第三十界:ごみの部屋
猫さん、何そんなに驚いてんの?
この日本っていう国が、戦争を始めるってことに?
確かにここは、平和な国みたいだ。でも八雲さんも、戦争をするってだけで大バカだなんてことはないんじゃないか。
ああ、もしかして……。
「そのインドって国、よっぽど強いんですね」
「ああ? 何言ってんだ」
「え、だってさっき日本は大バカだって」
「いや、獅子屋。八雲さんが言ったのはそういう意味じゃなくてだな。日本が、また戦争を始めようとしてることについて言ったんだ。戦争なんて、国民が知ったら大反対に決まってる」
ふうん。
よっぽど日和見主義なんだな、ここの臣民は。<二界>では、逆に戦争をしない方が王都で暴動が起きるくらいだ。戦争は儲かるからね。
「まあ、俺たちに拒否権はねえ。幹部といえども、この組織に生かしてもらってる立場だ。結局、その作戦の日に向けてトレーニングし続けるしかねえんだよ」
はあ……。
僕にトレーニングなんて、必要ないんだけどなあ。僕のために、ゴキブリを用意してくれればそれでいいんだよ。
ゴキブリ一匹につき一[死炎魔法]としても、コスパは抜群だ。でも、実際使いたくなった時見つけるのってクソむずいんだよ。
警官と戦ったときのあれは、本当に奇跡だったと思う。
戦争するんだったら……戦場では常時、食いたいときにすぐ食えるようにしときたいんよな。
「そうだ、ゴキブリ飼おう」
「「え?」」
いいアイデアじゃん。筋トレをやめる口実にもなるし、一石二鳥だ。
「いや、獅子屋お前、急に何言ってんだ?」
「まあまあ八雲さん。そんなに身構えなくても大丈夫ですよ。ただ、急にペットが欲しくなっただけで、それがたまたまゴキブリだったというだけですから」
「そりゃ身構えるだろ……」
とにかく、善は急げだ。僕は猫さんを連れ出し、前に一度ゴキブリを見たことがあるごみ収集所に向かった。
八雲先輩はなぜか、いかないといってきかなかった。本当に何故だろう。
社員たちには、部屋ごとに毎日ゴミ出しを担当するゴミ出し当番が毎週決められているらしいが、僕は当然、そんな当番になったことがない。幹部は一人一部屋だし、ゴミ出しや掃除は平社員がいつのまにかしてくれているのだ。
平社員の経験がない僕がゴミ収集所に入ったのは、二日目に施設案内を受けたときにの一回だけだ。
「着いたぞ獅子屋。つーかお前、さっきの本気なのかやっぱり。八雲さんめちゃくちゃ引いてたぞ」
「うん? 勿論ですよ猫さん。ここには、やつらがたくさん住んでいそうなので。捕まえるのにはうってつけだと思いました」
「そういうことじゃ……まあいいや。ここにいる人間なんだ、おかしいのが普通だよな」
ちょっと何を言っているか分からないが、早速探していこう。
いざ鉄の扉を開けて。
「くっせえ」
色々なにおいが混じった、何とも表現しがたい腐った匂いが僕らの鼻を刺した。足元や低い天井を通る緑のパイプのせいで満足に動き回れない。
ここにいるだけで辛い。早いとこ見つけて、ここを出よう。
「じゃあ僕は右に行きます、猫さんは左に」
「うっぷ……なあ、見つけたら教えるだけでいいよなあ?」
「もちろんです、大声でお願いします」
猫さんに用意してもらったジャムの空き瓶を片手に、隠密行動をとる。
向こうに気づかれる前に捕獲する。
支援魔法もかけてない状態では、こんなにごちゃついたところでゴキブリの速度に反応するのは至難の業だ。
魔法がないと、捕まえにくい。
捕まえないと、魔法が使えない。
「ああ、ジレンマだ! あ、あ、ああ、いた!!」
胸の位置にあるパイプをよけるためにかがんだ瞬間、動く黒光りの背中が目に飛び込んできた。
「猫さん、来てください! 早速いました!!」
「何、だいぶ早いな……まあここ、きたねえからな」
早く来てくださいよって。
猫さん、のんきにそんなことを話してるだけで、こっちにこようともしない。
そういやさっきも、捕まえたくなさそうにしてたもんな。
畜生、結局僕ひとりじゃないか!
「あっくそ、待ちやがれ」
足場が濡れていて走りにくいながらも必死にかがんで追いかける。パイプを飛び越え、時には滑り込み。Tシャツをよごしながら息を切らした。
目の前にいるのに、手が届かない。まるでおちょくられているみたいだ。
い、一旦休憩。はあはあはあ。考えてみれば僕、ランニングマシンで三十分走ってから、まだぜんぜん時間が経ってないんだ。あんな運動した直後にこんなくだらないおにごっこなんて、やるべきじゃないな。
疲れたのでもう、あいつは諦める。猫さんにも手伝ってもらえるように説得してから、もう一回新しい個体を探そう。
「あいつ、何してるんだ」
猛スピードを出し続けていたゴキブリだが、僕がおいかけてこないと知った瞬間に、立ち止った。そしてこっちにそろそろと寄ってきて……ころっとひっくり返って腹を見せてきた。
おいこら。なにしてんだてめえ。
それ、煽ってるよなあ?
下等生物の虫の分際で、この上級臣民の僕に何をしている?
