第78話 嵐の日は
ある日の午後、ルイスは厨房で、オーブンから鉄板を出すのを手伝っていた。
「全く、私っていつも、力仕事になるんだから」
ルイスと一緒に鉄板を持つペルタが文句を言った。
アンドレアが体つきをたくましく変えて、ペルタと一緒に作業していたが、厨房にいる他の女達は、皆離れたところで、軽そうな器具を扱っていた。
「仕方ないよ。体が大きい人の宿命、じゃないかな」
気軽に言うルイスを、ペルタは不満そうに見た。
「男の子は宿命が好きね。ちなみに、女の子が好きなのは、運命よ」
アンドレアの言葉に、ルイスは首をかしげた。
「宿命と運命。どう違うんだっけ?」
「さぁ⋯⋯」
「そんなことより、私は体が大きいんじゃないの、背が高いだけなのよ! か弱いんですからね!」
ルイスは赤いワンピースに白いエプロン姿のペルタを、鋭く眺めた。
「少し痩せたね」
「シュバルツ様の鞭のレッスンと、ユメミヤの淹れてくれる甘くないお茶のおかげよ」
ダイエットの成果に気づいてもらえて、ペルタは笑顔で答えた。
話をしながら、三人は四枚の鉄板を台に並べた。熱い鉄板の上にあるのは、ルイスの体の半分くらいありそうな、一枚の四角いビスケットだった。
「大きなビスケットだね、まさか?」
「そう、お菓子の家を作るのよ!」
「明日は、ファルシオン様の誕生日なの。サプライズプレゼントだから、内緒にしてね」
「わかった。それで、女の人達だけで作ってるんだね」
男のコックは、遠慮しているのか追いやられたのか、端の方でイスに座って様子を見ていた。
「本格的なのができるだろうね」
ここは懐の深いカーム王子の城だ。ルイスは期待に胸が弾んだ。
台には、同じ形のビスケットが沢山重ねてあった。ルイスはビスケットを手に持ってみたくなって、台に身を乗り出した。
「かじっていい?」
「ダメよ。ネズミじゃあるまいし」
ペルタが言って、アンドレアが笑った。
「未来の王子を、ネズミ扱いしないでほしいな。それに、お菓子の家が完成したら、みんなでネズミみたいにかじり尽くすんでしょ?」
ルイスがお菓子の家に群がるネズミ、ではなく女の人達を想像するそばで、ペルタとアンドレアはフフフと楽しそうに笑っていた。
ルイスは他の作業も見てみた。女の人達が思い思いに、デコレーション用のカラフルなアイシングを作っていた。
甘いアイシングを味見させてもらい、蟻が群がりそうだな、という現実的な心配を急いで打ち消して、ルイスはペルタのところへ戻った。
「お菓子の家は、庭に作るんだね? 大丈夫かな? 山の方は曇ってるよ」
「雲がこっちに来なければいいけど」
ルイスとアンドレアは心配顔で話し合った。
「全く、お天気様には、気を使ってもらいたいわね」
「天気予報が、毎日わかるといいのにね」
無茶を言うペルタに、ルイスは冷静な返しをした。
♢♢♢♢♢♢♢
ルイス達が心配した通り、夜には雲が広がり雨が振り出し、朝には嵐になった。
ファルシオンへのサプライズは延期になり、ペルタとアンドレアとユメミヤは客間の窓から『嵐の中の訓練』と称して、嵐の中で何かしている、ルイスとアンドリューとゲオルグ王子を見ていた。
「全く、男はバカね」
あきれているペルタに、ユメミヤがキッとした顔を向けた。
「バカなんて、言ってはいけません! 他の言い方は浮かびませんが⋯⋯とにかく、バカじゃありません。立派な訓練なのですから」
「嵐の時は、森の中なら木の下にうずくまる。町なら、宿に逃げ込めばいいのよ」
「男って、嵐の中をあえて歩きたがるよね。冒険のついでに、服の洗濯もしてるつもりかしら?」
「バ、バカにしては、いけません!」
