第19話 王子様ブロウ
長閑な昼下がり、ルイスは花壇の花にネームプレートがあることに気づいた。
王子様は、花の名前を覚えていなければならない。
そんな気がしたルイスは、しばらく地道に記憶していったが長い名前にぶつかり、メモ帳を取ってこようと思った。
歩き出したルイスは、少し離れた花壇の縁に、いつの間にか男が座っているのに気づいた。
ルイスから見て、男は横向きに座っていたので、よく観察することが出来た。
男は黒い横髪で顔の大半が隠れていて、年齢がよくわからなかった。細長い体に黒いジャケットを着て、黒ズボンに革靴の長い足を組んでいる。
遠くからとはいえ、ルイスがジロジロ観察しているのに、男は花壇を見つめて微動だにもしなかった。
男から、品が漂っている様な気がした。そして、男の横にティーカップとお菓子の乗った皿が置いてあるのを見て、城の滞在者なのは確信したが、まさか、彼が王子様なのかと疑った。
ルイスはその疑いを晴らしたかったが、男に謎の近寄りがたさを感じた。誰かに聞くことにしたが、リンデル夫妻は買い物で不在だった。セバスチャンかフアンに聞こうかと思ったが、あの人は誰ですか?と聞くためだけに呼び出すのは気が引けた。
ペルタに会いに行くことにした。王子様のことなら知っているだろうし、きがねなく聞ける相手だった。
ルイスはお菓子を食べている男を、花壇越しに伺いながら通り過ぎ、城を出て走った。
ペルタは家に居て、ルイスを狭いリビングに迎えると、天を仰いで大げさに驚いて見せた。
「ルイス君! 私も会いに行こうと思ってた。私達、通じ合うものがあるのね」
「そうですか。それで、どんな用ですか?」
ルイスは最後の言葉は聞き流して、用件を聞いた。
「磯蟹よ! 今、こんな大きなのが獲れるから、休みをもらって行かない? アンドリューも誘って」
「フアンさんは?」
「フアン様は、海が苦手なのよ⋯⋯残念ねぇ、海が似合いそうなのに。だからフアン様には、了解をもらって行きましょうよ?」
うきうきしているペルタに、ルイスは笑顔で賛同した。
「わかりました。帰ったら聞いてみます。フアンさんなら多分、いいって言ってくれると思いますよ」
「そうね、聞いたらここに電話して」
ペルタはアンティークの電話を軽く叩いた。ルイスは番号をメモした紙を受け取った。
「それで、僕の話なんですけど」
「そうそう、どうしたの?」
「ホテルの庭に男の人が居たんですけど、なんていうか、王子様のような、そうでないような」
男の特徴を上げると、ペルタは最後につけ足した。
「王子様の、成れの果てみたいな?」
ルイスは即座にうなずいた。
「しぃー!!」
ペルタは自分の言った事なのに、人差し指を口につけた。ルイスが仕草を真似ると、ペルタはうなずいて目を閉じた。
「あの方は、ブロウ王子様よ」
「ブロウ王子様」
やっぱり王子様だったのか、気品は隠せないものだと、ルイスは感心した。
ペルタは思わせ振りに、ゆっくりと背を向けた。
「お痛わしい方なのよ。ずっとお一人で⋯⋯どうしてお姫様がいないのか、もう何年も前の事らしくて、誰もよく知らないのだけど」
あの近寄りがたさは、悲しみのオーラだったかと、ルイスは気の毒に思った。
「そんなに長い間、王子様が孤独なんですか」
ルイスは他人事ではないかもしれないと、ブロウ王子の姿を思い出して、怯えて震えた。ペルタが物憂げにソファーに座った。
「もったいないわよね! もう四十にならんとしているとか。写真で見たけど、若い頃のブロウ様、凄くカッコいい! 私がもっと早く生まれていれば」
ペルタは無念そうに首を横に振ったが、自分に酔っているのか、かすかに笑っていた。ルイスはあえて無表情でうなずいた。ルイスの素っ気ない反応に気づかずに、ペルタは話を続けた。
