第100話 冒険はやめられない!
花壇の前でシュヴァルツがロッドに花の名前クイズを出していた。ふたりとも、黒シャツに金の刺繍の黒いベストにズボンに革靴姿だった。
「この花の名は?」
シュヴァルツが花壇の赤い花を目で示し、ロッドが前屈みに見つめた。
「薔薇に似てるけど」
「しかし、薔薇ではない」
「⋯⋯⋯⋯あーダメだ。薔薇しか出てこなくなった。休憩しよう」
ロッドは体を伸ばして、ちぎれ雲の浮かぶ青空を見上げた。シュヴァルツは息をついて空を見上げた。
「空を見上げていると、なぜ自分がここにいるのか不思議に思わないか?」
「⋯⋯聞かれて初めてそう思った」
シュヴァルツはロッドを眺めた。
「お前は、物事にあまり動じないタイプだな。罰ゲームなどでいきなり異国に来て、父上と母上が旅に出る時も、あっさり見送ったな」
「慣れてるからね。旅行好きでさ」
「ふむ」
「シュヴァルツさんは物事に動じ過ぎじゃない? まだ気にしてるの?」
ロッドは首をかしげて、黒い瞳をのぞきこんだ。
「いや、気にしていない」
シュヴァルツはロッドの目を力強く見返した。
「ただ、ここに居るのが不思議だなと純粋に思っただけだ」
「王子になる前はどんな暮らしをしてたの? 普通じゃないよね?」
「普通じゃないとは?」
シュヴァルツは少したじろいだ。
「王子の暮らしに慣れてる感じだからさ。庶民的なところがないよね。王子になったらそうなるのかと思ったけど、俺はまだ堅苦しいなって思う時あるし、ブロウさんは庶民的なところあるし」
ロッドはニヤリと笑いかけた。
「俺の両親のこと父上母上とか呼ぶし、普通の家は呼ばないよ」
「お前の期待しているような、王公貴族の生まれではない。ただの成金、金持ちの家の生まれだ」
「なんだ、俺と同じか」
城に目を向けたロッドは、窓に仕立て屋を見つけた。
「仕立て屋さんに、体を小さくしてもらおうかな。そうしたら、花壇を見て回るのも楽しくなるかもね」
シュヴァルツはその提案に胸が疼いた。しかし、小さくなって喜ぶなどためらわれた。
「見ろ、ハチにアリもいるぞ。小さくなれば襲われる危険がある」
「ホントだ。デカイ虫なんかヤバすぎだね。やめとこう」
「小さくなるなら城内でだな。花瓶に活けた花なら虫はいない、あ、いや」
「それより、降参するからさ。この花の名前を教えてよ」
「ラナンキュラスだ」
「ラナンキュラスか。覚えたよ」
「薔薇に似ているが薔薇ではない花。決して薔薇にはなれない花。女性が我が身を重ねて見る花だ。同じように、ひっそりと咲くすみれや忘れな草などもな」
シュヴァルツが真面目に語る豆知識を、ロッドはリアクションに困り果てた顔で聞いていた。そんなふたりに、女性が数人近づいて来た。
「あ、女の人達だ。ますます花に集中できない。俺は失礼します」
ロッドはシュヴァルツに断ると、女性達に軽くお辞儀してその場を離れた。
その様子を、少し遠くからファルシオンがキャンバスに向かいながら見ていた。
「あーあ、ロッド君はもうどこか行っちゃったよ」
「呼び戻しましょうか?」
ファルシオンの写生を眺めていたルイスは聞いた。
「ありがとう、頼むよ」
ファルシオンの笑顔に見送られて、ルイスはロッドの後を追い、玄関ホールに入ったところで呼び止めた。
「ロッド、戻ってよ。ファルシオンさんがロッドとシュバルツさんを絵のモデルにしてるんだから」
「冗談だろ」
ロッドは顔が赤くなりそうで、眉を寄せた。
「嫌がらないでよ。絵のモデルなんて、王子様なら普通のことだよ」
ルイスがニヤリとして見せると、ロッドは納得したようにフウと肩の力を抜いた。
「いや、騙されるかよ。花壇にいる王子様の絵なんて、見たことないぞ」
