第三十一界:ゴキブリ
[魔力操作]。
この魔法は、操作系と呼ばれる魔法の一種で僕が覚醒した時に手に入れたものだ。
これを使えば、ある程度の範囲にある魔力を意のままに操れる。
基本的な使いどころは相手の魔法を妨害するときだが、相手が動きながら魔法を撃ってくる場合、かなり使いにくい。
かなり正確な制御を必要とするが、あいにく僕はこれを手に入れてから火が浅い。
熟練度が低く、これを使うくらいなら[火弾]を使った方がいいくらいの腐れスキルだった。
しかし<一界>に来たことで、事情が変わった。
空気中の魔力が、全くなくなったのだ。
勿論、ただでさえ使いにくかった[魔力操作]はさらに使いどころがなくなる。実際、この界にきてから多分一度も使ってなかったと思う。
そこで僕は考えた。
この魔法を、どうにかして活用できないかと。
この界には、魔力がない――というわけでもない。
ゴキブリなどの生物を食えば、わずかながらも魔力を身体に宿すことができるのだ。
つまり、これが何を意味するか。生物の体の中、特にゴキブリの体内には、魔力が在るということである。
「ゴキブリたち、整列!」
「おいおいおい……なんだよこの気持ちわりい光景は」
黒光りがの絨毯が、ピタッと静止した。
そして僕は迷わず、そこに腰を下ろす。
「さあ、猫さんもどうぞ! 意外と良いですよ、座り心地」
猫さんは心底気持ち悪いような顔をして、「いや、いいよ」と断った。なんだ、せっかく面白いことしてあげようと思ったのに。
さて、お前たち。「進め」。
僕が下した命令の通り、絨毯はゆっくりと動き出し、そして加速し始めた。二次関数的にスピードを上げていき、そしていつもの彼らの速さになる。
ひょー、これだよこれ。
僕が感じたかった風。スピード。
しかし、支援魔法をかけたときと同じくらいの速さを出せるとは、ゴキブリたちも侮れないな。
「獅子屋! 前! 前!!」
え?
あ、ぶつか
「うげぇっ」
ごおぉーん、と辺りに鉄の音が響き渡る。そして僕の顔面は、痛々しいパイプの跡がついた見るも無残な姿になり、涙があふれる。くらくらする。脳が揺れた。
実に痛いし気持ちが悪い。
「何やってんだよお前……っていうか、何やったんだよ、お前」
あー。確かに普通の人間は、ゴキブリ操ったりしないもんな。不自然だったかもしれない。よしこれは、伝家の宝刀を使うしかないか。
「そりゃもちろん、催眠術っすよ!」
「なるほどな……お前は、そういう感じか」
あれ。思ったより驚かないんだな。
「ん? なんだその顔は。もっと俺が、お前に怖がるとでも思ったか。はは、確かにびっくりはしたけどよ。実は今まで、ちょっと疑問に思ってたんだ。なんでこんなやつにあの虎が負けたんだろうってな」
「ひどすぎませんーー?」
「だって体も貧弱だし体力も無いしさ。でも、分かったよ。お前が幹部に成り得た理由がな。そっち系の強さを持ってるんだな。こりゃ、特殊任務でひっぱりだこだぞ」
いやそれどころじゃないけどな本当は。ここの幹部はみんな何かしらのスペシャリストだけど、僕の魔法を使えばみんな一発だろう。
僕がここで大人しくしてるのは、ここが唯一の落ち着ける場所だからだ。
「はあー。いててて……とりあえず、できるだけたくさんゴキブリを瓶に詰めましょう。手伝ってください」
二つの瓶いっぱいに詰めたゴキブリは、なかなかグロい。これを食うのか……。
蓋閉めたら呼吸できなくて死んじゃいそうだけど、まあこいつらなら平気っしょ。多分無敵だし。
餌とかどうしたらいいんだろ。まあいいか。どうせ食わなくても生きていけるっしょ。多分無敵だし。
「さて帰りましょう。もうこんな臭いところにいるのは嫌です」
「だな」
さっさと帰って寝よう。今日は色々疲れた。
瓶を部屋に置いて時計を見ると、もう六時を回っていた。
この会社(寮)は地下にあるので、窓は一つもない。そのため常に時間が分からず、感覚がちょっと狂うのだ。
六時と言ったら、もう夕食が解放されている時間だ。僕たちは小走りで食堂に向かったが、もうすでに社員でごった返していたので、必殺技の睨みをきかせて席を確保した。
メニューは、みんな大好き肉じゃがだった。これは納豆と同じく<一界>に来てから初めて食べるもので、じゃがいものほくほくの触感を楽しむことができる最高の料理だ。
合流した八雲先輩は、僕からゴキブリ狩りの結果を聞いた途端えづきはじめ、「なるほどな……ここに来るわけだ」と一言つぶやいた。
肉じゃががまずくなるから、もうその話はするなと。
何だよそれー。
別に、僕だって好きでゴキブリなんか飼うんじゃないんだぞ。
今度の大規模作戦に必須な準備をしただけだ。
◇◇◇
肉じゃがを食べ終わると、眠くなってきた。
今日は、寝る前のトレーニングは休んで寝よう。
大人しく部屋に帰って、ゆっくり休もう。
それに、さっきはあんなことを言ったが、ちゃーんと肉じゃがの残りをあいつらの餌として用意してきたんだ。
あいつら、まだ生きてるかな?
まあ、生きてるよな。
「うっ!! 何だこの匂い」
ドアを開けると、きつい異臭が鼻を襲った。鼻をつままずにはいられない。
おえっ。
耐えながら、恐る恐る中に入る。一歩一歩を踏みしめるたびに、否が応でもひどい香りをかがされる。
この異臭のもとは……ああ、何か嫌な予感がするなあ。
こんなの、絶対あいつらのせいじゃん。だとしても何でこんな匂いするんだよ。
ベッドのそばにおいた二つの瓶の中身を確認しようと、近づく。
「ああ、思い出した」
僕はこれと同じ匂いを知っていた。身体で覚えていた。逆になぜわからなかったのだろうと疑問に思うくらいだ。
まあ部屋のなかでそんな匂いがするなんて思いもしてなかったからな。
予想できないだろ、こんなの。
鼻をつんと刺すこの匂いを、何度も嗅いだことがある。
死臭だ。命が失われた匂いだ。
匂いの発生源である、片方の瓶を覗く。
「……なるほどね。そうきましたか」
死臭のほかにもう一つ、忘れていたことがあった。それは、こいつらの習性。生物としての性質。
そーいや、これがあるからゴキブリって嫌われてたんだよなあ。
ゴキブリは、共食いする。
一つの瓶の中で繰り広げられていた光景は、凄惨なものだった。いくつものちぎれた脚と黒い液体に、触覚に腹のひだそしてちぎれた頭。それらが、バラバラの状態で重なっていた。
異臭と禍々しさが漂う、数多の死体の塔。
その上にただ一匹立っていたのは、見ただけで解るほどの魔力を持っている、巨大なゴキブリの個体であった。彼は一匹のゴキブリの頭に夢中でかじりついており、この部屋の主の僕が帰宅したことなど、これっぽっちも気にしていないようだった。
悪魔。
その言葉がとても似合うと感じた。
その悪辣さ、残虐さのなかには、どこか王者の貫禄とでも言うべきものが感じられた。




