第4章 恋々狼火Ⅲ
<1>
矢のように。まっすぐに森の中を駆ける。温い日差しが俺たちに降っている。木々に遮られて、とぎれとぎれになった光がサーチライトのようにも見えた。俺は、キリハリリハの背中から離されないようにするので必死だった。
「遅い! 遅い遅い遅い!」
前方から叱責が飛んでくる。俺は答えられず、息苦しさに喘ぐばかりだった。キリハリリハとの修行で体力がついてきたかと勘違いしていた。均された道を走るのと、森を走るのとでは訳が違う。
「ほれ見えたぞ、セラセラじゃ!」
キリハリリハの声には喜びの色が滲んでいた。やはり彼女もエルフなのだ。人と戦うことを誇りと感じている節がある。俺は、そういうのがたまらなく嫌だった。
前方に見えるのはセラセラの兵士たちだ。馬には乗っていない。徒歩だ。数人が一塊になって、既に剣を抜いている。兵士が叫ぶのが見えた。仲間を呼んだのだろう。
「殺すな! キリハリリハさん!」
俺より先にキリハリリハが仕掛けた。彼女はセラセラ兵を全く寄せ付けなかった。風の糸で多くの武器を操り、立ち向かってくる兵士を打ち倒した。
兵士を倒すと道が開けた。後続の亜人が俺たちを追い抜いていく。キリハリリハはゆっくりと息を吐き、俺を見上げた。
「そんな顔をするでない。弟子の頼みじゃ。わしに余裕がある内は聞いてやる」
殺してないってことか。
「じゃが、わしもむざむざと死にたくはない。やる時はやる。主もそうしろ。分かったな」
「ああ、分かった。ありがとう」
「ふん。行くぞ、ついてまいれ」
再び駆け出す。後ろからは烈しい物音が聞こえてこない。このまままっすぐに突き進めば、囲みは突破できそうだった。
先を進んでいた亜人たちが短く叫ぶ。風を切る音が聞こえて、俺は咄嗟に身を低くした。飛んできたのは矢ではなく、魔法だった。血の色をした塊が木の幹を抉っていた。
俺たちは足を止めてしまう。向こうに黒々とした人だかりがあった。さっき倒した連中とは数も装備も違う。魔法を使える冒険者も含まれているかもしれない。縮まった心に気合を入れて足を動かす。短剣を指の間に挟み、相手をねめつけた。かき回せるだけかき回してやる。
「来るぞ、構え!」
向こうも攻撃の態勢を整えつつあった。重装備の兵士だ。キリハリリハと共に押し込むしかない。
「俺がやる! 皆は先へ!」
速度を上げて敵勢へ。斧を呼び出し、そいつを叩きつけた。装備の上からでもダメージは通る。巨躯の兵士は近くにいたものを巻き込んで地面を転がった。亜人たちは戦いをすぐに切り上げ、俺たちを置いて先へ行く。それでいい。
<2>
殿のシャーラブーラたちも先へ進んだ。俺とキリハリリハにはまだ余力があるが、出し尽す必要はない。退くぞ、と、彼女が叫び、風の魔法でセラセラ兵から距離を取る。その隙を衝き、俺も武器を収めて、木を盾にしながらその場を脱する。
後ろからは追っ手が来るが、重装備では速く走れまい。俺たちとの距離が徐々に開いていく。
「ようやった、ナガオ。ふ、かっか、たった二人にあれだけやられるとはな、セラセラ兵も惰弱になったものじゃ。昔は、もう少し骨があったものだがのう」
もう少しで森を出られる。街道に出て、それからまた別の森へ逃げ込めばセラセラ兵を完全に撒けるはずだ。自然、俺の足は早まった。
「む……? いかんっ、ナガオ出るな!」
街道に出たところで事態に気づいた。そこには大勢のセラセラ兵がいて、先に行ったはずの皆が捕えられていた。まだ戦っているものもいるが、兵士に囲まれて少しずつ押されている。しまった。森を抜け、街道に出たところで各個撃破されたのだろう。
俺は剣を抜くことを少しの間だけ忘れていた。
「ふ、く。は、あはっ。あはははははっ! やはりここへ来ましたわね。さすがは亜人。けだもの並の脳みそならば、必ずこうして罠にかかると思っていましたわ」
ハッとして、俺は前を向く。兵士の中から、甲高い少女の笑い声が響いていた。
その少女は一歩前に進み出ると、俺たちをつまらなそうに睥睨する。
「セラセラ家に楯突いた罪は重いですわ。略式ではありますが、ここで私があなたたちに罰を与えましょう。一人残らず首を刎ねます。首は晒して笑いものにして差し上げます。よろしいですか」
よろしくねえよ!