「引きこもりでもあるのよねぇ。それで、あの方のプライベートをよく知っている人が居ないの。詳しいのはセバスチャンくらいかしら? でもセバスチャンは、人の事をペラペラしゃべらないからね」
「ペルたんさんは、ブロウ様と話したことはないんですか?」
「タイミングが合わないのよ」
ペルタはそれだけ言って、片手で顔を隠すとため息をついた。
えらく深刻そうな態度がかえって面白く、ルイスはついニヤリとした。それをペルタが指の間から見ているのに気づき、ルイスは慌てた。ペルタがなにか言う前に、胸に手を当てて言った。
「海に誘いましょうか?」
「ルイス君!」
ペルタは目を見開いて、素早くルイスを抱き締めた。
「貴方は私の幸運の、王子様よ」
「大げさですよ。まだ結果も出てないし、待っててください」
♢♢♢♢♢♢♢
ルイスはペルタの熱烈な見送りを受けて、城に戻り庭に行ってみたが、ブロウ王子はもう居なかった。
そこでまず、フアン王子の部屋に行って扉をノックした。フアンは直ぐに出て来てくれた。
「どうしたんだい?」
「あの、ペルタさんから磯蟹捕りに行きましょうと、お誘いがあって」
「そういえば、ペルたんは磯蟹が好きだったね」
フアンはにっこりした。
「ペルたんが待ちわびているようだね。明日でも行ってくるといいよ。楽しそうだけど、私は海が苦手でね。ペルたんとアンドリューの言うことをよく聞いて、怪我をしないようにね」
「はい。それと、もう1つ」
ペルタとブロウ王子の話になった経緯を説明した。
「ルイス君は気が利くね。ペルたんにとって、欠かせない存在なんじゃないかな?」
「仲を取り持つ役なら、いくらでもしたいと思います」
ルイスの健気な態度に、フアンは優しく笑った。
「応援してるよ。ブロウ王子はとても穏やかで気さくな方だから、挨拶もかねて誘ってみるといいよ」
「はい」
ルイスは早速、ブロウの部屋に行ってノックした。扉が少し開いたが、姿は見えなかった。
「誰?」
少し警戒気味の男の低い声に、ルイスは緊張したが、急いで挨拶した。
「初めまして。フアン王子様にお世話になっている、ルイスと申します」
扉が全開になり、ブロウが姿を見せてくれた。今は白いシャツと黒ズボン姿で、引きこもっているせいか肌は青白く、痩せていて背が高かった。
「やぁ、初めまして。ルイス君か、聞いてるよ」
ブロウは親しげに笑って、握手までしてくれた。近くで見ると想像より若く凛々しいカッコよさがあった。
「なにか用? フアン王子に出来なくて、僕に出来ることなんてあったかな? なにもないと思うけど」
ブロウは真面目な顔で、首を横に振った。
「あの、実は。一緒に磯蟹捕りに、海に行きませんか?」
「海かぁ、いいね。君とフアン王子と?」
ブロウはあっさり乗り気になってくれた。
「いえ、フアン王子は海が苦手だそうで。実は、ペルタ・ファウストさんという、女性の提案で」
「ペルタ・ファウストさん。知ってるよ、怖いんだ」
「えっ?」
ブロウは真顔になって、一歩後ずさった。
「この町の子供達は、悪いことをするとファウストさんが連れ去りに来るよ! と親から脅されているんだ」
真剣な顔で語ると、愉快そうにニヤリとした。
「僕はそういう迷信じみた話が大好きでね。この国が大好きで離れられない」
ルイスはなるほどと、楽しそうなブロウにうなずいた。
「僕は悪人じゃないつもりだけど、日頃不摂生な生活をしているからね。ファウストさんに連れていかれるかもしれない」
ブロウは目を閉じて、両手を後ろで組んだ。
「迷信が好きなんでしょう、噂のファウストさんに会いたくは無いんですか?」
「痛いとこをつくね。子供だったらなにも知らずに喜んでついて行ったけど、僕は大人だから」
