第3章 figureheadⅣ
<3>
キリハリリハに木剣を借りて広場で素振りを始めると、不思議なことに、星詠みに騙されて腹立たしいという気持ちや、これから先どうなるんだろうという不安が薄まっていった。
それはもしかすると現実逃避なのかもしれなかったが、今はまだ動かないんだ。俺に出来ることはほとんどない。こうしているのが自分にとっても一番だろう。
「のう、ナガオや」
「ん?」
「よいのか。このままで」
「いいも何も、なったもんはしようがねえ。俺にしても全くの無駄じゃないと思うし」
亜人とセラセラの全面戦争が始まる。俺はそいつをギリギリのところでどうにかしたい。
木の根元に座り込んでいたキリハリリハは長い溜息を吐くと、組んでいた腕を下ろして膝を打った。
「主は変わっておるな。まあ、そういうことならばわしも付き合おう。主に死なれると困るのでな」
「困るのか」
「大いにな。……肩に力が入っておる。もう少し気を抜くといい」
返事をして、俺は素振りを続ける。
しばらくの間、二人きりでそうしていると、シャイアさんの声が聞こえてきた。俺は手を止めないで、そちらをちらりと振り返る。
「おはようございます、おばあさま、ナガオさま。あの、何だか大変なことになっているみたいで……」
ああ、そうか。そういや昨夜はシャイアさんの姿は見えなかったっけ。彼女は今朝、事情を知ったらしいな。
「おう、そこの出来の悪い弟子がな、何の因果かわしらを率いる頭になりよった」
シャイアさんの視線を感じる。集中力が乱れたので、俺は手を止めて振り返った。
「そうなりました。不束者ですが、よろしくお願いします」
「えっ。あ、ええと、はい。こちらこそ……でもナガオさま、大丈夫なんですか?」
「全然分かんないんですけど、今は何とか」
シャイアさんの表情に翳が差す。
「本当に、王都を攻めるおつもりなんですか」
俺はどきりとした。彼女の声には俺を糾弾するような鋭さが混じっていたからだ。
「俺は、そんなことにならないように役目を引き受けたつもりです。戦争なんてするべきじゃない。そう思うんです」
「……私もそうは思います。でも、戦わないで手に入るものって、意外と知れているのかもしれないって、そうも思います」
「それは、どういう意味ですか」
「あっ。あの、その……兄さんは、あんな人ですけど、でも、それはヴェロッジを、皆を守りたいからなんです。守る為には戦わなきゃいけないって時もあるんじゃないかなって、私は……」
シャイアさんは遠慮がちに言ったが、俺が何を言っても聞き入れぬであろう頑なさも見て取れた。この人は間違いなく優しいが、エルフなのだ。俺とは根っこの部分で違いがあるのだろう。
ただ、シャイアさんの言ったことは不思議と胸に染み入った。自分たちをどうにかするんなら、相応の覚悟と対価が必要なのだ。ここは俺の住み暮らした世界ではなく、ストトストンという異世界なのだ。星詠みも言っていた、ようく考えろ、と。
「もっと勉強します。この世界のことや、シャイアさんたちのことを」
「本当ですか?」
「もちろん」
「嬉しいです。では、素振りが終わったら勉強しましょう」
え?
シャイアさんはキリハリリハの家を指差した。
「まだナガオさまにはお教えすることがたくさん残っているんです。お話したいこともたくさん。うふふ、私、楽しみです」
俺は助けを求めてキリハリリハを見る。彼女は咄嗟に目を逸らした。ダメ師匠!
