第90話 封印を解かれた壺
のどかな昼下がり、ルイスは廊下のギャラリーで絵画や骨董品を鑑賞していた。同じ作品でも、何度見ても飽きなかった。
その中に、初めて見る壺があった。
台に飾られた陶器の壺は、ルイスの半身より少し小さく、赤系統の花が描かれていた。
「お城にぴったりの壺だ」
ルイスは壺の両側についた、金の取っ手が細いのが気になった。それで、よっと持ち上げて、ゆっくりとおろした。
ルイスは今まで、展示物に触れたことはなかった。大胆なことをしたなと思ったが、取っ手の実用性に満足しつつ取っ手から手を離した。
すると、片方の取っ手がぽろりと取れた。
「えっ、嘘だよね?」
ルイスは赤い敷布の上に落ちた取っ手を、急いで元の位置に押し当てた。
取っ手はくっついた。ルイスは何事もなかったような壺を見つめて、荒い息をした。
目撃者はなく、ルイスは一瞬悩んだ。壺同様、何事もなかったように振る舞うか、正直に城の主カーム王子に報告するか。もちろん、すぐに後者を選んだ。カームさんなら、許してくれると思えたからだった。
しかし、夜会で上げた評価を落とすのは嫌だった。
力なく歩くルイスの前方から、アンドリューが階段を登って来た。
「どうした? 顔色が悪いぞ」
首をかしげるアンドリューのシャツに、ルイスは前のめりにしがみついた。
「アンドリューさん! 物凄く高そうな壺を買うお金が必要なんだ! なにか、いい方法はない!?」
「どうした!?」
アンドリューもルイスの肩を掴んだ。
「強いモンスターを倒したら、凄い報酬がもらえるかな?!」
「その前に、なぜ壺を買うんだ? まさか、女のためか?」
「違うよ⋯⋯カームさんのため、いや、僕はカームさんのところに行くよ」
ルイスはカームのことを思い出して、アンドリューと別れて冷静に現実を歩いた。
ルイスを見送ったアンドリューは、ルイスの来た方に壺を見つけた。
「この壺が欲しいのか?」
アンドリューは色んな角度から壺を眺めた。
「アンドリュー、なにしてるの?」
階段を登って、ペルタがやって来た。
「ルイス君、なんだか元気がないわ」
ペルタはルイスとすれ違った階段を、アンドリューに目で示して言った。アンドリューは簡単にルイスとのやり取りを話した。
「この壺を譲ってもらえるか、頼みに行ったのかもな」
「綺麗な壺だけど、骨董が趣味なんて渋いわね」
「そうだな」
ふたりが笑っていると、壺の片方の取っ手が落ちた。ふたりはしばし、赤い敷布の上の取っ手を見つめた。
「私達は、なにもしていない⋯⋯」
ペルタは震えながら、壺に弁解するように言った。壺から無言の抗議が返ってきた気がして、ふたりは後ずさった。
「⋯⋯ルイスが⋯⋯取っ手を取ってしまったのかもしれんぞ」
「取っ手を取って? ダジャレ言ってる場合じゃないわ!」
ふたりは互いの肩にしがみつき、恐怖に歪んだ顔を見合せた。
「この、王子様しか買えないような壺を壊したの? どうしよう!」
「よし、三人で分割払いだ、その方が早く返せる! カーム王子に頼みに行こう」
「壺の分割払いを抱えたお姫様なんて嫌よ!」
「……なら、デカイクエストで大金を稼ぐか」
「メイドとして、雇ってもらうか」
アンドリューは小さな電流を出しながら、手を握ったり開いたりして、ペルタはエプロンドレスのスカートを広げた。
ふたりはルイスのために覚悟を決めたが、アンドリューは取っ手を元の位置に押しつけてみた。取っ手はくっついた。
「やったぞ!」
ふたりは涙ながらに喜んだが、すぐに冷静さを取り戻した。
「罪を抱えて生きることは、できないわね?」
「ああ、それでルイスも、カーム王子のところへ行ったのだろう」
ふたりもカームの元に行くことにした。すると、シュヴァルツ王子が優雅に階段を登って来た。
「どうした? ふたりとも、泣いているのか?」
「シュヴァルツ様!」
ペルタは泣きながら、眉をひそめるシュヴァルツの黒衣の胸にすがりついた。
「ペルタをメイドとして雇ってくださいませ!」
「なに? メイドは必要ないのだが」
いつもと違い弱気なペルタを受け止めて、シュヴァルツは慎重に答えた。
「では、他を当たるしか⋯⋯全員に断られたら、夜の怪しげな店で働くしかありません」
「なに! なぜだ?」
ふたりの声は震えていた。
「お金が要るのです」
ペルタの即答に、シュヴァルツはペルタの仲間アンドリューに目を向けた。
「実は」
アンドリューは声を落として、自分達の罪を告白した。
ルイスへの献身からとわかって、シュヴァルツは優しく笑い、ペルタの頭を撫でた。
「俺も力になろう」
「そんな」
キッパリと言うシュヴァルツに、アンドリューは慌てた。
「この話を聞いて、なにもしないでは俺の名が廃る」
「ありがとうございます」
シュヴァルツのプライドを前に、アンドリューは素直に頭を下げた。
「しかし、まさか、家でも買えるほどの、高価な壺ではあるまいな?」
シュヴァルツの恐ろしい憶測に、ペルタとアンドリューはゾッとしながら顔を見合せた。
ルイスはカームを書斎で見つけ、革製のソファーに座るカームに、視線をそらしながら近づいた。幸いふたりきりだった。
