手にパワーで圧倒されている。
(なんでそう分かるんだ? 戦ったこともないのに)
自分の中で生じた疑問を考える隙すらなく、大剣の一撃が迫る。
今度は回避しきれなかった。右側に衝撃が走り、横目で見た時には肩の装甲がバリバリと引き裂かれていた。断面はあの標識と同じようにひび割れてズタズタになっている。
(ナイフは大丈夫でも、本体はあの攻撃は防げないのか……!)
他の手段が欲しい。迷っている時間はない。少女、その箱に向かって声を荒げる。
「他にもいろいろあるんだよな!? これが第一なんだから!」
『う、うん! 他にもいろいろあるはず!』
規則性を見い出すなら、数字だ。自分でもよく分からないが『第一』で『牙』なんだ。何か叫べば来るかもしれない。
「行くぞっ! 第二の槍!!」
しん、とする。今度は何かが出てくる気配はない。さっきのように何かをつかんだような感覚もなかった。
「えっ、じゃあなんだ……第二の刀! 第二の斧! 第二のハンドガン! マシンガン! ショットガン! ロケラン!」
思いつく限りの武器の名前を叫ぶ。しかし何も出てこない。
『違うの! 言葉だけじゃダメ! さっきみたいにパスが繋がってないと』
「パス!? なんだよそれ!」
『パスはパスよ! そうとしか言えない!』
それが分からないんだ――そう返す前に、再び斬撃が迫る。
今度は回避しきれなかった。
ズン、という衝撃と共に自分の左腕がくるくると宙を舞う。生身のほうではなくとも、それは脳に強烈な信号となって訴えかけてくる。
「やべっ……」
次の予備動作を警戒して大きく後ろに跳躍する。この晒した隙は見逃してくれない――そう、思ったのだが。
『……冴えがない』
白いロボットは、大剣の構えを解いていた。こちらに迫る様子もなく立ち尽くしている。
「なに……?」
『動きに老巧さがない。武器も十全に扱えない。稚拙で未熟。最初は何かトラブルの影響があったのかと思ったが――』
そこまで言うと、白いロボットはブン、と指さすように大剣をこちらに突きつける。
『貴様、シルヴァ・ヤーネフェルトではないな!?』
誰の話だ。そう言い返したくなったが、自分の横にいる少女がびくりと震えたのを見逃すことはできなかった。
「なあ、今ヤツが言ってたシルヴァって……このロボットの本当の乗り手なのか?」
彼女は答えない。こちらに目線を合わせずに、こらえるように唇をかんでから、吐き出すように言う。
『……今は、こいつから逃げることに集中して。逃げきれたらちゃんと、後で話すから』
割り切れない気持ちのまま、周囲をうかがう。戦っている間に随分と離れたところに来てしまっていた。ここは確か駅のほうから逸れた、公道建設中の一角だ。去年から全然進んでいないのか、放置気味の重機や看板が乱雑に置かれている。
開けた場所は不利だ。あの衝撃波を撃たれたら回避しきれないし、もう一度距離を詰められたら今度は対応しきれない。左手がなくなったせいで、あの大剣を受け止めることすらままならない。
考える時間はこれ以上残されていなかった。相手の声に苛立ちが混じる。
『答えぬということは肯定と受け取るぞ。何があったか知らぬが、いやしくもその機体を彼女から簒奪したというのなら――到底許された行為ではない!!』
どうにかして遮蔽物のあるほうに行きたい。しかしさっきの破壊された家を思い出して、足が止まる。逃げるという目的と、その過程で巻き添えにする人々。その天秤を傾ける程の決断が、自分にはできない。
『名乗る価値なき賊めが! 我が大剣の前に成す術もなく消えるがいい!』
先ほどまでは様子見だった――そうとしか思えないスピードで距離を縮められる。すでに白いロボットは目の前にいた。そして大剣は、このロボットの頭上、自分の視界一杯にすでに振りかぶられていた。
「あ――」
死んだ。そう思った。
現実ではゲームよりもあっさりと死が迫ってきた。次にまばたきをしたときには、自分は真っ二つになっている。走馬灯の一つも浮かばない。頭が高速で回転することも、ない。
しかし、大剣は振り下ろされなかった。白いロボットが身を翻してこちらから一歩引いていた。その白い装甲の周囲に激しい火花が飛び散っている。
『貴様ら……〈SHELF〉!? 独立特務蒐集員を投入してきただと?』
白いロボットが誰かに撃たれている、と理解するのに少し時間がかかった。飛んでくる銃弾があの謎の装甲に阻まれているせいで火花が散っているのだ。
銃声のした方に目を向けると、そこにいたのは真っ黒に塗装された別のロボットだった。
(また新しいロボットか……?)
