輸骨
これは、中学校の陸上部に所属している、ある男子中学生の話。
「痛い!」
その男子中学生は、校庭に倒れ込んで叫び声を上げた。
陸上部員が練習をしている放課後の校庭。
その男子中学生は、陸上部員の一人として一生懸命に練習していた。
ところが、
走っている途中で不幸にも靴紐が切れて、
派手に転倒してしまったのだった。
すぐに先生や他の生徒たちが駆け寄る。
それからその男子中学生は、保健室で応急処置を受けると、
すぐに近所の病院へと運ばれた。
診断結果は、右足首の骨折。
しばらく陸上部の運動は無理だろうということだった。
無情なその言葉に、
その男子中学生は、眼鏡の医者にひしとすがった。
「来週、大事な大会があるんです。
そこで結果を出さないと、進路に影響してしまう。
なんとか、走れるようになりませんか。」
必死な願いにしかし、眼鏡の医者は首を横に振った。
「右の足首を骨折しているんですよ。
走るのは当分無理です。
骨がずれてしまったり、靭帯が断裂してしまったり、
そういうことが起こっていないだけマシなくらいです。」
にべもなく、その男子中学生の願いは退けられてしまった。
がっくりと肩を落として、その男子中学生は病院を後にした。
包帯でぐるぐる巻きにされた右足に松葉杖を突いて、
慣れない足取りで病院の出入り口から姿を現した。
それから立ち止まって後ろを振り返ると、
西に傾く太陽に照らされた病院の姿を見上げた。
「参ったな。
もうすぐ大事な大会なのに、足を骨折するだなんて。
この大会で結果を出せないと、進路に影響してしまう。
なんとかして走れるようにできないかな。」
それからその男子中学生は、
すぐに効く治療法を求めて、近所の病院を何件もまわった。
しかしどこの病院に行っても、
骨折した足を来週の大会までに治すのは無理と言われてしまった。
もう何件目かわからない病院から出て、
その男子中学生は、道端の電信柱にぐったりと寄りかかった。
慣れない松葉杖を突きながら歩き回ったせいで、
骨折した右足が痛みだしていた。
苦痛と疲労で、頭が朦朧としてくる。
今、その男子中学生の頭の中には、
なんとしても来週の大会に出なければ。
早く足を治さなければ。
そんなことばかりが渦巻いていて、
怪我をした足を安静にするということすら抜け落ちていた。
そうしていると、
ふと、寄りかかっている電信柱に目が止まった。
電信柱には金属の看板が設置されていて、
こんな言葉が書かれていた。
「輸骨、承ります。
骨折などの骨のトラブルに素早く対応します。」
その言葉は、今のその男子中学生にとって、
正に光明のように感じられた。
松葉杖を突くのも忘れて、広告が設置されている電信柱にすがりつく。
「骨折に素早く対応だって?
今の僕に、正に必要なものじゃないか。
輸骨という言葉は聞いたことがないけれど、早速行ってみよう。」
幸いにも、
その広告に書かれていた住所はすぐ近所のようだった。
そうしてその男子中学生は、
ふらふらと松葉杖を突きながら、
その広告が指し示す住所へと向かった。
広告が指し示す住所へ向かうと、
そこには簡素な建物が待ち構えていた。
清潔そうなその建物は、一見して病院のように見える。
しかし、その外見は真っ黒。
病院といえば、白い建物を想像するものだが、
その建物は壁も看板も真っ黒で、
窓にまで黒いフィルムが貼られていた。
その男子中学生は、ちょっと気後れしながらも、
翌週の陸上大会に出場したい一心で、建物の入口に手をかけた。
取っ手まで真っ黒なドアを押して、建物の中に入る。
するとそこには、
真っ黒な白衣を着た男が待ち構えていた。
その男子中学生が入ってきたのを見て、陰気な声をかけてくる。
「いらっしゃい。
その様子だと、足を怪我をしてるみたいだね・・・。
もっとも、他所で治療を受けてあるみたいだけど。」
そう話す黒い白衣の男は、うつむき加減で顔はよく見えない。
その男子中学生は、
相手の顔が見えないのも気にせず、
一縷の望みをかけて懸命に事情を説明した。
「骨折がすぐに治るって電信柱の看板を見て、
ここに来ました。
来週、陸上の大会があるんです。
それなのに僕、足を骨折してしまって。
このままじゃ大会に出られなくて、進路に影響してしまうんです。
なんとか、来週の大会までに治すことはできませんか。」
その男子中学生の必死の訴えに、黒い白衣の男がやさしく頷いて応える。
「どうやら、お困りのようだね・・・。
話は向こうの部屋で聞くから、こっちにきてくれるかな。」
そうしてその男子中学生は、黒い病院のような建物の奥へと、
誘われるようにして進んでいった。
黒い白衣の男に促されて、
その男子中学生は、診療室のような部屋に案内された。
部屋の中には、
机と椅子と、それからベッドなど、診察室によくあるものが並んでいる。
しかし、
そのどれもこれもが、真っ黒な色をしていた。
後から医者が来るのかと思っていたら、
案内した黒い白衣の男が、そのまま医者の席に座った。
どうやら、
出迎えてくれた黒い白衣の男が、医者本人だったようだ。
黒い白衣の男は、背もたれ付きの椅子に座ると、
椅子ごとくるりと振り返って、
その男子中学生に向かって問いかけた。
「看板を見てここに来たということは、
輸骨をお望みかな・・・?」
輸骨、という聞き慣れない言葉を前にして、
その男子中学生は逆に質問した。
「あのう、輸骨ってどういうものなんですか。」
黒い白衣の男が、うつむき加減のままで応える。
「輸骨っていうのは、骨の輸血みたいなものだよ・・・。」
「骨の輸血?
