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「まったく、付き合っていられないのである」

 メルトはぶつくさと文句を言いながら賢者の塔の廊下を歩いていた。

 カサレリア最古にして最大の建造物である賢者の塔は、増築や改装を繰り返した所為で様々な建築様式が入り混じっている。外装はある程度統一感を持たせているが、内装に至っては皇国風の豪奢な廊下が突然初期カサレリア風の質素な廊下になったりと、出鱈目にも程がある状態である。

 真っ白い廊下をしばらく歩き、突然現れる異国情緒溢れる毛足の長い絨毯が敷かれた踊場から東方向に進むと、突き当たりに「ニュートリノ」と書かれた名札が下がる扉が現れる。メルトは、一つ深呼吸をしてからその扉をノックした。

「だぁれー?」

 扉の向こうから返ってきたのは気怠げな女性の声。

「メルトダウン、只今戻ったのである」

「なんだメルちゃんかぁ、入って入って」

 メルトが扉を開くと、まず部屋の約半分を占める豪奢な天蓋つきベッドが視界に入る。そしていつもの光景ではあるが、柔らかなクッションのきいたそのベッドの上に部屋の主が横たわっていた。

 陽光を知らぬようなミルク色の肌、踝まで届く髪は輝かしい蜂蜜色で、眠たげな半眼は深海の蒼……メルトの師匠であり、当然賢者でもあるニュートリノその人である。

「……師匠、レポートは終わったであるか」

「むー」

 問いに答えずごろりと寝返りを打った自らの師匠の姿に、メルトは諦め混じりの溜め息を吐いた。それから一枚の紙を彼女に差し出す。

「本日分の『日誌』である。……今日もいつも通り、ナリオの人形馬鹿ぶりには付き合ってられないのだ」

「まあまあ、そう言わないの」

 受け取った紙に目も通さず文箱に放り込み、ニュートリノは笑う。その艶美な笑みの虜になる者は多いが――特に賢者の塔へ所属するような人物には女性に免疫の無い男性が多い――、メルトは彼女の実態を知っている為、時折怖ろしささえ覚える。

「ナリオ君がうまい事してくれれば、実験の手間が省けるじゃない」

 この女神のような容姿をした女性が、かつては東方の皇国にて『星落としの魔女』と呼ばれ恐れられた魔術師であり、

「『人形と人間との性交の可不可』『人形と人間との間に子供を成す事の可不可』、うちでつがう相手を探すのも手間だものね」

 生命や愛情すら単なる研究対象のひとつとしか見られない、性格破綻者であるという事を知ればこそ。

 室内に立てかけられたニュートリノの杖には八つの鈴が揺れて賢者の中でもかなり高い地位にある事を主張しており、賢者として優秀であっても必ずしも人格を伴う訳ではないという事を証明している。

 ベッドから起き上がろうともしない師匠をよそに、弟子――メルトは、机の上で雪崩を起こしかけている書類の整理を始める。それを当然のように眺め、ニュートリノは眠たげに瞬きながら弟子に話しかける。

「メルちゃんもぱぱーっと論文なり何なり発表して鈴増やしちゃえば、お人形のお守りしなくていいのよー?  オリジナルの再現はどうせ無理なんだから、私と同じ量産型研究チームに入った方が出世コースじゃない?」

 間延びした声ながらずけずけと意見を言う美女の姿にも慣れているメルトは、書類の整理をしながら振り返りもせず答えた。

「……誰かさんが眠り姫なおかげで雑務が全部回されて自分の研究に割く時間は無いし、チームでまで師匠の尻拭いするのは勘弁してもらいたいである」

「むー。メルちゃん、私の事きらい?」

 メルトより一回りも二回りも年嵩のくせ、子供のような物言いのニュートリノ。その言葉に一瞬ぴたりと手を止めたメルトは、整理を再開しながら背後へ向けて答える。

「……我が輩は好きでもない女の世話を焼くほど物好きではないのである」

 メルトの返答が予想通りだった事に満足したのか、ニュートリノはふわりと童女のように笑ってからベッドを転がった。転がりながら、ふと、思い出したように口へ昇らせたのは完全にメルトの動作を止めるのに十分な威力を持っていた。

「あ、そういえば私、長からお呼びがかかってたんだった」

 メルトは動作を止めた後、乱暴に書類を机に置いて、それにより書類の雪崩が発生したのも全く気にせず声を張り上げる。

「そういう事は先に言うであるこの馬鹿師匠ー!」

 ばたばたと部屋の中を探し回って発掘した化粧箱を小脇に抱え、ニュートリノを叩き起こして椅子に座らせるメルト。そして彼女の目の前に、大きな水鏡――硝子と水銀で出来た立てても使える優れものであり、かなり高価な品であり、かつ異性からのプレゼントでもあるが当のニュートリノ本人はすっかり忘れている――を引っ張り出す。