<4>
昼を回り、俺は木剣を置いて湯で体を拭いた。そうしてキリハリリハの作ってくれた飯を食べながら、シャイアさんの話に耳を澄ませる。穏やかな時間であった。
そうしていると、扉が開く。来客はシャーラブーラであった。彼は疲れている風にも見える。
「……ライアシャイア。やはりここに来ていたのか。ダメだと言ったろう」
シャイアさんは開いていた本を閉じ、シャーラブーラを見据えた。
「私は兄さんの人形ではありませんから」
「うっ。そんな風に言わなくたっていいだろう。町にお前と歳の近いものがいないのは分かるが、しかしだな」
「昨夜のことを聞きました」
がたん、と、シャイアさんは椅子から立ち上がる。俺とキリハリリハは事態の行く末を見守るしかなさそうだった。
「おばあさまとナガオさまを襲ったそうではないですか」
シャーラブーラは俺たちに一瞥くれてから、表情を険しいものにさせる。
「理由があるんだ。その二人だって俺たちを襲ったんだぞ」
「返り討ちに遭ったんでしょう」
「ち、違う」
違わねえじゃん。
「兄さん、もういいでしょう。ナガオさまは今やヴェロッジを……いいえ、ここに集った亜人を率いる指導者なのです。であれば、ナガオさまに敵意を向ける必要性がどこにあるというのですか」
「俺は認めていない」
「星詠みさまが決めたことに逆らうというのですか」
「そ、そうは言っていない」
「何を言っているんですか?」
その後も、シャイアさんはシャーラブーラをやり込めるように、ともすればいじめるかのように言いくるめていく。ちょっと可哀想になってきたな。
「あのー、シャイアさん。もうその辺でいいんじゃあ」
「ナガオさまがそうおっしゃるのなら……」
まだ言い足りない様子だったが、シャイアさんは大人しく引き下がってくれた。シャーラブーラは悄然としていたが、すぐに気を取り直して俺を指差した。そのことをシャイアさんにたしなめられ、すごすごと指を戻す。
「夕刻、町を発つ。準備をしておけ」
「今日の? ずいぶん急なんだな」
「先ほど決まったことだ」
ということは部隊の編成なんかが終わったんだな。
「やっぱり、いきなり王都へ向かうのか?」
「ああ。いくつかの部隊は既に出立している。王都方面ではなく、別方面にな」
陽動が既に出発したのか。せめて俺に教えてくれてもよかったのに。
「俺たちは本隊だ。馬車を使い、旅の商人を装って街道を使う」
「街道を? いいのかよ、すぐに見つかっちまうんじゃないか?」
セラセラ兵は各地の砦や街道に配備されているだろう。どっちかといえば、本隊は森から森へ隠れながら移動する方がいいと思うんだが。
「星詠みさまがそうおっしゃっているのだ」
「また星詠みか。まあ、なんか意味があるんだろうな」
俺はとりあえず納得した。用件の済んだシャーラブーラは大人しく帰っていった。
「さーて、飯の続きだ……どうかしたんですかシャイアさん」
「え? あ、いえ、何でもありません」
シャイアさんは妙な雰囲気だったが、俺は特に気にせず、キリハリリハお手製のサンドイッチをもしゃもしゃと平らげるのに忙しかった。
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午後十六時。
ヴェロッジを三台の馬車が発つこととなった。俺を含んだ、本隊を乗せた馬車だ。行商人を装い、街道を北上して王都へ向かう。到着は数日後ということであった。
本隊のメンバーは俺の他にシャーラブーラ、サンシチ、キリハリリハ、有力な氏族の長で構成されている。その中に星詠みやロシャの姿はなかった。
荷台で揺られる俺には懸念があった。それは今日が五月の五日で、ゴールデンウィークの最終日ということである。明日は金曜日で学校に登校しなきゃならないし、あまりこっちにいても親が心配するだろう。そのことを同乗していたシャーラブーラに告げると、『お前なんか別に要らん』と言われてしまった。……まあ、馬車の中でログアウトすりゃあ、次にログインするのも馬車の中だ。移動していても大丈夫だろう。そうそうはぐれることもないはずだ。
「キリハリリハさんはついてこなくてよかったのに」
俺がそう言うと、キリハリリハはむっとした顔になって柳眉を逆立てた。
「年寄りの冷や水とか言うつもりはないって」
「剣よりも口の利き方を鍛えてやろうかの」
ぺん、と、キリハリリハは木の槍で俺の脛を叩いた。近くにいたリザードマンが迷惑そうに顔をしかめる。
