第101話 禁じられた方法
夜明けの薄暗い時刻に、ルイスは吹きつける風に目を覚ました。柔らかい風が少し開いた窓から吹き込んでいて、ルイスは起きて窓を閉めて、ふと外を見た。
外は部屋より明るく、窓からはハーブを植えた花壇が見える。そこに、黒いローブにフードを被った何者かが、背を向けてしゃがみ込んでいた。
「魔女?」
後ろ姿から見当をつけたルイスは、壁に体を隠した。
二階のこの部屋からでは、相手に気づかれる危険があった。ルイスが息を潜めて見ていると、何者かは立ち上がり歩き出した。その手には、草花の入ったかごを抱えていた。
フードからチラと見えた横顔はペルタに見えた。しかし、ルイスは日頃ペルタと魔女を結びつけることが多いため、思い込みかもしれないと疑った。しっかり確認する暇もなく、その者は見えなくなった。
ルイスは行方が気になったが、バリアで守られた城に居るということは、怪しい者ではないはずだと自分を納得させてベッドに戻った。
♢♢♢♢♢♢♢
朝日がのぼり、朝食の席についたルイスはペルタを伺った。ペルタは何事もない様子でおはようと笑い、パンをかじっていた。アンドリューとユメミヤもいつも通りで、フードの者に繋がるような話題も出なかった。
ルイスは朝食を済ませてから、ペルタを自分の部屋に連れて行った。
「夜明け頃、魔女みたいな格好で庭に居なかった?」
ペルタはギクリと目を丸くした。
「見られていたのね」
「やっぱり」
ルイスは侵入者でなかったことに、ほっとした。
「見られたからには、仕方ないわね」
ペルタはニヤリと笑い、ルイスは身構えた。
ペルタの豊かな長い黒髪に、ぱっちりした強気な目とツンとした鼻に赤い唇の顔立ちは、魔女のローブが似合いそうだとルイスは思った。紫のワンピースに茶色いブーツ姿も魔女のイメージに拍車をかけた。
ペルタはスカートのポケットから、小瓶を取り出して見せた。
「これを作るための、材料を集めていたのよ」
「これは?」
ルイスは緑の液体の入った小瓶を凝視した。
「惚れ薬よ」
「惚れ薬!? 効果あるの?」
ルイスは小瓶を受け取り、冷静に眺めた。
「あるわよ。オトギの国に伝わる方法で作ったんだから」
ペルタは楽しそうに答えた。
「どうして、作り方を知ってるの?」
「魔女のおばあさんに教えてもらったのよ」
ルイスの危機感が増した。
「どんな方法で作るの?」
ルイスは好奇心からつい質問した。
「材料はニワトコ、ハッカ、ウイキョウ、スミレ、これを夜明けに摘むのよ。ウイキョウがなかなか見つからなくて焦ったわ」
「どうして、全部城にあるの?」
ルイスはがく然と聞いた。
「きっと女の人達が植えたのよ。女の子は、惚れ薬の誘惑には抗えないのよ」
あきれた目を向けるルイスに、ペルタは笑いかけた。
「そして、材料を秘伝の方法で煮込むのよ」
「そこを詳しく、僕にだけ教えてほしいな」
「ルイス君たら、なにも難しくないわ。材料を全部鍋に入れて、“ホレロハレロ”と唱えながら色が出るまで煮込むの。ただし、作っているところを誰にも見られてはいけないの」
「なんだ、簡単だね」
ルイスは改めて薬の効果を疑った。
「効果はいつまで続くの?」
「普通の薬と同じだから、一日くらいかしら?」
一生じゃなくてよかったと、ルイスはほっとした。
「さぁ、返してちょうだい」
ペルタが手を差し出したが、ルイスは小瓶をギュッと握った。
「ついに、禁じ手を使うんだね」
ルイスの厳しい態度に、ペルタは一気に動揺しはじめた。
「だって、この城には王子様が沢山居るから! こんなチャンス二度とないわ」
