プロローグ
燃えさかる、砦だったであろうもの、
散らばる、人であったであろうもの、
肉の燃える臭いと木材の焦げる臭いが立ち込め、
黒い煙がそこらかしこと登り、パチパチと炎がはぜる。
ほんの数日前までは、隊商が行き交い、大通りには店が並び、活気のある声が飛び交っていた。賑やかな喧騒は、今は風と炎の音に変わり、生の気配は何もない。
そんな、生者の気配のなくなった廃墟を歩く、人影が一つ。
「これは、戦争というやつか。原始的かつ暴力的な紛争解決手段だったな。酷いものだ」
物珍しそうに、長い黒髪に驚くほど白い肌の女が独白する。どこから来たのか、まるで戦争など自分には関係ないと言わんばかりの整った身なり、瀟洒な振る舞い、歩き方すら優美で、廃墟と化した街の中なのに、その姿はまるで一枚の絵のように美しかった。
ガラリと、瓦礫が動いた。潰れた家屋の隙間に閉じ込められていたのか、隠れていたのか、瓦礫の中から浅黒い肌の少年が1人這い出して来た。髪は乱れ、顔は煤に塗れ、身体は瓦礫があたったのだろうか、所々傷ができている。
少年は、女を見て動きを止めた。それはそうだろう、地獄のような燃えさかる廃墟に、見たこともないような貴人がいたのだ。少年はおそるおそる問いかける。
「……神……様……?」
「面白いことを言うな、少年。私は神でも、ついでに言うと悪魔でもないよ。お前たちの言葉で言うならば、『龍』が最も近いな。人知の及ばぬ強大な力を持つ生物。星を砕くほどの力を持つ化け物だ」
「……龍? でも、お姉さんは、人間だよ?」
「そう見えているだけだ。私の事はいいだろう。お前、このままここにいたら死ぬぞ。もうこの辺りには生きてる人間も食糧もほとんど残っていない。日の高いうちに知り合いのところにでも逃げるんだな」
「知り合いなんて、いない。父さんも、母さんもこの戦争で死んだ。いくところなんて、ない」
少年は、俯いてポツポツと呟く。
「知り合いは、皆、戦争に出て死ぬか、負けてあいつらに連れて行かれた。父さんは戦争が始まってすぐに死んだ。母さんはみんなが連れて行かれる中、俺を物置に隠して家にやって来たあいつらに殺された」
「そうか」
「もういくところなんてない。でも、このままじゃ死んでしまうのもわかる。お姉さん、俺を買ってくれない?」
「買われてどうする? 死ぬより辛い目に合うかも知れないぞ」
「……正直、もうどうなってもかまわない気はしてる。でも、母さんに『生きろ』って言われたんだ。命をかけて俺をまもってくれた母さんの言う事は、守りたい。俺、なんだってするよ。いや、します」
「なかなか聡明な少年だな。状況判断ができているし割り切りも早い。身も知らぬ女に己をゆだねる決断力もある。情に訴えて、おもねるのではなく、己の価値を売ろうとしているところも好感がもてる」
女は、少し面白そうに少年を見つめ、淡々と言葉を紡ぐ。
「私も、現地調査のためにサンプルが欲しかったところだ。その辺で奴隷でも買おうかと思っていたのだがな」
女は、少し考えるそぶりを見せたあと、言葉を続けた。
「よかろう。少年の人生、私が買おう。私の研究に協力してもらう。対価は成人するまでの安全と教育。教育と助言くらいなら星間協定にも引っかかるまい」
少年は、ハッと顔を上げて、女を見た。自分でも、ダメで元々の提案だったのだろう。受け入れた女の言葉に驚きの表情を浮かべて、続きを待つ。
「君は、今までとはまるで違う生活をすることになる。ひょっとしたら死ぬよりも苦しい目に合うかもしれない。なにしろ私は『龍』で、人と暮らしたことなどないからな。だが、ここで私の手を取らなければ確実に君は死ぬ。命の補償だけはしよう、それでよければ、私の手を取るがいい」
女は少年に手を伸ばす。白く滑らかな肌。ゴツゴツとしたところが少しもない、働いたことのないであろう綺麗な指先。少年は女の言ったことの半分もわからなかった。女が、自分や父母とは何か違う存在であることだけは薄々気がついていたが、龍などと言われても現実感を持ちようがなかった。ただ、この手を取らなければここで自分が死ぬことだけはわかった。
「お願いします」
少年は、女の手をとった。
その、運命の女神の手を。
そして、これより始まる。