第3章 figureheadⅥ
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「……ナガオさま、ですか」
草の根を掻き分けるようにして現れたのは、シャイアさんだった。彼女は一人きりだ。どうして、こんなところにいるんだ。
「シャイア!?」
悄然としていたシャーラブーラが跳び起きた。
「どうしてここにいるんだ。お前は、ヴェロッジで待っているはずじゃないか」
シャイアさんは涙を流す。彼女は嗚咽を漏らしながら、ごめんなさいという言葉を何度も口にした。
「私、見ました。街道で何が起こったのかを見たんです。ごめんなさい、私がもっと、ちゃんと兄さんたちに伝えられていたら……」
「何がだ。何のことを言っているんだ? ライアシャイア、ゆっくりでいい。落ち着いて話をしてくれ」
俺たちは顔を見合わせる。
いったい、どういうことなんだろうか。
「私は……」
シャイアさんは咽びながら話を始める。
その話の内容は、俺たちの大方の予想通りであった。やはり星詠みは俺たちを欺いていたのだ。あいつは今頃、冒険者と一部の亜人を率いて、森の中を移動して王都へ向かっているらしい。
「ごめんなさい。私、兄さんたちが町を発ってから、矢も盾もたまらなくなって、後をつけてきてしまったんです」
「一人でか」
「はい」
「……よく、ここまで無事で来られた。よかった」
シャーラブーラはシャイアさんを抱きしめた。しばらくの間、俺たちは二人のすすり泣く声だけを聞いていた。
「だが、その話をどこで知ったんだ?」
気を取り直したのか、シャーラブーラが話を戻した。
「それは……サンシチさまです」
「長が?」
んん?
「む? シャイアや、主はサンシチとどこで会うたのじゃ?」
「あの街道より、手前の森の中でです。サンシチさまは酷くお急ぎの様子でしたが、私が必死にお願いして話を聞かせてもらったのです。……『兄さんたちは死んだ』と、そのような話を。サンシチさまには止められたのですが、私は兄さんたちが死んだとは信じられなくて、こうして後を追ってきたのです。街道には馬車の轍がありましたから、何人かの方は無事だと思ったのです」
馬鹿な! シャーラブーラは叫んだ。
「そういや、サンシチの姿が見えなくなったのはいつだ? 確か、最後尾の馬車に乗ってたよな、あの爺さん」
「あ、ああ。俺はてっきり、長は殺されたのだと思っていたが」
「……逃げたんじゃな、あのドグサレめえ」
「ヴェロッジに戻ったか、星詠みの部隊と合流したって可能性はあるな」
だとすると、星詠みたちは案外近くにいたのかもしれない。その場合、あいつは俺たちを無視して先へ進んだんだろうな。もはや星詠みの部隊との合流は無理だと考えた方がいいだろう。俺たちは俺たちで動くしかない。
けどどうする。さっきのセラセラ兵は俺たちを諦めたわけではないだろうし、王都からは別の部隊がやってくるだろう。じっとしているのは論外だが、どこに逃げるかだ。ヴェロッジか。あるいは……。
「シャイアさん、他の部隊の人たちはこのことを?」
「知らない人がほとんどだと思います」
星詠みのもくろみ通り、今も陽動として他の部隊は動いて、戦っている。このまま、このまま上手くいけば、もしかすると星詠みの本命部隊が王都に到着し、その本懐を遂げられるのかもしれない。
……俺は、やはり星詠みを頭から信じられそうにない。同胞の為に王都を攻めるのも、俺たちを囮にするのもいい。だけど、それでセラセラの血を絶やせたところで、こっちだってボロボロになっているはずだ。星詠みが王城を落としたところで、亜人たちが全滅していたらどうするつもりなんだ? もしかしすると、あいつの狙いは亜人の地位を高めることではないのかもしれない。あるいは、ただの私怨なのかもな。
「ようリーダー、どうするんだ?」
問われ、俺は小さく頷いた。
「バラバラになろう。バラけて森を移動すりゃあセラセラの兵士だってこっちを補足するのは難しくなる」
