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「ねえねえ聞いた?」

「何を?」

「また戦が始まるらしいって噂よ!」

「えっ! やだそれほんと?」

「さあ……でもここまで戦場になる事は無いだろうし、賢者さまたちが頑張って下さるから大丈夫でしょ」

「そうねえ、カサレリアまで攻め込まれるわけないものね」



 カサレリアは長きに渡り専守防衛を謡っている。「カサレリアは無敗にして無勝」という言葉が表す通り、カサレリアはけして他国を攻め落とさず、また攻め落とされないのだ。

 建国以来、多少の領土侵犯や小競り合いはあれど、都市部まで攻め込まれた事は一度も無い。また戦火の粉がかかる事すらまれである。それは、カサレリアの有する知識や技術とそれに付随する利益の貴重さと、カサレリアという街の特色が大きく影響している。

 カサレリアは賢者の塔によって統治されている。そしてその賢者の塔が謳う言葉で代表的なものが「叡智の追究はひとの本質であり、学問の自由は踏みにじられてはならない」である。……賢者の塔は全てに等しく公平で、あらゆる技術を禁じない。人造生命の創造や大規模破壊魔法など、他国では禁じられている術も賢者の塔では自由に研究する事が出来る。他国では研究する事さえ罪になる技術をその手に携えた者が塔の門戸を叩く事はままあり、それこそが塔を大陸最高の知識と技術の集合地にしているのだ。

 ただし、賢者の塔へ入り「賢者」の肩書きを負う者は、同時に相応の責任と義務を果たさなければならなくなる。常備軍を持たないカサレリアにおいて戦うのは軍人ではなく賢者なのだ。賢者の中でも戦闘任務に適性のある者が国境付近にある砦に交代で配置され、有事となれば旅団を組み対応にあたらされる。

 カサレリアの賢者旅団は、大陸最強の魔術師団としても名高い。また、戦争では行使しないと取り決められているとはいえ、他国における禁術を所持している事実がかなりのプレッシャーを周囲に与えている。

 こういった様々な事柄がカサレリアを中立国たらしめ、国土に都市を一つしか持たない小国であるにも関わらず攻め滅ぼされる事なく維持させているのだ。

 ……しかし、カサレリアに住む民の大半はそんな事を意識する事なく暮らしている。奇跡的な日々に感謝するのはまれな事で、これがどれほど貴重なものかも知らないし、日々の生活に一生懸命だから。



「ライ麦パン、焼けたよー!」

 ここは麦の穂通りに面するパン屋。仲むつまじい夫婦とその息子が営んでおり、品揃えが豊富なのが特徴だ。

 焼きたてのパンが沢山並んだトレイを抱えて、厨房へ続く扉からぬうっと現れるパン屋の跡取り息子、ナリオ。棚に「焼きたて!」の札をかけてパンを陳列していく姿も様になっている。

 先ほどまで店先で噂話に花を咲かせていた二人、恰幅の良い婦人がうっとりと深呼吸をして、買い物籠を抱えなおした。

「いい匂いねえ、お腹が空くわ」

 パンの陳列を終えたナリオはにっこりと笑い、焼きたてのライ麦パンを示す。

「今日はくるみ入りだから、冷めても美味しいよ」

「ほんと、美味しそう。それじゃあ一つもらおうかしら」

「毎度あり」

 ごそごそと紙袋を取り出しパンを詰め込むナリオの背後、厨房に続く扉からまた一つの人影が現れる。干し草のような薄い色の癖っ毛を短く切り揃え優しげな顔立ち、ナリオとは印象が大分違う父親がご婦人方に笑みを向けてから新たに焼き上がったパンを並べてゆく。

「……はい、どうぞ。食べる前に軽く温めても美味しいよ」

「ありがと、ナリオちゃん。……すっかりナリオちゃんもパン屋の顔になってきたわねえ、ちょっと前までこーんなに小さかったのに」

 困ったような、少し照れくさそうな笑顔で肩をすくめてからふと壁時計を見やったナリオは慌てた様子で婦人へと一礼し、エプロンのリボンに指先をかけながら父親を呼ぶ。

「親父、配達行ってくる!」

 接客中にと眉を寄せるも、息子の考えている事などお見通しの父親はすぐに苦笑して片手を振った。奥へと引っ込むナリオと入れ替わりに売り棚の前へ立ち、一言二言ご婦人と言葉を交わしてお見送り。

