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第5章 王都攻防戦Ⅳ<走れナガオ>

<1>



 風が止んだ。

 ストトストンを照らしていた陽が姿を隠し、俺の体が闇に溶ける。ずぶずぶと沈む。真っ暗だ。歯を食いしばって全身から力を掻き集める。瓦礫を退かし、上を向く。山のように大きなものが頭の上にある。逃れようとして足を動かす。間に合わない。追いつかれる。


「         」


 息遣いも心臓の鼓動も何もかも聞こえなくなる。

 


<2>



「何やってんすかナガちゃん!」


 宙に浮いた俺の体が疾走している。腕を引かれて、思い切り引っ張られているらしい。誰に?

 世界が揺れる。タイタンボウが、俺がさっきまでいたところを踏み潰していた。粉塵で視界がいっぱいになりかけた頃、俺は、俺を助けてくれた人の顔を認めた。


「お前、なんで?」

「なんでって……」


 片手に俺を。片手に槍を持ったそいつは目を見開いていた。怒っているらしかった。巨人との距離が充分に開いたところで、俺は地面に放り投げられる。受け身もろくに取れず、そのまま転がった。俺は、KMを見上げた。


「呼べよ! ソッコー行くっつったろ! ダチのピンチは俺のピンチだ!」

「なんで。ここにいるんだよ」

「いや、なんでって」


 タイタンボウが近づいてくる。KMは槍を構えて、俺に背を向けた。

 詰めた距離も巨人の体躯ならば数倍の速度で縮められてしまう。砂と花が舞う中を、姿勢を低くした巨人が腕を伸ばしていた。小山が迫ってくるような圧を受けても尚、KMは俺の前から退かないでいる。彼はいつになく威勢のいい声を放ち、何らかのスキルを発動させ、巨人の掌を単体で押し返そうとしていた。

 その時だった。横合いから大きな人が、巨人の掌にタックルをぶちかます。だが巨人はびくともしない。


「おっき……! こんなの反則じゃない!」


 KMと同じく、カルディアの町で別れたアルミさんだった。


「二人じゃダメだ!」


 アルミさんは不敵な笑みを浮かべる。


「だとしても反則なんてものは見逃せないのよね!」

「力押しじゃどうにもならないんですよ!」


 巨人の五指がKMとアルミさんを弾いた。二人は体勢を崩されながら、後方へと吹き飛ぶ。俺は剣を抜いていたが、それよりも早く巨人に襲い掛かるものがあった。血の色をした刃だ。それが二つばかり飛んできて、巨人の指を刻んだ。これは、この魔法は。


「血よ、刻め!」


 血液を固めて出来た刃が巨人の掌を斬りつける。しかし即座に再生を始めていた。斬られた部位は盛り上がり、新たな皮が、指が生まれる。


「血よ、阻め! 聳えろ!」


 巨人を襲っていた刃が霧のような形に変わったかと思えば、俺たちと巨人の間に、真っ赤な壁が出現した。

 間違いない、この力を使ったのは。


「ふふん、どうだ。オレさまもレベルというやつが上がっているのだ」


 服についた埃を払いつつ、カプリーノは俺を見た。吸血鬼みたいに尖がった歯が覗いていた。

 カプリーノに、KMに、アルミさん。カルディアで出会った皆がここにいる。俺を助けてくれている。


「だから、なんでなんだよ」

「遅れてすまない。アニスがナガオのことを言わなかったのだ」


 嬉しいのか。悔しいのか。分からない。ありがとうって気持ちも、余計なことしやがってって気持ちも湧いてくる。


「俺は、一人でも頑張れたんだぞ。今までそうしてたんだ」

「オレさまは皆に助けられた時、嬉しかった。ナガオ。オレさまを友達だと言ってくれたな。でも、ナガオには借りがある。その借りがある以上、オレさまはお前と対等でいられない気がするのだ」


 巨人が血の壁を叩き壊した。散らばった欠片は霧となり、中空に掻き消える。カプリーノが前に歩み出て、肩越しに視線を投げてきた。


「そんな顔をするな。重たいものは皆で持てばいい。少しは楽になる」


 それに。そう付け足して、カプリーノはとある方を指差した。


「お前を助けたいのはオレさまたちだけではないらしいぞ」



<3>



 小動物の鳴き声のような音と共に、夜の闇を数多の光が切り裂いた。その光は巨人の側面にぶつかり、炎上を引き起こす。


「放て! 城には構うな、建て直せる!」


 ラベージャの声だった。キリハリリハが逃がしたはずの彼女が、他の亜人たちと一緒になって巨人に立ち向かおうとしている。夜に光ったのは彼らの放った火矢だったらしい。木の巨人には有効だろうが、それは操っているサンシチも承知の上だろう。

