第92話 悪夢から覚めて思うこと
静かな午後、シュヴァルツ王子はルイス一行の使う客間に居た。
黒髪を後ろで束ねて、切れ長の目を少し眠たげにして、黒衣を着た体の力を抜いて、窓を背にイスに座っていた。
ここは城に滞在する女性達に会わず、くつろぐことができた。客間にはアンドリューが共にテーブルを囲んで座っていたが、黙々と新聞を読んで邪魔になる男ではなかった。
そこへ、扉がノックされブロウ王子が現れた。短い黒髪に整った穏やかな顔で、ワイシャツとズボンに革靴姿で、本を何冊か抱えていた。
「やぁ、お邪魔していいかな?」
アンドリューとシュヴァルツは笑顔を返した。
ブロウの目的もここでくつろぐことで、アンドリューの向かいのイスにゆったりと体を預けた。
「シュヴァルツ君、今日は少し元気がないね?」
窓からの光を背中にうけて、ぼんやりするシュヴァルツにブロウが聞いた。
「連日城に通われて、お疲れなのではありませんか?」
アンドリューも顔を見て気にかけた。
シュヴァルツは居候のロッド王子と共にこの城に通っていた。
「いや、久しぶりに悪夢を見てな」
アンドリューは別れた恋人の夢かと見当をつけた。それだけに、ストレートに聞くのははばかられた。
「別れた恋人さんの夢かな?」
ブロウがあっさり聞いて、アンドリューをギョッとさせた。
「そうだ」
シュヴァルツは動揺もなく答えた。
「仕立て屋の連れの女」
シュヴァルツはアンドリューに覚えているかと目を向けた。アンドリューはうなずいた。
「お前からカーム王子へと、電光石火の心変わりを目の当たりにして、女の移り気に改めて悶絶したのだ」
アンドリューとブロウは、悪夢にうなされるシュヴァルツを想像して同情した。
「恥ずかしい話だ。姫に去られた王子など、人前に出るものではなかったか。迷わず、死を選ぶべきだった」
「なりません」
「そうだ、いけないよ」
アンドリューとブロウは厳しい顔で即答した。
「男が女のために死ぬのは、戦いや決闘の中だけです。去った女のために死ぬなどなりません!」
噛みつきそうなアンドリューの顔に、シュヴァルツは笑いかけた。
「胸のすくような気持ちだ。礼を言おう」
「まさに、勇者だね」
王子達の称賛に、アンドリューは恐縮して視線をさげた。
「シュヴァルツ様は、繊細なところがおありですから、女性達から影響を受けすぎるのです」
「僕は、繊細に見えないかな?」
シュヴァルツを心配するアンドリューに、ブロウが頬杖をついて聞いた。
「いえ、そんなことは」
笑うブロウを見て、からかわれていると知ったアンドリューは少し憮然となった。
「心配ない。女性の移り気には、馴れてきた。悪夢にも、続きがあってな⋯⋯虎のような女が現れて、必死に応戦したのだぞ」
虎のような女、仲間のペルタだとアンドリューは察した。ブロウも気づいてクスッと笑った。
「申し訳ありません。夢にまでお邪魔して」
「気にするな。その後、お前とルイスが出てきて、助けてくれたからな」
アンドリューは夢の自分の活躍にほっとした。
「虎のおかげで、ひとりの女に囚われている場合ではないと、教えてもらった」
前向きなシュヴァルツに、アンドリューはさらにほっとした。
「そうだよ。僕なんか、何人もの恋人に去られていて、王子とは言えない私生活だった」
「⋯⋯上には上が居るな」
「悪夢は見ないけど、ここに来ると胸が痛くなる時がある。もっと、王子様らしくしてあげていればとね。だけど、来たくなるんだ。みんな待っていてくれるし、君達にも会えるからね」
ブロウはふたりに優しく笑いかけた。
「俺もルイス達も、おふたりに会うのを楽しみにしていますよ」
アンドリューも心からの笑顔を見せた。
「嬉しいよ。特にペル師匠は喜んでくれるね。時に、ユメミヤ君はルイス君が好きなのかな?」
ブロウの質問に、アンドリューはうなずいた。
