第102話 お疲れ王子様
雨の降りしきる午後、ランプの灯る薄暗い客間で、ルイスはひとり長イスに座って、満足のため息とともに絵本を閉じた。
絵本はドラゴンと少年の冒険物語だった。子ども向けだけに、純粋な夢と希望に満ちた物語がルイスの心を打った。ルイスは感動の涙をこらえて立ち上がり、重厚な作りの本棚に絵本を戻すと、隣の絵本を取って長イスに戻った。
そこへ、アンドリューが入って来てルイスに目を向けた。ルイスはワイシャツに黒い七分丈のズボンにサスペンダーをつけて、白い靴下に磨かれた黒靴という姿だった。
アンドリューが見るに、お坊ちゃんのような装いもルイスに似合っていたが、絵本を読む姿は子どもっぽさが増していて、片眉をあげた。
しかし、夢中で絵本を読む姿に思いとどまって、自分も本を取ってテーブルに向かいイスに座ると、読みかけのページを開いた。
ルイスは静かに本を読み始めたアンドリューに目を向けた。アンドリューは生真面目で鋭い目を、革表紙の本『勇者の書』に走らせていた。読み終わったら貸してもらおうと思いつつ、ルイスは絵本に目を戻した。
◇◇◇◇◇◇◇
その頃、城で王子役に勤しむテオドールは、自室の赤いベルベットの長イスに座り、両脇に座るペルタとアンドレアにおとぎ話を読み聞かせていた。
ペルタはテオドールの白いドレスシャツの腕に寄り添い、優しい朗読をうとうとしながら聞いていた。テオドールのプラチナブロンドから見える横顔は神が作り出したように美しく、ペルタは夢か現実かわからなくなっていた。
くっ、眠らないわよ! とペルタは歯をくいしばった。やっと順番が回ってきた朗読会が楽しみで昨日は眠れなかった。今は午後三時、猛烈に眠かった。そんなペルタに、テオドールの向こうからアンドレアがニヤリと笑いかけてきた。まだまだ子どもねと言いたげな笑みに、ペルタはくっと呻いた。
そこへ、テオドールの朗読が、天上界から響く天使の声のごとく聞こえてくると、ペルタはついに目を閉じた。
「王子様とお姫様は、末永く幸せに暮らしました」
テオドールはそっと本を閉じると、ふうと息をついて両脇に目を巡らせた。ペルタもアンドレアもすやすやと寝入っていた。しかも、自分のシャツにしがみついていた。
テオドールは本を膝に置くと、黒ズボンの長い足を伸ばしてエナメルの靴先だけをくいくいと動かした。そして、目を閉じて、自分にも眠気がくるのを待った。
その頃、ユメミヤはひとり、ぷりぷり怒りながら廊下を歩いていた。
「例え、お昼寝とはいえ、結婚相手でもない殿方と添い寝などっ」
「テオドール様に本を読んでもらいながら、お昼寝できるのよ」とペルタに誘われた時は素直に興味を持ったユメミヤだったが「テオドール様に添い寝していただくなんて、最高の瞬間だわ」との言葉に、固くお断りしたのだった。
「なんと奔放な方達、お嫁入り先があるか心配ですっ」
ユメミヤは母親の気分で厳しく呟いた。
そうこうしながら客間が見えてきた時、ルイスが客間から出て来た。
「あ、ユメミヤ」
「ルイス君」
ユメミヤは笑いかけてくるルイスに、喜びの笑顔で走り寄った。しかし、ルイスが脇に本を抱えているのを見てギョッとした。
「まさか、ルイス君も、女性達に本を読みながら添い寝を?」
ユメミヤは動揺から、息も絶え絶えに聞いた。
「あ、本を持ってきてしまった」
ルイスはユメミヤに言われて本に気づいた。あまりに愛着があるため、無意識に持って来ていた。
「お茶を飲みに行くんだ。ユメミヤも飲む?」
嬉しい誘いだったが、ルイスが自分に添い寝をしている不純な妄想が、ユメミヤの正常な判断を妨げた。
「いえ、私は⋯⋯お部屋に!」
「そっか、またね」
ルイスは気さくに笑いかけたが、ユメミヤは赤くなった顔を隠すように背を向けた。
「ごめんなさい!」
走り去るユメミヤを、ルイスは驚きと困惑の目で見つめた。
「そんなに気にしなくていいのに」
お茶ならいつでも飲めるさと思いながら、ルイスはティールームに向かった。
自室に駆け込んだユメミヤは、はあはあ息をしながらベッドに座った。