 巨人は体を揺さぶり、矢を振り払う。深く刺さった矢は火を伴い、巨人の体を燃やし続けていたが、巨人は体を再構成し、蛇の脱皮みたいに矢の刺さったままの古い皮を捨て去った。

 火で攻めれば勝機はある。ラベージャたちもそう考えたのだろうが、巨人の肩に乗っているサンシチがそうはさせなかった。彼は轟然と放たれる矢を、己の使う風の魔法一つで追い返したのだ。強風に煽られ、行く先を見失った火矢が神の庭に落下する。剣を手にした亜人たちの動きは早かった。


「いるか! まだ、そこにいるのかナガオ! 森の守護者、ヴェロッジのシャーラブーラが参った!」

「行くぞ同胞、ナガオを死なせるな!」

「応!」


 シャーラブーラたちが瓦礫を足場に空へ跳び出す。


「逃げりゃあ、よかったじゃねえか」

「ダメなんです」


 俺の背に、温かくて柔らかいものが押しつけられた。戦う気を萎えさせるそれは、しかし、優しかった。


「シャイアさん。ここは、危ないですから」


 シャイアさんは俺に、俺が預けていたポーチを握らせる。そこにはアイテムが入っている。彼女はまだ戦えと言っている。ポーチの中の小瓶は割れていた。一つだけ無事なものがあり、俺はそいつを掴んだ。


「逃げるとか、そんなことしたってダメなんです。私たちは戦って、血を流して、そうやって生きてきたんです。野蛮だとお思いですか。でも、話し合いであの巨人を殺せますか」

「分かりません」


 そんなことは分からない。俺自身のことですら分からないのだ。あの森からそうだった。ジンがやられた時からそうだった。俺の中で、俺の感情が渦を巻き続けて、暴れ続けている。

 鬨の声が後方から上がった。ラベージャたちとは逆の方角から、セラセラ兵がやってくる。俺たちを挟み込むつもりではないらしかった。あれは、アニスが率いているはずだ。

 セラセラ兵は縄に括りつけた鉤や、騎兵に引かせた綱で巨人の動きを封じようとしている。そんなものであのデカブツをどうにかできるはずもなく、引きずられ、踏み潰されそうになっていた。

 それでも彼らは戦いを止めはしなかった。少なくとも今この瞬間だけは、亜人も人間も同じ方を向いている。


「逃げません」


 巨人が腕をぶん回した。やつは、王城のどこかにいるであろうドリスを探しているのか。誰にも、あんなものは止められないのか。また一人、誰かが命を散らした。一際強い風が吹き、巨人の動きを押しとどめようとしていた。



<4>



 二つの風が衝突した。互いを食みながらも決して一つに混ざり合うことはない。衝突の余波は激しく、人、物問わず、周囲にあるものを飲み込んで巻き上げようとしている。


「この、雄々しくも物悲しい風は、まさか星詠みさまっ?」


 シャイアさんが星詠みの姿を探した。彼女は大した時間をかけずにやつを見つけ出す。星詠みは仲間を引き連れ、巨人の正面に位置していた。

 星詠みは俺たちに気がつくと脂下がった顔をこちらに向けた。


「おう。シャーラブーラの妹御。それに、ほっほう、ナガオさまではありませんか」


 何をぬけぬけと。と、怒りたい気持ちもあるが我慢である。それに星詠みは俺の言いたいことを分かっているはずだ。


「少しばかり気張っている最中でしてな。色々仰りたいのは重々承知しておりますが」


 星詠みは手にしている杖で地面を叩き、巨人をねめつけた。


「今はアレを止めるのに精いっぱいで」


 星詠みだけではない。魔法を使えるエルフが中心となって、タイタンボウの動きを瀬戸際で押さえている。


「お前ら、こうなることを望んでたんじゃないのかよ」

「それは違う。それは違いますな。自分の手でやらなければ意味がない。セラセラは憎く、人間は嫌いじゃ。だからこそわしら自身の手を血で汚さねばならない。よいですかナガオさま。これはわしらとセラセラの問題。あのようなモノに邪魔されては、森から出てきた意味もなく、死んでいったものに申し訳も立たなくなる」

