第5章 王都攻防戦Ⅲ<森、動く>
<1>
「シャイアさんダメだ!」
俺とキリハリリハが駆け寄るも、黒盾さんの拳は既にシャイアさんのお腹に突き刺さっていた。彼女は俺を見て笑いかけようとしたが、ゆっくりと力が抜けていき、黒盾さんの腕に抱きとめられる形となった。
黒盾さんはシャイアさんをその場に横たわらせて大剣を構える。
「後はお前たちだけだな」
残ったのは俺とキリハリリハだ。ラベージャやシャーラブーラは、黒盾さんの宣言通りに気絶させられている。あっという間の出来事だった。戦いが始まってからまだ数分と経っていないってのに。
キリハリリハはともかく、俺が残っているのはラベージャたちが庇ってくれたからだ。でも、何も出来ないままでいる。
「ナガオ。言葉は要らん。本気で来い」
そうは言うが、手も足も出ないのは本当だった。
「臆するなナガオ。ここで終わらせればよい。わしに続けい。主に背中を預けたぞ」
「……分かった」
俺一人では難しくても、こういう時は頼りになる人がいる。
エルフの剣を構えて、俺は黒盾さんを見据えた。その瞬間に影が動く。キリハリリハは六本の糸を操り、剣や槍を無茶苦茶に振り回した。石畳が抉れると、破片が糸を引くようにして後方へと飛んでいった。
黒盾さんは俺たちの背後に回り込んでいる。咄嗟に、キリハリリハを庇うようにして剣を突きだしていた。狼王に真正面からぶつかられた時のような衝撃が両腕から伝わる。離すものか。腕は痺れかかっていたが、俺は大剣を弾き返した。
「いいぞ、もっとだ!」
まずい。
キリハリリハの技量は凄まじいが、黒盾さんは彼女の攻撃を容易に回避し、防いでいる。キリハリリハの風の糸戦法は軽いのだ。疾風怒濤の連撃も一発一発はそんなに重くない。対して、こっちは一発でも喰らうとかなりやばい。
速くて、固くて、重い。単純に強い。黒盾さんは、人の形をしているがヘリオスや狼王よりも手強い相手だった。プレイヤーとして、俺よりも長くこの世界に居続けたのだ。俺よりも多くのモンスターを狩り、装備を整え、経験値をつぎ込んで自分を鍛えていた。
「だけどォ!」
大剣を弾き返す。大丈夫だ。見えている。黒盾さんが移動しているところは捉えられないが、攻撃に移るところは分かる。見える。キリハリリハにつけてもらった修行のお陰か。彼の息遣いがギリギリ聞こえてくる感じだ。これなら、兄貴たちとやり合うよりもまだいけるって気がしてくる。力が湧いてくる! 黒盾さんに負けじと切り込む。彼は躱さず、俺の剣を自らの得物で受け止めた。鍔迫り合いに持ち込まれ、至近距離で顔を覗き込まれる。彼の顔はフルフェイスの兜で見えないが、何故だか、楽しそうに思えた。俺を試しているのか?
剣を引き、もう一度撃ち込む。先よりも力を込めたが今度は避けられた。空ぶった隙をキリハリリハがカバーする。彼女は黒盾さんの頭上から剣と槍を降らせたが、効いているようには見えない。
石畳がばちばちと音を立てて砕けて剥がれる。破片の雨の中、俺は黒盾さんの姿を探した。目で追ってもダメだ。遅い。僅かな息遣いから気配を探り、見当つけて剣を振る。
「俺を追うか、ナガオ!」
俺では遅い。
キリハリリハでは軽い。
だったら……!
「キリハリリハ!」
キリハリリハも俺と同じことを考えていたのが、目を合わせただけで分かった。互いに頷き、俺は彼女に身を任せる形で力を抜く。途端、俺の体が宙に浮いた。横方向に吹き飛ばされる感覚。風景が線になる。地面が迫る。怯えるな。キリハリリハを信じている!