絶対に殺す。こいつは、ただ喰うだけじゃ気が済まねえ。もう一匹別の奴を喰らって、その魔力で使う[黒炎領域]でじわじわと殺す。
油断しているようなので、起き上がる暇もないくらい一気に距離を詰める。
「ここだっ!!」
もうとっくに整っている息が切れている演技をしながら、かなりいいスタートダッシュを切れた。しかしそんなことで捕まる奴ではなかった。
決して油断なんてしてないよ、とでもいわんばかりの反応を見せたゴキブリは、先ほどよりも速いスピードで逃げ出す。僕も必死で追いつこうとするが、ちょろちょろカサカサと攪乱されて、ついには見失ってしまった。
「はあ、はあ……」
恐るべきG……素早いのは知ってたけど、あんなに速かったっけ。まあ、この部屋の足場が入り組んでいて体のでかい人間には歩くのもきついってのもあるだろうが。
こんなの一人じゃ無理ゲーだ。
筋肉痛とストレスとあのクソゲス煽り野郎のせいでハゲそうだ。
「猫さんがいれば、捕まえられてたかもしれないのに……」
なんて的外れの八つ当たりをしてみるが、それで気分が晴れる訳でもない。大体幹部の僕がこんな労働をするなんておかしい。
ああだるい。
そうだ、こんなこと平社員どもにやらせればよかったんだ。
あとで、守屋にやらせよう。僕はなんだかもう疲れた。猫さんと一緒に、おとなしく筋トレでもしてよう。こんなくさくて不潔な場所にいるのもいやだ。
さあ、帰ろう帰ろう。ん、あれ?
「行き止まりか」
前に前に歩いていたら、袋小路についてしまった。この部屋広すぎるし、作りが複雑すぎるぞ。
面倒だけど、引き返すか。
「え? 何だよこれ」
振り返って踏みしめようとした床は、黒光りしていた。無数ののゴキブリが、床を隙間なく覆っていた。
「ぎゃああああっ!!」
「どうした獅子屋!?」
悲鳴とともに、後ろにのけぞるようにして逃げた。
勘違いしていた。僕は別に、ゴキブリが得意なわけではない。ただこの界にきてから食べ過ぎて、なんとなく感覚がマヒしていただけなんだ。
僕は今でも、ゴキブリのことはきらいなままだ。そんな簡単なことに、今やっと気づかされた。
つまりこの状況は、さっきの僕にとっては天国だが……現在の正気に戻った僕にとっては紛れもなく地獄。
助けて猫さん、ってことだ。
「助けて猫さんうわーーん!!」
ゴキブリの集団が、僕を襲う。じりじりどころかガンガン距離を詰めてきて、今にも飛び込んできそうだ。後ろは袋小路で、前はゴキブリ地獄。詰んでるてー。
「それでも、後退するしかないんだよなあ」
背中に、壁がついた。
もう下がれない。
ゴキブリらと僕の距離は、もう一メートルもない。終わる……と思ったらその群れは一時停止した。先頭のゴキブリが、振り返ってなんらかの指示を出している。
するとそいつは、ごろんとひっくりかえって左右に揺れることを繰り返し始めた。
「てめえ。おいてめえ」
さっきのやつだ。
何だよお前、群れのリーダーだったのか? くそ野郎め、てめえのせいで僕は散々だ。
せめてこいつだけでも、握りつぶそう。
「「死ね」」
ん?
僕の声と被さって、どこかから声が聞こえたような気が。
と、その瞬間。腹踊りをしていたゴキブリを、一つのナイフが貫いた。ゴキブリの群れの奥から放たれたその攻撃は、正確にそのゴキブリの腹の真ん中を射た。
「猫さん!!」
こんなことをできるのは一人しかいない。ナイフの熟練度では隣に立つものもいない猫さんの、ナイフ投げだ。
「おい何だよこの量……初めて見たぞこんなの。つーか獅子屋、やっぱりお前もゴキブリ苦手なんじゃねえか」
オレンジ色の髪が光る。
ナイスだ猫さん。これで、僕も思う存分戦える。
「げえ~。お前、そんなことすんの? イカレ集団カモメ組の幹部とはいえ、さすがにそれは引く」
猫さんがなんか言ってるけど、気にしない。僕は床に浅く刺さったナイフを引き抜き、その先っちょにこびりついたゴキブリを喰らった。
そして訪れる、高揚感。全能感。
ああ~、やっぱこれだよこれ。なんか久々だけど、これなんだよこれがいいんだよ。今なら何でもできるような気がする、この感覚なんだよ。
長を失って呆然としていたゴキブリたちだが、やがて一匹が痺れを切らして飛びついてきた。
「[支援魔法]、[体力増進]アーンド[体力回復]」
しかし今の僕は一足違う。僕はそのゴキブリをひょいとかわし、踏みつけて潰した。
「なんだ、楽勝じゃん」
それを見たゴキブリたちが、一斉に襲ってくる。その数は目測五百以上である。
「数の暴力って感じだね。でも、逆に好都合なんだよなあ。ちょうどお前らで、ためしてみたいことがあったんだ」
[魔力操作]。ゴキブリたちよ、止まりたまえ。
心の中で、そう呟く。
そしてゴキブリたちは……。
「実験成功じゃん。まさか、こんなにうまくいくとはー」
「獅子屋、お前!? これは一体どういうことだ!!?」
ずっと考えていたら生まれた、一つの仮説。
ゴキブリを食べると魔力が得られる。じゃあ、だったら……ってこった。
虎をナイフで華麗に殺したり……猫は、ナイフのスペシャリストなんです。