「一時休戦ってことにするのか?」

「ぬう。人となれ合うのは全くもって好きゃあせんが、それでも今は誇りが勝りますな。この身に流れる血が、巣食う魂が、こうするのだと叫んでおるのです」


 星詠みたちはエルフの言葉を叫んだ。俺は巨人を、そこにいるサンシチを見上げる。同じ言葉を使い、同じ志を持っていたはずのものたちが互いの力をぶつけ合っている。


「止めたいか、ナガオや」


 俺は息を呑んだ。傍に近づいてきたキリハリリハは、まるで敵でも見るかのような目つきで俺を見上げていたのだ。


「わしには無理じゃった。シャーラブーラたちを止めることすら叶わなんだ。せっかく逃がしてやったと言うに、あやつら聞く耳持たんくてのう」

「キリハリリハさんも手伝ってくれるのか」

「星詠みから話は聞いた。このでかいのはタイタンボウとかいうやつじゃな。おとぎ話そのままの姿で現れよった。倒すには、こやつの体のどこかにある核を見つけ、潰すしかないそうじゃ」


 核……。


「それはどんなものなんだ」

「陣じゃよ。ただの木の集まりから、あやつを化け物にした術。その本は召喚陣にある。どこかに刻まれておるのだろうよ」


 召喚陣か。だが、俺がタイタンボウの体に飛び移って駆け回った時には、そんなもの見当たらなかった。外ではなく内にある可能性が高い。


「しかし、その核とやらは星詠みですら見たことのない代物じゃ」

「キリハリリハさん。アレを呼んだのはサンシチだ」


 キリハリリハは巨人を見上げ、幾分か穏やかな顔つきになった。


「星詠みよりも、主よりも、ヴェロッジのことを、わしらのことを守りたいと考えておったのはあやつじゃ。あれはな、剣もろくに振れず、弓も不得手じゃが魔法はよく出来た。ヴェロッジに残されたわずかな手掛かりを辿って、タイタンボウに行き当たったんじゃろう」

「それでもやっていいことと悪いことってのがあるじゃないか。長く生きてるんなら分別がついてたっていいはずだろ」

「本人に言うてやれ。いや、無理かのう。あの様では」


 俺はサンシチの言葉を思い出す。あいつは、自分が要だと言っていた。


「わしはやらん。人間と、それもセラセラのやつらと力を合わせろなどと無理な相談じゃ」

「だったら連れて戻るよ」

「何……?」


 星詠みたちが風の魔法を集めて放つ。その轟音にも負けない、大きな声が朗々と響く。


「最優先目標は木の巨人! あれと戦うものならば、種族問わず助けなさい! 倒れたものは教会へ!」

「ちっ」


 ドリスがセラセラ兵を率いて戻ってきた。流石の彼女もここでやり合う覚悟を決めたらしい。俺を見て、底意地の悪そうな笑みを一瞬だけ浮かべやがった。そうしてドリスは、俺の後ろを指差す。

 冒険者たちがいた。知っている人も知らない人も。さっきまで敵だった人も、同じ方を向いている。


「指示をください」


 一人、冒険者の中から歩み出てくる人がいた。月華舞踏会の夜月さんだ。


「僕らは楽しいことが好きなんです。さっきまではイベントの一部だとも思ってたんですけど、ここに八坂さんが、こんな風にいるってことは、ちょっと事情が違うのかなって」

「……俺は」

「でも。このボスを倒さないことには始まらないことだってあるんですよね。八坂さん、指示をください。ヘリオスの時のように。一緒にやりましょう。僕ら皆、その為に集まってたんだと思いますから」



<5>



 どうして。

 なんで。

 ……どうして(・・・・)か。今日だけでなんべん頭の中で繰り返したっけ。

 あの森で兄貴たちと出会ってから、いや、出会うよりもっと前から。俺はずっと不思議だった。どうしてこんなことをやってんだろう。なんでこんなゲームを続けてたんだろうって。ヴェロッジのエルフに呼ばれたからここにいるのか? 違うはずだ。全部何もかんも無視して兄貴を追うことだって出来た。痛くて苦しくて辛いだけならログアウトして二度とここに来なければいい。