「まさか、全員に飲ませるつもりじゃ?」
ルイスはやりかねないと、ペルタを横目ににらんだ。ペルタはとろんとした笑みを見せた。
「⋯⋯王子様全員に惚れられたら⋯⋯そんな幸せが訪れたら、次の日は生きていないかもしれないわね」
ペルタは力なくフッと笑った。ルイスもそうかもしれないと思った。
「その前に、全員に飲ませるには、ルイス君に協力してもらわないと」
「しないよ」
ルイスの即答に、ペルタはガックリとした。
「じゃあ、誰に飲ませようかしら?」
すぐに気を取り直して考えるペルタに、飲ませることを諦めさせねばと、ルイスは気を強く持った。
「ブロウ様はどうかしら? 私を師匠と頑なに思い込んでいる。目を覚まさせてあげなくちゃね」
「手伝わないよ」
「くっ」
笑いかけてくるペルタに、ルイスはキッパリと言った。
「王子様とふたりきりでお茶できるように、ルイス君に手伝ってもらいたかったのに。いいわ、ひとりでなんとかするわ」
「くっ」
ペルタは断固とした態度で小瓶を取り返した。ルイスは仲間を呼びに行こうにも、ペルタが扉の前に居て動けなかった。
「シュヴァルツ様はどうかしら?」
ペルタは懲りずにルイスに笑いかけた。
「普段ツンツンしてるクールな方ほど、惚れた相手にだけは優しいのよね」
キラキラした遠い目をするペルタを、ルイスは冷静に眺めた。
「女の人の、都合のいい妄想だね」
ルイスの辛辣な意見に、ペルタは動揺したがすぐにキッとした目を向けた。
「いいえ、これは恋愛界の常識よ。定説というのかしら?」
「定説ですか?」
ルイスは両手を後ろに組んで、改まった態度で疑いの目を向けた。
「これで、確かめることができるわ」
ペルタは小瓶を胸の前にかざして笑った。
「凄い誘惑だ……っ」
ルイスは歯をくいしばって誘惑に耐えた。王子達を魔女から守る使命感に燃えていた。
「ロッド君も、同じように興味深いわね」
ペルタに夢中になっているロッドを見たら、笑ってしまうなとルイスは笑いをこらえた。
「博愛主義のカーム様も、ひとりの女に夢中になった姿が見たいわ」
「バレて怒られても知らないよ。優しい人ほど怒ったら恐いのも定説だよ」
ペルタは大いにたじろいだ。
「じゃあ、バレても怒らない王子様、ファルシオン様かしら? 本気になったらどうなるか、想像できない方よね」
ペルタと一緒にルイスも天井を見上げたが、確かに想像できなかった。
「テオドール様も、手が届きそうで届かないのよね」
「ふたりでお茶するのも、難易度が高そうだね」
「うぅ」
悲しげな顔になったペルタに、手を差しのべそうになるのを、ルイスは心を鬼にして止めた。
「ゲオルグ様は⋯⋯どうしようかしら?」
「ん?」
「惚れ薬を飲ませていい方には思えないわ」
ペルタをためらわせるとは、さすが僕の剣の師匠だなと、ルイスは目を閉じてうなずいた。
「王子様になろうと日々奮闘なさっているゲオルグ様を、弄ぶような真似はね」
「弄ぶつもりで、惚れ薬を飲ませようとしてるんだ?」
ルイスの白い目に、ペルタはまた大いに動揺した。
「弄ぶというか! 王子様達の方が、私を弄んでいると思わない? 私の本気の心を翻弄して、アプローチから逃げてかわして、弄んでいると思わない?」
ペルタは前のめりにルイスに迫った。
「思わないなぁ。みんな、真剣に逃げてかわしてると思うよ。だって、ペルたんは怒らせると、魔女になる危険があるからね。弄ぶなんて恐くてできないよ」
歯をむき出して自分をにらむペルタに、ルイスはしまったと思った。
