16.75話。???な女の思考
どうでもいい話の中にそれなりに重要な情報を差し挟んでいくスタイル
メイド視点
「うっ……ここは?」
寝ていた? 服は着ている。乱暴をされた形跡もない。
寝る前の私は何をして……あ!
「お嬢様!?」
そうだ。バックスたちが裏切って馬車が破壊されて囲まれて服を脱がされた。そこまでは覚えている。
問題はあの後だ、あの後お嬢様はどうなった!?
「あ、サキも起きた?」
「え? お、お嬢様?」
「うん」
あれ? なんかすごい穏やかな表情をしている?
私はてっきり裏切り者どもが連中にとっての標的ではない上に追い詰められて何をするかわからない状態にあった私を薬か何かで眠らせて放置することにして、元々の標的であったお嬢様を狙ったんだと思ったのですが……何やら雰囲気がおかしいですよね?
「不思議そうな顔ね。やっぱり相当疲れていたのかしら?」
「え、ええっと」
確かに疲労がなかったとは言えませんが……。
「覚えていないの? 私たちは助かったのよ」
「助かった?」
8人の騎士に囲まれたあの状況で? いや、まて。やんわりと思い出してきた。
あの時、なぜか隙を見せた連中のうちの二人に対して武器を拾って投げつけた……気がする。
でもあの時の状況からすればそれ以上の攻撃はできなかったはず。
それにお嬢様を人質にとっていた連中はどうなったの?
「もう。本当に覚えていないのね」
「も、申し訳ございません」
「まったくもう。でもサキはそれだけ疲れていたってことよね。私のせいで、本当にごめんなさい」
「そ、そのようなことはございません!」」
「いいえ。あのお方に言われて初めて気付いたの。私はサキに頼ってばかりで、御飯も睡眠も、そ、それに、おおお、おトイレだってゆっくりとさせてあげてなかったわ!」
「それは……」
自分が何を口にしているのかをしっかりと理解したうえで仰っているのだろう。お嬢様は顔を真っ赤にしているものの、その眼は私に苦労をかけたことを謝罪したいという気持ちであふれていた。
(これを否定してはいけないわね)
本来であれば主が部下に頭をさげることなどあってはならないことだ。
でも主が真に部下を思って己の行いを反省している場合や、同じ過ちを繰り返さないための自省の意を込めて謝罪をしているのであれば、それは否定してはいけない。粛々と受け入れるべきだ。
「お嬢様のお気持ちは嬉しく思います。ですがお嬢様」
「なに?」
謝罪を受け入れるべき状況なのはわかっているのだけれども、それでも簡単にその謝罪を受け入れるわけにはいかない理由があるのよね。
「そもそも今回の件は私どもが油断したせいで起こってしまったことなのです。故に謝罪するとすればまず私こそがお嬢様に謝罪をしなくてはなりません」
そうよ。お嬢様の周囲に付く人員を決めたのは私ではないし、人事権のない私に何ができたわけでもないのはわかっている。
でもお嬢様の傍仕えとしてクトニオス卿が送り出してくるであろう追手だけを警戒し、すでに近くに潜んでいたバックスたちに対する警戒を怠っていたことは紛れもない事実。
「サキ……」
もし私たちのうちの誰かが少しでも連中を警戒をしていれば、あそこまで無茶な逃避行はしなくても良かったはず。少なくとも馬車に積んでいたお嬢様の着替えや当座の資金くらいは……って。
「あの、お嬢様?」
「どうしたの?」
謝罪する気持ちはある。
自分の無能さを悔やむ気持ちもある。
(でもそれは今することでじゃない)
「お話の途中で申し訳ございません。ですが、先ほどお嬢様は『助かった』とおっしゃいましたよね?」
「えぇ、そうね」
「その、よろしければ詳細を教えていただけませんか?」
「あぁ、気になるの?」
「はい」
もちろんです。
「えっとね。端的に言えば助けて頂いたのよ」
「助けて頂いた、ですか?」
「そう」
誰かが助けてくれたのよね?
