第82話 トラとオオカミとウサギ
のどかな午後、ペルタが客間にお茶を運んできた。
ユメミヤとアンドリューだけで、ルイスが居なかったが、誰も居場所を知らなかった。
「ルイス君にも、試してほしいのに⋯⋯」
そう呟くと、ペルタはガラスの小瓶を出して、アンドリューとユメミヤに見せた。
「ねぇ、これを1滴飲んでみてよ!」
紫色の液体を、ふたりは怪しむように見つめた。
「動物に変身できる薬です!」
ペルタは得意げに言ったが、アンドリューの表情は変わらなかった。ユメミヤは目を丸くした。
「城で休んでいた、旅のおばあさんのお世話をしたら、お礼にくれたのよ!」
「なんてものを、くれるんだ!」
アンドリューは魔女のおばあさんに悪態をついた。
「どうやって、元に戻るのですか?」
「1滴ならすぐに戻れるって、言ってたわ」
「すぐとはなんだ? 適当すぎる、冗談じゃない」
アンドリューは足を組んで目を閉じた。
「なによ! 冒険心をなくしたの?」
「こんなことに使う冒険心など、持ってないな!」
「私は持ってます」
ニッコリと答えたユメミヤを、アンドリューはがく然と見つめた。
「おお、ユメミヤ!」
さっそく、ペルタは自分のティーカップとユメミヤのティーカップに、薬を一滴たらした。
「やめろ!」
手を伸ばすアンドリューを尻目に、ふたりはごくごくとお茶を飲み干した。ふたりの無謀な冒険心に、アンドリューは絶句した。
「全く、愚かな⋯⋯」
アンドリューは釣られたように、お茶を飲んだ。
「貴方は断ると思って、もうすでに、お茶に薬を入れておいたわ」
「キサマ⋯⋯!」
半分ほどお茶を飲んでしまったアンドリューは、ニヤリとするペルタに身を乗り出した。
その時、三人の体が、ボンッ!という音とともに、白い煙に包まれた。
煙が消えて、アンドリューは自分の体を、素早く確認した。
『ああ⋯⋯嘘だろ』
アンドリューは自分が毛むくじゃらと化していることにショックをうけた。そして、窓にうつる自分を見て、オオカミに変身したのを知った。アンドリューはペルタをにらんだ。
しかし、イスに座っていたのはペルタではなく、大きなトラだった。
「ああ⋯⋯! このシマシマ、トラ?」
ペルタも両手を見てから驚き、体を確認した。
アンドリューはトラに向かい、牙を剥いて唸り声を上げた。ペルタもオオカミに、トラの鋭い目を向けた。トラの体なら大丈夫だろうと、アンドリューは遠慮なくペルタに飛びかかった。ペルタも前足で応戦した。
そんな世にも珍しい、オオカミとトラの戦いに、観客は居なかった。
白ウサギになったユメミヤは、ふたりが猛獣と化しているのを見るや、テーブルの下に避難していた。
決着はつかず、アンドリューとペルタはイスに戻った。そこで、ユメミヤのイスに、ウサギが現れた。
3匹は冷静に、しばらくお互いの姿を眺めた。
『2度と、お前の出した茶は、飲まんぞ』
イスにお座りして、アンドリューが唸った。
『飲んでよ。仲間でしょ!』
『厄介な仲間だ!』
『フン。それより、貴方がオオカミになるとは、女の子の敵ね!』
さらに憎まれ口を叩くペルタを、アンドリューは牙を剥き出してにらんだ。
『それはオトギ話のオオカミだろう。現実のオオカミは孤高、気高さの象徴だ!』
『その人に、一番近い動物になるのでしょうか?』
ユメミヤは小さな前足を頬に当てて、首をかしげた。そんなユメミヤを、ペルタはジロリと見た。
『どうして、私がトラで、ユメミヤが可愛いウサギなの?』
トラの視線に、ユメミヤは命の危険を感じた。
『待ってください。私を食べないでください。私、ルイス君を呼んできます』
ユメミヤは助けを求めたくなり、そう言った。
『そうね、ルイス君に見せて、驚かせたいわね』
