第10話 これから暮らす城事情
ペルタとアンドリューと別れて、ルイスとフアンは住宅地からも離れた静かな通りを少し歩いて、柵に囲まれた大きな家についた。
「ここが、ルイス君の住むところだよ。私もここに滞在しているんだ」
「大きな家ですね⋯⋯」
ルイスが鉄格子の間からよく見ると城だった。ルイスは後ずさり、フアンに向かって両手を上げて言った。
「僕はここで、いや、馬小屋で」
「馬小屋? あぁ、白馬だね。いるよ、もちろん」
フアンはニッコリと答えた。
「凄く似合いそうですね⋯⋯でも、そうじゃなくて、僕が住むにはちょっと」
「ご両親やビーナスさんから、聞いてないかな?」
「僕にうってつけの場所があるって聞いていたんですが。ビーナスさんが言うには」
「ビーナスさんは含みを持たせるのが、好きだからね」
「そうなんです。なにもかも知ってたら、冒険にならないって。すみません、その分ご迷惑かけて」
ルイスがかしこまって謝ると、フアンは優しく笑った。
「迷惑じゃないよ。ビーナスさんが私達を信頼してくれているからこそ、ルイス君を冒険に送り出せたということだもんね」
「王子様や勇者以上に、信頼して一緒に冒険できる人は居ません」
ルイスは心の底からそう思って言った。
「これから、仲間を増やしていこう」
「はいっ」
「うん。それじゃあ、ルイス君が住むところだけど、この屋敷の裏に、王子様を目指したり、なったばかりの少年の為の家があるんだ。ルイス君の部屋もそこに用意してあるよ」
「そんな家があるんですか?」
「うん。でも残念な事に、今は誰も居ないんだ。ルイス君が来てくれて嬉しいよ」
ルイスはペルタの言っていた、罰ゲームの王子様を思い出した。
「ペルたんさんが、一人来たとか言ってたような」
「うーん、その子は、ここには来てないね。町でも噂を聞かないから、きっともう違う町に行ったんだろうね」
「そうですか⋯⋯」
「残念だね。独りじゃ寂しいよね、私ならいつでも側にいるよ」
「ありがとうございます」
フアンの微笑みに、ルイスはほっとした。
ふたりは城内に入った。玄関ホールはオレンジかかった落ち着いた明るさで、重厚な造りの受付があった。
「この城は、今は王子達専用のホテルとして使われているんだ」
フアンの説明を聞く間も、ルイスは中央の大きな階段に目を奪われていた。滑らかなカーブがかかり、赤い絨毯の敷かれた、王子様が降りて来そうな階段だった。
フアンが受付の呼鈴を鳴らすと、直ぐに初老の男が受付の奥の扉から現れた。男は白髪を綺麗にオールバックにして、痩せているが骨太そうな体に黒い執事服を着ていた。
「お帰りなさいませ。フアン様」
「ただいま」
男はフアンの返事に微笑みを返すと、ルイスに顔を向けた。
「ルイス様ですね」
男は見た目とは違い、やわらかな口調と物腰で、ルイスの前に立った。
「はい。お世話になります」
ルイスはゆっくりとお辞儀した。男はただ者ではないという直感がそうさせた。
「私は執事のセバスチャンと申します。私がお部屋までご案内いたします」
「そんな」
ルイスは両手を素早く横に振った。
「ルイス君、セバスチャンは彼の名じゃないんだ。最高の執事に与えられる称号でね。セバスチャンが居ると、実に暮らしやすいよ」
フアンの説明に、ルイスはやはりただ者ではなかったとうなずいた。
セバスチャンはフアンの褒め言葉に微笑えむと、うやうやしくお辞儀した。
「それなら、ぜひ、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
ふたりの丁重なやり取りにフアンが笑った。
「私が初めてここに来た時を思い出したよ。離れでしばらく暮らしたんだよ」
「そうだったんですか」
ルイスはフアンをさらに頼もしく思った。
「覚えている事は全部教えてあげるよ。でも、今日は疲れたろう。ゆっくり休むといいよ」
「ありがとうございます」
フアンはルイスの肩に片手を置いた。
「そうだ、先に言っておこう。町の人と話しても、王子見習いだということは、ふせておいた方がいい」
「どうして?」
「彼女のライバルを増やす事になるからね。まぁ、バレるまでは時間の問題だけど」
「わかりました」
フアンがバレて大変な目に合った事は、容易に想像出来た。ルイスは先輩の忠告を胸に刻んだ。
「それじゃあ、セバスチャン。後は任せたよ」
「かしこまりました」
「ルイス君、おやすみ。また明日会おう」
「おやすみなさい」
ルイスはセバスチャンと一緒にお辞儀をして、フアンを見送った。セバスチャンは受付に置いてあるランプを取った。
「どうぞ、こちらでございます」
受付の横の扉を抜けて、外廊下を行くと二階建てアパートくらいのレンガの建物についた。セバスチャンがノックすると扉が開いた。
セバスチャンに促されてルイスが中に入ると、そこは素朴なキッチンとリビングがある部屋で、ふたりの男女が立っていた。
「この建物の管理と、滞在する少年のお世話をなさいます、リンデルご夫妻でございます」
セバスチャンの紹介に、ルイスは急いで夫妻にお辞儀した。
「はじめまして、ルイスです!」
「はじめまして、ルイス君。よく来てくれましたね」