「添い寝。ルイス君が本を読みながら添い寝⋯⋯」
自分の呟きが催眠術のように、ユメミヤの体をベッドに横たえさせた。隣に現れるルイスを目を閉じて必死に消そうと、長く格闘しなければならなかった。
ルイスはティールームでカームに会った。カームがお茶を淹れるのを見るのは初めてだった。
美しくもカッコいいカームは、ティーセットを用意する姿も絵になって、ルイスは思わず見学した。手際のよさにも尊敬の念を抱いた。
「テオドールとお茶を飲むのですが、ルイス君も一緒にいかがですか?」
熱心に自分の手元を見るルイスに、カームは微笑みかけた。
「僕は⋯⋯」
ルイスは一瞬で緊張した。
「私もですが、テオも喜びますよ」
カームはニッコリと言った。
そういえば、テオさんはみんなと気軽にお茶したがっていたなと、ルイスは思い出した。
「喜んで」
ルイスは意を決して笑顔を返した。
「テオはもうすぐ外国に行くのですが、少し疲れ気味なのですよ」
カームがお茶を運びながら、心配そうに言った。
モテモテ過ぎて疲れるのかな?と、ルイスも心配になった。
「カームさんの淹れてくれたお茶を飲んだら、きっと元気になりますよ」
ルイスの励ましに、カームは嬉しそうにうなずいた。
テオドールの自室を訪ねたふたりは、待ち構えていたテオドールに歓迎された。
「ありがとうございます、カームさん。ルイス君まで」
テオドールはふたりを長イスに招いた。
「テオさんとお茶できて、嬉しいです」
ルイスはなるべく気さくに言った。ペルタが羨ましがるなと思った。
「レモンバームティーです。元気がでますよ」
「いただきます」
ルイスはテオドールの隣に座って、さっそく飲んだ。レモンの香りとほのかに甘い味がして、さわやかな優しさに包まれた。
「とても美味しいです」
ルイスは疲れていないが、ほっと脱力した。
疲れ気味のテオドールは、さらにほっとした様子だった。
「ここでの暮らしはとても刺激的です。それだけに、ここで女性達と接する時が一番気を抜けないんです」
テオドールは真剣な顔に戻って言った。連日女性達へ読み聞かせをしていた。
「なんと言っても、王子様として見られていますからね」
テオドールはドキドキしてきた鼓動を鎮めるために、ハーブティーを飲んだ。
テオさんですら緊張するとは、僕は今までよくやってこれたなと、ルイスは自分に感心した。
「気負う必要はありません。自然体が1番ですよ。私は、ここでは王子達にも幸せでいてもらいたいのです。お姫様達も、それを望んでいますよ」
カームの愛ある助言に、テオドールはうっとりした尊敬の眼差しを向けた。
「自然体ですか」
テオドールは長イスに背をもたれると、体の力を抜いた。
「そうそう」
くつろいだ姿に、カームは笑顔でうなずいた。
「そうだ。本を読みましょうか?」
ルイスもテオドールになにかしてやりたくなり、持っていた本に気づいた。
「自分が読んでもらうのは初めてだ。お願いするよ」
ルイスはテオドールが読み聞かせをする姿を想像して、夢のようだなと思った。
ルイスは読み聞かせは初めてで、上手くできるかわからなかったが、心をこめてなるべくゆっくりと読んだ。何度も読んだ本だけに、わりかし上手く読めた。
いつしかテオドールもカームも気持ちよさそうに目を閉じていて、ルイスは朗読の成果に笑みを浮かべた。
数日後、テオドールは元気な笑顔で出掛けて行った。
ルイスは城の住人とともに、玄関でテオドールを見送った。次はいつ帰るかわからないというテオドールに、女性達は涙を流した。
「結局、ふたりきりでお茶できなかった!」
ハンカチに顔を埋めて泣くペルタに、ルイスは同情しながら、お茶できてよかったなと思った。しかし、テオさんが城に居た時間は短くて、夢のようだったなと遠い目をした。
「ルイス君、女性達にも本を読んであげて」
ルイスの読み聞かせに感動したテオドールが残した言葉だった。
ルイスは読み聞かせを通して、ドラゴンとの友情を多くの人に知ってもらえればいいなと前向きに考えたが、ユメミヤの熱烈な反対を受けて、個室での読み聞かせはNGとなった。




