第75話 女王襲来
プリン騒動の翌日、ルイス達が改めて作った友情プリンを、客間で食べようとした時だった。
扉が勢いよく開き、ルイスの叔母ビーナスが現れた。いつもの案内員の赤い制服姿だったが、顔は怒りに満ちて、束ねた黒髪が乱れていた。
「ルイス! 聖地に行って、王子様になろうとしたそうね!」
ビーナスの激しい口調に、ルイスは驚いて立ち上がった。扉がまた勢いよく閉ざされ、ビーナスがずかずかと近づいてきた。
「同行した王子達は、誰も彼も『ルイスを自由にしてくれ』と言ってきたわ」
ルイスは王子達の思いやりに、感謝の念を抱いた。
テーブルの前でビーナスは仁王立ちで腕を組み、護衛を命じている、アンドリューとペルタをにらんだ。アンドリューとペルタはビーナスの威圧感に怯んだ。
「なぁに、このプリンは?」
ビーナスは大きなプリンの意味を察して、皿を持ち上げた。
「このプリンは、もらっていくわね」
「叔母さん、待って!」
プリンを持って行こうとするビーナスに、一同は席を立って追いすがった。
「お、叔母様は、なぜ怒っていらっしゃるの⋯⋯?」
「叔母様は、ルイス君を勇者にしたいのよ」
怯えるユメミヤの肩を抱いて、ペルタが説明した。
「仲良しごっこしている場合じゃないでしょう! それに、勇者はプリンなんて、食べないのよ!」
ルイスに服を捕まれたビーナスは、皿をテーブルに投げるように置いた。プリンは皿からこぼれてしまった。
「まさか、こんなに早く王子になろうとするなんて⋯⋯ペルタ! 一体、なにをしていたの?」
ビーナスに一喝されて、ペルタはヒッと悲鳴をあげた。
「貴女は、私に似ている。だから、護衛を任せたのに! 勇者に仕向けろと言ったのを、忘れたの?」
「えっ?」
そんな素振りを一切見せなかったペルタを、ルイスは驚きの目で見つめた。アンドリューも驚いてペルタを見ていた。
ペルタはどこか不敵な笑みを浮かべて、ビーナスから視線をそらせていたが、意を決して目を合わせて言った。
「私は、ルイス君には、王子様になってほしいのです!」
「ペルタ!」
ビーナスは裏切り者を見るような、恐ろしい顔でペルタをにらんだ。ペルタは怯え震えたが、ユメミヤに体を支えられて、果敢に続けた。
「最初から勇者になんて、勧誘する気はありませんでした! だけど、ルイス君と一緒に居れば、王子様に会えると思って⋯⋯」
ペルタが王子様に夢中なことに、ルイスは初めて感謝した。ペルタに勇者になれと迫られていたら、逃げ出すか、喧嘩別れしていたかもしれないと思った。
「私を利用したと言うの? おのれ、小娘め!」
ビーナスは腰から警棒を抜くと、ペルタ目がけて振り上げた。罰を受けるつもりで、ペルタは歯を食いしばって目を閉じた。ビーナスはそれを察して躊躇した。その隙に、ユメミヤはペルタの体を隠すように、ビーナスに背中を向けた。
「ペルタさんの代わりに、私をお好きなだけ打ってください! 痛くも痒くもありませんから」
「ユメミヤ、離れて!」
「私も、ルイス君に、王子様になってほしいですから」
笑いかけるユメミヤを、ペルタは頭と体を庇うようにして、強く抱き締めた。
「叔母さん、ふたりを殴ったら許さない!」
ルイスは警棒を掴むと、力ずくで奪い取った。忌々しそうにルイスをにらむビーナスに、ペルタは震えながらも必死に言った。
「最初は自分のためでした⋯⋯でも、今は自分のためだけじゃない、王子様を目指すルイス君を守りたいのです!」
「ペルタ、お前の、護衛の任を解きます」
「そんな!」
冷酷に告げるビーナスを、ペルタは絶望の顔で見つめた。
「アンドリュー、貴方はなにをしていたの?」
ビーナスににらまれて、ぼう然と立ったままのアンドリューは弁解がましいことは言えず、答えられなかった。