「どなたにお助け頂いたのでしょうか? ブルマリア侯爵家に仕える人物ですか?」
「違うわ」
即答、か。それもそうよね。ブルマリア侯爵家にはあの状況でバックスたちから逃げられるような力を持った人物なんていないもの。
「ではミッタークエセン伯爵家でしょうか?」
母君の実家。つまりは母方の祖父である伯爵であればお嬢様を助ける理由はある。お嬢様が落ち着いているのもそれが理由なら納得できるのだけれど。どうも違う気がする。
「それも外れ」
「……そうですか」
やっぱり。
私は援軍の宛があるとすれば伯爵閣下の軍勢だけだと思っていたけれど他にもあったということかしら? だとすると思い浮かぶのは二つだけ。
「……リーフブランド侯爵家の関係者、もしくは王家の方ですか?」
リーフブランド侯爵家はお嬢様の婚約者の生家。お二人が実際にお会いしたことはないはずだけれども、間違いなく王国が認めた婚約者。だからこそお嬢様が生きているのであれば是が非でも確保したいはず。
王家の場合は面子、かしら。そもそも分家から養子を迎え入れることを考えていた先代様に対して両家が姻戚関係で結ばれるようにとこの婚約を強く推してきたのが、何を隠そう国王陛下その人だったはず。
そこまで力を入れて斡旋したのですもの。正式に婚姻を結ぶ前にお嬢様が死んでしまっては、婿を迎える予定だったブルマリア侯爵家に対しても、婿を出す予定だったリーフブランド侯爵家に対しても顔が立たなくなる。
だからこそ精鋭を差し向けてお嬢様を助けた。うん。この可能性が高い気がする。
(リーフブランド侯爵家にも王家にもお嬢様を確保する動機があるわ。それに両家が相手であれば如何にクトニオス卿がブルマリア侯爵家の権力を行使しようとしても真正面から対抗できるもの。それならお嬢様がこうして安心しているのも納得できる。でもそうなるとこの借りをどう返したものか……)
リーフブランド侯爵家であればまだなんとかなる、でも王家が相手では私にできることなどない。今後は誰と、どのような交渉をしなくてはならないのか。
(下手を打てばブルマリア侯爵家に多大な迷惑がかかることになる。でも今は将来の心配ができるだけマシ。そう思うしかないわね)
遠くない将来かなり苦労するであろうことを確信した私は『あとはお嬢様が「そうよ」と頷くのを待つだけね』なんて思っていたのだが、ここでも私の予想は外れることとなった。
「それも違うの」
「え?」
まさかの外れである。
「ミッタークエセン伯爵家でもなければリーフブランド侯爵家でもなく、まして王家でもないのですか?」
「えぇ。そうよ」
「……?」
どこの誰が我々を助けてくれたというのか。混乱する私に、お嬢様は苦笑いを向けながら指を下へと向けた。
「ヒントはこの場所よ」
「この場所?」
そういわれて思い当たるのは、私が明確に覚えている最後の記憶。
(あの時は確か『援軍か、最悪でもオークの群れが来れば助かるかもしれない』なんて考えていたはず。でも援軍はこなかった。と、なると残るは……まさか!)
「まさか、オーク……なのですか?」
オークが人間を、それも女を助けるなんて聞いたことがない。もし助けたとしたら、それはその後で自分たちが利用するためだ。
恐らくお嬢様はお優しい人だから相手が誰であれ、助けてもらったことを重視して下心を隠していることに気付かずに『助かった』と仰っているだけなのだろう。でもそれは大きな間違いだ!
(オークの群れに捕獲されるなんて、バックスに捕まるよりも性質が悪い! 今すぐに逃げ出さないと!)