「思ってたより少ないんですね」
「ん?」
「本隊の人数です」
どの馬車の荷台にも、十人も乗っていない。御者を含めても二十人程度だ。精鋭を揃えたとは言っていたが、この人数で王都を攻めるのは難しいだろう。
不思議に思っていると、シャーラブーラが口を開いた。
「抜け道があるそうだ。そこを使えば城へ容易く侵入できるらしい」
抜け道か。お城には王族が脱出する為の仕掛けがあると聞いたことがある。そこから出られるなら、入るのもまた同じことだろう。
「そんな抜け道、誰が知ってるんだ?」
「王都近くで協力者と合流する手はずになっている」
「へえ。協力者ってどんなやつなんだ」
シャーラブーラは視線をさまよわせた。
「向こうから接触してくるそうだ」
「……そんなんで大丈夫なのか?」
「俺は知らぬ。手筈は星詠みさまが整えたはずだ」
げんなりする。俺は一応、亜人のリーダーって扱いだし、シャーラブーラだって防衛隊長だ。どうして星詠みとかいう占い師がそこまでおぜん立てしているんだ。
「星詠みって何者なんだよ。皆、あいつの言うことを聞いているだけじゃないか」
シャーラブーラは頭を掻き、ふいと顔を背けた。彼の代わりにか、キリハリリハが答えた。
「アホほど長生きしとる死にぞこないじゃ。アレは、わしよりも長いこと死にぞこなっておる。恐らくじゃが、ヴェロッジが出来るよりも前からな」
「すると、何歳くらいなんだろ」
「三、いや、四百はいっとるじゃろうな」
……もはや化け物じゃねえか。
「気が遠くなる話だ」
「遠くなるよりもな、気が違ってくるかもしれん。アレだけ長く生きれば、それだけ多くの死を看取ってきたはずじゃ。わしはな、もはやあやつには人らしい感情などないのかもしれんと思うておる」
何にせよ俺は人間だ。長く生きてもせいぜい百年。星詠みの本当の気持ちなんて死んでも分からないんだろう。
「ところで、今日はどこまで行くつもりなんだ?」
む、と、シャーラブーラは外を見た。夜がにじり寄ってくるような、妙な不安を掻き立てる橙色の空に、鳥の鳴き声が尾を引いていた。
「《シュラウラ》という町がある。そこで一泊する予定だ。そうだな、この調子でいけば、陽が暮れる前に到着するだろう」
「へえ。夜通し進むのかと思ってたぜ」
「シュラウラで泊まれというのも星詠みさまの指示なのだ」
「リーダーって何なのかね」
「俺が知るか。気安い口を利くな、人間め」
「キリハリリハさーん、こいつが俺をいじめてくるー」
「ええい、男が猫なで声など出すでない」
げらげらと笑っていると、いきり立ったシャーラブーラは勢いよく立ち上がる。その時馬車が停まり、がくんと荷台が揺れた。バランスを崩したシャーラブーラは、武器の詰まった木箱の角に腰をぶつけて悲鳴を上げた。
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さて、シャーラブーラの言った通り、俺たち本隊を乗せた三台の馬車は、陽が落ちる前にシュラウラという、街道から逸れたところにある小さな町に到着した。少しだけ不安に思っていたが、この町にはまだセラセラ兵らしき人たちは見えなかった。門番や町に入る際の審査なんかも必要なさそうである。外から見ただけだが、人以外に亜人の姿も見られる。俺たちのことを警戒していない感じだ。
うーん。やはり亜人の動きが速く、こちらの動きが王都にまで伝わっていないのかもしれないな。
俺たちは殊更にゆっくりと馬車を進ませ、町に入ってすぐの宿屋前でストップした。
「静かな町じゃな」
荷台から降りたキリハリリハは、物珍しそうに田舎町を見回していた。
「キリハリリハさんはヴェロッジから出たことあるのか?」
「うーむ。ほとんどないのう。ヴェロッジに来る前は別の森に住んでおったくらいじゃ。こうして街道を使うことも滅多になかった」
飽きないのかなあと思ったが、エルフにとってはそういう問題ではないのだろう。魚が海で生活するようなものなのだ。たぶん。
宿にはシャーラブーラとサンシチ、比較的温和そうなイア族の女性が向かった。大人数だから部屋を借りれるか心配だな。
「なあ、俺は一度家に戻ってもいいか?」
「構わぬが、明日は確か、高校とやらがあるんじゃろう。いつ合流できるんじゃ?」
「明日の夕方だな。荷台でログアウトするよ。そうしたらまた、そこから出てこられるから」
