第123話 ダークホースな王子様
翌日。
ルイスが客間に入ると、ペルタとユメミヤが何枚もの地図をテーブルに広げていた。
「どうしたの、その地図。どこか行くの?」
ルイスは地図を覗き込んだ。
「ブロウ様に相応しい馬、見つからなかったでしょ。馬の沢山居そうなところを、ピックアップしていくのよ」
胸を張るペルタに、ルイスは感心して笑顔を向けた。
「旅の中で見た牧場なんかも思い出しつつね。今までのつらく苦しい旅も、こんな風に役立つと嬉しいわ」
歯を食いしばり棒切れに掴まって旅するペルタが浮かんだルイスは、凄い旅だったんだろうなと言葉もなかった。
「僕も手伝うよ」
ルイスもイスに座り、三人は地図を覗き込んだ。
♢♢♢♢♢♢♢
数日後。
ブロウ王子とタリスマンが城にやって来た。図書室に向かったブロウには内緒にして、ルイスはタリスマンを引き込んで一緒に地図を見た。
「オトギの国には、沢山牧場があるのだな」
普段、森にしか行かないタリスマンは興味深く地図を眺めた。
「うん、馬の居る家も多いんだ。オトギの国は歩きか馬かだからね」
「やはり、馬に乗れるようになるべきか」
タリスマンは他人事ではないと呟いた。
その時。
扉が勢いよく開いてペルタが泣きながら飛び込んで来た。そして、長椅子にすがって泣き崩れた。
突然の悲劇のヒロインの登場に、ふたりは凍りついた。
「ど、どう」
ルイスが立ち上がった時、ユメミヤが急ぎ足でやって来て開け放たれた扉をそっと閉めた。
「どうしたの? ユメミヤ」
「ブロウ様が、ブロウ様が」
ユメミヤはうつ向いて、言葉をつまらせた。
「ブロウさんが?」
ユメミヤは続きをペルタに聞かせるのをためらった。
「な、なんだ? 怪我か? 急病か?」
タリスマンも立ち上がった。
「いいえ、違います」
ユメミヤは急いで首を横に振った。
「ブロウ様が! アンドレアと!!」
ペルタの慟哭に、三人はビクリと跳ねた。
「ブロウ様がアンドレアさんに、好きだと告白……なさったのです」
ユメミヤは深刻な顔をルイスに向けて告げた。
「そして、おふたりは両思いになったのです」
「ええっ」
突然の展開に、ルイスは頭が追いつかなかった。
ペルタさんの戦友アンドレアさん。
確か聖地でブロウさんとデートしてたなと、ルイスはなんとかそれだけ思い出した。
「タリスマンさん、知ってた?」
ルイスは隣で立ち尽くすタリスマンを見上げた。
「いいや、我らは、そういう話はしたことがない」
タリスマンは腕を組んだ。
「しかし、結婚相手くらい一番に教えてほしいものだな。我はお」
「ああっ! 結婚!?」
「……アンドレアとはどんな女だ? まさか、魔女」
「魔女に取られた! わああ!!」
ペルタが激しく泣き出して、タリスマンはルイスの後ろに隠れた。
タリスマンにしがみつかれたまま、ルイスはそっと歩いた。
「近づくな、ルイス!」
ペルタに歩み寄ろうとするのを、タリスマンが必死に引き止めた。
「ペルたん。しっかり」
ルイスは距離を取ったまま、なんとか声をかけた。
ペルタは泣き止んで冷静に状況を思い返して、
「結婚式には行かないわよっ!」
怒りと悲しみに満ちた宣言をした。
ルイスも苦渋の決断をしなければならなかった。
「僕も……行かないよ」
ペルタが涙に濡れて血走った目を向けてきたので、のけぞるのをこらえて強くうなずいた。
「私も行きません」
ユメミヤがキッパリと言った。
「我は、我は……王という立場上……」
決めかねるタリスマンを引っ張って、ルイスは扉に向かった。
「ブロウさんに会ってくるよ」
ルイスはユメミヤに言った。
ユメミヤにペルタを任せて逃げるようだが、正直逃げたかった。ユメミヤはルイスの訴えを察した。
「わかりました。ペルタさんは私が」
「いいの……ひとりにして」
ペルタがうずくまったまま言った。
「ひとりにはできないよ」
目を離したら、奇石を使って魔女になる危険しかないと思った。