風の糸が、俺とキリハリリハを繋いでいた。
俺では遅いのなら、キリハリリハでは軽いのなら、二人でやればいい。俺が彼女の武器となればいい。
「目ぇ回すなや、ナガオ!」
とっくに吐きそうだ。
俺が黒盾さんを探す必要はない。目で追うこともない。ただ、キリハリリハに従って攻撃するだけだった。剣を振り下ろし、あるいは横薙ぎに払い、黒盾さんを追っかける。その度に剣が石畳が砕いて、彼の鎧にかすり傷を作った。
「面白いな、それは」
「どこが」
黒盾さんは大剣で俺を押し返す。キリハリリハが強引に俺を潜り込ませる。俺を何だと思ってるんだ。
真横から迫る槍の穂先を弾き返すと、黒盾さんに隙が生まれた。キリハリリハは俺をそこに向かわせ、風の糸を切り離した。俺はよろけながらも、速度の乗った状態で遮二無二攻撃を繰り出す。
甲高い音がして剣が飛んだ。俺はその行方を見ないまま槍を呼び出す。黒盾さんは少しばかり動揺したらしかった。
「《不惜身命》」
防御力と引き換えに自分の攻撃力を上昇させる。どうせ一発もらえば終わりなんだ。使っちまえ。更に《閃光菖蒲》を発動。手持ちスキルで最も威力の高いものを選択する。呼び出した槍を握っている暇はない。柄の部分を掌で押し出すようにして黒盾さんを突いた。胴を狙った一撃は逸らされたが、肩を貫く。彼は低く呻いた。
キリハリリハが再び俺を捕まえ、その場から引かせる。黒盾さんはじっと俺を見据えていた。
「……そのスキルは知らんな」
閃光菖蒲のことか? そりゃあ、イシトラの武器から習得したものだからな。店売りしちゃいないだろうし、手に入れるにはロムレムで戦奴隷にならなくっちゃあいけない。あそこにいた時は、夜ごとてめえの馬鹿さ加減を呪うくらいだったけど、無駄じゃなかったみたいだ。
「長くこの世界にいたが、俺にも知らないことはあるらしい」
黒盾さんは楽しげに語った。俺は、少しだけイラついた。
「俺だって人のことは言えないですけど、どうなんですか。あなたはどうしてセラセラの味方をするんですか」
「何?」
彼の後ろにいるドリスが俺を一瞥した。
「この世界のことをろくろく知りもしないで、この大陸で亜人と人間がいがみ合っていることを表面上でしか知らないで、自分の力を振るいたいからここにいるって風に聞こえるんですよ、俺には」
黒盾さんはくつくつと、低い声で笑った。
「入れ込んでいるじゃないか。こういう言い方は好きじゃないが、たかがゲームだろう。今のお前は、俺よりもこの世界に溶け込んでいるんだな」
「悪いですか」
「俺はお前の親兄弟じゃない。ゲームにのめり込んでリアルの生活がおろそかになっても関係ないからな。だから、ただ羨ましいと思う。いや、妬ましいと言うべきか」
少し本気を出そう。
黒盾さんはそう言って、腰を低く落とし、前のめりになった。すぐに分かった。防御を捨てて、全力を撃ち込むつもりなのだと。来るか。こっちも覚悟を決めたその時、強い揺れを感じた。地震ではない。揺れたのはごく短い時間だけだ。だが、それが何度も続く。揺れは少しずつ大きくなる。何か、途轍もなく大きなものが動いているかのようだ。
「……なるほどね。亜人も妙なものを持ってくるじゃない」
ドリスが独り言ちるようにして、言い放つ。彼女の視線の先には――――。
<2>
キャラウェイの北側で戦っていたものたちは、ゆっくりと腕を下ろした。だらりと下がったそれは、眼前の敵すらを忘れて武器を取り落す。
アニスは副官に呼びかけられて、ようやく心を取り戻した。彼女は今、おとぎ話が世界に再現されるのを目の当たりにしていた。
「……なんですの、アレは」
副官は諦めたように首を振る。
亜人もセラセラの兵も関係はなかった。誰もが、王都へ近づいてくるものを見上げていた。空がぎちぎちと軋んでいる。小動物が逃げ場を求めて駆け出し、あるいは鳥が羽ばたいた。馬が瘧のように震えて、悲鳴じみた声を発する。乗っていた兵士が振り落された。