「カームさん、あの、廊下の花柄の壺なんですが⋯⋯」
カームは視線を上にして壺を思い浮かべ、ルイスに笑いかけた。
「あの取っ手の細い壺ですか?」
「はい! 取っ手のとっても細い!」
視線をそらすルイスに、カームは尚も笑いかけた。
「取れたんですか?」
「はい!」
ルイスは条件反射で答えて、うなだれた。
「驚かせてしまいましたね。あれは、元から取れやすいようにしてあるのですよ。人を驚かせるために」
ルイスはがく然と顔をあげた。カームはイタズラが上手くいった者のニコニコ顔だった。
「私も昔、こんな細い取っ手で持ち上がるものかと持ち上げてみたら、ポロッと取れてしまい、祖父に泣きついたものです」
カームは懐かしそうに、遠い目をして笑った。
「そこで種明かしされたのですよ」
「⋯⋯酷いですよ、カームさん。そんな罪深い壺を廊下に飾るなんて」
「すみません。祖父の立場、驚かせる側になってみたかったのです」
泣きそうなルイスを、カームはいつもよりさらに優しい笑顔でなだめた。
「壺はすぐに仕舞いましょう。二度と飾りませんから、安心してください」
ルイスはほっとして、カームと部屋を出て、壺の元に向かった。
罪深い壺を、ブロウ王子とロッド王子とタリスマンが取り囲んでいた。
「いやぁ、綺麗な壺だね。こんな壺がひとつ、欲しいもんだ」
ブロウが壺をしげしげ眺めて言った。
「まさに、お城の壺って感じ」
ロッドも気に入って褒めた。
「だけど、取っ手が細すぎない? 意味あるのかな?」
「あるに決まってるさ」
ブロウは両側の取っ手を掴んだ。すると、片方がぽろりと取れた。
ブロウは状況を何度も確認した。ロッドとタリスマンも唖然として、ブロウの持つ取っ手と壊れた壺を交互に見た。
ブロウは急いで取っ手を元の位置に押しつけた。取っ手はくっついた。
「我は、見なかったことにするぞ」
タリスマンが気の毒そうに呟いた。
「俺も黙っててあげるよ」
ロッドは笑わないように、慎重に言った。
「ありがとう。いいんだ、丁度こんな壺が欲しかったんだから! 買い取るよ!」
ブロウは元気よくふたりに笑いかけた。
「買えるの? 凄く高そうだよ」
「なにを言う、買えるに決まっているだろ。王子様であらせられるぞ!」
タリスマンが家来のごとく、ロッドに改めてブロウを紹介した。
ぎこちなく目を閉じて胸を張るブロウを、タリスマンは言葉とは裏腹に、心配そうに横目で見た。
♢♢♢♢♢♢♢
「本当に罪深い壺だ⋯⋯まさか、あんな事態になるとは」
カームは自室で罪深い壺を見ながら呟いた。
脳裏には、壺を壊したと告白する死人のような人々の顔、ネタばらしされた人々の顔が浮かんだ。皆、憎々しく壺をにらんだ後、信じられないという顔でカームを見た。
なぜこんなイタズラをしたと口々に聞かれて、カームはらしくない己を恥じた。
「この壺は、永久に仕舞っておこう」
叩き壊そうともしたが、やはり思い出の壺なのでできなかった。カームは壺を入れた箱を持つセバスチャンと金庫に向かった。
♢♢♢♢♢♢♢
紫色の夕暮れ、オレンジの灯の点った客間で、ルイス一行はテーブルを囲んで一日を振り返り、ほっと息をついていた。
騒ぎを後から聞かされたユメミヤは、可笑しそうにみんなを見ていた。
「ふたりとも、ありがとう。僕のためにお金を稼ごうとしてくれて」
ルイスはアンドリューとペルタにまた礼を言った。
「気にするな。しかし、シュヴァルツ王子に世話にならずにすんでよかったな。責任感の強いお方だ」
アンドリューにルイスとペルタはうんうんとうなずいた。
「私の頭を優しく撫でて、慰めてくださったし⋯⋯本当に変わられたわね。いえ、元に戻られたのかしら」
ルイスはシュヴァルツがペルタの頭を撫でる光景を上手く想像できなかった。だが、以前のふたりの攻防と比べると感慨深かった。
「嬉しくないの?」
浮かない顔のペルタを、ルイスは不思議に見た。
「⋯⋯ルイス君が言ったように、本当に妹のように思われているのかも」
「嬉しくないの?」
「妹と思われるのは、由々しき事態だわ」
腕組みするペルタに、ルイスとユメミヤは顔を見合せた。
「だって、人魚姫は王子様に妹のように思われたばかりに、恋が実らず泡になったのよ!」
ルイスとユメミヤはハッとした。
「だけど、ペルたんは泡になる心配はないよ」
ペルタはふーむと考えて、鋭くルイスを見た。
「なにか、ガツンとアプローチする手はないかしら?」
「ガツンとアプローチしない方がいいと思うよ。今のふたりの方が、いい感じだよ」
ペルタは嬉しそうに頬に手を当てた。
「ペルタさんは、ブロウ王子様ではなく、シュヴァルツ王子様をお慕いしていたのですね」
「全ての王子様を、お慕いしているわ」
「いけません! 蝶が花から花へ飛び移るような真似をしては!」
「だって! ⋯⋯その内、人のことは言えなくなるわよ」
「なりません。お一方に決めるのです!」
「⋯⋯無理よ!」
奥ゆかしいユメミヤと奔放なペルタのやり取りに、ルイスはいつもの日常を感じてほっとした。
いつもの戒め役、アンドリューは腕を組んで寝息を立てていた。ルイスも頬杖をついて目を閉じた。




