第5話 勇者様アンドリュー
ルイス達は服屋を出ると、大通りを歩き出した。
広い歩道を挟んで、一階を店舗にした家が並んでいる。店の中の人も、歩いている人も、オトギの国の住人といったファンタジーな印象は無かった。
静かで平和な、閑散期のオトギの国の入り口だった。
フアンにうっとりして道行く人が通り過ぎることにルイスは気づいた。
思わずフアンを見てうっとりした。
「ルイス! ぼーっとしてると、危ないわよっ。全くあなたは相変わらずね。でも、心配なし! しっかり者の勇者様に、護衛をお願いしておいたから!」
ルイスとフアンは顔を見合わせた。
「ビーナスさん! 僕は」
「王子様もいいけど、勇者様も捨てがたい。そうでしょ? ルイス!」
獲物を狙う様な、ギラついた目。
ルイスはビーナスから顔をそらした。
否定できないのが何よりフアンに申し訳なく、ルイスはフアンの顔を伺った。
「いいんだよ。選択肢は多い方がいい。比較対象がいる方が、王子様の良さも見えやすくなるだろう」
「流石はフアン王子! 優しいわねぇ」
フアンは笑顔で軽くおじぎをした。
そしてルイスの肩に手をおいた。
「それに、オトギの国はどこも危険だ。勇者様に護衛してもらえるのは、有り難いことだよ」
「そうよ。大抵の人は、この町にある案内所に行って指南を受けたり、お供を雇ったりするのよ」
「お供?」
「プロのお供よ。凄いんだから! でもルイスには、勇者様に色々学んでもらわなくちゃね」
「はい」
一応素直に了解しておいた。
ビーナスが高ぶりだしたら止まらないのもあるが、既に勇者様が待っているのだ。
失礼のないようにしなければ、と思うと同時に、ルイスの心も高ぶってきた。
小さな広場。
ビーナスがベンチに座っている男に走り寄って行った。ルイスも小走りで、男の前に行った。
「アンドリュー! 待たせたんじゃない?」
「いいえ」
男はゆっくりと立ち上った。
20代半ばくらいで、背が高くがっしりした体を暗色のロングマントでコウモリの様に隠していた。ざんばらの短い黒髪、引き締まった顔つきは生真面目そうで。力強い黒眼が、じっとルイスを見つめてきた。
ルイスは勇者を前に、興奮を抑えられなかった。
自然と笑顔になっていた。
「初めまして! ルイスです!」
「アンドリューだ」
一瞬で、ルイスの脳内にドラゴンに乗ったアンドリューが現れた。
「&竜」
「そうだ。&竜⋯⋯アンドリューだ。アンドで区切るな」
ルイスは謝ったが、笑顔のまま言った。
「いい名前ですね!」
「⋯⋯ありがとう」
アンドリューは不思議な者を見る目を向けてきた。
「素敵な人でしょう! ルイス!」
ビーナスがアンドリューの腕に、大胆に体を寄せた。
「会ったばかりですよ。どんな人間かはわかりません」
アンドリューが素っ気なく言った。
「この冷静さ。見た目も夫の若い頃そっくりなのよ! ルイス! 嬉しいでしょ?」
「はい!」
一番嬉しいのは伯母だということは明白だが。
ルイスも本気で嬉しく、まじまじとアンドリューを見つめた。
アンドリューはビーナスの言動に動じていなかった。伯母に慣れてるなと確信し、頼もしいなと思った。
「私が後十年若かったら、再婚したのに」
「伯母さん!」
「このタイミングで、おばさんはやめなさい! 煮えたぎった鍋の上に吊るすわよ!」
その場面を容易に想像できることが恐ろしく、身をすくめた。
やり取りを尻目に、アンドリューは丸めた羊皮紙を開き、ルイスに差し出した。
「これにサインしてくれるか」
「これは?」
「国名変更署名用紙だ」
ルイスに会う予行演習をした時にも――
いきなり、国名変更署名を求める!? 真面目というか……と、ペルタに呆れられたが他にルイスと近づきになる物が見当たらなかった。いい機会でもあるし。
「アンドリューったら」
ビーナスも笑った。
やっぱり、おかしいかと戸惑い顔を見せるアンドリューからルイスは無心で羊皮紙を受け取った。
よくわからないけど、勇者が求めるなら。
ビーナスが差し出したペンを借りて、とりあえずサインした。
羊皮紙を返すルイスの笑顔に、アンドリューは救われた笑顔を返した。
「よし。ありがとう。よろしくルイス」
ふたりは固く握手した。
アンドリューの無骨な手は力強く、細いルイスの手には痛いくらいだった。