「散り散りになって逃げて、それからどうするつもりなの?」
「逃げるんじゃない」
俺は思い違いをしていた。俺だってもう、この戦いに巻き込まれていた。いや、自分から首を突っ込んでいたんだ。そのことが分からなくて日和見してたから、誰かが死ぬ。星詠みのやっていることは、ある意味では、戦いを最も早く終わらせる近道だったのだ。
「皆、ヴェロッジに戻ったり、他の部隊と合流して今のことを伝えてくれ」
シャーラブーラは鼻を鳴らした。
「それで、どうするのだ」
「向こうだってとっくの昔にやる気だったんだ。俺は戦うのは嫌だけど、じっとしてるだけじゃあ殺されるだけだ。だから、もう一度集まって、やり返す」
「やり返すか。はっは、そいつはいい。セラセラに、だな」
「いいや。星詠みにだ。今度はあいつの部隊を使わせてもらう」
王城に攻め込む本命の部隊が一つである必要はない。二つあったって構わないはずだ。
「星詠みを囮にして、俺たちが城を落とすんだ」
「……正気か?」
「全くの無理ってわけじゃあないと思う。俺は何度かキャラウェイの城の中に入ったことがあるし、ある程度だけど、周辺の地理にも明るい」
おお、と、声が上がる。
「貴様、冒険者の分際で城に入ったのか……?」
「色々あったんだ。今だから言うけど、セラセラの王位継承争いのことは知ってるよな。あれに参加してる三姉妹とも、俺は面識がある。話せば分かってくれるかもしれない」
「なっ。貴様ァ、なぜそのようなことを黙っていた!」
「兄さん。落ち着いて。ナガオさまを責めるようなことを言うと、怒ります」
シャイアさんに宥められて(というか脅されるような形で)、シャーラブーラは俺に話の続きを促した。
俺は簡単にドリスたちのことを話して、今起こっている戦いをどうにかできるかもしれないと言った。確証はないが、あいつらだって戦争を望むほどの馬鹿ではないはずだ。危険で困難極まりないが、俺たちの部隊が城に突入して、ドリスに話を取りつければいったんは収まる、という期待がある。そうでなくても、俺がこっちについていることを知れば、ドリスかアニスのどちらかが接触してくるかもしれない。……甘い考えだろうか。いや、今は縋るしかない。
「だから、星詠みよりも早くやらなくちゃいけない。あいつが無茶苦茶にすると、収まるものも収まらなくなる」
「え、あの、ちょっと待ってください」
シャイアさんは俺の話を遮って、不思議そうにこっちを見つめる。
「そこまでセラセラ家と付き合いがあるのに、なぜ、ナガオさまは私たちを助けるようなことをするのですか」
シャイアさんだけでなく、他の皆もこっちを見ていた。
「……正確に言えば、俺は別に亜人だけを助けたいというか、どうにかしたいわけじゃないんです。出来る範囲で戦いを止めたいだけなんだ」
「まあ、主は最初からそういうことを言うておったな」
「そういうことでも、俺ぁあんたについていくぜ。おためごかしを言うやつよりかは信用出来るからな」
ほとんどの人が納得してくれたようだったが、シャーラブーラは仏頂面のままである。まあ、こいつには随分嫌われてるからな、仕方ない。
「次の合流場所を決めておこう。ヴェロッジに戻るのも考えたけど、星詠みを出し抜く必要もある。なるべく王都に近づいておきたいんだ」
「ああ、それじゃあ、私たちのいたところを使うのはどうですか」
そう言ったのはイア族の女だ。
「あ、もしかしてカルディアの近くの?」
「ええ。ナガオさまも知っている場所です」
ロシャが長をやってたあそこか。カルディアには亜人を虐げるのを止めたアニスがいるし、あの場所はノーマークになってるかもしれないな。
「よし、そこにしよう。皆、その場所は分かるか?」
「おう、ヴェロッジに来るまでに通ってきた」
「俺は知らねえ。イア族に案内してもらうよ」
「シャーラブーラもそれでいいな?」
話しかけるも、シャーラブーラはむっつりとして返事を返さない。
「兄さんっ」
「……おい、ナガオ」
「え?」