亜人たちは声を荒らげた。しかし少女は全く聞く耳を持たず涼しい顔をしていた。……俺は、あ、と、息を吐いた。間違いない。あの癇に障る笑い声に、黙っていれば可愛らしい容貌は、カルディアにいるアニス・セラセラだ。
「アニスっ」
呼びかけたが、俺の前にいた兵士たちが次々に武器を突きだし、俺はその場にとどまるしかなかった。キリハリリハは目配せをしてくるが、ここで戦えば捕えられた皆は即座に殺されるだろう。
「やるぞ。わしと主だけでもな」
「ダメだ」
「わしらだけならどうとでもなる」
「皆が死ぬ」
「主も死ぬぞ」
「ちょっと、そこ!」
アニスが俺たちを指差していた。
「こそこそと逃げる算段でも? いけませんわダメですわ許しませんわ。あなたたちは全員、ここで……死ぬさだめに…………」
「姫?」
「どうされたのです」
ともすれば楽し気に喋っていたアニスの顔色が青くなり始める。近くにいた兵士が彼女の様子を窺おうとしていた。
「姫、下知を」
「え? あ、ええ」
「亜人どもを一掃するまたとない好機です」
「好機……」
やはり、ダメか。俺が一方的に知っているだけで、アニスはセラセラ家の姫なんだ。やり合うしかないらしい。
アニスは小さく頷き、朗々とした声を放った。
「攻撃中止! 停戦交渉の準備を!」
応、と返事をし、動きかけたセラセラ兵が固まる。
「て。停戦? 姫さま、いったい、何を」
「聞こえなくって? 私は、停戦すると言ったのです。さ、早く! 早くなさい! 早くしないと、あなたたちの首を刎ねますわよ!」
「りょ、了解!」
武器を下ろした兵士が慌ただしく動き始める。
「な、なんじゃあ? あの娘、頭でもおかしいのかえ?」
否定できなかった。
<3>
セラセラ兵に先導されていくと、街道沿いの草原にテント張りの営舎があった。俺たちは一応という形で武器を取り上げられて手を縛られている。一つどころに固められて、武器を構えた兵士に囲まれていた。
先まで青い顔をしていたアニスだったが、今はてきぱきと指示を出しているようだ。俺は、いや、俺たちは不安だった。捕縛されて害される覚悟の決まっていたものがほとんどだった。アニスもそうするのだと息巻いていたが、彼女は突然心変わりしたのだ。そう、気味が悪いくらいに。
「代表者はいるか。交渉がしたい」
大きな兵士に尋ねられ、俺たちは顔を見合わせる。代表者は、俺ってことになるのか。
「俺です」
兵士は首肯する。
「では、ヤサカ・ナガオという男はいるか」
「それも俺です」
「相違ないな」
頷きで返すと、兵士は俺についてくるように言った。
「俺一人だけですか」
「そうだ。それ以外は幕舎に入れるなとのお達しだ」
俺だけか。交渉って、戦いを止める為の話し合いだよな。俺一人で大丈夫だろうか。立ち上がり、皆を見るも『お前に任せた』、『信じてるぜ』みたいな視線が返ってくる。知らないぞ。
「何とかしてくる。みんなは、もう少しだけ大人しく待っててくれ」
俺は兵士の後をのこのことついていく。とあるテントの前で立ち止まると、簡単な身体検査をされた。念の為にとヴェロッジで買ったマントを脱がされた。アイテムの入ったポーチも取り上げられている。いよいよとなったら風の魔法を使って逃げ出すしかない。俺は亜人のリーダーとして祭り上げられているが、彼らと運命を共にする覚悟が足りていない。非常に気が重かった。
「姫、連れてまいりました」
「ご苦労。下がりなさい」
「お一人ですが」
「それが?」
「失礼します」
兵士は後ろへ下がった。俺は意を決して、テントの中に足を踏み入れる。中は案外広かった。大きな、長方形の机があり、これまた大きな地図が広げられている。傍にはチェスの駒みたいなものがいくつか転がっていた。他には、ここを使っているものが持ち込んだであろう調度品が見受けられた。木製の椅子は二脚。アニスはその椅子に座り、こちらをじいと見据えていた。
「先に申し上げておきます。外は兵が取り囲んでおりますから、私に危害を加えようとは思わないことです。そうなった瞬間、あなた方の身に無残な最期が訪れるのは間違いありません」
「あ、ああ」
最後に会った時と違い、アニスの表情はきつく、険しいものだった。もしかしたら俺のことなんか覚えていないかもしれない。
「お座りなさい」