ロッドはまたキッとした顔になり、腰に片手を当てた。
「いいじゃないか。別に、薔薇を手に持ってとは言わないよ」
笑いをこらえるルイスに、ロッドは鼻を鳴らした。
そこへ、玄関の扉が開いてシュヴァルツが現れた。
「ロッド、父上と母上がお見えだぞ」
「えっ。俺の? なんでここに」
ロッドとルイスが驚きの顔を向けると、シュヴァルツの後からロッドの父ランサーが現れた。
「ロッド! 奇遇だな」
「奇遇って⋯⋯?」
ランサーはよれよれのワイシャツに革ズボンにブーツ姿で、リュックを背負っていた。疲れた悲しげな顔でロッドを見ると、覆い被さるように抱き締めた。
「もう会えないかと思ったぞ」
「どうしたんだよ?」
ロッドは予想外の行為に戸惑った。
続いて、妙齢の女性がファルシオンに連れられて現れた。40くらいで、黒髪をアップにまとめて化粧は崩れていたが美人だった。砂色のコートを着ていた。
「王子様、私はなんて不幸なんでしょう。いくつになっても、男の人に怖い目に遭わされるの」
「大変だ」
すがりつかれるファルシオンは真摯に答えた。
「ロッド! 会いたかったわ」
女性はロッドをきつく抱き締めた。ロッドはルイスを見た。
「お母さん?」
「そう」
ルイスは丁寧にお辞儀した。
「初めまして」
「初めまして⋯⋯」
ロッドの母がルイスを興味深く見た時、ランサーがやって来た。
「やぁ、ルイス君! 久しぶりだね」
「お久しぶりです」
ふたりは笑顔で握手を交わした。それを見て、ロッドの母は納得したようにうなずいた。
「貴方がルイス君?」
「はい」
「想像よりずっと素敵だわ。もっとやんちゃな見た目かと思っていたら」
ルイスに食らいつく母を、ロッドは服を引っ張って自分の方に向かせた。
「なにがあったの?」
「ああ、ロッド。私達くたくたなの」
ロッドは母にしなだれかかられて、迷惑そうな顔をしたがじっとしていた。
「旅人を休ませてくれる城があると聞いてな」
ランサーが話した時、城の主カームが階段を降りて来た。
輝く金髪に美しい顔、ワイシャツに白地の金の刺繍入りベストと白ズボンに黒靴、堂々たる姿は、誰にも一目で城の主とわかった。
ランサーはカームに握手を求めた。
「カーム王子様ですか? 素晴らしい! 我々のような弱者に優しい、理想の王子様ですな」
「ありがとうございます。ロビンソン夫妻ですね?」
「そうです。お世話になります!」
「王子様。ベルティです」
ロッドの母はぐいと、カームに近づいて握手した。
「カームと申します。よろしくお願いいたします」
カームはそつなく微笑みで応じた。
「こちらは私達の息子」
ランサーとベルティは両側からロッドの肩を抱いた。
「そうでしたか」
カームは驚きに目を丸くした。
「父と母が突然すみません。よろしくお願いします」
ロッドは深々と頭を下げた。
「わかりました。思いがけず、再会できてよかったですね。さぁ、こちらへ」
カームは片手で階段に誘った。
「じゃあ、僕はこれで。ゆっくり休んでください」
ファルシオンがにこやかに挨拶した。
「またお会いしましょう。王子様」
未練を見せるベルティの肩を、ロッドが引っ張った。
「なにがあったんだよ?」
カームの後に続きながら、ロッドは隣のランサーに聞いた。
「3回も強盗に遭ったんだ!」
ロッドだけでなく、ルイスと王子達も驚いた。
「旅を始めて、まだ何ヵ月も経ってないだろ?」
「かなり頻繁に、大変な目に遭いましたね」
カームが困惑と心配の混ざった顔でランサーを見た。
「普通の格好でも金持ちに見えるんですな。妻は美人だし」
ベルティは嬉しそうに微笑んだ。
「持っていた宝石も全部盗られたましたの。イヤリングまでむしり盗られて、耳がちぎれるかと思ったわ」