それは森を抜け、森から現れた。王城の見張り塔と同じくらいの高さの人間が、世界を睥睨している。
この世界に住むものは、古くから見上げるという行為に意味を見出していた。見上げるとは祈りと同義だ。天まで届く神の柱を認める際、ストトストンの住人は畏れを知り、ちょっぴりの誇らしい気持ちを胸に抱く。だが、今は違う。この場にいる者はただただ恐怖していた。
王都南部の森から現れた巨人は、間違いなくこちらを目指している。止める術など、誰も持ち合わせてはいない。
<3>
その体は、森で出来ていた。
突如として出現した巨人。その四肢は大樹。二本の足でその場にとどまっていると、王都南部の街道に、ごつごつとした、太い幹を有した木が根ざしているようだった。節くれ立った大樹のあちこちからは枝葉が伸びている。その上をネズミやリスといった小動物が駆けまわっていた。
足があり、腕があり、腰があり、胴がある。その上には頭がくっついている。人の形を模した前面には、二つの大きな洞があった。目だった。
王都の外壁よりも背の高い巨人を、セラセラ兵はただ見上げるしか出来ない。他方、亜人たちは歓喜の声を上げていた。
「おお、これは」
「あのお姿は偉大な森の人でないか?」
「やりましたな、星詠みさま」
星詠みは歯を強く噛み合わせていた。少し奥歯が欠けた。この巨人を、彼は知らない。切り札でもなんでもない。全くの計算外、完全な乱入者なのだ。もっとも巨人の正体には察しがついていた。《タイタンボウ》と呼ばれる、エルフに伝わる魔法の中でも秘奥中の秘奥だ。森一つ(・・・)程度を代償に、あのような巨人を生み出し、操る術である。しかし遠い時代に置き去りにしたはずの禁忌でもあった。タイタンボウを知っているのは極一部のものだけだ。星詠み自身ですら記憶の奥底にこびりついていた程度のものだ。
星詠みは目を凝らす。巨人の肩の上に、何者かがいるのが分かった。その人物こそがタイタンボウを創り出したに違いない。
「何者じゃあ」
呼びかけるも、タイタンボウの上にいる人物は応答しなかった。それどころか、タイタンボウは前進を再開する。亜人もセラセラ兵も区別なく踏み潰そうとしているようだった。算を乱してその場から逃走する亜人たちは、怒りよりも驚きの方が勝ったのか、ぽかんとした顔で巨人を見上げた。
「ほ、星詠みさま。あの巨人はお味方ではなかったのですか」
「ぬうう」
タイタンボウを操っているのはエルフで間違いない。ならばそのエルフの狙いは自分たちと同じはずだ。タイタンボウで王都を蹂躙し、王城を破壊し、セラセラの司令官ドリス・セラセラを弑することであろう。しかし、アレ(・・)はまずい。タイタンボウは他者に寄生する生命体だ。最初に、自身を呼び出した術者のエネルギーを糧にして稼働する。術者の力を吸い尽くせば止まるわけではない。タイタンボウは新たな寄生先を探すのだ。そうして周囲一帯の生物、そのエネルギーを平らげるまで止まらない。
皆、死ぬのだ。
そうなれば亜人も人間も、勝ちも負けもない。平等なのだ。タイタンボウは貪婪に命を喰らわんとする死そのものだ。
「ぬううあああああ!」
星詠みは、背を向けつつあるタイタンボウに向けて風の魔法を放った。人間で言うところの、腰の部分の木の皮が剥がれるだけで巨人の歩みは止まらなかった。
「星詠みさま、いったい、何を」
「皆、静まれい。アレを止めよ。止めねば死ぬぞ」
「死ぬ?」
「わしらもセラセラも、そうでないものも皆死ぬぞ。アレは、そういうものじゃ」
亜人たちの間に動揺が走る。星詠みは続けた。
「セラセラは後回しにせい。やつらとて、自分の町が滅びるような真似などすまい」
「一時休戦ということでしょうか」
星詠みは欠けた奥歯を吐き出した。
