4.図書館を訪れる少女
俺は、リベアに連れられて牢から出ると静かな街の中へ逃げていった。
俺の顔は一度街で見られているのでリベアが気を遣って橙色のローブをくれ、頭はフードを深く被った。
リベアは、国から出るにはまだ準備できていないらしくまだ彼女はここに滞在しなければならないらしい。信頼してくれているのか、一カ月ほどは自由にしてくれて構わないのだそう。
王直々に俺を罪人と認めたらしく、その内手配書が配られるだろうからかなり厳しい状況には変わりないのだが、とりあえず処刑は免れた。
とはいえ、リベアは一度城に戻らないといけない。準備期間に俺を逃がしたと誰かにバレるとまずいからだ。
つまり、暫くは街の中で一人で生き続けなければならない。
家が無い状態での一人暮らしは初めてだが、これも仕方ないだろう。生きる為に受け入れた。
夜が明け、街が騒然としてきた。
俺は、裏路地のホームレスたちと共に寝ており、そのうるささで目が覚めた。
硬い地面で寝た為に体の至る所が痛くなり、肩を回す。
やっと朝か……今日はやる事が多いぞ!
まずはこの街を出る前に魔法を一通り使えるようにしたい。
確か、ここには大図書館があるっていう話だったからな。そこで魔法について調べて色々試してみよう。
テレパスだって直ぐに使えたからな。俺、もしかしたら魔法の才能があったり!? なんつってな!
◇◇◇
カルメリア図書館の中は学校の図書館ほどの広さしかなく、思ったほど蔵書の数はなかった。城より南西の通りから入った路地に位置しているので光もあまり射してこないため暗く、客もあまりいないのでつぶれてしまわないか不安になってしまうほどである。
全体の数が少ないだけあって魔法に関しての蔵書も少ない。俺のような初心者が理解できるものを見つけるのにそれなりの時間を要した。おかげでいつの間にか昼になってしまった。
しかし、リベアから貰ったお金も多い訳ではない。昼食をとるのは控えた方がいいだろうとまだここの読書ルームに座って読み続けるつもりだった。
だが、静寂を破るようにこの図書館の扉が開かれる。
俺が入ってきてから数時間、この図書館は店員を含めて誰も出入りしていない。その為、俺の視線は自然と入って来る者へと向いてしまった。
一目でそれが誰か判った。
艶のある長髪で歩く足並みは滑らか、思わず目が行ってしまった。後光を背負う彼女は、まるで妖精かのように輝いていた。
――サクラだ。
制服の上に紺色のローブを着て身なりが少し変わったが、遠目から見て彼女が容姿端麗であるのを初めて理解した気がした。
サクラは、何かを探すように図書館の中を見回しながら入って来る。
俺は羞恥で咄嗟にフードを深く被り、バレないように目の前の書物を食い入るように見始めた。
危ねえ…………十歳以上も年下の子供に何見惚れてんだ。我ながら恥ずかしくなってくる……。
この体の影響か? この体自体は同年代らしいからな。少し俺の感情に影響を及ぼしてんだ、きっとそうだ。
「……まるで学校みたい」
彼女の内装を見た感想が反響して響いてくる。
俺と同じ感想だな、と思いながらチラ見すると――彼女は、澄んだ瞳を輝かせて本棚から一冊の本を取り出していた。
こういう所でああいう女子高生を見ると、つい異世界に来たことを忘れてしまうな。昔を思い出す。
俺は別に図書室に通うような生徒じゃなかったけど、こういう雰囲気は懐かしく思う。
ああ……本を見ただけであんなに目を輝かせて。本が好きなのかな?
っておい、変態目線か俺は! ダメだぞ、変質者にだけはなるなよ……!
俺はただ、彼女という一人の人間を観察していただけだ! うんうん、おじさんは怖くない!
言い訳めいた思考を続けていると、いつの間にかサクラが斜め前の席に着いた。
やべ……本に集中しろ。見るな、見られるな、目立つな……!
「あのぉ……」
はい、フラグ回収どうもありがとうございまっす!