椅子に座ろうとしたが手が縛られている。無作法かもしれないが、足で椅子を動かし、その上に慎重に尻を乗せた。当たり前だが対面にはアニスがいる。手を伸ばすことが出来たなら楽に届く距離だ。彼女はしばらくの間口を利かないで石のようにだんまりとしていたが、ぽつりとつぶやいた。
「お久しゅうございますね、ナガオさま」
「……俺だって気づいてたのか?」
「気づかないはずはありません。まさか、亜人と一緒にいて、しかも私たちに敵対しているとは夢にも思いませんでしたけれど」
アニスは穏やかな口調だったが、時折、ちくりと刺してくるようなことも混ぜてくる。怒っているのだろうか。いや、そうだよな。
「成り行きでそうなった。その、どうしても見捨てるというか、逃げ出すことは出来なかった」
「分かっています。あなたは優しい方ですもの。あのエバーグリーンに手を貸した時のように、亜人にも御手を差し伸べたのでしょう」
「アニス。謝らなくちゃいけないことがある。停戦の交渉に入る前に、先に言わせて欲しい」
「どうぞ、何なりと」
俺は息を吐き出した。
「セラセラ王とフェネルのことは知っているよな」
「……もちろんです」
「あの人たちがいたところに、俺もいた。あの森に俺もいたんだ。だから、ごめん。本当にごめん。俺は、アニスの家族を守れなかった」
まっすぐにアニスを見るのが怖くて、俺は盗み見るようにして顔を上げる。彼女は微笑を湛えていた。
「ナガオさまのせいではありません」
「俺がいなきゃ、起こらなかったことかもしれないんだよ」
「そうやって自分を責めるおつもりですか。案外、ナガオさまは被虐的な体質をお持ちなのですね」
う、と、言葉に詰まる。
「素直に仰っていただけたのは嬉しいですけど。しかしナガオさま、時間がありません。本題に入るとしましょう」
「うん、頼む。いや、ちょっと待ってくれ。俺たちは……負けた」
自分で口に出すと、いやに真実味が増した。実際そうなんだけど、夢から覚めたような気分だった。
「負けた方が言うのはどうかと思うけど、お願いだ。皆を助けてくれ。俺たちは確かにセラセラ家と戦ったけど、大それたことがやりたいわけじゃあないんだ。ただ……」
「人を殺すのは大それたことではないと?」
「……言い方が悪かった。本当に、すまない。でも、皆が皆、セラセラ家との全面対決を望んでいる訳じゃあないんだと思う。俺だってそうだ。俺は、最初からアニスか、ドリスに会って何とかしてもらうようにお願いするつもりだった。この戦いをどうにかして収めてくれって。その為なら、俺、なんだってしようと思ってる」
「何でも?」
アニスの口角が僅かに吊り上がるのを目にした。
「まだこちらに牙を剥いている亜人もおりますが」
「そいつが本命だよ」
しまったとも思ったが、ここでアニスに嘘を吐いてもしようがない。俺は今までのいきさつ、星詠みのことや、本命部隊が冒険者を率いているであろうことや、俺たちが囮に使われたことも話した。彼女は口元に手を当て、何事かを思案しているようだった。
「アニス……?」
「ナガオさまは、お飾りのリーダーというわけですね」
「う。ま、まあ、そういうことになるんだよ」
「しかし、亜人を率いることに変わりはない。そしてあなたは、セラセラ家の滅亡を望んではいない」
俺は頷いた。別に、地位だとか名声だとか、そういうのにこだわりはない。ただ、戦争みたいなことが嫌なのだ。それを止められるならばと立ち上がったに過ぎない。
「亜人を助けたいのですね」
「やれることはやりたい、でも、まるっきりそういうわけでもないよ」
「そうですか」
アニスは立ち上がると、俺の傍に近づき、腕を縛っている縄を解いてくれた。いいのか。彼女を見上げるも、微笑みを返してくるだけだった。
「ナガオさま。私はセラセラの姫です。今はお父さまや、兵を率いていたものがいない為に私もこうして将軍の真似事をしているに過ぎません。ですが、それでもセラセラの家を守りたい気持ちに偽りはありません」
「……だよな」
「その一方で」
アニスは自らの胸に手を当てた。
「今、確信しました。あなたを慕う気持ちにも嘘偽りはないのだと。頭ではなく、心がそう告げているのです。分かりますか。この胸の高鳴りが。私は一度、あなたを諦めたのです。もう二度と戻らないと、もう二度と会えないのだと。こうして再びあなたを認めた時、あの日、あの時と、何も変わらない気持ちのままだということが分かったのです」
うたう様な口ぶりだった。本心からそう言っているのだと分かって、俺は驚く。
「ナガオさま。この戦いは終わりません」
え?