「そういうことになる。だが、やられたらやり返せ」
「は、はあ」
「しかし、あの巨人を止めるというのは」
「まずは足を止めればよい。とどめは、わしがやる」
タイタンボウの体のどこかには核となる部分が存在する。その核を見つけて壊せば、タイタンボウは『死ぬ』。ただの木に戻るはずだった。
<4>
「少しずつ、こっちに来る」
馬鹿でかいやつが、王都を侵攻している。ただ歩くだけで。ただ腕を軽く振るだけで。大勢の兵士が紙のように吹き飛ばされるだろうし、人家は呆気なくぺしゃんこになるだろう。馬鹿げていた。
「あれは、亜人が呼んだものか」
「わしは知らぬ」
黒盾さんは武器を収め、ドリスを両腕に抱いていた。いつでも逃げられるように、とのことだが、彼女はその待遇に酷く不満げだった。
「じゃあ、あれはなんだってんだ?」
つまらなそうに息を吐くと、キリハリリハは俺を見上げた。
「昔、寝物語に聞かされたことがある。わしらエルフや亜人が苦しんでおる時、あのような巨人がやってくるとな」
「へえ」と、ドリスが口角を歪めた。
「それであなたたちを苦しめているやつらを懲らしめるって?」
「よいかセラセラの小娘。都合のいいことなんてありゃあせん。……巨人には決して近づくな。あれは何もかもをぺろりと食べてしまうんだよ、と、そのようなことで締めくくられる。訓話じゃよ。楽するな、しっかり自分の力でどうにかせい、というたぐいのな」
だが、現にその巨人とやらは姿を見せて、しかも城の方に近づいてきている。こっからじゃ見えないが、足元は酷い有り様になっているだろうな。
このままほっとけばキャラウェイは無茶苦茶になるだろう。それだけじゃない。あんなでかいのからは馬を使ったって逃げ切れない。
「むうー。わしらは逃げるとするか。放っておいてもあのでかいのがセラセラを滅ぼしてくれるやも」
「セラセラだけで済むならいいけどな」
「ちょっと! 済まないわよ! でも、流石にあれは無理ね」
ドリスの諦めは早かった。
「魔法で焼けないのか? 随分とあるが、要は大きな木だ」
「試してもよいが、あんなに大きなものを焼くとなると、かなりの使い手でなくては無理じゃろうな」
言外に無理だと言っているらしい。俺はドリスを見た。彼女は首を振って、ふっと微笑んだ。
「魔法使いの部隊はお父さまが連れてって死なせてしまったのよ。魔法使いが全くいないわけではないけど、かなりの使い手となると心当たりはないわ」
次にドリスは黒盾さんを見た。彼は微動だにしなかった。
「俺は魔法は不得手だ。他の冒険者に頼んでみよう。だが、ランクの高い魔法使いは見当たらなかったな。少なくとも、Aランクの冒険者でないと難しそうだ。たとえば砲兵とか、火宴とか、そういう連中でもなければ」
砲兵やら火宴ってのが誰か知らないが、銃火器でもないとしんどそうだ。けど、俺の見てきた限り、この大陸には大砲とか、そういったものがない。恐らくだが火薬がないのだろう。その代わりに魔法が発達している。火は起こせるし、大砲並の威力の魔法が存在しているから、なのかもしれない。
「ともかく人を集めて火で押すしかないだろうな」
「簡単に火攻め火攻めって言うけどね。ここは王城のある、王都なのよ。あの大きいのをどうにかするのに全部焼いちゃったらどうしようもないじゃない」
「でも城にいる人が死んだらそこまでじゃないか」
ドリスは押し黙った。どうするか考えているのだろう。
ともあれ、俺が今やれることは一つしかない。
「キリハリリハさん。ラベージャやシャーラブーラたちを逃がしてくれ」
「主はどうするつもりじゃ」
「まあ。うん」
俺は鞘に手を遣った。キリハリリハの表情が険しくなる。でも、俺はこれしか出来ない。上手く皆をまとめることが出来なかったし、すげーかっこいい作戦も思いつかなかった。行き当たりばったりの、偽物の英雄だ。