「お前まで、ルイスの味方をする気? 私に助けてもらった恩を、忘れたの?」
アンドリューは激しいショックをうけた。怪我を手当てしてくれた、ビーナスの優しい姿が、走馬灯のように脳裏を過ぎた。
「叔母さん、恩を利用して言うことを聞かせるなんて最低だ! アンドリューさんは、心から叔母さんを尊敬しているんですよ!」
ビーナスは冷たい顔のまま、フンと鼻を鳴らしただけだった。
「アンドリュー、貴方の任も解きます」
「俺はこのまま、王子を目指すルイスの供をしたい。お許しください!」
アンドリューは両膝をついた。
「私も、ルイス君について行きます!」
ペルタもアンドリューに勇気づけられて、膝まついた。
「そうはいかないわ。国中から選りすぐりの勇者を、護衛につけなきゃね」
ビーナスは冷酷に告げた。ビーナスは長年オトギの国で治癒者として勇者や国民を助けてきた上、国の役人としての地位も高く、人脈は国中にあった。支配者不在のオトギの国で、女王のような存在の一人だった。
そんなビーナスを前に、ルイスは動じなかった。意志を貫くだけだと思っていた。
「僕は、王子になります」
ルイスの冷静さに、ビーナスは動揺して体まで揺れた。
「叔母さんの気持ちは嬉しいけど、護衛はいりません。もう居ますから」
ルイスの向けた笑顔に、アンドリューとペルタは泣きそうな笑顔を返した。
「叔母さん、ここでお別れですね」
「な、なんですって?」
ルイスは保護者から巣立つ喜びさえ感じていた。さらに動揺するビーナスに微笑んで背を向け、ルイスはアンドリューとペルタに笑いかけて、手を引いて立ち上がらせた。
「これからは、僕がお給料を払いますよ」
「そんな、ルイス君たら」
「ルイス、金などいらない」
「いえ、この世はお金です」
三人の間に進み出て、ユメミヤが静かに断言した。
「ルイス君のご厚意を受けるべきです。バチが当たりますよ」
ユメミヤの重々しい忠告に、ルイスは慌てた。
「ユメミヤさん、俺達は金の繋がりじゃないんだ。プリンを一緒に作っただろ? 仲間なんだからな、金はなくてもいいんだ」
アンドリューの言葉に、ルイス達の視線はプリンに行った。プリンはテーブルの上で形を崩していた。アンドリューは自分達とプリンを重ねた。
「仲間は崩れやすいんだ。金じゃ、繋ぎとめられない」
「そうよ、オトギの国はお金じゃない!」
息を吹き返したように、ペルタは力強く言った。
「お金の話をしたのは僕です。僕もわかってなかった」
「ルイス君もユメミヤも、まだオトギの国を知らないようね。オトギの国は王子様が全て!」
ルイスとアンドリューは状況を忘れて、あきれた目でペルタを見た。
「わかったわよ、全てとは言わないけど。オトギの国は半分くらいは王子様でできてるわ! わかった、三分の一くらいね。これ以上は引き下がらないわよ! ユメミヤ、私達には王子様がなにより大切でしょ? 王子様はお金では振り向いてくれないのよ!」
ユメミヤはルイスを見て、納得してうなずいた。
「全く、王子様王子様と、小娘ね!」
ビーナスが思わず口をはさんで、フンとまた顔をそむけた。ペルタはめげずに続けた。
「お金より必要なもの、それは王子様への愛! それだけが、私達と王子様を繋ぎとめてくれるのよ!」
ユメミヤはペルタとアンドリューと、王子を目覚すルイスに視線をめぐらせた。
「おふたりは、確かに、ルイス君と愛で繋がっているようです」
ユメミヤは羨ましい気持ちで微笑んだ。
「そうだ。王子様とだけじゃない、仲間とも愛で繋がっているんだ。それだけに繋がりは容易くは切れない⋯⋯」
アンドリューはビーナスに切実な視線を向けた。ビーナスは仏頂面でフンと鼻を鳴らした。
「王子様だの愛だのと、全く子供ね!」