「ルイスには故郷に恋人が居ます。叶わない夢と知った上で、慕っているようです」
「なんて、健気な娘だ」
「一途な少女には、胸を打たれるな」
「ペルタに、見習わせたいものです」
その頃、ペルタとユメミヤは庭の芝生に座っていた。
「ねぇ、アンドリューったら酷いのよ。ルイス君が私は今のままでいいって言ってくれたというのに、『それは、本人の前ではそう言うしかないだろうな』ですって」
ペルタは芝生に寝転んで、頬杖をついて話した。ユメミヤはそばにゆったり座っていた。
「ルイス君の言うことに、間違いはありません」
「そうなのよ。今のままの私⋯⋯アンドリューがね『今のままのお前と言うのは、ルイスや俺に見せているお前のことだぞ。王子の前でも今のお前を見せるべきだ』って言うのよ!」
体を起こしたペルタを、ユメミヤは上から下まで眺めた。
「私、おしとやかになりたいのよ!」
ペルタはユメミヤの手を握った。
「ユメミヤみたいになりたい。おしとやかな方がいいのはわかってる。ルイス君も、ユメミヤに心が揺れているもの!」
ユメミヤはペルタの手を両手で握った。
「そうでしょうか?」
「間違いない! 一生忘れられない女になってる! 私もなりたい!」
ユメミヤは喜びもそこそこに、ペルタの勢いにおされた。
「ペルタさんは、もうなっていると思いますが」
「本当に? 王子様達みんなかしら?」
ユメミヤはキッとして、嬉しそうなペルタを見た。
「おしとやかになりたいなら、まず、おひとりに決めることです」
「くっ⋯⋯」
いきなりの難題に、ペルタはなにも言えなかった。
客間では、ルイスとロッドも交えて話していた。
「シュヴァルツさん、気になってるんですが、カームさんのようになったりしますか?」
「それは、俺も気になってた」
ロッドもシュヴァルツに注目した。
この城の主カームは、多くの女性に慕われそれを全て受け入れていた。
「⋯⋯カーム王子のように、心を開けたら楽になれるだろうな」
前向きともとれるシュヴァルツの言葉に、一同は目を見張った。
「素晴らしい根性だよ。僕はとても真似できない。女性達のために、本ならいくらでも書くけどね」
ブロウはカームに続くと決めてかかった。
「待ってくれ。カーム王子のようになるとは、言っていない」
シュヴァルツの否定に、ロッドはほっとした。
「なぜ、そんな風に思ったのだ?」
シュヴァルツが少し威圧的にルイスを見た。
「夜会でシュヴァルツさんが言った『女の人達全員を』の続きをペルタさんが気にしていたので」
「ああ、『守りたい』と言おうとしたのだ。言ってしまえばよかったが、俺には到底できないことだな」
シュヴァルツは潔く微笑んだ。
「誰にもできないさ」
ブロウが優しく言った。
その夜、客間で一行だけでお茶を飲む時間、ルイスはシュヴァルツの言葉をペルタに伝えた。
「守りたいか。シュヴァルツ様に守ってもらえたら幸せね」
ペルタは目を閉じて、うっとり笑った。
「全員を守りたいということは、カーム様のようにお城に入れてくれるかしら?」
「カームさんのようにはならないよ。今のままカームさんの城に通うだけ。ブロウさんもね」
ペルタは乗り出していた体を、イスに預けた。
「困った時は、お城に入れてくれるよ。きっと」
「虎のように振る舞うなよ。眠りを妨げることになるのだからな」
「なによ! 私は、おしとやかなお姫様よ⋯⋯」
ペルタはユメミヤの視線をさけて言った。
「教えてやってくれ。よろしく頼む」
アンドリューがユメミヤに言った。
「⋯⋯今のままのペルタさんの、王子様を探すのもいいかと」
アンドリューはがく然として、ルイスは探すしかないかと覚悟を新たにした。
深夜、ルイスは未来の自分の城で、虎と出会う夢を見た。虎は魔女に姿を変えられたお姫様だった。
目を覚ましたルイスは、虎に変えられるなんて、危ないお姫様だと確信した。