「黒盾さんも、お城の人を避難させてください。あいつはたぶん、ドリスを追ってくる」
「分かるのか」
「たぶんですけど」
あの巨人は木偶じゃない。意志を感じる。俺の魂がそう言っている。気がする。
黒盾さんは頷き、ドリスを抱えたまま城の中へ引き返していった。
「ナガオ」
「急げよ。俺だってまともにやり合おうなんて思ってないよ。あんなもん相手にしてたら命がいくつあっても足りない」
キリハリリハはまだ何か言いたそうだったが、巨人が近づいてくる。彼女は俺をねめつけながらも、風の糸を使ってラベージャたちを中空に浮かせた。少しばかり乱暴だが、そうやって逃がしてくれるのが一番手っ取り早い。
「主もはよう逃げえよ」
「おう。ちょっとまあ、注意を引きつけるよ」
いったん戦闘に入れば、簡単にはログアウトできなくなる。キリハリリハの背を見送った後、なんで俺はこんなことしてんだろうって気になった。
「お?」
やがて。緑の巨人が神の庭に足を踏み入れた。
<5>
やっぱりでけえな。見上げると首が痛くなる。
「……?」
巨人は、動きを止めていた。俺もすぐには仕掛けようと思えず、警戒しながら動向を探る。すると、巨人はゆっくりとした動きで屈み始めた。片膝を地面につけ、かしずくようにして頭を下げる。巨人の肩に誰かが乗っていた。そいつは巨人の腕へ、腹へと猿みたいに飛び移り、巨人の片膝から身を躍らせて着地した。
「あまり動き回るな、お若い冒険者」
老いたエルフがにやりと笑う。サンシチだった。
「あんた、星詠みと合流したんじゃなかったのか? というか……」
何だ? こいつは、何をしているんだ?
「星詠みの指示なのか、そのでかいのは」
「ほっほ、ナガオさまには挨拶をしておこうと思うてな。やはり、お前さんに依頼をして正解だった。わしらがここまで来られたのも、お前さんのお陰なのかもしれんのう。新しい風というのも、いやいや、真なのかもしれぬ」
「サンシチ。説明してくれ。あんたはそれでどうするってんだ」
「皆を守る為、これしかなかった。これしか思いつかなかった」
「サンシチ!」
捕まえようとしたが、サンシチは巨人の体に飛び移ってしまう。
「此度の戦! 肝心要の部分は星詠みさまでもお前さんでもなく、このサンシチじゃあ! お忘れなく!」
「そんなもんで暴れ回るのか!」
「後のことはぁ、お頼み申したぞ!」
あの巨人はサンシチが指示しているのか?
巨人の足が神の庭を踏み荒らし、腕が建物を薙ぎ払った。舞い上がる粉塵。破片。石と土が降ってくる。《戦意上昇》を使いつつ、俺は物陰に身を潜めた。掠っただけでもやばそうだ。
……? お? おお、俺は戦おうとしてるのか、アレと。案外冷静なんだなと思ったが、たぶん、恐怖心が麻痺しているだけなのだろう。とにかく、このまま暴れさせとくのはまずいな。
俺は物陰から飛び出て、巨人を見上げながら走る。サンシチに呼びかけるが無視される。
巨人が。腕を。振り下ろす。
剣を構えかけたが受けられるはずはない。横っ飛びでその場から逃げようとしたが、空ぶった巨人の腕からどでかい風圧が起こった。
「うおぉおおおおお!?」
葉っぱみたいに、俺の体が巻き上げられる。後ろ手で風の魔法を使い、衝撃を和らげる。足りない。生垣に背中から突っ込んでしまう。急いで立ち上がり、上を見た。
『タイタンボウ』
巨人はそういう名前らしい。俺はポーチから回復薬を探り当て、一息に飲む。無作法だが空になった瓶を放り投げた。
掠った……いや、空ぶっただけでこの有様だ。直撃すればHP全部持ってかれるのは間違いない。俺は短剣を握り締め、投擲した。巨人の足に命中したが、何も起こらない。ダメージが通っているのかどうかですら分からない。
――――何をやってんだよ、長緒。