如何にしてここから逃げ出すか。如何にしてこれから襲い来るであろうオークの群れからお嬢様をお守りするか。そんなことを考えていたら、お嬢様は先ほどまでの笑いを完全に収め、真剣な表情で私を叱責してきた。
「もう! いくらなんでもあのお方をオークと間違えるなんて、失礼にもほどがあるでしょ!」
「え? 」
「疲れていたのはわかるけど、さすがに失礼が過ぎるわ! まぁ私も引っ張るようなことをしたのも悪かったのかもしれないけど……それでもオークはないわ!」
「も、申し訳ございません」
(うん。そうよね。どこの誰が相手であれオークと間違えたら失礼よね)
平身低頭謝るしかない私に、お嬢様は「まったくしょうがないわねぇ」と苦笑いをされながら『私たちを助けてくれたお方』のことを口にした。否、しようとした。
「といっても私も詳しいことは何も知らないんだけどね」
「はい?」
あんたも知らんのかい。あやうくそうツッコミを入れるところだった私は済んでのところで呑み込むことに成功した。とはいえ恨み言の一つくらいは言わせてほしい。
「散々引っ張ってそれはないのでは?」
「いや、だって、向こうから『詳しい話は私と貴女が目を覚ましてから』って言われたんだからしょうがないじゃない。あ、でもお名前は聞いているわよ」
「はぁ」
表情を見て私が言わんとしていることを察したのだろう。お嬢様はやや早口になってその『お方』の名を口にした。
「あのお方のお名前は『リョウ・ウィステリア・クアッドロ・アール・ベシータ』様よ。寝る前にご配慮まで頂いたのに本当に覚えていないの?」
リョウ・ウィステリア・クアッドロ・アール・ベシータ様? 寝る前? ……あ。
「思い……出しました!」
私はどうしていままで忘れていたの!?
あの、私のような者にさえ『疲れているだろうから水を飲んで眠りなさい』と優しく微笑んでくれたお方のことを。
薄汚い騎士どもとは比べるのも烏滸がましい程に清廉で、高潔で、そして猛々しくて雄々しいあのお方のことを!
あの方こそ私の運命の人! あの方を逃がしたら駄目だと私の本能が囁きを、いいえ、大声量で警告を発していたのに、お言葉に甘えて寝てしまうだなんて、何たる不覚っ!
「お嬢様!」
「は、はい!?」
「リョウ様はどちらに!?」
「えっと。私たちが寝ている間の見張りをしてくれるって言ってたから外にいると思うけど……」
「なんですって!?」
無防備な娘が寝ているというのに、それを襲うことなく見守る優しさ。やはりあの方はその辺に転がっている男どもとは根本から違うのね! それはそれとして。
「ただでさえ多大な恩があるというのに、その上こんなご迷惑をおかけしていたなんて……これはもう私があのお方のものになるしかないのでは?」
「そうね。返しきれない恩があるのは確かだわ……って、なんて?」
なんてもなにも。今の私たちにはそれしかご恩を返す方法はありませんよね? あ、そうそう。
「もちろんお嬢様は大丈夫ですよ。お嬢様には婚約者がいるということをお伝えしますので!」
「はい?」
お嬢様に体を張らせるなんてとんでもない。まずは私が犠牲になりますとも。
えぇ。えぇ。あの猛々しさと優しさに包まれるのは婚約者がいるお嬢様ではなく、フリーの私であるべきなのです。
「それでもお嬢様が欲しいと言われたら困りますけど、できるだけ私が受け止めますので!」
「おーい。サキィ?」
「そうと決まればリョウ様にご挨拶をしなければ!」
えーっと確かこういうときの挨拶は『不束者ですがコンゴトモヨロシク……』でしたでしょうか?
「んーなんか違う気もするんだけど……起きた以上挨拶はしないと駄目よね」
「そうですとも!」
一刻も早くご挨拶をしなくては!
そしてご挨拶の後は……。ふふっ。
「……って。おや? ここは、どこでしょうか?」
逸る思いを押し隠して馬車から飛び降りた私が目にしたのは、神々しくも雄々しいリョウ様のお姿ではなく、さりとて記憶の中にある森の姿でもありませんでした。
「あれ? 建物?」
寝ている間に移動していたんですか? と聞こうとしてお嬢様の方へと向き直れば、お嬢様はお嬢様で驚きの表情をされていました。
つまりこの状況はリョウ様が私とお嬢様が寝た後で何かしらの魔道具か魔法を使って馬車ごと移動をしたということでしょう。それも疲れている私とお嬢様が気付かないよう、できるだけ振動や衝撃を与えないようにして。
あぁなんというお気遣い。
(彼こそ紳士。さすがは私の運命の人!)
リョウ様のお気遣いを考えればここが何処かなんて然したる問題ではありません!