 兄貴を捜して連れ戻す為。最初はそれだけだった。だけど今はそれだけじゃない。この世界で出会った人たちのほとんどは俺を見ていた。『八坂剣爾の弟』ではなく『八坂長緒』として見てくれていた。代用品だの二番目だのって、俺だけが勝手にいじけていたのかもしれない。もっと単純なんだ。どうしてとか思い悩む必要はなかった。

 俺はこの世界が好きなんだ。好きになっていた。この世界にいる人も、しっかり根付いて生きている人のことも。

 他人は鏡だ。俺のことをよく分かっていて、余すところなく映し出す。それはきっと、ストトストンだけじゃなくって元の世界だって同じなんだ。仏頂面でいたって始まらねえ。好きなら好きって言えばいい。俺は好きな人たちが苦しむのが嫌なだけなんだ。


「お兄さんは変な人ですよね」

「変か。俺って」


 俺の隣に小さいのが並んだ。そういや、こいつと会うのは久しぶりな気がする。こいつが傍にいないと物足りないというか、話が始まらないって気さえした。俺が見下ろすと、さゆねこはふふんと笑った。


「でも、お兄さんが変な人じゃなかったら、皆、お兄さんを助けよう、一緒にやろうなんて気持ち、起こらなかったと思うのです」


 そうか。じゃあ、俺はもう少し素直になろう。

 もはや種族だとかどっちの世界の人だとかは関係ない。

 俺は周囲を、皆を見回した。サンシチの声が上から降ってきたのは、巨人の右足の一部が抉られて間もなくのことだった。


「あくまで戦うというのなら、ここより先もヴェロッジが長、このサンシェールチャンベールが相手となろう! ひれ伏せやセラセラ家、与するものは同胞といえど容赦はせんぞ。貴様らに待ち受けておるのは、亜人の守護者タイタンボウに踏み拉かれる運命のみよ!」

「よせよ、そんなことしたいんじゃないんだろう!」

「血の花を咲かせい、森の敵よ!」


 何がしたいんだ、サンシチ。

 こんなことが、あんたの望みだったって言うのか。


「森の敵はあんたもだ! 考えを改めないんなら引き摺り下ろすだけだ!」

「ふふん、聞きましたか皆さん!」

「……え?」


 さゆねこが瓦礫の上に立ち、皆の注目を集めた。


「エルフだってイア族だって人間だって同じです。同じものを見て同じ風に思うのです、腹が立って悲しんで喜ぶのです」

「さ、さゆねこ?」

「わたしたちはたくさん仲たがいをしてきましたが、今こそ一緒にやる時です!」


 さゆねこが煽ると、セラセラの兵士たちから『いいぞ隊長』とか『さすが小将軍だ』みたいな野次が飛んできた。


「お前、今まで何かしてたのか?」

「セラセラの人たちと一緒に色んな砦を守っていたのです。いつの間にか、百人長とか千人長とか呼ばれるようになってました」

「すげえ出世してんじゃん!」

「そうです!」


 さゆねこが天に向かって指を差す。


「わたしたちのソンゲンとか、なんかそういう難しい感じのことを守りましょう! さあわたしに続くの……」

「あ、ああっ」

「てめークソヤロウよくもやってくれやがったなァ!」


 巨人がさゆねこをでこぴんした。さゆねこは一発で死んで光と化した。彼女を慕っていた兵士たちは激昂する。


「どこまで自由なんだあいつは」


 俺は剣を抜き、巨人に擬す。


「俺に続いてくれ! 続いてもいいと思ってるやつらは力を貸してくれ!」

「おお、隊長のかたき討ちだ! いいなお前ら、やるぞ」

「さゆねこ隊長の遺志を継ぐんだ!」


 厳密には死んでねえんだけど。


『周囲のNPCをパーティに誘いますか?』


 俺は目に見える範囲の連中にパーティを組むよう申請した。百を超えるNPC。セラセラ兵たちの傍にウインドウが現れる。彼らは迷うことなく中空に手を伸ばし、『はい』を押す。メッセージログの流れが追えない。滝の水みたいにだくだくと流れ落ちていく。


「ナガオさま、私たちもお願いします!」


 シャイアさん、シャーラブーラたち亜人組にも申請を送る。パーティの人数はあっという間に三ケタを超えている。アニス、ドリスたちも加わり、神の庭にいた全てのNPC同士でパーティを組むことになっていた。