笑うペルタとアンドレアを、ユメミヤは厳しく叱った。ルイスのために必死なのを察して、ペルタはユメミヤにニヤリと笑いかけた。
「ファルシオン様へのサプライズができないのも残念だけど」
「そうですね。お花がしおれてしまいますね」
花束作りを担当したユメミヤは、残念そうに同意した。
「新しい服をルイス君に見せられないのも、残念ね」
ペルタの言葉にユメミヤはハッとした。今は白いワンピースだったが、誕生日会が開かれれば、自分で選んだ新しいワンピースを着るつもりだった。
密かに、ルイスに見てほしいと思っていたユメミヤは、ペルタに言い当てられて頬を赤く染めた。
「ルイス君には、彼女がいたよね?」
アンドレアがユメミヤにニヤリと笑いかけた。
「奪っちゃえ!」
「ダメよ! 略奪なんてしちゃ」
間髪いれずに、ペルタがアンドレアをたしなめた。
「なによ、甘いこと言ってる場合? せっかく、彼女はここに居ないのに! チャンスよ⋯⋯」
強気に言い返すアンドレアに、ペルタは押されぎみな困った顔をした。ふたりに挟まれて、ユメミヤは苦悩の顔をしていた。
「離れていても、ルイス君達はしっかり結ばれてるわ。幸せを邪魔して、王子様を悲しませちゃダメよ⋯⋯」
「いつもは人のことなんて気にしないのに、王子様にだけは優しいのね」
「当たり前よ。王子様のために生きているんだから⋯⋯どんなに、片想いがつらくても耐えるのよ!」
つらい顔で言い切るペルタに、納得できない顔でアンドレアが腕を組む中、ユメミヤは眉を寄せた真剣な顔で言った。
「王子様のために生きる、そうです。おふたりとも、私はルイス君を困らせたり、悲しませたりしたくありません」
ユメミヤはペルタとアンドレアに、儚げに笑いかけた。
「ただ、この城で一緒に居られる間だけ、楽しい思い出を作りたいんです。片想いのままで⋯⋯」
「ユメミヤ!」
ペルタはユメミヤを思わず抱き締めた。
「なんて、健気な⋯⋯わかった」
アンドレアも悲しげにため息をついたが、引き下がるしかなかった。
♢♢♢♢♢♢♢
びしょ濡れで玄関に入って来たルイス達を、女性達はタオルを持って出迎えた。
ユメミヤの差し出したタオルを、ルイスは笑顔で受け取った。その自然なやり取りを、ペルタとアンドレアが切なそうに見ていた。
ルイスはユメミヤに任せて、ペルタはアンドリューにタオルを渡そうとしたが、ふたりの女性が先に渡しているのを、意外そうに見た。
「え、あっ!」
ゲオルグにはもちろん、アンドレア含む女性達が渡していて、ペルタはひとりあぶれて慌てた。
ルイス達が部屋に引き上げたので、ペルタとアンドレアとユメミヤは、なんとなく城内を歩いた。
談話室で、カーム王子と妻達が長椅子に座っていた。
「雨の日は、髪が乱れますわね」
妻達はカームの輝く長い金髪を楽しそうに整えていた。カームは微笑んで目を閉じて好きにさせていた。
テーブルを挟んだ向かいの長椅子には、ファルシオン王子と女性達が座っていた。
「雨の日は、キャンバスが湿気ってる気がするんだよね」
ファルシオンは言いながら、テーブルの大皿からドーナツを取った。
「凄いデコレーションだね、ドーナツもクッキーも」
ファルシオンは自分の誕生日を忘れているらしく、女性達も笑ってごまかしていた。
なごやかに嵐が過ぎるのを待つ王子達を、三人は静かに見守っていた。
「王子様は、こうあるべきよね。嵐の中ではしゃいでないで、ルイス君にもこっちに加わってほしいわ」
ペルタにユメミヤも同意して、深くうなずいた。
「ゲオルグ様も、まだ前の暮らしを忘れてないみたいだし、アンドリューにいたっては、もうどうしようもないわね」
「頑張って、ついていってね」