「血を見るだけでは収まらないのです。人と亜人との間には深い溝があります。この戦いは起こるべくして起こったのです。であれば、たとえ武器を収めても一時だけのこと。私に人の血が流れている以上、亜人に亜人の血が流れている以上、その二つの生き物が同じ土の上で暮らしているのならば、必ずまた戦いは起こります。そう定められているのです」
「どうしようもないのか……」
「どちらかが勝つか負けるか。それまで戦いは続けなければいけないのでしょう。そうでなくてはならないのです」
俺は、やっぱり甘かったのだ。俺一人で亜人を止められなかったのなら、アニスやドリスだけでセラセラ家を……いや、人間皆を止めることも叶わないのだ。
「ナガオさまではセラセラ家に勝てません。亜人は、王都に攻め入ることは出来ても、城を落とすことは無理でしょうね。星詠みなる人物がよほど優れていたとして、無理なものは無理なのです。事実、あなた方は少しずつ力を削ぎ落されています」
確かに、そうなのだろう。戦いとは数なのだ。どこかでそう聞いたことがある。人も金も物も要る。星詠みが短期決戦をはかっていたのは、自分たちに長く戦えるだけの力がないと分かっていたからだ。
「亜人は殺されるのか」
「セラセラ家が勝てば。私が王ならば禍根を断ちます。災いの種があるならば全て刈り取るが必定であり常道なのです。私たちはそうやって生きてきました」
暗い想像が頭をよぎる。だが、そうしている俺の手を、アニスが両手でしっかりと握り込んできた。彼女は顔を寄せてきて、熱っぽく囁く。
「セラセラ家が勝てばの話です」
「……え?」
「亜人が。いえ、ナガオさまがこの戦いで勝利を収めたならば話は変わります。あなたは、セラセラを潰すつもりはないとおっしゃいました。亜人たちも丸きり無能ではないでしょう。私たちの代わりにキャラウェイや、他の町を治めることは出来ないはずです。亜人はただ自らの暮らしを安堵して欲しいのでしょう。しかし、今まで虐げられてきた恨みもある。行き場のない憤りをぶつけたいだけなのです。星詠みというものが城を落としたなら、また話は変わってくるでしょうね。ナガオさまではなく、ただの亜人が戦いを終わらせたのなら、私たちの命も危うくなるでしょう。ですから……」
アニスは陶然とした笑みを浮かべていた。
「ナガオさまが城を落としなさい」
「は?」
「セラセラが勝つのでもなければ、亜人が勝つのでもない。あなたが勝てばよろしいのです」
俺が、勝つ?
