三
翌日、明け方。
香奈はシフトの交代時間となった郷子の車に乗せてもらい、自分の車を回収しに行った。家へは朝帰りになってしまったが、親には『郷子と一緒にいた』と嘘ではない訳を話すことで、なんとか小言を最小限に逃れる。
そして、身支度を整え直すと、朝から地元の図書館へと向かうことにした。
ただただ心一面に感じるのは、言い様の無い恐怖。しかし、そこに芽生える好奇心。焦燥と期待が入り混じり、早鐘のように心の臓が高鳴る。どくどくと激しい鼓動が脈を急かし、熱い血潮を追い立てる。それは、さながら吊り橋効果による感情の誤解のようでもあった。
地元の役場の中にある、小さな図書館。
香奈はそれらしい資料を探してみたが、表に出ているようなものはやはりどれも簡素なもので、決定打に欠けていた。
もう、昼になる。
香奈は一旦昼食を摂りに外に出るついでに、司書である初老の男性に訊いてみることにした。もし他に、そう、例えば昔禁書庫で見たような代物があるのならば、午後から見てみたかったのである。
「あのぅ、すみません」
控えめながら、カウンターに座り作業をしている司書に声を掛ける。
司書は作業を止めると、応える代わりに無愛想に香奈を見上げた。
「『おかくれ様』についての資料、もし他にあったら、見せていただきたいんですが……」
「……知らんな」
それだけ言って、手元に目線を戻す。余所者を拒絶するような、そっけない対応だった。
しかし、香奈は禁書庫にそれらしいものがあるのを知っている。念のため、ダメ押しでも、と食い下がることにした。
「今、大学の研究課題で、地元の民間伝承について調べてるんです。それで、幼い頃に禁書庫に入っちゃった時に見た『おかくれ様』っていうのを思い出しまして……。読めたのは背表紙だけで内容はわからなかったんですけど、今なら読めると思いますし……。それに、昨日の夜、『御日暮塚』に行ってみたら幽霊みたいなものを見てしまって、見つかってしまったみたいで――――」
そこまで言うと、――――一変。
司書の表情が、明らかに恐怖を携えた驚愕の色へと変わった。
「アレを見たんか!!!」
それは物凄い剣幕で、張り裂けるような大声だった。
「ッ、は、はい……。見ましたけど……」
香奈は司書の豹変ぶりに、その気迫に思わず圧倒される。
司書は周囲を見回して他に人がいないのを確認すると、早急に立ち上がった。
「ついてこい」
「え?」
困惑する香奈に構うこと無く、司書は無遠慮に香奈の腕を掴むと、図書館の奥へと向かった。香奈は何が何かもわからないまま、されるがままに、司書の後を追う他無かった。
そして連れて来られた先は、やはりと言うべきか。例の禁書庫の、扉の前だった。
振り向いてようやく香奈をまともに見た司書が、慎重に口を開く。
「……いいか、このことは誰にも言うなよ。禁書庫に入ることも、もちろん『おかくれ様』に関わったこともだ」
声を潜めながらも厳しい声色で、司書はそう言った。香奈は見るからに只事ではないと感じ取り、言葉を飲み込むようにして頷いた。
それを確認した司書は、再び禁書庫に向き直った。扉に厳重に何重にも掛けられている鍵をすべて外し、少々埃が舞う中へと入っていく。続く香奈が入ったところで音を立てないように扉は閉められ、香奈は部屋の一角へと通された。
そこは、懐かしくも今は少し忌避感を持つ、『おかくれ様』の資料が眠る場所だった。
いくつもの棚が並ぶ中、香奈の目が昔見たそこに釘付けになる。
隣では司書が棚と向き合い、静かに語り始めた。
「『おかくれ様』はな、この地区に昔から伝わる伝承なんだ。その真実を知るのは、地元で生涯暮らすと決めた者のみ。婚姻後にやっと教えられるようになっておる。何故か? 外部の者を容易く生贄にするために、この伝承の真実を外部に漏らさんためだ」
「生贄……?」
「年に一人、必要になる。夏の時季に、年頃の女がな。でなければ、災いが起こると言われておる。この地区は外部から人が来るのも少ないからな。外部から来た者どころか、お前のように外部に出ていった者、外部に出て戻ってきた者、さらには、知る資格の無い者にこの真実を教えた者までもが、生贄の対象にされる」
「出戻りもダメなんですか?」
