第三十三界:蹂躙
僕の支援魔法を受けた一匹一匹がそれぞれ、前ならえ横ならえをしながら歩調を合わせることでできた正確な隊列。その中に、恐れを知らず突っ込んでいく甲太郎。
心の中で応援する。思いのままに喰い尽くせと。
しかしそのどこかで確信している。
こいつなら確実に、一匹たりとも逃がすことなくやってのけると。
「シャアアアアーッ」
甲太郎は、鳴き声を上げて走る。
まあ、これ実は厳密にいえば鳴き声じゃないんだけど。確か、身体を振動させることで出してる音なんだっけか。
どうでもいいけど。
ゴキブリについての知識があるなんて、自慢にもなりやしないよ。
「さて、甲太郎は……え?」
ふと見たら、甲太郎はゴキブリの大群にたかられていて、ぼこぼこにされていた。
先ほどまでの勇ましい雄たけびは、今や悲痛な叫びに変わってしまっている。
どうしたお前。
強いんじゃなかったのか。
瓶の中の敵を全て殺したお前にとっちゃ、そんくらいの相手楽勝だろ。
それにお前、共食いしたから魔力増えたし。前より強くなってるはずなのに、何で……あ。
そうか、このモブゴキブリたちは僕の支援魔法を受けてるから。
トレーニングに良かれと思って相手を強化したけど、さすがに最初から僕の支援魔法ってのは段階を飛ばしすぎたか。
考えてみりゃ、人間の軍人にかけても相当な効果を発揮するんだ。
甲太郎もそんなの相手に、一人ならまだしも寄ってたかられちゃ無理ゲーだよな。
可哀そうなことをした。
「ごめん甲太郎。ほらほらお前たち、離れろ離れろ。いじめなんてもうやめろ」
魔力操作で命令を下し、軍隊をはけさせる。
すると甲太郎はぐったりとした表情(だと思う)で動かなくなった。突っ込んでいった時の威勢は嘘のようだ。
「出直そう、甲太郎。今日のところはもう寝て、明日からじっくり訓練しようぜ」
そう言って僕が甲太郎に手を差し伸べると、甲太郎は知らんぷりをして動き出した。モブゴキブリの隊列の方へ。
「おい、そっちは……」
甲太郎は、まだあきらめていなかった。僕が勝手にもう無理だと判断して、やめさせただけだった。とうの本人には、まだ戦う意思があったというだけの話だ。
甲太郎のスピードが乗っていく。そのことに全く気付いていないゴキブリらは、のんきに甲太郎に背を向けたまま行進している。
甲太郎が、最後尾のゴキブリのケツに噛みついた。
急に、思ってもいない方向から攻撃を加えられた方はたまったもんじゃない。ゴキブリは暴れ出して、それをきっかけに一瞬、隊列が乱れる。
全員、何が起こったかわからないといった感じだ。
しかしその甲太郎にとっての優勢は、すぐに落ち着いてくる。
ゴキブリといえど、そこまでバカなわけじゃない。僕の命令もなしに即座に体制を立て直し、甲太郎への臨戦態勢に入った。
こうなったら言っちゃ悪いけど、甲太郎に勝機はない。
そこで、これだ。
「おい、そこのゴキブリ。ちょっとこい」
臨戦態勢に入っている一匹を操り、僕の手に誘導する。そして、食う。
まっずい、おええ。
ともかく、Gチャージだ。
「[帯魔]。からの~、[体力増進][体力増進][体力増進][体力増進][体力増進]……」
Gチャージ一発分で、やれるだけのフィジカルブーストのバフをかける。これだけ連続で使うとさすがに僕の身体にも疲労が来るが、そんなこと無視してかけ続ける。
うし、こんくらいでやめとくか。
十数回の支援魔法で、魔力は残り半分。何度もゴキブリ魔力で魔法を使ってると、一匹につきだいたいどれくらいの魔法が使えるのか、このように感覚で解るようになってきていた。
立派な成長である。
前の界ではほぼ無制限に使えていたから、この成長は悲しいものともいえるけどね。
甲太郎の身体が、淡い赤に光り始める。甲太郎は一旦立ち止り、自分の身体の変化に気づいたようで不思議そうにしている。
モブゴキブリ軍団は、まだそのことに気づいていない。
さすがの雑魚である。
一応こいつらにも僕の[体力増進]をかけてやったのだが、オリジナルの強さと受けた支援魔法の数からして甲太郎とは大違いだ。