馬鹿な。何を言っているんだ、アニスは。
「戦いを終わらせるにはそれしかありません」
「確かに、そうなりゃあ丸く収まるかもしれない。星詠みがやるよりはたぶん、いい方に動く。でも、俺たちはもう、ボロボロなんだ。王城を落とすなんて無理だよ。それに、星詠みは俺たちの動きを読んでるかもしれない。また囮として使われるかもしれないんだ。皆を出し抜いて俺が勝つなんて、そんなの」
「自信がないのですね。あなたは一度も勝ったことがないのですね」
頭にかっと血が上ったが、一瞬で冷めた。そうだ。俺は勝ったことがない。負けっ放しみたいなもんだ。負け続けるから、真剣に戦ったこともない。
「……哀れな方。私が慰めて、支えて差し上げます。あなたたちだけでは勝てなくとも、私が力を貸して差し上げます」
「アニス? 何を言ってるんだ?」
「おっしゃらないで。私もまた哀れな女なのだと、そうお思いください。家よりも、好いた男を選ぶ、浅はかな私をお許しください」
「お前……」
アニスはすっと表情を消して俺から離れる。彼女は対面の椅子に座り直して、地図に視線を落とした。
「キャラウェイを落としましょう」
<4>
アニス・セラセラはナガオから様々なことを聞いた。彼から、亜人が二方面作戦で王都を落とすのだと聞いた時、あまりにも杜撰だと思った。確かに湖上の華と謳われるキャラウェイ城の守りは、見た目を重視しているためか薄い。ザワー河から水路を伝っていくというのも悪くなかったが、城にいるのは他ならぬドリスである。常から周りに心を開かず、警戒し続けている臆病な彼女ならば、ザワー河から侵入されることも当然考えているはずだ。
だが、アニスはナガオの作戦とやらを成功させてやりたいとも思った。そのために物資や情報の提供を決めた。ナガオはアニスの立場が悪くなるからと固辞していたが、無理矢理に呑み込ませた。
「先に説明した跳石もお渡ししておきます。上手く使えば奇襲が成功する一助になりましょう。それから、カルディアから王都までの街道の守備を一時ではありますが解きます。亜人たちにセラセラ兵の装備を着せれば、厳しい検めもされないで素通り出来るはずです。ただ、私の兵をお貸しするのは難しいですね。兵たちから不満が上がりましょう」
「ちょ、待ってくれ。そこまでしてくれるのかよ」
「これくらいしか出来ないことをお許しください」
ナガオは難しい顔をしていた。いや、しっ放しなのだ。頭からアニスのことを信じ切れていないのである。彼女にもそれが伝わったから、少しだけ哀しいなと思った。
「私は表立って動くことが出来ませんが、最大限、ナガオさまたちを支援します」
「信じていいんだよな」
「よろしいですか。この世には決して曲げられない理があります。それは、この私、アニス・セラセラがヤサカ・ナガオを裏切らないというものです」
難しい顔をしていたナガオの表情が、徐々にほぐれていった。
「でっかい貸しが出来たな」
「戦いが終わった後で返してくだされば結構です。ですから、無茶だけはなさらないでください」
アニスはナガオの右手に自らの手指を絡ませた。恋人同士のような睦み合いだった。アニスは夢心地だったが、秋波を送った甲斐もむなしく、ナガオに解かれてしまう。彼女は少しだけ頬を膨らませた。
「ナガオさまに、柱の加護がありますように」
……さて、この時のアニス・セラセラの心境について説明せねばなるまい。
アニスがナガオを好ましく思っているのは事実だ。しかし、彼女には理性が備わっている。色恋に目が眩むことはない。アニスは損得や、ナガオに対する感情を秤にかけた。
今、フェネルは負傷して王位継承レースは不利な立場にある。アニスは、残っているのは自分とドリスだけだと計算していた。今のところはドリスに分がある。このまま何事もなく戦いが終われば、次代の王は間違いなく彼女だ。
そこでアニスは考えた。自分は表舞台に出ず、いったんカルディアに戻って軍を引き、裏ではナガオに手を貸す。その結果、何か不幸なことが起こったとしたら? たとえば、セラセラ家が無様にも亜人の前に跪くようなことがあれば。ドリスが王になることはないだろう。少なくとも穴が開く。隙が生まれる。失策の件を突けば有力な大臣や貴族も自分につくかもしれない。
「ふ。ふふふふ」
「アニス?」
ドリスを亡き者にし、王位継承してやろう。可愛い可愛い妹だが仕方ない。
アニスはその時は、そう考えていたのだった。
「あはっ。あははははははっ! あはーっはっはっは!」
「そんなに笑ってるとむせるぞ」
アニスは大いに笑い、大いにむせた。久方ぶりに笑えたのは、はたして邪な考えを思いついたからなのか。あるいは、思い人と再会できたからなのかもしれなかった。