『私が呼んできます。おふたりでは、見た人が驚くでしょうから』
ユメミヤはさっそく、ぴょんぴょんと扉まで行ったが、扉を開けられなかった。そこでペルタが、上手く前足を使って開けた。
ユメミヤは廊下で、すぐにルイスに出会えた。
「あれ、ウサギだ! 可愛いね」
ルイスは身を屈めて、ウサギに笑いかけた。
『ああ、ルイス君。私です!』
ユメミヤは後ろ足で立ち上がって、必死に話しかけたが、ルイスにはわからなかった。
「どうしたの? お腹がすいて、こんなところまで来ちゃったのかな?』
『ルイス君、ルイス君』
「ニンジン、食べる?」
ルイスの両手にそっと抱えられて、ユメミヤはなにもできなくなった。ルイスは大人しいウサギを抱いて、野菜置き場に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇
『おい、テーブルに乗るんじゃない』
イスに行儀よく座るアンドリューが、テーブルに寝そべるペルタを注意した。
『イスは狭いのよ』
大きなトラの体を、ペルタはもてあまして答えた。
『長イスがあるだろう』
ペルタは素直にテーブルから飛び降りると、赤いベルベットのふわふわの長イスに体を横たえた。
『なんだか、眠いわ。トラだからかしら?』
眠そうなトラに、アンドリューは少し慌てた。
『寝るな。起きたら、完全にトラになっているかもしれんぞ』
『脅かさないでよ』
ペルタは眠気覚ましに、テーブルの周りを歩いた。
『いつ、戻れるんだ⋯⋯ドラ!』
アンドリューの伸ばした前足から、バチバチと電撃がほとばしった。
『おお!』
アンドリューは嘆声を上げて、電撃を纏い荒野を駆けるオオカミの姿を、しばし夢想した。
『もう待てない! 私もルイス君を探しに行くわ!』
『待て!』
アンドリューが四つん這いで歩くのをためらって、イスから降りられずにいる間に、ペルタは前足で扉を開けて出て行った。
廊下に出たペルタは、特に探すあてもなく、廊下をのし歩いた。
そこへ、ファルシオンが階段を登って来て、ペルタの居る階にたどりついた。
「えっ、トラ⋯⋯?」
ファルシオンは前方から、トラが歩いてくるのを見て動けなくなった。トラとファルシオンの目が合った。自分を見て凍りついているファルシオンに、ペルタは駆け出した。
『王子様ー!』
柔らかい黒髪、中性的で柔和な顔、男性用ブラウスに白いズボン姿の、儚げで美しいファルシオンに、ペルタは美しい跳躍で飛びかかった。
「うあああっ!」
口を開けて迫るトラに、ファルシオンは叫びながらも、腕から出したバリアで、トラを弾き飛ばした。
『ガウッ!』
バリアに弾かれ、廊下に叩きつけられたペルタは、拒絶されたショックに体を横たえた。
バリアを出したまま、様子を見るファルシオンは、トラが来た方から、オオカミが来るのに気づいた。
「今度は、オオカミ!? 怖いんだけど!」
うろたえるファルシオンを前に、オオカミは静かに、トラの側に座った。放心状態のトラと、それを冷静に見つめるオオカミを見て、ファルシオンは片眉を動かした。
「なんだか、既視感があるな。このトラとオオカミの光景」
ファルシオンがそれを考えている間に、トラはのっそりと起き上がり、オオカミと廊下を戻りはじめた。
「あの部屋は⋯⋯」
トラとオオカミの入った部屋を見て、ファルシオンは腕の無線機で、カームを呼んだ。
その頃、ルイスは食堂で、ウサギにニンジンスティックをあげていた。
イスに座って向かい合い、ユメミヤは必死にスティックを食べていた。
『ウサギになっても、ニンジンが美味しくなるわけでは、ないのですね』
そう呟きながらも、食べるのは止められなかった。ウサギの本能なのか、ルイスに応えたいからなのかはわらかなかった。
