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初めてクティルカに対面した時、そのあまりの精巧さと美しさに言葉を失ったナリオは、「舶来の人形みたいだ」と口走りその場の失笑を買った。
その時のナリオとそう年の変わらない幼き賢者、「鈴一つ」のメルトは同じく初めてクティルカと対面した時、「君が人形であるという証明をしたまえ」と言い放ちその場の空気を凍らせた。
しかしいずれもクティルカがウィットに富んだ返しをした為大事には至らず、幼い日のナリオが泣きべそをかく事も、メルトが機嫌を損ねクティルカの担当から外れる事も無かった。
クティルカは外見こそただの女性だが、その機知と知識は賢者でさえ舌を巻く。それは、そもそも設計段階から人間と同じかそれ以上の記憶容量と演算装置を与えられていた事、数百年に渡り人間として生活していた事が大きく影響していると考えられている。そして、記憶の蓄積こそが現在の彼女の人格を形成しており、過去が無ければ彼女は存在していなかっただろう……というのが現在の所の賢者の塔の見解である。
よって、クティルカと同型の人形の再現は不可能である、と断定されたのが十余年前。それ以降は「クティルカ」の再現ではなく、クティルカをベースにして違う型の人形を造り出すのが賢者の塔の研究目標となった。そして、研究方針の転換により、クティルカを観察し記録し続けていた人員は削減され、賢者としての地位の低い「鈴一つ」がこの役割を受け持つ事となった。
そして現在クティルカの観察を担当しているのが、メルトである。大多数の賢者がそうであるように、その呼び名は彼の賢者名「メルトダウン」の略称だ――ちなみに現賢者の塔長の賢者名は「オーバーライド」、メルトの師匠にあたる人物の賢者名は「ニュートリノ」、メルトを含めたいずれもが古文書に登場する古代言語から由来している――。
観察と言ってもクティルカの生活は平穏極まりなく、たまに街の子供たちが訪れて昔話をせがんだり、古い知識を求めて学者が訪ねて来たりする程度で、メルトの仕事は単調で暇なものになりがちだ。
「お人形さんお人形さん、お話してー!」
「してー」
そして今日もクティルカは庭の揺り椅子に腰掛けたまま、早く早くとせがむ子供たち相手に柔らかな笑みを向けて昔語りを始める。その内容ははるか昔のおとぎ話であったり実際に彼女が体験した話であったりと様々で、今ではほとんど見られない妖精や竜の登場する内容に子供たちはきらきらと瞳を輝かせながら聞き入っている。
――そんなほほえましい光景を退屈そうに眺めながら手元の日誌に「異変無し」と書きかけていたメルトだったが、その手が止まる。
「……それじゃあ今度は、私の父の話をしようか」
「だいまじゅつしトルンカだね!」
「してしてー!」
日常の些末事にこそ真実がある、というのが賢者の思想のひとつである。全くもってその通り、クティルカを塔へ連れて行き格式張った問診をするよりも、こうした何気ない日常から零れ落ちる情報の蓄積の方が真理に迫る可能性は極めて高い。
メルトはクティルカから少し離れた場所の椅子に腰掛けたまま、意識だけを彼女へ向けた。
「今からずっとずっと昔、花畑には妖精が舞い、洞窟には竜が眠っていた頃……」
「それはもう聞いたー」
「もう、静かにしてよっ」
お決まりの話し出しに子供たちはわくわくしながら芝生の上に座って膝を抱える。気の急いた一人がぐずるとお姉さんぶった一人が窘めたりして、この街の教育機関であるアカデミアの初等部の授業に似ている。――知的な翠の瞳に丸眼鏡をかけたクティルカは、ちょうど教員のよう。ぐずり出した子供を手招きして膝に乗せる仕草も手慣れており、そうと知らなければ彼女が人形だなんて誰が思うだろう。
「……ある所に、トルンカという魔術師がいました」
「お人形さんを作ったひとだよね!」
「そう、世界で唯一の生きている人形を作り出した大魔術師……」
言葉を切り、少しだけ懐かしむように瞳を細めたクティルカを見上げた子供の頭を撫で、再び彼女は語り出す。