「お願い」
「……奇石を使っちゃいけないからね。引き続き、王子様を探そう」
ペルタがうなずいたので、ルイスはユメミヤとタリスマンと廊下に出た。
「なんだ、この間から結婚ラッシュというものか? いや、まだ誰も結婚してないが」
タリスマンが額の汗を拭いながら、重い沈黙を破った。
「あ、アンドリューではないか」
三人は壁に寄りかかっているアンドリューに気づいた。
「アンドリューさん、聞いた?」
「うむ」
アンドリューは腕を組んで、重々しく答えた。
「ブロウ王子もいつ結婚してもおかしくない歳だ。お慕いしているからこそ、女達は喜んで祝福すべきだな。嘆くなど言語道断!」
「女の人の居ないところで言っても、意味ないよ」
「くっ」
ルイスの突っ込みに、アンドリューはたじろいだ。
「まぁ、もうしばらく、嘆かせるしかないな」
アンドリューは急ぎ足で自室の方へ去って行った。
見送った三人は、ブロウを探して歩き出した。
すると、女のすすり泣きが聞こえてきたのでルイスは身をすくめた。耳をすましたところ、ひとりやふたりではないとわかり、これ以上進むのが怖くなった。
「打たれ強い私ですが……故郷に伝わる地獄、身を切る極寒地獄を歩いているような思いです」
ユメミヤが強張った顔で怖いことを言うので、ルイスとタリスマンは怯えた。
三人は身を寄せ合って、極寒の地を行くペンギンのように必死に歩き、ようやく、ティールームでブロウを見つけた。
ブロウは丸テーブルを挟んでアンドレアと見つめ合っていた。夏用の青いワイシャツに黒いズボンに革靴といつもと変わらない格好だったが、傍から見ても照れるくらい熱くアンドレアを見ていた。
アンドレアは肩までの茶髪を綺麗に縦巻きにして、うっすら化粧をした顔でうっとりとブロウを見つめ返していた。アサガオのような紫のワンピースにアクセサリーをつけてハイヒールを履いた、しっかりデートの装いだった。
「二人の世界、だね」
「極寒一転、常夏のような暑さを感じるぞ」
ふたりの世界を見せつけられルイスとタリスマンは気遅れしたが、ユメミヤがズイと一歩近づいた。
「ブロウ様」
ブロウがやっと三人に気づいた。
「やぁ、お茶を飲みに来たのかな?」
ブロウは立ち上がると、アンドレアに片手を差し出した。
「場所を変えよう」
ブロウにはアンドレアしか目に入っていなかった。
「待ってください、ブロウさん」
「そうだぞ、待て。その、アンドレアと結婚するのか?」
ルイスと立ちふさがるようにして。
タリスマンがずばり聞いた。
「そうだ、結婚式はいつ挙げようか?」
ブロウは満面の笑みでアンドレアに聞いた。
「今すぐ、今すぐ!」
アンドレアはブロウの腕にしがみついて飛び跳ねた。
「アハハ」
出て行くふたりを、三人は立ち尽くして見送った。
「我も、結婚式には行かない。もう充分だ」
タリスマンがあきれ顔で告げた。
ルイスは驚きと困惑から、片手で頭を抱えた。
「王子様と両思いになると、あんな風になるのでしょうか?」
ユメミヤは胸を押さえて、うっとりと天井を見上げた。
三人は後を追って図書室に入ったが、長椅子に座って見つめ合うふたりに、さすがにあきれて廊下に出た。
「さて、どうするのだ? 結婚式の準備と言える雰囲気でもないぞ」
タリスマンは女のすすり泣きを確認して言った。
答えかねるルイスは、吹き抜けの上階から階下を見下ろすカームに気づいた。
三人でそばに行くと、カームは奥さん達と心配そうな顔をしていた。
「みなさん、ブロウさんのことは聞きましたか?」
カームの深刻な調子に三人はうなずいた。
「祝福したいところですが、私は女性達に寄り添いたいと思います。ですが、傷はすぐには癒せないでしょうね……」
カームの美しい横顔が苦しげなのを見て、ルイスは胸が痛くなった。
「ブロウさんには、ご帰宅願わねばなりませんね」
カームは厳しい顔で処断した。
ルイスの心にも、ブロウへの怒りが湧いてきた。