「……それで、リョウ様はいずこに?」
感謝を述べるためにリョウ様のお姿を探すのですが、お姿がお見えになりません。
これはまさか、焦らし、というやつでしょうか?
「おーいサキー。いまの貴女、目が獲物を狙う狩人の目になってるわよー」
お嬢様がなにか仰っていますが、ちょっと何を言っているのかわかりませんね。
獲物は私でリョウ様が狩人。これは動かぬ事実ですのに。
「ねぇ、サキ? 大丈夫? まだ疲れてない?」
「大丈夫です。問題ありません」
錯乱したお嬢様はさておいて、まずはリョウ様です。
何をするにしてもあのお方とお会いしないことにはお話が進みませんからね。
そういう思いから、馬車を降りてキョロキョロと周囲を見回す私に、思いもしないところからお声が掛かりました。
「起きたようだな」
「は、はい!」
意外! それは幌の上!
後ろから声を掛けられた形になったため、自然とリョウ様に声を掛けられたのは馬車から離れてしまっていた私ではなくお嬢様になってしまいましたがそれも仕方のないことでしょう。
(まさか幌の上とは……気付かなかった。この私の目を以てしても! ですが確かにあそこなら全方位を警戒できますからね。さすがはリョウ様! それはそれとしてお嬢様。無礼を働いてはいけませんよ!)
リョウ様を褒めつつ先に声を掛けられたお嬢様に少しの嫉妬を交えた視線を向けていると、お嬢様が何かを言う前にリョウ様の方からお声が掛かりました。
「両方とも元気そうでなによりだ」
「はい! リョウ様のお陰です!」
「ありがとうございました」
「おう。で、本来なら飯でも食いながら交渉をしたいところなんだがな」
「えっと?」
「……もしや、私どものせいで何か不都合がございましたか?」
最初にこちらを気遣うお言葉を掛けてくださったことに感謝をしつつ、何かを言おうとしているけど逡巡しているのを見て、私とお嬢様の存在が何かしらの重荷になっているのではないか? と推察してしまいました。
一番考えられるのは面倒ごとに関わったことに対する後悔。ですがリョウ様は今更侯爵家の遺児を助けたことを悔いるような方ではないはず。
(では他に考えられる要因は……先ほど仰られた『食事』に関すること? あ、そうか)
ここまで考えが及べば答えは出たも同然です。
(私たちの分の食材がない。そういうことでしょうね)
ここがどこかの集落だとしても余剰の食料がある場所とは限りません。むしろ食料が足りないからこそリョウ様ご自身が狩りに出ていた。そしてあそこはリョウ様の狩場であった。そこに私たちが侵入したのだと考えれば、あのタイミングであの場にリョウ様が現れたのも説明がつきます。
(つまり私たちはリョウ様の狩場を荒らしてしまった上、狩りそのものを邪魔してしまった。そういうことですね)
受けたご恩を返すどころか、知れば知るほど借りが貯まっていく一方である。
(これはお嬢様も差し出すべきでしょうか?)
なんて考えていた私にリョウ様は優しい声で仰いました。
「飯の前に入浴だ。向こうに水と湯を用意したから、それで体を洗ってこい。ついでに着替えもな」
「「え?」」
いま、なんて?
「お前ら、最後に入浴、いやこの際沐浴でも良いがそれをしたのはいつだ?」
「「……」」
「香水でごまかしているのだろうが、ここでは逆効果だ。そういうのは全部落とせ。ついでに汚れも落としてこい」
「「……はい」」
気を遣って『香水の匂いを落とせ』なんて言って下さっていますけど、実際は違いますよね。
えぇ。はい。わかります。『ついで』が本題ですよね。
騎士どももそうでしたけど、臭いって自分ではなかなか気付けませんものね。
そりゃ臭い女を傍に置いてお食事はできませんよね。
――こうして私は『リョウ様にお会いしたら何をお話しよう?』とか『どうやって感謝をお伝えしよう?』とか『どうやったら自然な形で感謝の証を受け取ってもらえるのでしょう?』等々、色々と考えていたことを実行に移す前に、物理的に頭に冷や水を浴びることになったのでした。
この、今まで強すぎて女性として扱ってもらえなかった系女子が吊り橋効果でやられた感よ。
―――
閲覧ありがとうございます