「師匠の身支度は半日かかるんだから、自覚するである!」

「だって、別に急いで来いって言われてないし」

「長から呼び出されたら普通すぐに馳せ参じるもんである、この社会不適合者!」

 未だ眠たげなニュートリノの顔が鏡に映り、メルトは櫛とブラシを両手に持って彼女の長い髪を丁寧にとかし始めた。そして、痛いだの何だのと騒ぐのを完全に黙殺し、手慣れた仕草で結い上げてゆく。

 ニュートリノの髪は飴細工のように細やかできらきらと輝いている。それは生来の物でもあるが、日頃の手入れの賜物でもある――手入れの八割方は哀れな弟子に押し付けられているが――。そして彼女の踝まで届く髪は酔狂で伸ばしているわけではなく、彼女が魔女と呼ばれる存在である事に起因する。

 魔術師の類にとって髪の毛とは特別な意味を持つ。髪の毛は古くからまじないによく使われてきた。比較的手に入れやすい身体の一部であり、かつ頭部に近い事から魔術の効きが良いと考えられたのだろう。その多数の魔術師の共通認識によって、今日、髪の毛は本当に魔術的要因を孕むに至った――人間の信仰によって神が発生するのと同じ原理だと考えられている――。

 よって、魔術師は自らの髪の扱いに細心の注意を払う。もし敵対する術師に自らの髪を手に入れられでもすれば、それは明日にでも呪い殺される可能性を生み出すからだ。逆に、自らの髪に磨きをかければ、自らの魔術的素養を一段階引き上げる事も可能である。

 近世の魔術師は、他者に髪が渡った際のリスクを下げる為、自らの魔術的素養が下がるのを承知の上で髪に脱魔力処理なりを施すのが普通だ。だが、古いまじないを好む魔術師たちは未だ髪の毛を神聖視しており、特に「魔女」と呼ばれる人々に至ってはその髪の質で上下関係まで決まるという。

 そして、ニュートリノはカサレリアの東方にある皇国から亡命してきた魔女であり、その古いまじないの知識を提供するのと引き換えに賢者の塔へ入った人間である。彼女にはまさに骨の髄まで古いまじないが染み込んでおり、その髪の毛一本一本が魔術触媒にも等しいちからを秘めている。

「銀の短剣、葡萄酒、まくらき冥府の森……」

 輝く金糸、ニュートリノの髪を編み上げながら弟子が呟いているのはまじないの言葉。その言葉ひとつひとつがニュートリノの髪の毛一本一本に絡み付き、縛り上げる。また、編み込まれていく真紅の飾り紐は魔除けの術具であり、単なる装飾品ではない。

「……旅立ちは失われ、夜明けは遠ざかる、貝は黙して語らない」

 そしてメルトがまじないを唱え続けながらも櫛を動かし、金髪は後頭部に小さな団子を作り残りの髪を背に流した形へ仕上げられてゆく。このまじないと術具の力によって、ニュートリノの髪の毛はけして抜け落ちたりしなくなる。魔女は、その髪を守る為のまじないの知識も当然持っているのだ。……それを教え込まれ半日かけて師匠の髪にまじないをかけるメルトにとっては不幸極まりないが。

「……仕上げを、師匠」

「はいはぁい」

 見事に結い上げられた髪を水鏡で確認してから、ニュートリノは自らの指先に唇を寄せ短く息を吹きかけた。何の意味があるのかメルトですら知らないその仕草でこのまじないは完成し、そして半日がかりの身支度は完了する。

 ようやく解放された弟子、メルトは溜め息を吐き、ひらひらと片手を振った。

「さっさと長の所へ行ってくるである」

「えー、もう夜明けじゃない一眠りしてから……」

 不平を言いかけたニュートリノが、さすがに空気を読んで言葉を切った。……弟子の目が、完全に据わっている。その刺すような視線を背に受けながら、ニュートリノは三日ぶりに自らの部屋から外へ出た。

 部屋着ではなく、賢者の正装である濃紺の長衣に肩から腰帯へ向けて斜めにかかる飾り帯。片手に持った杖には八つの鈴が揺れ、その音に振り返った賢者たちはもれなくうっとりと女神の姿に見惚れてしまう。

 入り組んだ廊下を歩み、賢者の塔の中心部、長が鎮座まします部屋の前でニュートリノは膝を付いた。

「ニュートリノ、只今参上致しました」

 暫くの沈黙の後、平らかな金属で作られた扉が音も無く横にスライドして入室を許可する。部屋の中へと足を踏み入れたニュートリノを出迎え先導するのは、長の手足となり働いている半妖精の少女――もしかしたら少年かもしれない――である。妖精が人間の前から姿を消して久しく、人間と妖精の間に生まれた子である半妖精は今となっては極めて珍しい。この少女も、十数年前に人身売買されかかっていた所を官憲に保護され、行くあてが無かったのを長に引き取られた身である。

 ……希少なもの、貴重なもの、重要なものは塔に集う。須く、塔は強大で絶対的な中立存在でなければならないのだ。

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