「ブロウさんらしくありませんよ。あんな、見せつけるようなことをしたら、女の人達が悲しむの、わかっているはずです」
「恋は盲目と言いますから」
ユメミヤがルイスをなだめるように言った。
「それでも、酷いよ」
「ブロウ王子は、子供みたいなところがあるからな」
タリスマンが庇うように言った。
「しかし、子供のルイスに怒られるとは、また、はしゃぎ過ぎたようだな」
ルイスの怒り顔に負けて、タリスマンは断罪した。
話を聞いていたカームは、顎に指を当てて考え込んだ。そんなカームを奥さん達が見つめた。
「惚れ薬を使ったのでは?」
奥さんの一人が言った。
「私も、そう思います」
もう一人の奥さんが言った。
「ありえますね」
カームも他の奥さんも同意した。
「だけど、薬作りに必要な植物はシュヴァルツさんが持って帰ったはずです」
「また、植えたのでしょう」
ルイスの反論に奥さんがあっさり答えた。
一同はキッチンに行って、惚れ薬の痕跡を発見した。
数分後、図書室のアンドレアとブロウは女達に囲まれた。
「アンドレア、ブロウ様とのデートが忘れられなかったようね」
「みんなの隙きをついてお茶を飲ませるなんて、お見事だわ」
アンドレアはハッとして、ブロウにすがりついた。
「お仕置きの塔に連行するわ!」
女達に取り押さえられて、アンドレアは観念した。
「待ってくれ! アンドレア君!」
追いすがるブロウを、タリスマンとカームが後ろから掴んだ。
「ブロウさん、これを飲んでください」
ルイスは解毒剤の入ったティーカップを差し出した。
「お茶なんて飲んでる場合じゃない! アンドレア!!」
ブロウの慟哭は、誰にも届かなかった。
♢♢♢♢♢♢♢
お茶を飲んで我に返ったブロウは、ティールームでルイス、タリスマン、ファルシオン、ゲオルグとテーブルを囲んだ。
「いやぁ、驚かせてすまなかったね」
冷や汗をハンカチで拭いながら苦笑すると、
「全くだ。さっきまで、城は地獄のようだったぞ」
タリスマンがやっと肩の力を抜いた。
ルイスはすすり泣きの響く廊下を思い出して、王子様が結婚するのは大変なことなんだなと思い、シュヴァルツとペルタのことがバレなくてよかったなと思った。
「本当だよ。女の子達を慰めるの、大変だったよ」
ファルシオンが言って、ゲオルグが苦笑した。
「ゴメンよ」
ブロウは力なく笑うしかなかった。
「どんな感じですか? 惚れ薬を飲むと」
ルイスは気になって聞いた。
「とにかく、アンドレア君のことしか見えなくなって、考えられなくなるんだ。他のことはどうでもいいって感じなんだ」
「正に、そんな感じだったぞ」
タリスマンがしみじみとうなずいた。
「今度から、お茶は僕が淹れますよ」
「ありがとう」
ルイスの提案に、ブロウはほっとした笑顔を見せた。
♢♢♢♢♢♢♢
その頃。
お仕置きの塔に幽閉されたアンドレアを、ペルタが見舞っていた。
「ペルタ、あなたのせいよ」
アンドレアの声が、開けた覗き窓から聞こえた。
「貴方が、シュヴァルツ様と結婚しかけたの! なんて、自慢するから」
ペルタはアンドレアだけには、うっかり話したことを悔やんだ。
「ごめんなさい」
「……おかげで、ブロウ様と愛しあえて、貴方と同じ気持ちが味わえたわ」
アンドレアの言葉に、ペルタは扉に背をつけて、懐かしくシュヴァルツとの一時を思い出した。
「また、チャンスはあるわ……」
ふたりは懲りずに、うっとりと遠い目をした。
自室に戻ったペルタを、ユメミヤが待ち構えていた。
「ペルタさんも、惚れ薬の作り方をご存知だそうですね」
「ルイス君……!」
歯をギリリと鳴らすペルタに、ユメミヤは冷徹な顔で湯呑を差し出した。
「さぁ、作り方を思い出しながらこの薬草茶を飲むのです。きれいに忘れることができます」
「そんな都合のいい薬、飲んでたまるもんですか!」
ペルタは逃走を試みたが、ルイスとアンドリューによって取り押さえられて、未来の悲劇は防がれた。