「よろしくお願いします。でもどうして国名を変えたいんですか?」
「オトギの国なんて幼稚な国名のせいで、遊び半分の連中が減らん」
アンドリューは深刻そうに下を向いて、首を横に振った。
「僕は遊び半分じゃないですよ!」
「わかってる、お前は⋯⋯逃れられない宿命というやつだ」
アンドリューはチラッとビーナスを見た。
ビーナスのニコニコ顔をルイスも見た。
「そうです」
「めげるなよ。奇石の願い事もまだ叶えてないんだろ。誰にも惑わされるな」
アンドリューはルイスの頭を優しく撫でた。
ルイスは早くもアンドリューに勇者感と親しみを感じた。
「僕はめげませんし、ビーナスさんに惑わされません。王子様になるんです!」
「いい意気込みだな!」
アンドリューはルイスに笑いかけると、自分が座っていたベンチに顔を向けた。
「ルイスを俺やビーナスさんから守りたければ、そこの王子様。もっと存在感を出せ!」
ベンチに優雅に腰かけていたフアンが、にこやかに立ち上がった。
「やぁ、アンドリュー。ふたりの出会いを邪魔したくなくてね。私もルイス君と水入らずで話をしたんだ。公平にいかなくちゃね」
「そりゃ、ありがとよ」
「おふたりは、お知り合いですか?」
王子様と勇者はどこで出会うんだろうか? 戦場だろうか? 道端だろうか?
ルイスが色々想像していると、
「私達は治安維持の仕事をしていてね。集会や仕事を通じて顔見知りなんだよ。仕事仲間だね」
「仕事」
「夢がなくなっちゃったかな? 基本的に王子は城に住み、領地を持っているんだ。治安維持は大事な仕事なんだよ」
フアンは優しく、ルイスに笑いかけた。
「きっと、自然にできるようになるよ。それが、王子というものだからね」
ルイスは尊敬の眼差しを向けてうなずいた。
「はい」
「勇者も同じく治安維持に尽力している。だが領地は基本的にないぞ。城のお抱えになるか、各地を転々として闘い続ける」
「カッコいいです」
ルイスはアンドリューにも尊敬の眼差しを向けた。
ビーナスがニヤリとした。
「ルイス、揺れているようね。大人しく勇者を選びなさい」
ルイスは曖昧な返事をしたくなかった。
アンドリューはその慎重な態度を、好意的に受け取った。
見た目は金髪碧眼でフアンに似ていて、礼儀正しく笑顔も王子様のような少年――
意思も強そうだ。勇者に勧誘などせず、ペルタと話した通りルイスの身を守る護衛任務にだけ集中しよう。
アンドリューは決意の眼をビーナスに向けた。
「ビーナスさん、後は俺に任せてください」
「離れがたい! アンドリュー!」
「ルイスに言ってやってください」
アンドリューはくっついたビーナスを、そっと腕から離して、
「ルイス、何か質問や要望はあるか?」
「一つお願いがあります」
「なんだ?」
「服を見せてください」
頼むと同時に、マントをめくった。
「同じだ。色もっ」
ルイスは自分の服とアンドリューの服を交互に見て、ビーナスをキッと見た。
「ほほほ。マントが足りなかったわね!」
ルイスはため息をついたが、アンドリューに弁解した。
「勇者が嫌ってわけじゃないんです。伯母さんの手のひらの上なのが悔しくて」
「ルイス、なぜ王子様を目指すんだ? ビーナスさんはパトリックと同じで自分への反抗と言ってたが、本当にビーナスさんへの反抗か?」
ルイスの頭に勇者らしいセリフが浮かんだ。
「女との約束です」
「なっ!?」
冷静な態度のルイスと驚きたじろぐアンドリュー。
そんなふたりを見てフアンがクスクスと笑った。
ルイスはビーナスに後ろから抱き締められた。
「モテるのね、ルイス。これから沢山の誘惑が待ってるわ。アンドリューを見習って華麗に拒否しなさい!」
「アンドリューさん、どうして女の人を拒否するんですか?」
「なんたる質問だ。ひとり旅に集中したいんだ。だが、今回はビーナスさんに頼まれてな、自分に護衛を任せてもらえてありがたいと引き受けたんだ」
アンドリューはビーナスに感謝の会釈をした。
その責任感に引き締まった横顔に、ルイスは見入って自分も気を引き締めた。
「僕も、凄くありがたいです」
「そう緊張するな。単純に、年下と旅するのはどんなものか、知りたかったのが大きい。よろしくな」
「はい!」
アンドリューの気遣いにルイスは感謝した。
強そうで頼もしそうで優しい、理想の勇者様だな。
ルイスは自然と笑顔になっていた。