シャーラブーラは俺を睨むようにして見ている。そこには、俺を見定めるようなものが含まれていた。
「俺は何も、星詠みさまを非難するつもりはない。俺たちは裏切られたのかもしれないが、それは一族を守る為に仕方のないことなのだ。エルフや他の亜人のこれからを安寧する為に出来ることがあるのなら、俺だって同じようにするはずだ。その上で、貴様にも聞いておきたいことがある。お前は、俺たちを利用するつもりではないのか」
俺はじっとシャーラブーラを見返した。
「俺たちを一か所に集めて、セラセラの姫に報告するつもりではないのか。そうすれば、もっと早くに戦いは終わるだろう。貴様はこそこそと姿を隠し、俺たちを一網打尽にすればいい。それでも戦いは終わるのだから、貴様の望みは叶うはずだ。違うか」
「そういう手もあるな」
暗くて見えづらくなっていたが、シャーラブーラは僅かに顔をしかめただけで、怒った様子はなかった。
「俺がそういう手を取るって思うんなら、それでもいいよ」
「信じられんのだ。貴様は、そうでなくても人間だ。星詠みさまは貴様の中に神がいるとも言ったが、俺たちを裏切らない証拠など、どこにもないではないか」
「好きにしろって言ってるんだ。今は一分一秒が惜しい。こうしている間にも、他のやつらは戦ってんだ。信じられそうにないんなら、ここで俺を殺すかよ」
ずるい言い方だったかもしれないが、実際、そうだ。時間はないし、俺が裏切らないって証拠を出せるはずもない。二人して睨み合っていると、別のエルフが後方の道を指差した。
「誰か来る。大勢でだ。血の臭いも混じっているから、追いかけてきたセラセラの兵だろう」
「すぐそこか?」
「いや、まだ距離はあるが」
時間がない、か。
「ここでいったん別れよう。ただし一人にはならないこと。それぞれ、他の部隊のやつを見つけてイア族の集落まで連れてきてくれ」
「ナガオさまはどうするのですか?」
「俺は……」
俺は皆ほど森の中を上手く進めないだろう。足手まといになる。
「殺されない程度にセラセラ兵の相手をする」
「お一人で、ですか。危険です」
「上手くやるよ」
嘘を吐いた。上手くやれたためしなんて、俺の人生においてただの一度だってないからだ。
「兄さん、ナガオさまについてあげてください」
「……仕方ないか。今、貴様に倒れられるのも困るからな」
俺はシャーラブーラの申し出を断った。彼は訝しんでいたが、それにも理由はある。
「シャイアさんがいる。お前は一度、ヴィレッジへ戻ってくれ」
「しかし……」
「それに、俺とあんたが両方死んだらおしまいだ。星詠み以外で皆をまとめる人がいなくなる」
「ならばなおさらだ。セラセラを引きつける役目は俺がする」
ぱかん、と、キリハリリハがシャーラブーラの頭を叩いた。
「何をするのですか」
「ナガオはこれでも気を遣っておるのじゃ。主が妹を町まで送り届けてやれとな。それになシャーラブーラ、気の毒な話かもしれんが、ナガオはこれでも、主よりも戦うことに慣れておる」
ぐう、と、シャーラブーラは腕を組んで唸る。
「まあ、身内が離れ離れになることはないって思っただけだよ」
「…………分かった。この場は任せよう」
よし、それじゃあ後は、あの場所で落ち合うだけだ。
「皆、戦いはなるだけ避けてくれよ」
頷き合い、二人、ないし三人組になったメンバーはそれぞれが別の方向に散らばっていく。やはりというか、森の中を平地同様の速度で駆け抜けていく亜人たちであった。
シャイアさんとシャーラブーラは最後まで残っていたが、彼がシャイアさんを促す形で俺に背を向ける。
「ナガオさま、どうかお気をつけて。シャイアはあなたの無事をお祈りしています」
「ありがとう、シャイアさんたちも気をつけて」
シャイアさんは小さく頷き、駆け出した。
「ナガオ」
「ん?」
シャーラブーラはじっと俺を見ていたが、ふいと視線を逸らした。
「貴様には色々と言いたいことがある。だからまだ死ぬな。いいな」
「ああ。お前もな」
「ふん。まあ、ご隠居様がいるから大丈夫だろうとは思うがな」
え?