 一方のナリオは少しの後、大きな肩掛け鞄を二つ提げた大荷物姿で勝手口から出掛けるのだった。

 ……「それ」に跨がりふわりと浮かび上がったナリオに通行人が何人か振り返る。

 それは、脚の無い馬のような、木馬にも似た形をした金属製の魔道具。カサレリアにおいても極めて珍しい、完全魔導力型の小型乗騎だ。白馬を意味する大河語からタレメルと名付けられたそれは、ナリオと配達用のパンを積んだ状態でも軽々と地面から浮かび上がり、握り拳が入るくらいの隙間を開けたまま滑るように移動する。

 魔道具というのは魔力だけでは動力を賄いきれないのが普通で、「銃」はほぼ火薬に動力を頼り魔力で微調整をしているだけだし、「船」もやはりメインの動力は風力だ。しかしタレメルはその動力を完全に魔力のみで賄っており、補給さえ怠らなければどんな状況でも作動する。この画期的な魔道具に値段をつけるとしたら恐らく蔵が建つだろう。

 そんな品を無造作にナリオが乗り回しているのは、タレメルがまだ試作段階であるという事もさることながら、その開発者が賢者メルトダウンであるという事による所が大きい。

 全動力を魔力で賄うが故に使用者を選ぶタレメルは、生来魔道具と馴染みの良い体質であり店に魔導オーブンを導入した時も店で一番に使いこなしたというナリオに目をつけたメルトによって、半ば無理矢理貸し付けられているのだ。ナリオは初めての試運転時にも問題無くじゃじゃ馬を御し、今は使用感の報告も欠かさない模範的なテスターだ。

 ゆっくり走る馬程度の速度で石畳の上を滑るタレメルはすっかり近所の風物詩になり、渋る賢者を説き伏せてその胴に描いたパンの絵と店の名前によって宣伝効果も上々。

 旅籠屋が一件、飲食店が二件。それから馴染みの客の家を回って、最後の目的地に向かう路地の角を曲がった所でナリオは眉をひそめた。

 馬車が一台、路肩に停まっていた。

 それも乗り合い馬車や貨物馬車の類いではなく、幌には文字を連ねて描かれた老人の横顔……「塔」の紋章。背筋を伸ばして座っている御者の服にも糸屑ひとつ無く、賢者の塔でもそれなりに高い身分の人間が乗るものだという事はナリオにも明白だった。

 馬車を横目に眺めながらタレメルを停止させ石畳に靴裏をつけたナリオは、タレメル使用後の独特の浮遊感に頭を振りながら石段を登り屋敷の玄関へと向かう。ノッカーに手を伸ばしたところで内側から扉が開き、脇に退いたナリオの鼻先をつんとした匂いが通り抜けていった。

 フードを目深に被ったその人物は性別すら定かではなかったが、その身体から漂う匂いには覚えがあった。鼻を突くような、けれど後には残らない、悪い感じはしない匂い……。

「……ナリオ?」

 嗅ぎ覚えのある匂いを記憶の底から掘り起こそうと瞳を細めて外套姿の背を見送っていたナリオは、横合いからかけられた声に振り返る。扉を片手で支えたまま怪訝そうな顔でナリオを見詰める屋敷の主、……クティルカが、白いカーディガンを羽織って所在なげに立っている。

「ん、ああ、配達のついでに寄ってみただけ」

 あとそろそろジャムが切れる頃かと思って、と抱えた紙袋を揺らしたナリオにほっと笑みを浮かべ、クティルカは屋敷の中へと彼を招き入れた。

「お客さんが来てたみたいだな」

「うん……古い知り合いが、ね」

 居間に通され紅茶を出されてから口を開いたナリオは、先の客人についてクティルカの口が重い事に気付いて、そしてその事にもやもやとしている自分に気付いて憮然と唇を引き結んだ。

 ……ナリオとクティルカはこうしていれば然程年も変わらないように見えるが、実際はクティルカの方がかなり年上だ。初めてクティルカに会った時、ナリオはまだパン生地もこねられない子供だった。

 あの時の初恋を、ナリオは忘れられずにいる。ずっと。

「リリィベリーのジャムね、おば様のジャムで私これが一番好き」

 紙袋からジャムの瓶を取り出し中身を透かし見るクティルカの横顔を見詰めるナリオの、その目があたたかで尊い何かに満たされている事を、クティルカは随分昔から知っている。

「ルカ」

 呼ばれて振り返ったクティルカは、何かを思い出すように眩しげに瞳を細めた。

 ――ぼく、おっきくなったら、るかねぇをおよめさんにする。

 ふいに甦った幼い己の声に、ナリオは喉仏を一度上下させてから息を吐き出す。言うべき言葉を見失った末に紅茶を飲み干して、

「おかわり、貰えるか?」

 片手でカップを持ち上げてみせながら、……ああ、さっきの匂いはシナモンか、と今更ながらに考えていた。

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