 メリットなんて大してない。一緒のパーティになったから強くなるってわけでもない。俺たちは所詮他人同士で集まっているに過ぎない。だけど今だけは一つだ。同じものを見て、同じ風に感じている。俺はそう信じている。


「八坂さん、僕たちは支援に回りますよ!」

「プレイヤーは月華舞踏会、夜月さんの指示で! すんません任せます!」


 夜月さんは何も言わず、背を向けたまま右腕を掲げた。


「よく分かんないけどりょうかーい」

「ねえねえ、これってイベント? 何も更新とかされてないっぽいんだけど」

「とにかくバフ連発で! 目に見えてる全ての人が味方です!」

「ケー!」


 全員がかりだ。これでダメならどうしようもない。

 ふと見ると、俺がパーティのリーダーになっていた。俺が誘ったんだからそりゃそうなんだろうけど、妙な責任感、みたいなもんを感じた。


「俺はちゃんとしたことを言えないけど、一番前を走るから!」


 見てるか。

 どこかにいるのか、兄貴。

 あんたはこの世界を自分好みに変えようとしているのかもしれない。だけど俺はこの世界が好きなんだ。俺はようやく『八坂長緒』から逃げないで向き合えそうなんだ。だからどうか、邪魔をしてくれるな。



<6>



 ボロボロで。これ以上一歩だって動けないと思っていた。なのに今は体が軽い。馬鹿みたいに体が軽い。ああそうだ。風は今も吹いている。俺に――――いや、俺たちに答えようとしてくれている。


「粋がるなよ冒険者! 束になったところでタイタンボウには敵わぬわ!」


 タイタンボウが腕を振り上げる。強烈な風圧と共に腕が地面を叩こうとした瞬間、星詠みたちが風の魔法で巨人の腕を押し返す。たたらを踏んだ巨人に、弓兵が矢を射かけていた。

 走っている最中、俺に多様なバフがかかったのが分かった。優先的にサポートを回してくれているらしい。有り難い。

 狙いは核だ。巨人の外身削ったってキリがない。このまま距離を詰めて巨人の足を伝うか? サンシチも警戒しているだろうけど、旗頭気取るんなら無理くりにでも突っ込むっきゃねえ。


「ステータスならバチバチに上がってんだ!」


 巨人の動きが少しの間だけ止まった。俺はその隙に、枝の部分に手を伸ばす。瞬間、巨人が足を上げた。まだ態勢は整っていない。慌てて手を離し、不格好ながら着地する。留まっていると踏みつけられる。近くにいた人たちと一緒になってその場を脱した。

 フラミンゴみたいになりやがって。二度目はないってか。

 俺だけじゃなく、他の人たちも攻めあぐねている。決定打は。打開策はないのか。


「うおっ、なんだぁ?」


 見上げると、巨人の体から腕が生えていた。先までは俺たちと同じように二本きりだったそれが、やつの体から伸びていく。枝分かれしている。

 巨人の腕はいつしか十を超え、それら全てが地上を薙いだ。あちこちから悲鳴が上がる。回復職が必死に魔法を飛ばすも、味方の数が多過ぎて間に合わない。俺たちは文字通り一掃されてしまったのだ。ここに来て強化された相手。気が萎えそうになる。

 息を一つ。それでも俺は前へ行く。俺を見咎めたか、巨人が腕を伸ばしてくる。ちょうどいいや、野郎の姿勢が低くなったんなら、上りやすくなるってもんだ。走って走って、つんのめってもまだ走る。


「ナガオさまっ、もっと! もっと速く!」


 背中に風を受けた。視線を遣ると、シャイアさんたちが俺に風を送ってくれているのが分かった。これで更に速度が上がる。線になりかける景色を横目で確認する。巨人を止めようとして皆が戦っているが、やはり差はある。自分より大きなものを止めるのは難しい。巨人に近づけこそすれ、前みたいに上っていくのは無理かもしれない。