骨を抜き取って、体に注入するということですか。」
「そうだよ・・・。
とは言っても、
骨をそのまま出し入れするわけじゃなくてね。
骨の霊魂とも言えるものを抜き取って、別の体の骨に入れるんだよ。」
「骨の、・・・霊魂?」
霊魂などという言葉が出てきて、話が一気にいかがわしくなる。
そうは思いながらも、
その男子中学生は、黙って説明の続きに耳を傾けている。
そんなその男子中学生の様子を知ってか知らずか、
黒い白衣の男は、
机の引き出しから、真っ黒な布の包みを取り出してみせた。
黒い布の包みを開くと、中からは、
傷一つ無い艶々の卵のような、真っ黒な石が姿を現した。
黒い石を差し出しながら、黒い白衣の男は説明を続ける。
「この石にはね、骨の霊魂を抜き出して溜めてあるんだ。
そこから、患者さんの骨に霊魂を移すんだけどね・・・」
そこで初めて、黒い白衣の男は、
その男子中学生の訝しむ様子に気がついたようだ。
説明を区切ると、こう言った。
「どうやら、
実際に体験してもらったほうが早いみたいだね・・・。」
やれやれと肩をすくめると、黒い石を布で包み直して机の上に置く。
それから、手を合わせて念仏のようなものを唱え始めた。
まず、黒い石に向かって。
それから、その男子中学生の骨折した右足に向かって。
それぞれ、念仏のようなものを唱えていった。
すると、その男子中学生はその効果をすぐに実感した。
歩き回って痛みが出ていた右足の、その痛みがふっと薄くなる。
骨折が治ったというわけではないが、右足から痛みが引いていった。
輸骨の効果を早速実感して、その男子中学生の態度が変わる。
目を輝かせて、感嘆の声をあげた。
「すごい!
骨折した右足の痛みが引いた。
自由に動かせるほどには治ってないけど、こんなに早く効果が出るだなんて。
まるで嘘みたいだ。」
「どうだい、輸骨の効果がわかっただろう。
私は、何も嘘はついてないよ。
もっと輸骨を続ければ、すぐに足は動くようになるよ・・・。」
黒い白衣の男の話に、その男子中学生は何度も頷く。
「すごいです。
輸骨の効果がちゃんとあるって、実感できました。
僕、もっと輸骨を受けたいです。」
「そうかい、わかったよ・・・。
それじゃあ、もっと大きい石を用意してくるから、
ちょっと待っててくれよ・・・。」
そう言い残して、黒い白衣の男は診察室を出ていった。
そうして、その男子中学生は、
黒い病院で輸骨を受けて、
骨折した右足はすっかり治って、
翌週の陸上大会で活躍する・・・はずだった。
その男子中学生は、輸骨の効果を実感したことで、
骨折した右足に輸骨を受ける決心をした。
その準備のために、黒い白衣の男は診察室を出ていって、
診察室にはその男子中学生が一人残された。
見慣れない真っ黒な診察室の中を見回して、
その男子中学生はおぼろげに思案する。
これなら、なんとか来週の大会に間に合いそうだ。
輸骨ができる病院を見つけられて、本当によかった。
骨の霊魂という言葉を聞いただけで、その信憑性を疑ったことが恥ずかしい。
そんなことを考えながらも、
その男子中学生の頭の中には、モヤモヤとしたものが残っていた。
本当にこのまま、
輸骨というものを受けて良いのだろうか。
自分だけが特別な治療を受けるのは良くない、という意味ではなく。
何かが引っかかる。違和感を感じる。
何か、見落としていることはないか。
何か、明確には説明されてないことがあるのではないか。
だとすれば、それは何だろう。
じっと思い返してみる。
さっき実際に輸骨を受けて、骨折した足から痛みが引いたのは実感した。
黒い白衣の男は、嘘はついていない。
輸骨に怪我を治す効果があるのは確かだろう。
でも、それ以外に何かあるように思える。
その男子中学生は、考えるために情報を整理した。
輸骨とは、骨の輸血のようなもの。
骨の霊魂を抜き出して黒い石に溜めておき、それを患者の骨に移す。
少し輸骨をしただけで、骨折している足から痛みが引いた。
もっと輸骨を続ければ、すぐに足を動かせるようになるという。
骨折した足を治して、来週の陸上大会に出場したい。
来週の陸上大会は、進路を決めるのに重要だから。
こんなところだろう。
最後の二つは自分の事情なので、考慮に入れなくてもいいだろうか。