「何度聞いても腑に落ちぬ、不可思議な話ではあるのう」
そりゃあそうだろうな。でもゲームなんだから仕方がない。
「サンシチらにはわしから話しておいてやろう。それよりも、元の世界に戻っても修練を怠るでないぞ」
「ああ、分かった。出来る限りのことをしておくよ」
キリハリリハの満足げな顔を見て、俺は荷台に乗り込む。メニューを操作してストトストンからのログアウトに成功し、自分の部屋に戻ってきた。リビングから、母さんたちの声が聞こえてきた。もうじき飯の支度が整うらしかった。
<7>
翌日。
俺は鶴子や椎たちと数日ぶりの学校生活を楽しみ、帰宅した。時刻は『16:00』ジャスト。制服を脱ぎ、部屋着に着替えつつノートパソコンを開いたりして、ログインの準備を済ませていく。
「今日は一発で頼むぞー」
何度やっても、何日経っても、ナナクロへのログインは運に左右されるところが大きい。ダメな日は三十分近くもログインに苦戦することがある。
が、今日は割かしすんなりとログイン出来た。光に包まれた俺は、
「うおおっ」
「ん? あっ」
シャーラブーラの傍に立っていた。彼は驚いているらしく、目を丸くさせていた。俺もだ。
……ここは、どうやら馬車の荷台で間違いない。がたごとと揺れているから移動している最中なのだろう。一応、合流は出来たらしいな。安堵の息を吐くと、シャーラブーラに胸ぐらを掴まれた。
「どこから湧くのだ貴様は!」
「そ、そんなこと言われても。悪かったよ。で、ここは今どの辺なんだ?」
シャーラブーラはまだ何か言おうとしていたが、ふん、と鼻を鳴らすだけにとどまった。
「今朝シュラウラを発ち、それからずっと街道を進んでいるところだ。途中、二度ほど休憩を取った」
「今日はどこまで行くんだ?」
「行けるところまでだ。いい場所を見つければ、そこで野営をする」
どうやら、シュラウラでも特にトラブルに見舞われなかったらしい。進軍は順調のようだ。……あんまり順調過ぎても困るんだけどな。
状況の確認は済んだので、俺はキリハリリハの近くに座り込んだ。
「この分だと、明日か明後日には王都近くまで行けるのかな」
「馬が持てばの話じゃが、まあ、そうなるじゃろうな」
明日は土曜日だ。学校のことは気にせずにこっちにいられるな。
「あと少しの間はのんびりできるってことか」
「何を言うておる。馬車が停まったら、少し稽古をつけてやるからな」
「……ええー」
「ええー、ではない」
ぽこん、と、キリハリリハは俺の頭をはたいた。その時、三台のうち、先頭にいた馬が高く嘶き、荷台にいるであろう連中が悲鳴を上げた。俺たちの乗っていた馬車も急停止を試み、荷台の中が強く揺れる。危うく、最後尾の馬車と衝突しそうだった。
「なんだっ」
すわ何事かと、シャーラブーラが御者台の方から外へ飛び出す。俺とキリハリリハも続いた。
辺りはもう暗い。街道だが、俺たち以外にはほとんど人の姿が見えない。しかし、エルフたちは確かに、前方に何者かがいることを察知していた。
先頭にいるエルフは、すんすんと鼻を鳴らしている。
「鉄の臭いがするな」
「鉄?」
「セラセラの兵だ」
俺は背伸びして目を凝らす。この先、街道は森に入る。森を切り開いて出来た道なので、両側には背の高い木々が立ち並んでいる。道自体も曲がりくねっており、見通しが悪い。
「仕掛けるにはもってこいの場所かもしれんな」
「待ち伏せ、されてるのか?」
俄かには信じられなかった。ここはまだ王都からも離れているし、いくらなんでもセラセラ側の準備が早過ぎるような気がする。
「どうするんだ……?」
呟いてから、俺がリーダーだということに気づいた。しかしシャーラブーラたちは俺を無視してああだこうだと話し合いを始めた。俺とキリハリリハは話し合いの輪に入れず、ぽつねんと馬車の近くで立ち尽くす。
「ナガオ。武器を準備しておけ。荷台にあるものなら好きに使って構わん」
「やっぱり、戦いになるのか」
「それは分からん。この先にいるであろう兵が、わしらを待ち伏せておるのかどうか定かではない。たまたま、ここいらにいるというだけなのやもしれん」
じゃが、と、キリハリリハは付け足す。
「都合のいいことなど、そうそう起こるものではない」
キリハリリハに指示された通り、俺が荷台に戻り、木箱の蓋を開けて適当な武器を装備しているのと、俺たちの後ろにいた馬車が襲撃されるのはほとんど同じタイミングだった。