「はじめまして、来てくれて嬉しいですわ。私達がここでの生活をサポートをします。ここでのお母さんとお父さんと思って、気軽に接してね」
リンデル夫妻の優しい態度に、ルイスは自然と笑顔を返した。
「ありがとうございます。よろしくお願いします!」
力強いルイスの挨拶に、リンデル夫妻は感動した様子だった。
「私達の方こそ、よろしくね。今日は疲れたでしょう。後はセバスチャンにお任せしますから、私達のことは気にせず、ゆっくり休んでね」
ルイスは夫妻とお休みの挨拶をして、セバスチャンと階段を上がった。
二階が少年用のスペースになっていて、部屋の扉がたくさんあった。部屋の中は素朴な造りで、勉強机と本棚と洋服タンス、白いベッドが一番目を引いた。
ルイスは自分の部屋と大差ない広さにほっとして、セバスチャンに笑顔を見せた。
「いかがでございますか?」
「凄くいいです、落ち着きます」
「ようございました」
セバスチャンも嬉しそうな笑顔を見せた。
ルイスはリュックを下ろすと、真っ白いシーツに包まれたベッドの固さを確認したり、大きな窓から外を見たりして、セバスチャンの前に戻った。
ふたりは次に浴室に行った。真っ白い寝間着と入浴の用意もあった。
「お手伝いいたしましょうか?」
「お手伝い!? 大丈夫ですよ! 溺れたりしませんから」
ルイスが慌てて断るとセバスチャンは笑って、説明だけしてくれた。部屋に戻って、ルイスはセバスチャンと向かい合った。
「ルイス様、入り用な物はございませんか?」
「はい、大丈夫です」
「では私から一つ、お約束していただきたい事がございます」
「なんでしょう?」
セバスチャンに少し近づいて、ルイスはかしこまった。
「まずは、こちらをご覧ください。こちらがルイス様の滞在される離れ、そして、こちらの本館にフアン様、滞在中の方々がいらっしゃるのですが」
「はい」
「ルイス様はもう、小さいお子様のように、お城だからとおはしゃぎになったりいたしませんな?」
「はい」
「では、本題だけをお伝えいたします。最上階にはお立ち入りなさらないように」
「最上階」
ルイスはセバスチャンの持つ見取り図を凝視した。最上階はおろか、どの部屋にも「客室」「応接室」など、簡単な案内しか書いてなかった。
「フアン様をはじめ、何名かの王子様が滞在中でございます。そして、最上階にもお一方ご滞在でございます」
「最上階には、行きません」
いつの間にか、目線の高さを合わせてきたセバスチャンにじっと見つめられて、ルイスは力強く返事をした。
セバスチャンはまっすぐ立つと、柔らかい物腰に戻った。
「ルイス様なら、お守りくださるでしょうな」
「破ったら?」
ルイスの反射的な質問に、セバスチャンはルイスの目を見て、ただゆっくりと首を横に振った。ルイスはただならぬ空気を感じて、真顔でうなずいた。
「以上でございます。ご質問はございませんか?」
「あの、一つだけ、セバスチャンさんに質問が」
ルイスが片手を上げると、セバスチャンは優しい笑顔に戻った。
「はい。なんなりと」
「セバスチャンさんは奇石になにを願ったんですか?」
ルイスには見当もつかなかった。どういう人生だと執事になるのかもわからなかった。
「私の叶えた願いは⋯⋯睡眠をコントロールする、でございます」
「睡眠?」
「寝むりたい時に寝むり、起きたい時に起きることができるのです」
「フム」
目覚まし時計がいらないのか、くらいしかルイスは思わなかった。
「ルイス様のご年齢では、まだ使う機会の少ない能力ですな。しかし、社会に出ますと、この能力が非常に役に立ちます。眠れぬ夜が無いというのは、良いものですよ」
ルイスはフムフムと心の中で相づちをうちながら、うなずくしかなかった。
「そう、なにかございましたら、たとえ、真夜中でも私をお呼びくださいませ。お気になさる事はごさいません。後から暇を見つけて、いつでも眠ることが出来ますからな。ここが私の部屋でごさいます」
「ありがとうございます」
セバスチャンから屋敷の見取り図をもらった。
「それでは、おやすみなさいませ。ルイス様」
「おやすみなさい」
ルイスはお辞儀で見送って、閉められた扉に思わず耳をつけて、足音が消えるのを聞き届けてから、ほっと一息ついた。
セバスチャンに合わせて、体をピンと伸ばしていたので、力を抜くと体中が痛くなった。
ルイスはヨロヨロとベッドに座って、しばらく見取り図を見た。
最上階の王子様。名前さえ教えてもらえなかったが、子供嫌いの恐い人だろうとルイスは予想して、なるべくなら、会わないままこの町を去りたいと思った。
他の王子様も気になったが、想像もできなかった。
ルイスはとにかく、入浴と洗面を済まし、部屋に戻るとキャロルに手紙を書くべく勉強机に向かった。
机にはペン立てがあり、ペンが沢山あった。ルイスは机の引き出しを開けてみた。すると、色んなレターセットが沢山あった。ルイスは椅子に座り、便箋を前にペンを握った。
なにから書けばいいのかわからなかった。それに、色々ありすぎてまとまらなかった。それに、猛烈に眠かった。
ルイスはいさぎよく明かりを消すと、ベッドに横になってほっとした。目を閉じると、あっという間に眠りについた。