しかしそいつは外見がだいぶ違った。自分のロボットや白いロボットよりもだいぶ角ばっているというか、工業製品のような外見をしている。
(これは知ってる……二脚兵装とかいう、海外の軍隊の兵器だったはずだ)
ニュース記事や映画で見たことがあった。戦車や戦闘機と同じ兵器の一つで、自衛隊とかが災害派遣で使っているのも見たことがある。
しかしやって来たのは一機だけ。外見で識別できる要素はほとんどない。胸元の装甲に、リボンのようなマークがたくさん描かれているくらいか。
『猪口才な……下らぬ紛い物で我に対峙しようなどと!!』
白いロボットが銃弾の雨を浴びながら、黒いロボットに向き直る。やはり銃弾は効いていない。弾がその装甲に触れる前に、見えない膜のようなものに触れた瞬間、はじけて割れている。
黒いロボットはそれでも攻撃をやめなかった。銃を撃ち切ったのかあっさりと放り捨てると、背中に背負っていた巨大な長い筒を手早く引っ張り出す。
『! 今のうちよ! 逃げて!』
彼女の言葉に、ようやく今白いロボットの気がそれていることに気付いて機体を反転させる。これは二度とない好機だ。反撃してやりたかったが、敵わないことは身に染みている。
『あ、待て貴様! 対決から逃げ出すなど――』
直後、黒いロボットの筒の穴から、白いロボットに向かって棒状の物体が飛んでいった。
「ミサイル!?」
あれなら通用するのか――そう思った矢先、ミサイルが突き刺さる前にバリバリと割れ始めた。ロケットの推進力と相まって、まるで鉛筆削りのようにミサイルがゴリゴリと削れていく。
最終的にノズルの火が空しく発火を終え、無傷の白いロボットが仁王立ちしていた。その装甲は健在、傷一つついていない。
『ええい、邪魔をするとは……無粋の輩めが!!』
しかし黒いロボットは攻撃をやめようとしない。抱えた筒に開いた無数の穴から、立て続けにミサイルが発射される。パラヴァタクシャがとっさに退こうとするも、ミサイルにミサイルが突き刺さり連鎖爆発を起こした。
「うおっ……!」
だいぶ離れていたつもりだったが、それでも余波で体勢を崩す。ゴロゴロと転がりながら起き上がって、そのまま工事エリアのフェンスを飛び越えた。そのまま見慣れた道路に突っ込んで、周囲を伺う。
遠くではまだ爆音らしき音が断続的に聞こえる。何だったかはわからないが、あの乱入してきた黒いロボットに感謝するしかない。
「とりあえず逃げ切れた……のか?」
『多分あいつからはね。でもまだ他にもいるはずだから、どこかで機体から降りて行かないと』
「なら、確かこの近くに使ってない畑の倉庫があったはずだ。そこに行こう」
全力疾走をやめて小走りに。カシャンカシャン、と足音を立てて、目的の倉庫を発見する。
倉庫の扉はしまっているが鍵はかかっていない。そのまま扉を残った右腕の指で開けて、機体を中に進ませる。当然だけど人気はない。屋根もボロボロだが、少なくとも降りているところを見られる心配はなさそうだ。
「……よし、大丈夫だ。で、どうやって降りるんだ?」
『降りよう、って思えばハッチが開くから』
相変わらずアバウトな指示だ。その通りに考えると、頭上で何かが開く音がし、外の空気が流れ込んできた。
「なるほどな……」
一度外に出て、後ろに目をやりながらそろりと足を下ろして降りる。
着地してから顔を上げて、ようやく自分の乗っていたロボットに目をやる。
赤と橙の装甲が、骨格のように全身を覆い、まるで荒々しい戦士のようだ。しかし、さっきまでの戦いで大小無数の傷がついている。左腕も切り落とされてボロボロだ。その双眼も少しくたびれたように見える。
「……ごめんな、上手く乗れなくて」
ぼそり、とつぶやいた瞬間、赤いロボット――アルトゥバンは光の粒に収束し、ふっと消えた。驚く間もなくロボットがいた場所に箱が残され、ふわりと自分の手元に乗っかる。
「うお!?」
目の前から3mサイズのロボットが文字通り霞のように消え去っている。いた場所に手を伸ばしても空を切るばかり。