俺はどうせ偽者だ。英雄だの何だの崇められて奉られても、誰かの代用品でしかない。いつだってそうだ。頑張ったってろくな目に遭わねえ。
もう一度、短剣を投げる。
タイタンボウが俺を見下ろした。肩に乗るサンシチの視線を感じた。
「俺を呼んだのはいいけど、俺に頼んだのは失敗だったな」
なあ、サンシチ。俺は偽物で、代用品だ。だけど、俺みたいなやつがいなけりゃ本物ってのが成り立たなくなる。誰かを引き立たせる為の道具だとしても、陽の当たらない役割だとしても、それでもいいって思ったんだ。
王様だとか、長老だとか、そういう連中は大概極端だ。気に入らないものは全て取り除こうとする。上手くいかないからってやり直して、自分にとって都合のいい楽園なんてものを創ろうとする。それでもいいとは思うんだ。だけど、気持ちのいい楽園だけがあったって俺たちは何も変わらない。
『望むのは一つです。それは、平穏な暮らしなのですよ』
楽園だけじゃなくたっていい。
『ただ、雨風凌げる場所でゆっくり眠れて、日々の食事に困らなければそれでいいんです』
隣に地獄みたいなところがあってもいいじゃねえか。それが人間だし、生きてるって証拠なんだから。誰が楽園を望んだよ。みんな理解してるんだ。混ざり合って、隣り合っていてもいいんだ。それが普通なんだって。……俺は、そういうことを望んでいる人たちに共鳴したんだ。そうだって、心から思えたんだ。だからその人たちの思いを、願いを叶えられるなら。俺が頑張ることで何かが変わるんなら、偽物の英雄でも構わないって思った。
だから。
息を吸え。埃だらけの新鮮なものを。目を開けろ。敵はそこにいる。剣を握れ。敵は、俺の目の前にいる。
<6>
「全部叩き潰してっ、真っ平らにするってんなら!」
風を使って距離を稼ぐ。巨人の足を躱して、剣を突き立てる。ごつごつとした表皮には枝がもじゃもじゃと生えていた。木登りだコノヤロウ。
突き立てた剣を足場にして斜め上の枝に手を伸ばす。力を込めて自分を引っ張り上げた。まだまだ。まだ遠い。
巨人が体を揺さぶった。振り落されそうになるが、短剣を深く突き刺して柄を両手で握り締めた。左右に振られるが、上を目指す。ちくしょう、これじゃ時間がかかり過ぎる。
俺は手ごろな、太い枝に目をつけた。その上に飛び乗り、風の魔法を足元に向けて放つ。真下で何かが爆発したかのような衝撃。そいつをブースター代わりに使い、枝から枝へと飛び移る。落ちたら最後。少しでもバランスを崩せば落ちて死ぬ。だってのに自分を止められない。巨人の肩にいるサンシチへ呼びかけ続ける。
「このままじゃ何も残らなくなる! 城も、森も!」
予感でしかないが、タイタンボウとかいう巨人はただのモンスターとは違う。今まで相手にしてきたのとは別種の空気を纏っている。鋭い悪意だ。こいつはこの世界の中じゃあ、酷く禍々しい。こいつの力に頼っているとろくなことにならないって気がしてしようがない。
巨人の腰あたりに辿り着いたところで寒気がした。やつの腕が迫っていた。俺を捕まえようとしているらしい。いったん地面に落ちるか、別の場所へ急ごうか迷ったところで、巨人の右手、その五指に絡め取られてしまう。指の一本一本が俺よりもでかい。締め殺されるどころか、捻り潰され殺される。
「《赤々と輝く拳》!」
スキルによって右手から炎を発する。タイタンボウの中指が炎上した。俺にも延焼ダメージが入るが死ぬよりマシである。ガードの薄くなったところを切り刻み、燃えカスになった巨人の指を足場にして空へ飛び出す。このまま地面とぶつかりゃぺしゃんこだけど、
「俺を見ろぉおおお! 風ぇえええええ!」
精霊に呼びかける。俺の指先から風の糸が伸びるのが分かった。糸の先端は巨人の腕部に到着する。
巨人が腕を大きく振り上げた。糸と結びついている俺は、空高くへと放り出される。糸は決して切れない。離さない。だからぐるぐると振り回される始末だった。その最中、サンシチと目が合ったのも一瞬の出来事だった。