「美味しい? ウサギの王子様」
雄と勘違いされて、ユメミヤは耳を下げて、がっかりしたことをアピールした。
「ウサギのお姫様かな?」
ルイスの察しのよさに、ユメミヤは耳をピンと伸ばして、喜んで次のスティックを食べた。
その頃、ファルシオンの元にカームが来ていた。
「本当だよ。この部屋に、トラとオオカミが⋯⋯」
ファルシオンは閉じられた扉を、警戒して言った。
「ここは、ルイス君達の使う客間ですね」
「うん。カームさんなら、素手でトラとオオカミを倒せるよね?」
ファルシオンは頼もしいカームの背中に、隠れるようにしていたが、自分と同じようなラフな格好で、武器も持っていないカームに、確認するように聞いた。
「⋯⋯なるべく、戦いたくはありませんから、中を確認次第、素早く撤退する方向でいきましょう」
カームは一応ノックをして、ファルシオンはバリアを出して、カームと自分を守った。
「どうぞ」
中からアンドリューの声がして、カームとファルシオンは顔を見合わせて、ゆっくりと扉を開けた。
アンドリューとペルタがテーブルを囲んでいた。
「あれ? トラとオオカミは? やっぱり、あれって」
ファルシオンが問いかけた頃、ルイスの目の前で、ボンッ!という音とともに、ウサギが煙に包まれたと思えば、ワンピース姿のユメミヤが現れた。
「どういうこと、かな?」
ルイスの質問に答えず、ユメミヤは口にニンジンをくわえたまま、横を向いて頬に手を当てた。
ニンジンをくわえたユメミヤを見て、ルイスはウサギがユメミヤだったことはわかった。
「全く、惑わせないでほしいな⋯⋯」
可愛いウサギを思い返して、ルイスは笑ってため息をついた。
ルイスがユメミヤに事情を聞き、客間に戻ると、アンドリューとペルタとカームとファルシオンが居た。
「ルイス君、一足遅かったわね!」
「ウサギのユメミヤには会えたよ。ふたりは、なにになったのかな?」
「わ、私は⋯⋯」
「恐ろしいトラだよ!」
口ごもるペルタに、ファルシオンが口に手を当てて、笑いをこらえて言った。
トラに変身したことが心外なペルタは、ファルシオンに恐ろしいと言われて、さすがに悲しげな顔をした。
「あ、いや、綺麗だったよ。弾き飛ばしてごめんね、大丈夫?」
ファルシオンが優しい笑顔でつけ足したので、ペルタはパッと笑顔になってうなずいた。
「見たかったですよ」
カームの微笑みに、ペルタは元気を取り戻した。
「アンドリューさんは?」
「俺は、オオカミだ」
「カッコよかったよ!」
潔く答えるアンドリューに、ファルシオンがはしゃいだ笑顔で感想を言った。
ふたりともイメージ通りだなと、ルイスは思った。
「すぐに戻れるなら、僕も試してみよう!」
言うや否や、ファルシオンが薬を舌に垂らした。
一同が驚いて見守るなか、ボンッ!という音とともに、ファルシオンは煙に包まれた。
煙のなかから現れたのは、短毛の白猫だった。
「イメージ通りですね」
カームが嬉しそうに、猫を優しく両腕に抱いた。
「私にも、抱っこさせてください!」
ペルタが片手を上げて笑顔で言うや、猫は鳴きながらカームに必死にしがみついた。
「なんて言ってるか予想はつくけど、動物にならないと、わからないんだね?」
面白くなったルイスは、薬を一滴舌に垂らした。
煙のなかで体を見回した。ルイスの体は、黒く輝く鱗に覆われていた。
『やった! ドラゴン!』
『ドラゴンみたいな、トカゲだね』
側に来て、ファルシオンが訂正した。
『今の僕じゃ、ドラゴンにはなれなかったか』
ルイスは自分で自分を納得させた。
それから、すぐに元に戻れるというので、城中の人間が、動物に変身する遊びに興じた。




