表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/6

―2―

―2―



 この世界唯一の被造物は回想する。それはありふれた家族の情景であり、しかし――





 私には父が一人と姉が一人いた。父の名はトルンカ、姉の名はクターセク。私たち家族は揃って翠の瞳をしていて、特に私と姉は黙って立っていれば瓜二つだった。

 私と姉……クターセクが似ているのは血の繋がりに依るものではなく、私が彼女をモデルに作られた人形だから。私は魔術師トルンカによって命を吹き込まれた生き人形。

 トルンカは早くに妻を亡くしており、魔術師などという因果な生業であるが故に――当時魔術師は迫害の対象だった――娘のクターセクに苦労をかけている事を気に病んでいた。その道では知らぬ者のいない偉大なる魔術師トルンカもこと娘に関してはただの迷える父親で、しかしとった方法は並外れていた。

 娘の為に、母にも姉にも妹にも友人にもなる「生きた人形」を作り出す。言葉にするのは簡単でも、それは秘術中の秘術。未だかつて人形に命を与える事に成功した魔術師は居らず、また、人間が生命を創造すること――それ即ち神の領域に手を伸ばすこと――は禁忌であった。

 けれど矢張り偉大なる魔術師も父親の例に漏れず娘に対しては甘く、そして技術も兼ね備えていた為、こうして私は生み出された。

 私がこの世で初めて目にしたのは父なるトルンカと姉なるクターセクの綺麗な翠の瞳で、それは一生忘れる事は出来ない。そして、目覚めた私を抱き締めた父と姉の温かさも。

 幾ら私の父が偉大なる魔術師とはいえ、目覚めたばかりの私はただ「生きている」という点を除けばただの人形で、細かな感情の機微は全く理解出来ていなかった。私自身の単純な身体能力や知能は人間よりはるかに高く設計されていたが、父と姉との生活が無ければ今のように人間の真似事をして平穏な暮らしを送る事は出来なかっただろう。

 私の父にあたるトルンカは、私に対してまるで実の娘であるかのように接した。私が姉のクターセクと一人前に姉妹喧嘩なぞした時も、うまく感情の処理が出来なくて熱を出した私を一晩中看病してくれた。

「人形は、ひとから愛された時はじめて魂を持つんだよ」

 ――だからお前が生きているのは私たちがお前を愛している証なんだと、そんな事を臆面も無く言っていた父。

「私は貴方の姉だもの、お姉ちゃんが妹を守るのは当たり前でしょう?」

 ――その台詞を残し、私の代わりに連れて行かれた優しい姉。

 何度も繰り返す追憶。私の家族は既に何百年も前に死んでいる。人間の命には明確な期限があり、それにより訪れる死なら追憶は僅かな感傷だけを運ぶが、私の家族たちはいずれも穏やかな死を迎えてはいない。そしてそれは、私が生み出された事による罰。

 父であるトルンカは、魔術師である上に生命を創造した大罪により裁判にかけられ――極めて一方的かつ不平等なものだった――、火炙りになった。人の脂肪が焼ける匂いを初めて知り、そしてもう二度とあの匂いは嗅ぎたくないと思った。

 姉であるクターセクは、……罪深い存在である生き人形を処分するという通達が届いた際、素直に向かおうとした私の身代わりとなり――当時は私と人間を見分ける術が無かったのだ――処刑された後に解体され、その肉片は焼かれた上に川に流された。

 そして私は一人残された。罪深い存在である私が、残された。私が姉のクターセクではなく人形のクティルカである事を知ったとある青年――彼はクターセクを好いていた――の言葉が、数百年の時を経た今でも鮮やかに耳朶へ蘇る。

「人形の癖に、人間を身代わりにして生き残ったのか!」

 ……私は返す言葉も無く、逃げ出した。

 それからの暮らしは惨憺たるものだった――回想するのを忌避している私がいる――。自らが人形である事を隠す為、また老化しない身体を不審がられない為に様々な地域を渡り歩き、生活する為ならどんな汚れ仕事にも手を出した。

 私が死んだら、姉が私の身代わりになった意味が無くなる。私が死んだら、父が偉大な魔術師であったという証拠も失われる。その思いだけで私は生き続けるのだ、今までも、これからも。

 ――しかし、私の命はいつ尽きるのだろうか。

 父トルンカの言葉を信じるなら、私の命は愛される事によって生まれた物だ。私を愛してくれた父と姉亡き今、私の命はどういう原理で維持されているのか……賢者の塔の研究でもわかっていない。

 死者の思いはどこへゆくのだろう? 死した時のまま固定するのだろうか? それとも生者の思いと同じくうつろうのだろうか?

 私にはわからない。何百年も考え続けているのに、わからない。これが人間と私……人形の違いなのだろうか。

 夜眠りにつこうとすると、このまま二度と目覚めない恐怖が頭を過ぎる。その度何百何千と繰り返される父と姉の追憶。狂いたくても狂えない、壊れたくても壊れない、父の最高傑作の私。

「……ナリオ」

 そんな夜、私が呼ぶ名は父でも姉でもなく、優しくて不器用なパン職人の彼の名。彼が生まれた日も、彼が職人の修行を始めた日も、彼が一人前になり店を任された日も、つい昨日の事のように思い出せる。私にとって彼は家族同然であり、彼にとってもそうであってほしいと願っている。

 私が、苦い追憶を伴わずに想える唯一の家族。美味しい食事と楽しい時間を運んでくれる彼に私が抱いているこの感情こそが「愛」なのだろうか?

「あい、している……?」

 唇に乗せるとその言葉は妙に虚ろに響き、私の胸の奥を軋ませる。嗚呼、きっと私には他者を愛する能力までは搭載されていない。いくら父が稀代の大魔術師だったとはいえ、人形に人間と同じこころまでは与えられなかったのだろう。

 そっと自らの髪に振れる。姉のクターセクと同じ黒髪に、絹のリボン。白い肌、指先、とくとくと胸の奥で音をたてる作り物の心臓。すべてが父からの贈り物、最初にして最後の最高傑作。


 私は「クティルカ」を愛する。何故なら「クティルカ」は私の父と姉が愛してくれた人形だから。「クティルカ」を愛してくれた家族たちに私が出来る事といったら、もうこれぐらいしか残されていないから。


 私は「私」を愛する。私を愛してくれたひとの証を消さない為に。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