僕が作った、最強のゴキブリの完成だ。
忘れないうちに、常時[体力回復]状態にしておく。これで、高すぎる身体能力についていけずに体力が切れるという心配もない。
思う存分暴れてくれよ。
そんなことを言う前に甲太郎は、既に始めていた。
先ほどまで自分をいじめていた相手への報復を。一匹一匹、丁寧にお礼参りを。
残虐無比な、一方的な暴力をもっての殺戮を。
目にも止まらないという表現がぴたりと当てはまるほどの疾さで、部屋の中をところ狭しと駆け回る。僕でもやっと目で追えるほどだ。その身体さばきは、既に普通の人間を優に超えている。
その間、甲太郎とすれ違ったゴキブリの首は例外なく無残にもげていた。
こいつの顎の力、脚の力は異常だ。
そのことをやっと理解したゴキブリたちは、その臨戦態勢から一転、各々逃げの姿勢にシフトする。
しかし、そんなことは無駄だ。
思い思いの方向へ全力で逃げ出すゴキブリたちだが、甲太郎のスピードには誰一人敵わない。全方向に散るゴキブリたちの脚が止まる。
何があったのだろうかと僕も疑問に思い、少し覗いてみると……思わずおののいた。
止まった脚など、無かった。
ゴキブリたちの脚は、例外なくすべて、根元からちぎれていた。
どんな早業、そして技巧、パワーをもってこんなことができるんだ。
これには僕の支援魔法によるものもあるだろうが、明らかにやばい。だって<二界>で軍人にかけた時でさえ、これほどまでの効果はなかったはずなんだ。
こいつの潜在魔力や潜在能力には、ただただ恐怖だ。
ぼうっとしていたら、もう終わっていた。いつのまにかあっけなく、片が付いていた。
脚の次は触覚。その次は視界。
そしてじわじわと弱らせたところで、捕食する。勿論頭から、ゆっくりと。
あの瓶の中の惨劇のあとで、まだ腹が減っているのかこいつは。そんな少し的外れな感想しか、浮かんでこなかった。
この部屋にいたゴキブリ数十匹は、この短時間でほぼ駆逐された。残ったのは、圧倒的な力でそれを可能にした甲太郎だけ。
さっきと比べものにならないほどの死臭が鼻腔を襲撃するが、耐える。それよりも大事なことがあるからだ。
「甲太郎、すごいぞお前」
そう、スキンシップだ。
最高のペットの育成に必要なのは、こっち側が送れる最高の愛情。
人差し指で黒光りする背中をなでてやる。すると、先ほどまであんなに反抗的だった甲太郎が、嘘のように体をこすりつけてきた。
なんって可愛らしいんだ。
心なしか、しゃああ、しゃああ、という振動音も聞こえる。
これって完全に、なついてくれてるよね。
もしかして、強くなれたのが僕のおかげって理解してるのかな!? だとしたら頭もいいんだなお前は。
ようしよし、今夜は同じベッドで寝ようか。
そこらじゅうに死体が転がってるけど、そんなことを気にするのは明日になってからでいい。
つーか、寝ようと思って部屋に来てからもうだいぶ時間が経ってる。そう思うと、なんだか眠たくなってきた。
ねよねよ。
電気を消し、ベッドに横になり、甲太郎と一緒に目をつむる。
「おい、獅子屋。社長が呼んで……おい、何だこの匂いはっ!?」
そして、一気に眠りの世界に行こうとしたとき――突然、猫さんの声が聞こえてきた。
何だろう、こんな時間に。
社長の、呼び出し……?
…………ハッ!!
「猫さん、今は入ってこない方が」
「何を言ってるんだお前……おええッ!! 何じゃこりゃあ!!!!」
猫さんが部屋の電気をつけて、惨状がライトアップされる。
気持ち悪くなったようで、急いで廊下に出ていった。
そりゃあ、こんなの見たら吐くよ。僕でさえ、改めて見たら気持ち悪くなってきた。
「僕、こんなところで寝ようとしてたのか……」
数多の死体が、床を敷き詰め。
壁には、死の跡が埋め尽くされている。
まさにゴキブリ地獄。
「待ってよ、猫さ~ん!」
とりあえず、ここから出よう。
僕は猫さんを追って、甲太郎を手で優しく包んだまま部屋のドアを開けた。