もしも見落としがあるとすれば、どの項目についてだろう。
輸骨という名前の由来。
輸骨を受ける目的の意味。
その男子中学生が、そんなことを考えていると、
黒い白衣の男が診察室に戻ってきた。
その手には、漬物石ほどの大きさの黒い石が抱えられていた。
しかし、見た目ほど重くはないようだ。
軽々と運んできたその黒い石を、診察室のベッドの上に置く。
それから、背もたれ付きの椅子に座り直すと、
その男子中学生に向き直った。
「待たせたね。
それじゃあ、輸骨を始めるよ・・・。」
そう促された、その時。
その男子中学生の頭の中に、ぴーんと閃くものがあった。
確認しなければならないことが、わかった気がする。
その男子中学生は、目を閉じて考えをまとめた。
黒い白衣の男が、返事が無いことを不審に思って、
首を傾げてもう一度話しかけようとした、その時。
その男子中学生は目を開けた。
そして静かに話し始める。
「輸骨を受けるその前に、確認したいことがあります。」
その言葉を聞いて、黒い白衣の男の動きがピタリと止まった。
輸骨を受ければ、骨折した足はすぐに動くようになる。
翌週の陸上大会にも間に合う。
その男子中学生は、その話に引っかかりを感じていた。
それをこれから明らかにしていく。
その男子中学生は、黒い白衣の男に疑問をぶつけた。
「聞きたいことがあります。
実は、輸骨の説明を聞いてから、ずっと引っかかっていました。
まず、輸骨という名前。
さっき、あなたは言いました。
輸骨とは、骨の輸血みたいなものだと。
でも、輸骨の方法は、骨を実際に注入するわけではなかった。
念仏を唱えるだけで、輸血に似ているところは少ない。
骨に霊魂があるのなら、血にだって霊魂があるかもしれない。
でも輸血は、血の霊魂を抜き取るわけではない。
それでもなお、
輸骨が輸血に似ているのだとすれば、
それは、輸骨が終わった後にあるのではないですか。」
その男子中学生が疑問を口にしている間、
黒い白衣の男は、うつむきかげんでじっとしていた。
そして、うつむき加減のまま溢すように言葉を口にした。
「・・・かしこいね。
あんたが言った通りだよ。
輸骨が輸血に似てるのは、輸骨が終わった後の部分だよ。
あんたはもう、予想がついているんだろう。」
黒い白衣の男の言葉を受けて、その男子中学生が話を続ける。
「僕の予想は、こうです。
輸血というのは、血の成分を他所から補うものです。
輸血を受けてからしばらくの間は、
自分のものではない血の成分が、体内に存在することになる。
それによって、体に何らかの影響が出る場合もある。
もしかして、輸骨も同じなんじゃないですか。」
黒い白衣の男が、静かに返事をする。
「よく気がついたね。
その通りだよ・・・。
輸骨で骨の霊魂を注入しても、それは他人の骨の霊魂だ。
自分の骨として動かせるようになるには、時間がかかるよ。」
「ということは、
今日、輸骨で足が動くようになったとしても、
来週の陸上の大会では・・・」
「元の自分の足としては、まだ万全には動かせないだろうね・・・。
輸血ですら、自分の血に置き換わるまでに、何ヶ月もかかるのだから。」
あぶないところだった。
骨折した足を早く治したいのは、来週の陸上の大会のため。
輸骨で骨折を治しても、陸上競技ができる程度に動かせなければ意味がない。
黒い白衣の男が、逆に質問する。
「疑問はそれだけかい・・・。
おおよそ、あんたの言う通りだよ。
それじゃあ、輸骨は止めるかい・・・。」
「いいえ、話にはまだ続きがあります。」
「なんだい・・・。」
「輸血には、自己血輸血というものがあります。
自己血輸血とは、
前もって自分の血を抜き取っておいて、後でそれを輸血する方法です。
もしかして、輸骨にもあるんじゃないですか。
自分の骨を輸骨する方法が。
もし自分の骨を輸骨できるのなら、
部位の違いこそあれ、輸骨直後から自分の足として動かせるのでは。」
黒い白衣の男が、可笑しそうに肩を揺らした。
うつむきかげんで顔は見えないが、笑っているようだ。
「よく気がついたね・・・。
出来るよ。
自分の骨の霊魂を入れる、自己骨輸骨が。
それなら、輸骨してすぐに自分の足として動かせるよ。
あえて説明しなかったのに、そのことに気が付くとはね。