「走れナガオ!」


 真っ赤な柱が現れた。俺の行く先、高さの違う柱が次々とそびえ立つ。柱は少しずつ高くなり、足場代わりになりそうだった。


「カプリーノか!」

「それを使え、オレさまの力だ! 今度はオレさまがお前を支える!」


 俺は血の階段、その一歩目を踏みつける。

 巨人が建物の破片を掴み、こちらに投げつけてきた。


「止まるなヤサカ!」

「マジ全然わっかんねえけど、走れナガちゃん!」


 右からラベージャが。左からKMが突っ込んでくると、二人は柱を切り刻んで、貫いて細かく砕いた。後ろからはシャーラブーラたちが追いかけてくる。

 柱の一部は巨人に壊されたが、俺の進行方向へカプリーノが新しい柱を創り出す。全速力で足を踏み出す。一歩先は何もない。だけど仲間を信じている。どんぴしゃのタイミングで、徐々に高くなる柱を伝って巨人へ向かう。

 ある程度の高度まで達したところで、俺は巨人を見上げた。とてもじゃないが、まだ飛び移れる距離でもない。もっと間を詰めなければ。

 巨人の腕が迫っている。二。三。四。まだ増える。その全てを捌き切ることは難しいが、俺はもう一人じゃない。


「先に行く、ここは任せろ!」


 シャーラブーラたちが突っ込んだ。巨人は俺たちを捕まえようとして掌を広げたが、彼らは己が得物で巨人の五指を切り裂いていく。俺も《赤々と輝く拳》で巨人の攻撃を払いつつ、飛び移るタイミングを計った。

 巨人の、別の腕が見えた。俺はシャーラブーラたちの助けを借り、風に乗ってジャンプする。剣を巨人の腕に突き立てて支えとした。力を込めて一息に上れば、巨人は俺ごと腕を高く掲げる。皆と分断された。罠だったのかもしれない。


「もういい、逃げろ!」

「すまないっ、すまないナガオ! 長を頼む! あの方を、どうか!」


 巨人の腕は何本もある。それらがシャーラブーラたちを狙っていた。彼らは血の柱の上に留まり、攻撃を加え続けていた。逃げろと言っても無駄だろう。意味があるかないかではないのだから。

 浮遊感が身を包む。巨人は俺を振り落そうとしているらしい。させるか。このまま腕を伝い、肩に飛び乗ってサンシチを捕まえてやる。俺は不安定なバランスながら前へと進む。

 だが、巨人は俺のいる腕を地面へと叩きつけた。凄まじい反動と風が俺を襲う。ちくしょう、これじゃスタート地点だ。腕はダメだ。

 俺は腕から、巨人の体めがけて跳躍する。剣を伸ばしても届かない。風の糸を放ち、巨人の体に巻き付ける。そいつを起点にして上を目指した。

 巨人の体には凹凸があり、糸を引っかける枝なんかも多くある。俺は巨人の体から伸びている枝に風の糸をくっつけて、腕力だけで自分の体を上へと持ち上げ続けた。下は見ない。竦んでしまうのが怖かった。落ちれば次はないかもしれない。

 途中、俺を捕まえようとして、巨人が何度か自身の腕をぶつけてきた。その度に落ちそうになったが、俺は体から腕に飛び乗ったり、腕から腕へ飛び移ったりして凌いだ。そんなことをやっていると、ここにはやはり神様とやらがいるのかもしれないと思うようになった。俺のやっていることはたぶん、普通の人間に出来ることじゃない。神がかっている。神様が守ってくれている。俺たちにはきっとハシラサマがついている。


「サンシチ! 出てこいよ!」


 巨人の体を半分ほど上ったが、サンシチの姿は見当たらない。さっきまで巨人の肩に乗っていたはずなんだけど、どこか別の場所へ隠れたのか。

 隠れ場所に心当たりはあった。巨人の顔面だ。あそこには目があり、口がある。大きな穴が開いている。サンシチはそこに姿を隠したのだろう。


「サンシチって、おい!」


 俺は借金取りか何かか。

 剣を適当なところにぶっ刺したところで、巨人の顔が俺を見ているのに気付く。右目にあたる穴から光が漏れ出ていた。やっぱりあそこにいるのか?