「『都会に出た者は仲間じゃない』、ということらしい。まぁ、外部の知識や技術、特に自由な価値観は、地元の者にとっては不都合だったりと認めたくないものもあるからな。それを導入しようとする危険分子は『敵』同然だそうだ」
「因習を変えないから過疎化が進むんですよ……夜に外を真っ暗にするのだって危険なのに、ご老人達のご意見優先で街灯も形だけで点けないし……」
「ん? もしや、あの建前のことを誰かから聞いたのか?」
「えっ、建前?」
香奈は思わず、司書へと振り向いた。
晴天の霹靂だった。連続する疑問の中でも、一番の予想外である。
「『おかくれ様』は、憑り殺す相手を定めるまではこの地区の中で、しかも、夜の暗闇の中しか移動できんからな。故に、光を少なくするのは、その行動範囲を広げると同時に生贄の逃げ場を無くす意味合いがある。本当は夏の間だけでいいが、真実を知らん者に不自然に思われないように、年中あのようにしておるんだ」
「そんな……」
生贄への徹底した追い込みのためとはいえ、ご老人達の意見が『表向き』として一役買っていたことに衝撃を受ける。まさか、同じ『自分達のため』とはいえ、裏の意味があったとは。
そこで、香奈はハッとした。
「もしかして、この前あった『周囲の者は独居老人や障害者の家に出向いて簡単なお手伝いという名の家事全般から話し相手、もちろん買い出しや送迎までするべきですよね?』っていう圧の強い福祉アンケートも何か裏が……? 施設に入るかデイサービスを利用すれば解決するのに周囲をタダで家政婦並に使おうとするのにも、実は別の理由が……? 『ご老人達が集い楽しめる憩いの場として、周囲の者がサロンなどを催すべきですよね?』っていう圧や、全部ひっくるめて『ボランティア』という名の無賃強制労働を地区の者にやらせようとしてくるのにも、何か、真の意味が……?」
「ああ、それは単に老人や役場が自分の金や労力を使いたくないから、その地区の者を使おうってだけだ」
「肯定ではなく感嘆詞の『ああ』……! ンぐぅ、これだからこの地元はぁ……!」
香奈は耐え切れず唸るように、言葉を吐き出した。
「もしや、あの匿名の福祉アンケートの番が回ってきたのか? どうせ地区も複数混ざった匿名なんだ。正直に書けばいい。同年代でもマシな地区にいたり逆に洗脳されていたりすると、綺麗事しか書かんかもしれん。そればかりになると、老人に都合の良い意見に呑まれてしまうかもしれんぞ」
それは困る。たとえ自分が地元を離れる予定の身であっても、今の世代や下の世代へは余計な負担を掛けてほしくない。負の連鎖は、どこかで断ち切らなければならないのである。
香奈の答えは、最初から一つだった。
「そうしますぅ……!」
「とにかくだ!!」
「はい!!」
急に切り替えて、一喝。
香奈の答えはどうでもいいとばかりに、司書は本題に入った。
「お前には、これから『まじない』を掛ける。いわば、『おかくれ様』から隠れる『まじない』だ。隠れている内に他の犠牲者が出る限り、逃げ続けることができる。使えるのは一度きり。もし破られても、昼間や昼間のように明るい場所にいる内は、姿が見えても近寄れんし、手も出してこれんはずだ。が、夜のように暗い場所に行った場合は――――」
諦めろ。
無慈悲な断言に、ごくり、香奈の喉が鳴った。
司書は気にすることもなく続ける。
「いいか、この『まじない』は、『『おかくれ様』を忘れる』という『まじない』だ。『おかくれ様』から身を隠して逃げるには、『おかくれ様』を忘れることに意味がある。記憶から『おかくれ様』を忘れる、すなわち『隠す』ことによって、あちらからもこちらを認識させないことができるんだ。ヤワなことでは思い出さん。が、『おかくれ様』に関すること一点を集中して思い出そうとすれば、容易く思い出す。そして、記憶の中で過去に出会った『おかくれ様』と再会し――――再び、追われることになる。その年の生贄が既に犠牲になっていたとしても、翌年の生贄として既に選ばれたことになる。――――故に、絶対に、思い出してはならんぞ!!」
「ッは、はい……!」
振り向いた司書の気迫に、香奈は気圧されながらも応えた。