輸骨の治験、つまり効果の試験をしたかったから、
自己骨輸骨はして欲しくなかったんだよ。
だから黙ってたんだ。
でも、気がついたのなら仕方がないね。
本当は、自己骨輸骨は別料金なんだけど、
ご褒美として、料金はサービスしておくよ。」
そうしてその男子中学生は、
自分の骨から輸骨する、自己骨輸骨を受けることになった。
その男子中学生は、
翌週の陸上大会までに骨折した足を治すため、
自分の骨から輸骨する自己骨輸骨を受けることになった。
しかし、そのためには、
決めなければならない重要なことがあった。
黒い白衣の男が、その男子中学生に向かって尋ねる。
「では、自己骨輸骨を始めようか。
でもその前に、
自己骨輸骨をするには、自己骨を採取しなきゃいけないよ。
自己骨を採取した部位は、
しばらくの間は骨の霊魂が不足するから、
本来の状態では動かないものと考えてくれ。
場合によっては、代わりにそこが骨折するかもしれない。
それで、どこの骨から取るんだい・・・。」
自己骨輸骨を受ける前に決めなければならないこと。
それは、右足に輸骨する骨をどこから取るか、ということだった。
その男子中学生は、また考え込んでしまった。
自己骨を採取するための条件を、整理しながら考える。
陸上競技をするにあたって、
足の代わりに骨折してもいい、体の不要な部位はどこだろう。
下半身は走るために全て大事なので、自己骨の採取には使えないだろう。
では腕は?
いや、腕は全身のバランスを保ったり、動きを制御するのに使う。
では上半身の他の部位は?
上半身の骨も大事な部位は多い。
鎖骨や肋骨は、意外にも疲労骨折が多い部位だ。
では頭蓋骨は?
頭蓋骨を骨折だなんて、下手をしたら命に関わる。
では歯は?
歯も骨の一部だから、自己骨の採取に使えないだろうか。
いや、歯を食いしばることができないと、体に力を入れることができない。
そうしてその男子中学生は、
うんうんと考え込んで返事ができなくなってしまった。
自己骨を採取するために、足以外で動かせなくなってもいい部位はどこか。
それを考えて結論を出すには、知識が不足している。
考えても結論を出せないまま、時間だけが過ぎていった。
それを察して、黒い白衣の男はそっと立ち上がった。
そして、黒い診察室にあった棚から一冊の本を取り出すと、
考え込んでいるその男子中学生の前に差し出した。
「これ、あんたにあげるよ・・・。」
「これは?」
「簡単な医学書の入門書だよ。
自己骨輸骨を受ける前に、
まずは人間の体のことをもっと勉強してくるんだね。
特に、あんたはまだ中学生だ。
一回くらい大会を休んで勉強に費やしても、
マイナスにはならないと思うけどね・・・。
目的は、来週の大会に出ることそのものでは無いんだろう・・・?」
そう言われて、その男子中学生は我に返った。
自分は走ることにばかり夢中で、
走るために何が必要なのか、その勉強が疎かになっていたのではないか。
進路の妨げになる勉強なんて存在しないだろう。
何のために大会に出るのか、それを勘違いするところだった。
その男子中学生は、ふっと肩の力を抜くと、
差し出された本に手を伸ばした。
受け取った本は、見た目よりもずしりと重たかった。
それを大事そうに受け取って、その男子中学生は応えた。
「はい、わかりました。
もっと勉強して、何が必要なのか考え直してみます。
・・・目的を見失わないために。」
そうしてその男子中学生は、輸骨を受けるのを止めた。
それから、骨折した足に松葉杖を突きながら、家へと帰っていった。
その動きは、ここに来た時に比べると、
幾分上達しているようだった。
そんなことがあって。
その男子中学生は、
翌週の陸上大会に出場することは叶わなかった。
しかし、
大会を欠席して、その間に勉強したことは、
後の運動専門医の第一歩となったのだった。
終わり。
骨髄移植はあっても輸骨って聞いたことが無いなと思ったのが、
この話を作ったきっかけです。
最初は、足を骨折した中学生が輸骨で足を治すだけの話だったのですが、
輸骨した骨はすぐには自分の骨にならないのではないか、
そもそもどうして輸骨という名前になったのか、
という風に内容を追加していって、最終的にこのような話になりました。
お読み頂きありがとうございました。