「……あれ、さっきの女の子は?」
そう思った直後、箱の中から飛び出すような奔流が噴き出した。
「うわっ!」
勢いのまま、箱が手から離れる。風がやんで顔を上げると、そこにはさっきの少女が実体となって立っていた。
「うん、大丈夫そう。あいつ等の『目』も感じない」
「そうか、なら大丈夫そうだな」
沈黙。何を話したらいいかが分からない。というか、そもそもこうなった最初の原因は彼女に刺された(?)からだ。成り行きで手助けしたけれど自分は被害者だったんじゃないか。
結局先に口を開いたのは彼女だった。
「え、えっと……その、ありがとう、ございます」
急な敬語に、つい反射的に頭を下げてしまう。
「いいよ別に。ヤバかったんだろ? 事情は説明してほしいけどさ」
正直聞きたいことは山ほどあった。あのロボット達の正体、白いロボットの現実とは思えない力、そして刺されたのに生きている自分。だけど、それよりも気が抜けたせいで疲れがどっと押し寄せてきた。
「もちろん、話すよ。でもここはダメ、アルトゥバンが消えた場所だから、復元機関の奴らが捜しに来るかもしれない。せめてどこか人目のない屋内に移動したいんだけど……」
人目のない屋内。たしかにこの倉庫は隙間だらけで月の光が差し込んでいるし、何より寒い。バイト先の店はもう閉まって店長も帰ってしまっただろう。選択肢は一つしか思いつかなかった。
「ならとりあえず、俺ん家に来るか? 正直、何が起きてるのか教えてほしいからさ」
少女は少し考えこんだあと頷いた。
「……うん、あなたがいいなら。お邪魔させてもらおうかな」
良かった、と安堵する。家の心配はしなくていい。どうせ母さんはまだ帰ってこない。そしてそこまで話して、忘れていたことに気づいた。
「ああ、そうだ。自己紹介すらまだだった。えっと、俺は空木雪迦。空の木に、この雪に梵字の迦、です。よろしく、ルーネ」
「あれ、私名前教えたっけ?」
そう言われれば。なぜ自分は彼女の名前が自然と出てきたんだろう。
「なんでだろう、聞いた気がしたんだけどな」
「まあいいか。私はルネット。ルーネって呼んで。よろしく、セツカ」
「ああ、よろしく」
「詳しい話は家についてからにしていい? ここ寒いし」
そう言いながら、彼女がズズ、と鼻を鳴らす。確かに彼女の羽織っている白いジャケットは薄手すぎる。しまった、と思って慌てて自分の上着を脱ぐ。
「これ着なよ。家まではこっから15分ぐらいだから俺は大丈夫」
「えっと、ありがとう」
ルーネがジャケットを羽織ると、目深にフードを被った。確かにその髪色は目立つ。倉庫の扉の影から外の様子をうかがう。人通りはなさそうだが、車は行き来しているし、普通に移動すれば大丈夫なはずだ。
「じゃあ、俺ん家に移動するか……あ」
「うん? どうしたの?」
頭を抱える。大事なことを忘れていた。
「……夜飯用にもらったまかない、道で落としてきちまった……」
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彼らが倉庫から移動を開始したころ、その倉庫を遠巻きに見つめるように小さな鳥が――いや、小さな飛竜がその一点を見つめていた。倉庫から人が出てくるのを確認すると、飛竜はそのまま少し離れた場所まで飛んでいく。しばらく空を滑るように飛んだ後、その主を見つけたようにゆっくりと降下する。
その竜の目線の先にあるビルの屋上で、一人の女子高校生が何かを待つように目をつむっていた。学生服に羽織ったジャンパーと、染めた金髪の髪が風でふわふわと触れている。彼女も何かに気づいたように、腕を水平にしたまま掲げた。
先ほどの飛竜が彼女の上空に来ると、くるくると旋回してから彼女の腕に止まる。
「よしよし、みたらしよくやった~」
気の抜けた声でその金属の小さな竜を撫でた少女が顔を上げる。
「うーん……空木くん、かなアレ。まさかそんなわけないはずだけど……ま、調べてみるっきゃないかー」
そう言って、彼女は一人ニヤリと笑った。