「うおっ!?」


 巨人が今までより大きく体を揺さぶった。ぐるぐると駄々っ子のように暴れ回っている。深く刺したはずの剣が抜け、全身から冷や汗が噴き出た。慌てて風の魔法を使うが、思うように糸が出ない。堪えられなくなって剣の柄から手を離してしまう。代わりに短剣を掴んで巨人の体に切り込んだが、落ちながらでは上手くいかない。刃先が欠けて俺の手からぽろりと零れる。

 息を吸え。意識をはっきり集中させろ。分かっていても心臓がばくばくとうるさくて頭は余計なことばかり考える。エルフの言葉は。精霊への愛の言葉が咄嗟に出てこなくなった時、真下に進むだけだった体が持ち上げられた。

 六つの、風の糸が俺を捕まえていた。見なくても分かる。


「キリハリリハっ」


 地上のキリハリリハはつまらなそうにしながら、ふいとそっぽを向いた。


『ほれ、さっさとせんか』


 そんな声が聞こえてきそうだった。

 キリハリリハに助けられ、俺はもう一度巨人の体に縋りつく。野郎は怒り狂ったかのように体を揺らした。


「風! 風よ! 応えてくれ! 俺は好きなんだ!」


 叫ぶ。


「この世界が好きなんだ!」


 周囲の空気が震えて、目を開けていられないくらい強い風が俺に吹きつける。

 おお、と、地上から声が聞こえてきた。


「俺も好きだーっ!」

「ストトストンが好きだぁあああ!」


 兵士が声を上げると、他の人たちも口々に何事かを叫んだ。


「行け! 行けえナガオ!」

「走れ走れっ、でかいのをどうにかしてくれえ!」


 声は風に乗って俺に届いた。

 届いた声は俺の心を揺さぶった。

 目を開くと、一本だけしか使えなかった風の糸が、俺の体から何本も伸びているのが見えた。その糸を使い、巨人の体を駆け上がるようにして進む。

 巨人の、輝く右目が俺を認めていた。恐れるものか。


「《閃光》……!」


 移動は全て糸に任せる。反動をつけて体を放り出すと、巨人の右目は目の前だった。一瞬間、ひんやりとした静けさに包まれた。自由な両手でメニューを操作し、手持ちの武器を全て呼び出す。呼んだ武器は糸で掴んだ。

 剣。槍。短剣。斧。金棒……森で教わったもの全てをここで出す。


「《菖蒲》ぅぅううううううう!」


 掴んだ武器、その全てで《閃光菖蒲》を発動した。俺一人だけじゃない。支援によって底上げされた六つの刺突が巨人の目玉に命中した。武器と共に俺も穴の中へと突っ込んだ。



<7>



 巨人の右目。穴の中にごろごろと転がって落ちると、俺は即座に立ち上がり、剣を構えた。穴の中は存外広く、濃密な草の臭いが漂っている。暗がりからサンシチが姿を見せた。彼は、先の《閃光菖蒲》でダメージを負っているのか片膝立ちで俺を見上げていた。


「やはり、間違いではなかったか」


 サンシチはゆっくりと立ち上がり、息を吐き出す。妙だった。何だかもう、サンシチには戦意がないように思えて、何か途轍もなく悪いものが落ちたかのような、爽やかな顔をしていた。


「降りてくれよ、もう」


 ここまでやったんだ。ここまでセラセラを追い詰めたんだ。満足してくれよ。


「キリハリリハさんからも聞いた。これは悪いものなんだろ。このままにしておけるもんでもないはずだ」

「お若い冒険者。いや、ヤサカ・ナガオ。主に依頼をして……出会えてよかった。お主でなければ、わしの依頼を完遂することは難しかったと思える。星詠みさまでも、ご隠居様でも難しいことだったろうからなあ」


 サンシチの依頼は、セラセラの血を絶やす、というものだったはずだ。俺がそのことを指摘すると、サンシチは緩々とした動作で首を振る。そうしていつしか、巨人の動きは止まっていた。


「最初から分かっておったよ。血を絶やすなど、そう容易いことではないとな。わしの願いはヴェロッジを守ること。家族を、友を、森を守ることじゃった」

「こんなものを持ち出しといて、いまさらそんなこと言うのかよ」

「すまんなあ。わしにはこれしか思いつかなかった。何せ星詠みさまは……いや、言うまい。それより、早くここから立ち去るといい」

「え?」


 何を思ったか、サンシチは胸の辺りから自分の服を破いた。彼の胸どころか、体にはびっしりとエルフ文字が描かれていた。その文字は淡く光っている。


「……それ。まさか、召喚陣なのか」

「陣を壊されるわけにはいかなかったのでな。わし自身を陣とした」


 じゃあ、さっき目から発せられていた光ってのは、サンシチの体から溢れていたものだったのか。


「なら終わりにしてくれ。その陣を消せばいいんだろ? 風呂にでも入ってさっぱりすりゃあ済むじゃねえか」

「ナガオ。主は星詠みさまに祀り上げられたお飾りの英雄だったが、今は違う。皆、主のことを本当だと思っておるよ。後のことはお任せする。主でなくてはならん。風の精霊にすら好かれる、お優しいお方でなければ、ならん」

「サンシチ……?」


 近づこうとした俺を、サンシチは手で制した。彼は短剣を抜き、自らの首元に刃を突きつける。


「陣が壊れればタイタンボウは自壊する。ただの木に変わる。そうなれば、ここにいる主も無事ではすまん。行け」


 行け?