「だ、大丈夫だと思います……存在ごと忘れてしまえば思い出そうとも思わないでしょうし、私は完全にこの地を離れる予定なので、この地ごと忘れることになると思いますし……」
「……ならいい」
司書は何か考える様子で、安堵を含ませながら頷く。そして、ぽつり、呟くようにして言葉を続けた。
「……実は、わしの娘も生贄になったことがあってな……」
それは、まるで懺悔のようだった。
「昔のことだ。わしの娘もな。当時では珍しい女の進学で、その際にこの地を離れようとして、浮かれて周囲に言って回って、そして、生贄になった。女が学を持つのは無駄だと言う連中や、この地から逃れることを妬んだ連中に、生意気だ、けしからん、と言われてな。わしの知らん内に受験して合格したようで、わしも連中と共に反対してしまった。そして、連中の言うことに賛成してしまったんだ。外に締め出されてしまえば、あとは暗い夜が続くだけだ。広さだけはあるが、すぐに見つかって、連れて行かれる。娘を締め出したのは、わしだった」
悔やむように、司書は言う。
「あの頃のわしは、どうかしとった。皆が言うから正しいのだと、昔から変わらず続けてきたのだから仕方無いのだと、信じ込んでおった。こんなもの、因習でしかないというのに……! 娘を失って気付いた。年々生贄を捧げ続けて気付いた。……こんなことに、意味はあったのか、と。まだこれからの若者が、十分に生きた老いぼれのために、その身を潰してよいものか、と。……だから、お前は助かってくれ。勝手なことを言う。が、助かって、わしの娘の代わりに外で生きてくれ。わしの娘が経験するはずだった楽しみを、謳歌してくれ」
「……、はい、」
香奈は、慎重な面持ちで頷いた。
司書が自分を助けようとするのは、自分と同じくこの地を離れようとした司書の娘に重ねたからだろう。外への興味、もとい好奇心のために、動いた者同士。自分が娘と似た境遇だから、協力的なのだろう。
――――ならば。
「……、あの、」
香奈は、遠慮がちに頼んでみることにした。
「どうせなら……。どうせ、すべて忘れてしまうのなら。ここにある『おかくれ様』の資料、見せてはいただけませんか? 内容は何にも使いません。絶対に、外に漏らしません。ただ、自分が満足したいんです。『おかくれ様』がどんな存在なのか、知りたいんです」
「……それは、ただの好奇心からか?」
「はい。そもそも、そのためにここまで来ましたから」
真摯に、香奈ははっきりと言い切った。
その様子に、司書は少し考える。そして、渋々、という風に口を開いた。
「……いいだろう。ただし、本当に誰にも言うんじゃあないぞ」
「! ありがとうございます……!」
香奈はここにきてようやく、顔を綻ばせた。
「『まじない』道具を揃えての祝詞のようなもので、お前はそれを聞くだけでいい。その後は、一晩寝れば『おかくれ様』に関するすべてを忘れる。その前に、それで不都合にならんようにしておけよ。夕方まで、ここに静かに篭っていられるのなら、ソレを見ていてもいい」
司書は目線で、『おかくれ様』の資料を指す。どうやら司書の仕事が終わる頃に『まじない』をするようで、それまでは見ていてもいいからこの禁書庫に隠れていろ、ということらしい。
「はい! ありがとうございます!」
「静かに」
「はぃぃ……」
香奈は嬉しさのあまり、つい元気に返してしまった。咎められて、必要以上に動作もそうっと、慎重に静かになる。
それでも、にやける顔は変わらなかった。
吸い寄せられるようにして、『おかくれ様』の資料へと手を伸ばす。バインダーを開いてみれば、昔見た時よりも少し古ぼけたものが纏められていた。遠い昔に記された源本も、現代語に翻訳されたものもある。
『おかくれ様』の真実。災いを防ぐための生贄の話はもちろん、まだ生きた人間だった頃の『おかくれ様』が、そう呼ばれるに至るまでの話もあるようである。
今なら読める、文字の羅列。扉が閉まる音も鍵を掛ける音も意識からは遠ざかり、綴られた真実に、長年知りたかった正体に、すべての感覚が集中する。
それを辿ってみれば、するすると意味が、当時の光景が、脳裏に映し出された。
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