しびれを切らしたのか、巨人が腕を勢いよく振り下ろす。俺ごと地面に叩きつけるつもりなのだろう。風の糸を自らの意志で切り離し、剣を握る。巨人の背中が見えた。行け。落下する衝撃を全て剣の切っ先にぶち込んだ。
巨人は体勢を整えてまっすぐに屹立する。俺は剣の柄を必死に握って、落ちないようにするので精いっぱいだった。ぶらりと垂れ下がる俺の体は、巨人が暴れるたびに右へ、左へと揺れる。剣を片手で握り、空いた手で短剣を使う。突き刺してやろうとしたが、背中の皮は他の部位と比べると凹凸が少なくてやけに固い。何度も攻撃を繰り返したが、岩を叩いているような気分だった。
「うっそだろ」
辺りが暗くなったかと思ったら、巨人の両腕が背中に伸びているのが分かった。またその手か。俺は自ら右手の指に飛びつき、掴まれないようにわきわきと動く巨人の手の中を逃げ回る。
巨人は、後ろに回していた両手をゆっくりと前の方へ持っていく。蚊を握り潰して、その結果を確認する為の動作と同じ感じだ。腕が水平になるところを見計らい、俺は巨人の掌から脱出した。
「こいつを止めろって言ってんだ! サンシチィ!」
駆ける、駆ける。腕を伝い、右肩に到着。俺は巨人の顔面を挟んでサンシチと向かい合った。
「ここまできおったか。冗談の塊のようなやつじゃのう」
「あんたに言われたくねえよ」
「それで」
サンシチは目を細める。初めて会った日の夜を思い出した。
「ここからどうする。お若いの」
「止める」
「この、タイタンボウを?」
「あんたをだ」
「抜かしおるわ」
サンシチが掌を俺に向けた。あっと気づいた時にはもう遅い。風を放たれていた。巨人の体に得物をひっかけようとしたが滑って上手く刺さらなかった。そうして、俺の体が巨人からはみ出ていく。
「先の力、己を活かすことに使ってみせい」
「何を……」
ひときわ強い風が吹く。俺の足が宙を掴んだ。空に追い出されて、思わず手を伸ばす。穴という穴から色んなものが漏れ出た。それらは俺の全身を即座に凍てつかせる。二、三十メートル先の眼下に対して声を荒らげながら風の魔法を何度も放つ。石畳はダメだ。固いところはダメだ。風で少しずつ軌道を逸らし、神の庭の芝生、生垣を目指した。
魔法を乱射していると徐々に落下の速度は緩まった。気のせいかもしれなかった。緑色の絨毯がすぐそこまで迫ったところでSPが切れる。回復している時間はなく、後はもう神様に、柱に祈るだけだった。
<7>
目を開けると、崩れかけた王城の一部と、極彩色の花々が見えた。真白い世界ではない。自分の部屋でもない。俺はまだ、生きているらしい。ならば倒れた俺を震わせているのは巨人の歩み、攻撃に他ならないってわけだった。
起き上がろうとして、足が瓦礫の下に挟まっているのが分かった。上半身だけを起こしてポーションを探す。ポーチに入れていたものは落下した時の衝撃で全滅だった。瓶が割れて尻に刺さっているし、中身のせいで下半身はずぶ濡れだ。メニューを操作して、回復アイテムを探す。ずしんずしん。視界がぶれた。
頭がまだぼうっとしている。そういえば剣はどこだ。俺の武器はどこ行った。色々と呼び出そうとしたが、さっきからずっと視界がぶれるし指は震えるしで上手く操作できない。
「……?」
太陽が掻き消えた。周囲が真っ暗になる。巨人が、陽を背にして俺を見下ろしていた。とどめを刺す気か。俺に。俺を。殺すつもりか。とどめ?
なんでだ。
どうしてこんなことになってるんだっけ。
こんなところで何をやってたんだっけ。
俺は何もかもぶっちぎって、さっさと兄貴を追えばよかったんじゃないのか。しんどいし、いてえし。何か、でかいものが近づいてくるし。あれ? どうしてだっけ。なんで俺は泣いてるんだっけ。