「その魔術師トルンカの元に、ある時一通の手紙が届きました。 それは小さな田舎の村から届いたもので、なんと、一匹の竜が次々と子供たちをさらっているので助けて欲しいというものでした」
「すげー!」
「なに言ってるのよ、大変じゃない!」
竜、という単語に色めき立つ子供たちの様子をしばらく見守り、一通り騒ぎ終えたのを確認してからクティルカの涼やかな声が響く。
「トルンカは急いでその村へ向かい、竜が棲むという洞窟へ向かいました。そこには大きな竜がおり……さらった子供たちと札遊びをしていました。洞窟の奥の方には疲れて泣きべそをかいている子供の姿もあり、トルンカは子供たちを解放しろと竜に詰め寄りました。が、竜はそんな言葉に耳を貸さず襲い掛かってきました」
ごくり、と誰かが唾を飲み込む音。語り続けるクティルカの声は吟遊詩人のようで、いつの間にか庭はしんと静まり返っていた。
「竜の大きな口から吐き出される炎のブレスを盾魔法で防ぎ、続けざまに雷魔法で竜の動きを止めたトルンカは、こう言い放ちました。『そんなに札遊びがしたけりゃ、お前が村に降りて村人たちと遊べ!』と」
「ほんとだ、その方が遊び相手いっぱいいるよね!」
「……こうして、その村は『竜と札遊びができる村』として有名になりましたとさ。めでたしめでたし……」
「毒にも薬にもならねぇぇェ!」
クティルカが語り終えた瞬間、芝生に座る子供たちよりわずかに大人びた、けれど十分子供の範疇に入る甲高い声が庭に響き、同時に何かがクティルカ目掛けて投げつけられた。
「……危ない、子供たちに当たったらどうする」
投げつけられたそれ……鈴のついた杖を難無く片手で受け止めて、涼しげな顔でクティルカは声の主を見やる。書きかけの日誌を芝生の上に投げ出したメルトが、肩で息をしながら彼女を指差した。
「トルンカの話かと思って期待したら眉唾以前の出鱈目ではないか、我が輩を馬鹿にしているのか?!」「いや、そもそも今の話は子供たちにしていたわけで……」
「言い訳無用!」
ぷんすかという擬音が似合いそうなその光景を呆気に取られて眺めていた子供たちの中から、ぱらぱらと声があがる。
「俺知ってる、こういうの『めおとまんざい』って言うんだぜ!」
「違うわ、『ちわげんか』よ!」
「……『ちじょうのもつれ』……」
好き勝手に騒ぎ始めた子供たちにメルトはますます怒り心頭、クティルカから杖を奪い返すとチリンチリンと音を響かせながら地団駄を踏んだ。
「人形なんぞに惚れる変態はナリオ一人で十分なのである、失敬な!」
散れい!などと言いながら杖を振り回すメルトに、子供たちはけらけら笑いながら逃げ回る。その子供たちを追いかけようとしたメルトの首根っこが何者かに掴まえられ、次の瞬間彼の頭に衝撃が走った。
……いつの間にか現れていたナリオがメルトをつかまえて、その頭に拳骨を落としたのだという事をメルトが理解するには少々時間がかかった。
「ナリオ! いきなり何をするのだ!」
「ルカに謝れ」
口調こそ静かなものだったが、ただでさえ表情豊かとは言えない顔が普段にも増して仏頂面、眉間の皺も三割り増し。ナリオが激怒している事に気付いたメルトは、怪訝そうに眉を寄せた。
「何故我が輩が謝らなければならない。我が輩は謝らなければならないような事など何も、」
「いいから謝れっ! この……」
「ナリオ、構わない」
もう一発メルトに手を上げかねない様子のナリオを止めたのは、他ならぬクティルカの穏やかな声。彼女は白い指先で丸眼鏡を押し上げながら、小さく首を傾げた。
「ナリオが私の事で怒ってくれただけで十分だよ」
「ルカ……」
メルトから手を離しクティルカを見詰めるナリオ。ゆっくりとクティルカの髪へと手を伸ばし、触れようとした刹那ぴたりと動きを止める。
……事の行く末を興味津々に眺めている幼い瞳たち。
「なでなでかな?」
「いや、ぎゅーっと抱きしめて……」
「ふ、所詮お子様の発想……ナリオにそんな甲斐性を要求するだけ酷である」
今度は怒りとは別の、……羞恥で顔を赤く染めたナリオの叫びが響いた。
「お前たち、いい加減にしろ!」