「ファウストさんは、凄く会いたがっているんです」
ペルタの為に食い下がった。ブロウは扉に隠れて、顔だけ出して言った。
「僕は恋人がいるから」
ルイスはブロウがペルタの、もう一つの顔を知っていることを悟った。
「魔除けの言葉ですか?」
ルイスは扉を両手で掴んで開けようとした。ブロウが抵抗しながら言った。
「効果は絶大だと聞いてるよ。これでダメなら、僕は風邪だと言っといて」
「そんなことを言ったら、見舞いに来ますよ!」
扉が閉まりそうになって、ルイスはとっさに泣き真似をした。ペルタが乗り移っているかの如く必死だった。ブロウはルイスの肩に優しく手を置いた。
「ルイス君、ツラい時は仮病を使ってもいいんだよ」
「変わりに、磯蟹捕りに行ってくれますか?」
ブロウはあからさまに目をそらした。
「仮病より、助け合ってツラい時を乗り越えましょう?」
ブロウは顎に指を当てて、考える様に言った。
「泣き真似王子と仮病王子と子供をさらう女が一緒に行動するのは、子供の教育に良くないな」
「ペルタ・ファウストさんがお待ちかねです。ご同行をお願いします」
ルイスは持ち前の冷静な態度で、片手で廊下を示した。これでダメなら手は無かった。
「あ、そうだ。僕は海が苦手なんだった。じゃあ、ごきげんよう。ルイス君個人の頼みなら、いつでも聞くよ」
ルイスはうなずくしかなかった。ブロウはゆっくりと扉を閉めた。ルイスは部屋が見えなくなるまでに何度か振り返ったが、心変わりしてくれないようで、扉は開かなかった。
ルイスは階段を下りながら、ため息をついた。
引きこもりのブロウ王子がペルタさんを知っているなら、町中の男が知っているに違いないと思った。
王子様探しに協力したことを後悔しそうになった。
しかし、見捨てるのもためらわれた。純粋にお姫様になってもらいたいし、魔女になられたら困るからだ。
とりあえず、結果を報告しようと店に向かった。
家の戸を叩くと、ペルタはすぐに開けてくれた。
ルイスはリビングに招かれたが、そこで立ち尽くした。
「どうしたの?」
「それが」
「言ってごらん」
ルイスは部下の如く、両手を後ろで組んで報告した。
「はい。実は、ブロウ王子は海が苦手で」
ペルタはゆっくりとソファーに仰向けに寝て、胸の上で指を絡ませると目を閉じた。ふて寝している人というよりは死人の様で、ルイスは直視出来ずにうつ向いた。
「そんなに立て続けに、海が苦手な王子様がいますか?」
「うーんん」
ルイスは曖昧に相づちをうった。
「もう、動けない」
「磯蟹は?」
「ルイス君、捕ってきて」
「それじゃあ、楽しみが半減しますよ」
ルイスは本当に悲しくなって言った。ペルタが起き上がってルイスを見つめた。
「ルイス君! そうね。ルイス君のおかげで、私の人生は充実したものになりつつあるのに、ルイス君から離れちゃオシマイよね。離さないわよ」
ペルタは握りこぶしを作って宣言した。ルイスは一歩後ずさった。
「この世の磯蟹を、食べ尽くしましょう!」
ペルタの勢いにのまれてルイスはうなずいた。
「いや、磯蟹だけじゃ足りない。この世の男も全部」
「ペルたんさん!」
危ない発言を、ルイスは片手を伸ばして制止した。
「冗談よ。爽やかに行きましょう」
「海には出会いがありそうですね」
「そうね。来なかったことを後悔させてやるわ!」
ルイスは両手を振ってなだめた。
「ブロウ王子様は、良い人でしたよ。恨まないであげてください!」
ペルタは思いの外、素直にうなずいた。
「恨みません。町の危機に、率先して対応してくれる王子様ですから」
見た目やおどけた様子とは裏腹な行動力があることに、ルイスは驚き興味を持った。ブロウ王子とも一緒に行きたかったなと思った。
明日の待ち合わせの時間を決めて、ルイスは家路についた。