ビーナスは厳しい目をルイスに向けたが、ルイスのまっすぐな眼差しに射ぬかれて体が固まった。ビーナスは少年の強く必死な目が好きだった。思わず応援したくなり、背中を向けて言った。
「好きにしなさい⋯⋯貴方はまだ、子供だものね」
「叔母さん! ありがとう!」
ルイスは深くお辞儀した。ビーナスはルイスに微笑んだ。
「そう簡単にお別れなんて、させないわよ! ビックリするじゃない!」
「ごめんなさい!」
ビーナスはルイスと笑い合うと、ほっとしているペルタと向き合った。
「ありがとうございます、ビーナス様! 言いつけを守らず」
「全く、貴女にはもうなにも言えないわ。貴女は昔の私そっくり、言っても無駄だからね」
ビーナスはお手上げのポーズをとったが、ニヤリと笑い返すペルタに、ルイスは油断なく警戒の目を向けた。
ユメミヤも笑顔を見せて、ビーナスにお辞儀した。
「叔母様、ルイス君を見守ってあげてください」
「わかったわ⋯⋯ルイスはモテるわね」
ニヤリとするビーナスから、ルイスは視線をそらせた。
ひとり悲しげなアンドリューに、ビーナスは優しく笑いかけた。
「貴方を助けたこと、後悔していないわ。私のことは忘れ、忘れちゃ困るけど、もう助けられた恩は忘れなさい! これから、期待しているわよ!」
アンドリューは喜びと安堵に笑顔を返して、深くお辞儀した。
「じゃあ、これからは、私は陰ながらサポートするわね。アンドリュー、今まで通り連絡をしなさい。ふたりとも、ルイスを守ってちょうだい! お給料は私が払うわ!」
「はい!」
アンドリューとペルタは、ルイスとユメミヤと輪になって喜んだ。
「じゃあ、元気でね」
「叔母さん、本当にありがとう。勇者にならなくて、ごめんなさい!」
謝りつつも喜びを隠せないルイスを、やれやれと言いたげな笑顔で見てから、ビーナスはさっさと出ていった。
ほっと一息ついて、ルイス達は顔を見合わせた。
「ごめんね、アンドリュー。貴方だけに勧誘を任せて⋯⋯」
「気にするな。ここだけの話、俺もそんなに乗り気じゃなかった」
ペルタとアンドリューはニヤリと笑顔を交わした。
「なあんだ! もっとマシーンのように、ビーナス様の言うことを聞くもんだと思ってたわ!」
「お前こそビーナスさんの信奉者のふりをして、全く、王子様以外にはじゃじゃ馬だな!」
「ふたりとも、全然、叔母さんの思い通りにならなかったね!」
ペルタとアンドリューはルイスから視線をそらせた。
「そ、それは、私達はまだ子供だから」
「そうだな。しばらくは、好きにさせてもらおうか」
アンドリューの言葉にルイス達は賛同した。興奮が落ち着き、ルイス達はプリンを囲んだ。
「プリン、なかなか食べられないね」
「プリンは、私達と相性が悪いようね」
「崩れやすいからな」
「プリン⋯⋯」
ひときわ悲しげなユメミヤに、ルイスは優しく微笑んだ。
「今度は小さいコップに作ろうか。誰にも壊されないように、僕が番をするからね」
「ルイス君⋯⋯」
ユメミヤはうっとりとルイスを見つめた。ありったけのお金をあげたくなったが、オトギの国の流儀に習いたかった。
「愛は、どうすれば、あげられますか?」
ユメミヤの質問に、三人はしばらく考えた。
「ほっぺにチューすれば?」
「ペ、ペルたん!」
「チューとは?」
「気にしないで!」
「そうだぞ、そんなもの! そうだ、一緒に番をしたらどうだ?」
「それがいいね、そうしよう!」
「はい!」
ルイスとユメミヤは微笑みあった。ペルタは恐らく結ばれない運命のふたりを、少し悲しげな笑顔で見守った。
「愛だなんて、ユメミヤは大胆ね」
ペルタは呟いて、ユメミヤに尊敬の眼差しを送った。
こうして、ルイスは最大の脅威を退け、仲間達との絆を深めた。