泣きながら俺は明後日の方へと向いた。
「あの、すみません……」
明らかに俺に呼び掛けている。流石に何度も続けられたら向かざるを得ないだろう。
どうすればいい……? バレるのは流石にマズいんじゃ…………。
「間違ってたら申し訳ないんですけど。
もしかして……ヒョウマ、くん……ですか?」
恐る恐る訊ねる様子が想像できる。
フードを深く被っているので顔も見えてなければローブで制服も見えていないはず。なのに、サクラは目の前の少年を俺だと言う。
何の確証を持って発言したのかは判らないが、俺の頭の中は大混乱だった。
な……なんでわかったんだ!!? 顔を見られたのか!? それとも、おじさん的変態視線を敏感に感じ取ったのか……!?
バレる前にバレていた場合、もう打つ手なんか無いんじゃないか!? いや、諦めるな……適当に声変えて話せば…………
話せないんだよ、俺は……!!
テレパスは頭に直接流れ込むから直ぐにバレる。だぁはぁ……打つ手がねえ〰〰〰〰〰!
「やっぱりヒョウマくん……だよね?」
策を練っている間にサクラは俺が俺であると確信を持ったようで椅子に座ったままにじり寄って来る。
俺は観念して顔を元に戻してコクリと頷いた。
心臓の挙動が激しい。
バレてしまって変な汗が滲み出る。
緊張しながら項垂れていると、 サクラは俺のフードをそっと外して目の前に座って目を合わせてくる。
「ずっと心配していました。あなたを助けられないか夜の内に悩んでいたんですが、朝になったら既に脱出していたのを知って安心したんですけど、こんな知らない世界で犯人扱いされて困っているだろうなって思って……。
わたし、ずっと謝りたかったんです。あの時、あなたを庇うことができなかった。
あなたがあの人たちが言うような人じゃないということは知っていたのに……力になれなくて、本当にごめんなさい」
俺は顔を上げた。
『あの時』とは、魔法適正について調べる時のことだろう。
俺は、大柄の学生に押し倒されて惨めな姿を晒した。誰も信じてくれないと思っていたが、サクラだけは信じてくれた。
今まで恥ずかしさと怒りで思い出したくない記憶だったけど、サクラが庇おうとしてくれたことを思い出した。
(ありがとう――)
俺は、自然とテレパスを使えるようになっていた。サクラの頭の中に直接感謝の言葉を述べる。
すると、彼女はゆっくりと微笑んだ。仄かに赤みを帯びたその表情は可愛いだけでは表せないものがあり、不意に恥ずかしくなって視線を逸らして頬を掻く。
「ありがとうって……わたし、謝ってるのに」
(君が信じてくれたから……。
あの時は、本当に怖かったから……)
「だって、あなたが人を騙すような人には見えなかったから」
人に信じられるってこんなに嬉しいことだったのか。
歳を重ねるにつれて友人とも疎遠になっていったから、こういう気持ちは久しぶりだ。
俺は、安堵からすっかり肩の力が抜けてサクラと目を合わせることができていた。
「あれ? そういえば、喋れるんでしたっけ?」
(ああ……魔法だよ。テレパスってやつらしくて、頭と頭を繋いで……疑似的に話すことができるって魔法、だったかな?)
ぼんやりとした説明を苦笑しながら説く。
正直、原理とかはよく判っていない。まだ本を読み始めたとはいえ、初心者レベルも魔法を理解できていないのだ。
「――すごいですね!