耳を押さえて顔をしかめた。
「旅に金目の物や装飾品は厳禁と、言ったはずですが」
シュヴァルツの厳しい声に、ベルティはビクッとして後ろのシュヴァルツをチラ見した。
「ごめんなさい、王子様」
しゅんとなったベルティを、ロッドもあきれた目で見ているとランサーが肩に手をおいた。
「カメラも盗られたんだ」
「シュヴァルツさんの言うことを聞かないからだろ」
ふたりはもっとしゅんとなった。
♢♢♢♢♢♢♢
客間に案内されて、長イスに座ったランサーとベルティはほっと息をついた。幸い、怪我や病気もなく、セバスチャンの運んでくれたお茶を飲んだ。ロッドもテーブルを挟んで長イスに座った。
「俺達は、どこか安全な国の田舎に引っ越すよ」
ランサーが深刻な顔で言った。
「家には帰らないの?」
「田舎でのんびりしたい気分なんだ。引退には早いかもしれないが、一生分冒険した気分だよ」
ランサーの力ない態度に、ロッドは素直にうなずいた。
「よかったわ。まだ冒険しようと言ったら、離婚を考えるところよ」
ベルティの手をランサーは握った。
「オトギの国を出ていいんだね? 王子様に会えなくなるけど」
「貴方が居るもの」
ふたりは微笑みを交わした。
「田舎に引っ越してからやってくれる?」
ロッドは頭をかきながら、あきれて止めた。
「ロッドも来ないか?」
「こんな危ない国で、王子様で居るつもり?」
両親の心配をよそに、ロッドはキッとした顔で足を組んだ。
「田舎で王子様なんて、やりたくないよ」
心配な顔を向け続ける両親に、ロッドは動じなかった。
「大丈夫だよ。しばらくはシュヴァルツさんの城にお世話になって⋯⋯強くなるからさ」
涙を流し初めた両親に、ロッドは困って笑った。
「ルイスも居るし、一緒にここで王子の勉強してるんだ」
「勉強だって!?」
また大粒の涙を流されて、ロッドは笑うしかなかった。
「自分の城を持つ日を、待っているよ」
ランサーが消えそうな声で、なんとか言った。
ロッドは客間を出て、シュヴァルツとルイスを探してキョロキョロした。吹き抜けの階段から下を見ると、玄関ホールにルイスを見つけた。
ロッドがそばに行くと、ルイスは手紙を読んでいた。
「お父さんとお母さんは、大丈夫?」
「うん、オトギの国はこりごり、安全な国の田舎に引っ越すってさ」
ルイスは思わず笑い、ロッドも笑った。
「3回も強盗に遭えばね」
「俺も一緒に来いって言われたけど、なんとか説得したよ。俺が城を持つ日を待つってさ」
ふたりはほっとした。
「僕も母さんから手紙が来たよ」
ルイスはまた手紙に目を落とした。
ルイスは両親と、海の見える自分の家を思い浮かべた。これから自分はオトギの国で暮らすという思いが沸き上がると同時に、故郷が遠く懐かしいものに見えた。
遠い目をするルイスの顔を、ロッドが見つめた。
「帰りたくなったか?」
「いや、帰らないよ。ドラゴンと暮らせないからね」
「全く」
強がりに、ロッドは笑った。ルイスはもう1通の手紙を開いた。
「オトギの国に来てる友達からだよ。装飾品の職人になるんだ⋯⋯⋯⋯冒険が楽しくて、まだ弟子入り先を見つけてないって」
「そうこなくちゃな」
ロッドは田舎に逃げ出す両親を見た後で、すっきりした気分になった。
キールは弟子入り先を見つけたらまた手紙を書くと結んであった。ルイスは大事に手紙を封筒に戻した。
「僕達も、また冒険に行こうよ」
「そうだな。だけど、今度はこっそり抜け出すのは無理だな。お前がこの城から居なくなったら大騒ぎになるぜ」
「シュバルツさんも、今度はもっと心配するよ」
ふたりは笑い合い、さっそくどこに出かけるか話し始めた。