笑うアンドレアを、ペルタは少し力なくうなずいた。
♢♢♢♢♢♢♢
ようやく嵐も弱まった夜、予定よりささやかになった、ファルシオンの誕生日会が開かれた。
急遽用意したバースデーケーキだったが、ファルシオンは無邪気に喜んだ。
女達に囲まれるファルシオンに近寄れずにいるルイスのそばに、ユメミヤがおずおずとやって来た。
ルイスはすぐに、ユメミヤが新しいワンピースを着ていることに注目した。いつもと違う、パステルカラーのカラフルなワンピースだったからだ。
「オトギの国って感じの可愛い服だね。凄く、似合ってるよ」
ルイスは言ってから、照れてしまった。ファルシオンや他の者の存在も忘れた。
初めて着るカラフルなワンピース姿を、思いきって御披露目したユメミヤも、ルイスの褒め言葉にただ頬を赤くしていた。
誕生日会が終わり、部屋で寝仕度を整えるペルタに、同室のユメミヤが近寄った。
「ペルタさん、一緒に寝てください……」
「今日はひとりで眠れるんじゃない? ルイス君との楽しい思い出で、頭がいっぱいでしょ。ベッドは二つあるんだから」
寝間着姿でベッドに座って、ペルタは笑いかけた。お揃いの寝間着姿で、ユメミヤは動揺した。
「そ、そんな。まだ夜は落ち着かないんです。護身用の短刀もルイス君に危ないからと言われて、カーム様に預けましたし、心細いのです」
「ここは安全よ。私だって人と一緒の方が眠れるけど⋯⋯私としては、王子様と一緒に寝たいのよ。特にこんな嵐の夜は」
うっとりするペルタを、ユメミヤはキッと見た。
「いけません! 結婚相手でもない殿方と寝るなど」
「お堅いんだから。わかってるでしょう? 添い寝してもらってるだけ。ユメミヤだって、ここに来た日にカーム様と」
「私はペルタさんと添い寝したのです。カーム様は手を握ってくださっていただけです。そうでしたね!」
グッと顔を近づけて確認してくるユメミヤに、ペルタは圧倒されて素直にうなずいた。
「さぁ、私と寝てください」
「待って、アンドレアを呼んで来よう」
言うやいなやペルタは部屋を出ると、お揃いの寝間着姿のアンドレアを連れて来た。
「アンドレア、ここで一緒に寝てよ」
「ベッドが足りないじゃない?」
「ユメミヤは私達のどちらかのベッドで一緒に寝るのよ。ひとりじゃ眠れないから」
「お願いします」
お辞儀するユメミヤに、アンドレアは微笑んだ。ひとり旅をするアンドレアは、ユメミヤの心細い気持ちがわかった。
「別にいいけど。ベッドを三つにしてもらって、真ん中で寝るのはどう?」
「大きなベッドにしてもらって、三人で寝るとか?」
三人は色々話しはじめた。
♢♢♢♢♢♢♢
綺麗に晴れた翌日、庭にファルシオンのためのサプライズプレゼント、お菓子の家が完成した。
「ありがとう! 嬉しいよ!」
ファルシオンは両手を広げて、感動の笑顔でお菓子の家を見つめた。
お菓子の家は、ファルシオンひとりなら入れる大きさだった。中には、お菓子のテーブルとイスがあった。
「みんな、食べるのはもう少し待って! この素晴らしいお菓子の家を、絵に描きたいんだ!」
色とりどりのドーナツやチョコレートやクッキーでデコレーションされたお菓子の家は、ファルシオンの絵心を刺激した。
「絵を描いてる間に、蟻が来ませんか?」
ルイスはファルシオンに、小さな声で聞いた。
「王子様がそんな夢のないことを言っちゃ、いけないな」
ファルシオンにニヤリと諭されて、ルイスはギクリと笑った。
「ごめんなさい。修業が足りませんでした」
「フフ、実は僕もそう思ったんだよね。写真に撮っておこうか」
ファルシオンが沢山写真を撮り終わると、蟻に食べられる前に、ルイス達はお菓子の家を食べ尽くした。