わたしなんてまだ魔法がなんなのかすら判っていないのに、実際に使うことができるなんて!」
美少女に褒められて悪い気はしなく、自然と脂下がってしまう。
女子高生相手に照れるなんて、なんかしてやられている気分だ。
(大袈裟だよ。
俺は別に……ある人にヒントを貰って……。
それより、サクラ……さんは大丈夫でした? 俺、自分の事で精一杯でそっちのことは全然考えられなかった)
「こっちはすごい丁重な感じで、良くして貰って……。ですが、そのうち国の戦闘訓練に混ざるようになると言われました。
こちらの世界では弱いままでは直ぐに死んでしまうらしくて、自分が持っている力を正しく使えるようにって……。
ですが、わたしは戦うとかそういうのは嫌だと思っています。正直、まだこれが夢なんじゃないかって疑っているくらいなんです。
ただの学生なのに、いきなり訓練とか言われても……あはは……わたし臆病ですよね」
(俺は普通だと思うよ、サクラさんが考えていること。俺も戦うとか、そんなことはしたくない。
だけど、こっちの世界の人にとっては戦うっていうのは日常茶飯事のことで、ごく当たり前のことなんだと思う。だから、俺たちの気持ちを理解したくてもできないんだ。
世界の違いは、考え方の違いを生み出す。たぶん、俺たちが何を言っても彼等は訓練を強要してくると思うよ。
って――怖い話しちゃったかな? ごめん……)
話している最中、彼女の表情が仄暗くなっていくのに気が付いて謝罪した。
この国の王が最後に言っていた言葉や騎士の話を聞いたので、俺たちに何を求めようとしているのかなんとなく判っている。だからサクラに自慢げに話してしまった。
「……ヒョウマくんは、これからどうするつもりなんですか? わたし、もう一度王様に掛け合ってヒョウマくんは悪くないってことを話してみようと思うんですが……」
(いや、それはいいよ。サクラさんの立場を悪くしてしまうかもしれないしね)
「……ですが、それでは犯罪者のままになってしまいます。
冤罪なのですから、ここは正直に言って――」
(ごめん……俺、もうあの城には戻らないよ。
一度疑われたら、たぶんその疑念を消すことはできないと思うんだ。俺は、サクラさんに信じて貰えてるって判っているだけで、それだけでいいんだ)
「そう……ですか……」
この子は偉いな……元の世界でもこんな子がいてくれたら、もう少し心が晴れたんだろうか。
こんなに真実を追求しようとして――俺にはできないかもしれない。本当にいい子だ。
でも、この子にまで危険を背負わせる訳にはいかない。暫くの間はこの子も他の子達と同じように城で比較的住みやすい生活を送ることができるはずだ。
元の世界に戻る方法を探すのは俺の仕事。
マミのやつはできないって言ってた。つまり、方法はあるってことだ。
俺は、それを信じて生き延びつつ元の世界に戻る方法を探す。
俺は、もしかしたら戻れないかもしれないけど、こんな若い子達をこんな殺伐とした世界に放置するなんてできないよ。
不安そうに下を向く彼女を俺は安心させたかった。
(大丈夫、前は弱いみたいに言われたけど、今は結構強いみたいだからさ)
マミが言うには、だけどね。
「……本当ですか?」
(今だって一足先に魔法が使えてるし……この髪と眼の色を見てよ)
窓からの光が弱いので見えにくいと思い、身を乗り出して机に差している光の線の中に顔を出す。
「あ……青い? 目も……綺麗……」
サクラは俺の頬に右手を添え、美しい物でも見ているかのように目を輝かせて顔を近づけてきた。
リベアじゃないけれど、また顔が近くなって顔が羞恥に染まる。心の距離も近いぶん、こっちの方が恥ずかしいかもしれない。
俺がもし高校生なら惚れられていると感違いしてしまうだろう。
「あ……ごめんなさ……すみません……」
彼女も気付いたのか咄嗟に距離をとって顔を赤らめる。
俺は、気まずくなるのを恐れて直ぐに話を続けた。
(で、でも判ったでしょ!? 少しは昨日と違うから……だから俺のことは心配しないで)
自分で言ってて少し後悔する。
本当はずっと心配してもらいたい。サクラなら俺の心の支えになると思ったから。
だが、こんな可愛い子にそこまで求めるのは間違っているのでは、と思う自分もいるのだ。
「わかりました……けど、わたしはいつでもあなたの味方ですから」
なんと健気な……。
泣いてしまうかと思ったぞ……!
(ありがとう。まだ暫くはこの国で魔法を学ぶつもりだから直ぐに逢えなくなるって訳じゃないけどね)
「あ、そうなんですね!
それなら、一緒に勉強しませんか? 二人の方がもしかしたら効率がいいかもしれないですし」
(うん、いいね!
あ、それと今更だけど敬語はやめない? 同じ年なんでしょ?)
「あ、そうです……そうだね。なんだかヒョウマくん大人っぽかったから」
(あはははは……)
当たってるよまったく……。
こうして俺とサクラはまるで青春のワンシーンのように二人で魔法についてこの場所で勉強することになった。
外が暗くなって別れることになっても、時間を決めてこの場所で逢うことを約束した――。