「なんですって?」
ペルタは猛獣が襲いかかるように爪を見せた。ルイスは必死に防御の型をとった。
「魔女になったら、王子様はひとりも逃がさないわ。もちろん、ルイス君もね」
ペルタはフンと体を背けた。ルイスは未来の危機に恐怖しながらも、目の前の危機もなんとかしなければならなかった。
「ペルたん、王子様を、いや、誰も弄んじゃいけないよ。惚れ薬なんて、使っちゃいけないんだ」
悲しげに訴えるルイスに、ペルタは猛獣が大人しくなるようにしゅんとなった。
「それに、薬を使った後のことを考えた方がいいよ」
「バレても怒らないのは、やっぱり、ブロウ様かファルシオン様かしら?」
「人選を慎重にするんじゃなくて、諦めようよ⋯⋯」
ルイスは脱力しつつ、仕方なく乗っかることにして、キッとして言った。
「シュヴァルツさんは、凄く怒るよきっと。許してくれないかもね」
冷静なルイスが言うだけに、ペルタは全身を震わせた。
「ロッドもあきれるだろうね。二度と、近づかなくなるんじゃないかな?」
ペルタはガクガク震え続けた。
「アンドリューさんにも怒られるよ」
「それは慣れてるけどぉ」
ペルタは少し復活して言ってのけた。
「ユメミヤにも怒られるわね」
ペルタは肩を落として、フウと息をついた。
「諦めるわ。一番怒っているのは、ルイス君だもんね」
ルイスは笑顔でうなずいた。
「それに、これは効果がないわ。ルイス君に材料集めを見られてしまったものね」
ペルタは小瓶を目の前にかざして眺めた。
「そっか、よかった」
「ルイス君に見られるとは、他の人ならやり直すところなのにな」
「やり直したら、許さないよ」
「はい」
腕を組んで釘をさすルイスに、ペルタは頭をさげた。
ルイスは王子達を守れてほっとした。
「正当な方法なら、いつでも協力するよ」
まだしゅんとしているペルタに、ルイスはニッコリとした。
「ありがとう!」
「他の人に、作り方を教えたらダメだよ」
「⋯⋯わかりました」
ペルタはしぶしぶ答えて出て行った。ルイスはこの先、ペルタが禁じ手を使わずにすむように祈った。
♢♢♢♢♢♢♢
その日の午後、ルイスは惚れ薬の材料が気になり庭に出た。本を片手に熱心に庭を探索するルイスに、シュヴァルツが声をかけてきた。
ルイスはペルタが怒られるだけだと思い、誰にも言わなかったが、シュヴァルツにだけペルタと惚れ薬のことを話した。
「ウイキョウがまだ残っていたか」
シュヴァルツが顔を青白くした。
「えっ?」
「惚れ薬の材料が全て、この庭に揃っていることが気になってな。カーム王子に断って、ウイキョウだけ持ち帰っていたのだ」
「そうだったんですか」
さすが、花に詳しいシュヴァルツさんは頼りになるなと、ルイスは感動した。
ふたりは広い庭をウイキョウを探して歩いたが、見つからなかった。
「今回使ったのが、最後だったようだな」
「また見つけたら、持って帰ってあげてください」
「喜んで。全く、女性達には困ったものだな。薬に頼るなど」
ご立腹のシュヴァルツに、ルイスはペルタを止められてよかったと思った。
「シュヴァルツさんは、どうして、材料を知っているんですか?」
「オトギの国で手に入れた植物の本に載っていたのだ。偶然だ。決して、自分で使ったことはない。これからもない」
「シュヴァルツさんが、使う必要はないですよね」
「ルイスもな」
ルイスは喜んで笑顔を返した。
「心配なのは、女性達だな。特に⋯⋯これからも、見張りを頼む」
「かしこまりました」
ルイスは恭しく、片手を胸に当てた。