 いや、ちょっと待ってくれ。あんたいったい、何をしでかすつもりでいるんだ。


「行けと言うておる。若者が爺の妄言になど付き合うな」

「ダメだ。俺はあんたを連れて帰るって、キリハリリハに言ったんだ。何も、死ぬことなんてないじゃないか」


 サンシチから武器を取り上げようとしたが、俺は風の魔法をもろに受け、木の壁に背を強かにぶつける。


「最後によいものを見せてもらった。《八つ手》の妙技、人の子にも伝わったようじゃな。主は、人とエルフが交わった証左じゃ。わしらはいつの日か、穏やかな心でセラセラ家の人と手を取り合えるのかもしれん」

「待てよ! そんなのって」


 タイタンボウが震えた。上がった鮮血が、俺に終わりを感じさせた。サンシチは仰向けになって後ろから倒れていく。

 召喚陣が壊れた(・・・)のだ。タイタンボウは元の姿に戻る。


「死んで終わりかよ。サンシチ」


 呼び掛けには誰も答えない。当然だ。死者は口を利かないのだから。

 人間は死んだら終わりだ。サンシチは自分の命を使って何かをやり遂げたのかもしれない。だけど、そんなのってずるいじゃないか。


「あっ……!?」


 穴の中から、大きな木屑が落ちていくのが見えた。サンシチの言っていたとおり、タイタンボウが崩れ始めているのだろう。俺も急いで離れようとして、穴の縁に足をかける。頭を外に出した時、真上から落下する木にぶつかった。

 俺はその衝撃で穴から落ちる。風の糸を使おうとするが、引っかける場所が見当たらない。何せ、タイタンボウの体はほとんど原形をとどめていなかったのだ。力を失ったと同時に枯れて、ばらばらになって、幾億にも分かれて神の庭へと落ちていく。


 魔法を使おうとしたが何も起こらない。スキルを連発してSPが切れているらしかった。


「ここまできて冗談じゃねえぞ」


 アイテムを呼び出してSPを回復してスキルを使って、せめて落下速度をもう少しだけ緩めれば、前みたいに助かるかもしれない。だが、操作がおぼつかない。木の雨の中、俺はサンシチの骸を認めてしまった。あいつは見る影もなく、枯れていた。辛うじてサンシチだって分かるくらいの様になっていた。

 呼び出したアイテムを取り落して、俺はちょっと諦めた。空を見ると、馬鹿みたいに星が綺麗だった。


「捕まれっ」


 黒い塊が、落下する巨人の欠片を吹き飛ばしながら空を突き進んでいた。黒盾さんが、空を飛んでいた。よく見ると、彼の体には風の糸が巻きついている。そうか、キリハリリハと協力してくれたのか。

 俺は必死に手を伸ばした。黒盾さんは俺の近くにあるものを蹴り退かして、手を掴んでくれた。


「ふっ、はは! いいものだな、空を飛ぶというのは!」

「笑ってる場合っすか」


 俺たちは糸を介してキリハリリハと繋がったまま、空を回転する。少しずつ高度は下がり、地上にいる皆の顔が分かるようになってきた。


「目ぇ回りそ……」

「楽しいか」


 え?


「お前はこの世界ゲームを楽しんでいるか」


 俺は少しだけ迷ったが、頷いた。黒盾さんも満足げに頷いた。


「俺の負けだ」

「いや、でも」

「俺は一人だがお前は一人ではない。お前を負かしてもここにいる人たちが俺を許さないだろう。さすがに、この世界ごと相手にはしたくないさ。それに、俺だってこの世界は好きなんだ。だから、お前の気持ちに負けた。そういうことにしておく」


 間もなく、俺たちは地上に戻る。タイタンボウは終わったが、まだ終わっていないのこともあるのだ。俺たちをねめつけるドリスを認めて、俺はそう予感した。

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