シャーラブーラが去っていくと、先に行ったはずのキリハリリハがひょっこりと現れた。
「主一人では、どうも心配でな」
心細かったから、キリハリリハの助勢はかなり有り難かった。よし。これで戦える。何も相手を皆殺しにする必要なんかないんだ。相手をして、俺に注意を向けさせる。俺が前線に出ている間、他の皆が少しでも楽出来るかもしれないんだ。
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この日、俺はログアウトすることがなかなかできなかった。街道から追ってくるセラセラ兵を、キリハリリハと二人で相手しながら、安全に身を隠せる場所を見つけるまでかなりの時間がかかったからだ。そのおかげか、俺もキリハリリハも怪我一つしなかったし、相手を殺すこともなかったように思う。
日付が変わってだいぶ経ってから、俺たちは街道を逸れて森の中へ入り、カルディアを目指して北上を続けた。途中で馬鹿でかい木の洞を見つけたので、俺はそこでログアウトすることにした。キリハリリハを一人きりで残すことに不安と罪悪感を覚えたが、彼女なら一人の方が戦いやすいだろうし、逃げやすい。そう自分を納得させた。
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5月7日。土曜日。
俺は少しだけ眠って、朝飯を食ってからナナクロにログインした。昨夜ログアウトした木の洞に戻ってこられたが、低い天井に頭をぶつけて悶絶する。その姿を見たキリハリリハが、かっかっかと笑った。
「いってえ……! ああ、もう、無事だったか、キリハリリハさん」
「主よりかはピンピンしとるよ。心配せんでも、のろまな人間ではここいらまで来るのも難しいじゃろうて」
そりゃよかった。とりあえず、今はどうにかなってるな。
俺は洞から出て切株に腰を下ろす。メニューを操作し、預けておいたアイテム類を取り出した。
「昨夜、俺が置いていった分で大丈夫だったか」
「おう、わしなら食料はなくとも水さえあれば数日はどうにでもなる。他のものも森には慣れておるから、食べるものには困らんはずじゃ」
だといいんだが。
しかし森を使ってばかりではアイテムの補充が出来ないな。
「近くに村か、町はないのかな」
「森の中にも亜人の集落はあろう。今はたいていが出払っているだろうから、事後承諾で借りておくとしようかの」
ああ、そうか。そういうやり方もあるのか。そっちのがいいな、セラセラ兵と出くわす可能性が低そうだ。
「その集落の場所は知ってるのか」
「ある程度ならな」
「よし、じゃあそこを借りながらカルディアを目指そう」
もちろん街道も見張りながらだ。セラセラ兵の動きもある程度は掴んでおきたい。他の皆や星詠みたちの動きも気になるが、今は自分に出来ることをやるしかない。
「のう、ナガオや」
出発しようとすると、キリハリリハは不思議そうな、難しそうな顔になった。
「主は自分の意志で元の世界に戻れるはずじゃ。今、主とわしは二人きりではないか。もう、主を見咎めるものなどどこにもおらん。シャーラブーラと同じことを言うつもりはないが、逃げてもいいのじゃぞ」
「俺はこう見えておばあちゃん子なんですよ」
「どういう意味じゃ! ふん。まあ、よい。今はそういうことにしておいてやるかの。そら、行くとするか」
「疲れたら負ぶってやるよ」
「白目剥かすぞ」
逃げる、か。不可能ではない。実際、そうした方が楽なんだろう。だけどもう、そういう状態ではないのだ、俺は。肉体ではなく心が、魂がこの世界に俺を縛りつけようとしている。それに。ここで全部投げ捨てられるようなら、それはきっと八坂長緒じゃあない。どこか別の星の誰かなのだ。
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その後、俺とキリハリリハは森から森へ移動するように北上を続けた。週が明けて、俺は学校が始まったから、進行速度もがくりと落ちてしまった。いっそ学校を休んでしまおうかと思ったが、そのことをキリハリリハに告げると酷く叱られてしまった。
『今はこうしておるが、主には主の生活があるはずじゃ』
勉強は大事だ。キリハリリハはそう言って譲らなかった。
そんなわけで、カルディアに近づいた頃には、もう数日が経過していて、今は13日の金曜日になっていた次第だ。気ばかり焦るが、王都が陥落した、亜人が全滅した、なんて話はどこからも聞こえてこない。ここはカルディアで情報収集した方がよさそうだ。
「ふむ、しかし妙じゃな」
陽が暮れた後、森を出てカルディアの町へ向かおうとしていたところで、キリハリリハが首を傾げた。
「いや何、セラセラもまたわしらに負けず劣らず敏捷なる動きを見せておったと思うたら、今は特に何の動きもない。はて、あの時わしらを襲ったものらと同じとは思えんな」
「あ。俺もちょっと気になってたんだよ」
やはりあの時の襲撃者の動きには疑問が残る。どうやら、件の街道はセラセラ家にとっての要衝だったらしいが、それにしたって鼻の利く亜人の裏をかけるとは思えない。
「なあ。あの辺りには石があったか。ワープストーンってやつ」
「……はて、わしはそこまでは知らぬが」
うーん。あの街道の近くまでワープしてきたってんなら納得は出来る。ただ、ワープするのに使うアイテムは希少なものなのだと、黒盾さんから聞いたことがある。あれだけの兵士や冒険者に配布出来るだけの貴重なアイテムを、果たしてセラセラは持っていたのだろうか。
ま、今はカルディアに向かうのが先か。




