第1章 木叢の町《ヴェロッジ》Ⅲ
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5月1日。
ゴールデンウィークの真っ最中、俺は森の広場で、ただただ木剣を素振りさせられていた。
「青春を浪費している気がする」
「こら、無駄口を叩くな」
ばしんと、木剣でケツを叩かれる。
「いや、だって今更素振りとかしたってさあ」
俺は前の戦いでいくつかのスキルを習得しているくらいだ。こんなことするなら、その辺にいるモンスターを倒して経験値稼いだ方がナンボか強くなれるんじゃないか?
「たわけめ。呼吸が大事だと言ったろうが」
「言われたけどさ」
「よいか。主の動きは不細工過ぎる。ダメなところを一々あげつらっていては陽が暮れそうなくらいに悪いところが多過ぎる」
そんなにか。
「動きが不細工ということは動きに無駄があるということじゃ。無駄があれば呼吸は余計に必要になり、余計に乱れる。乱れた呼吸で倒せるのは雑魚だけじゃ。よいか。基本がしっかりしておらんようでは何も出来ん」
「……具体的にどう振ればいいんだよ」
俺が木剣を指し示すと、キリハリリハは難しい顔で唸る。
「それを今悩んでおる。こうまで、その、ヘタクソだとは……よし、ちょいとわしの素振りを見てみろ」
キリハリリハは俺の前に立ち、木剣の感触を確かめてから素振りする。無駄がないかどうかはともかく、木剣であっても触れれば斬れそうな、鋭い動作だった。そして、どこか今の素振りは見覚えがあるような、妙な懐かしさすら想起させる。
「どうじゃ」
「もっかい見せてくれよ」
キリハリリハは何度か素振りをする。何となくだが、イメージが掴めたような気がした。
俺はそのイメージを基に体を動かしてみる。
「むうー、さっきよりはマシに見えるがのう」
「足りないか」
「うむ。続けてみよ」
頷き、俺は木剣を振る。キリハリリハは大きな木の幹の傍に座り込み、あくびを噛み殺していた。
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体を動かすというのは、自分で思っていたよりも悪くないどころか、楽しかった。そうして何も考えずにぶんぶんと剣を振っていると、余計なことを考えずに済むからだ。
俺は今まで何かに没頭したという記憶がない。勉強にもスポーツにも価値を見いだせなかったし、傍には俺よりも上手くやるやつがいた。熱中したとすればゲームだけだ。
気づけば息が上がっている。木剣を振る速度にもキレがなくなっている。それでも腕を動かすのだけは、簡単には止められなかった。
「そこまででよい」
キリハリリハに声をかけられるまで、俺はずっと素振りをやっていた。
動きを止めると、どっと疲れがやってくる。俺は木剣を取り落し、その場に座り込んだ。
「下手くそなのは変わらんが、主には集中力と根気があるんじゃな。わしも声をかけるのを少しばかり躊躇った」
「ああ、そうかよ」
「呵々、むくれるでない。教え甲斐がある」
「どれくらいやってた?」
「二時間はやっていたかの。ようもった方じゃな。どれ、休憩にするか」
ってことは、もう昼か。そりゃあ腹も減るわけだ。
「一度戻っていいか? 風呂入って飯食ってさっぱりしたい」
「わざわざ戻らんでもよかろう。わしの家のを使えばいい。軽いものでよければ作ってやる」
「いいのか?」
「感謝せえよ、わしが自分以外の誰かに何かをしてやるのは、随分と久しぶりじゃ」
母さんと父さんのことが気になったが、二人は俺がナナクロにログインする前に親戚の家に出かけた。たぶん、兄貴のことで何か話すってか、言われるんだろうな。遅くなるとは聞いているが、もしかすると泊りになるのかもしれない。
「そうさせてもらうよ」
「うむ、ではついてこい」
キリハリリハは手を後ろで組んで、兎みたいに跳ねながら自分の家へと歩いていく。少し楽しそうに見えたのは、俺の気のせいだろうか。
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キリハリリハの家、というか、ヴェロッジには俺の想像していた風呂はないらしかった。井戸から水を汲んできて(やらされた)、薪を使って湯を沸かして(やらされた)、体を拭くくらいのものだった。それでも汗に塗れた体を拭くとかなりさっぱりする。そうして家の前に座っていると、涼しい風が吹いてきて気持ちがいい。
「おう、ぴったりみたいじゃな」
服はキリハリリハから借りた。エルフたちが着ているような、緑を基調にした布製の衣服だ。鉄を身につけるよりかは素振りするのに向いている。ここにいる間はこの服を借りておこう。
「これ、誰の服なんだ? キリハリリハさんが着るには大きいよな」
「ん? まあ、気にするでない。それより食事の支度が済んだぞ」
「おっ、マジか」
俺は立ち上がり、キリハリリハに先導されて家の中に入る。建物は木造だが、俺の知らない木を素材に使っているらしく、壁の部分は妙に手ざわりがよかった。
家はあまり大きくない。やはりキリハリリハ一人で使っているのだろう。家とはいうが、冒険者用の小屋と変わりない。唯一、キリハリリハがコレクションしているものなのだろう、多様な武器がそこいらに飾られていた。
俺は勧められて椅子に座る。長方形のテーブルの上には大皿の料理がいくつか並んでいた。ほとんどが野菜や果物だった。
「エルフってのは、やっぱり菜食主義者なのか」
「何がやっぱりなのかは知らんが、そうでもない。やはり肉を食わねば力が出んからな」
そう言って、キリハリリハはサンドイッチを手に取って齧る。俺も倣った。
「……おお、美味いな」
自分ちで食べているものよりも風味のいいパンに、薄くスライスされた塩漬け肉や野菜が挟まっていた。野菜は、レタスに似ている。瑞々しくて、水分を欲していた体にはちょうどよかった。
俺は更に、林檎みたいな果物にも手を伸ばす。
「慌てんでもゆっくり食べればいい」
「おう」
キリハリリハはサンドイッチを齧りながら窓の外を見た。
「なあ、キリハリリハさん。俺はちょっと、数日の間こっちに来られなかったんだけどさ、ホワイトルートに何が起こってるんだ?」
「さてなあ。わしもヴェロッジから外へ出んからのう。ただ、星詠みは『よくないことが起きる』と言うておった」
「その、星詠みってのは?」
「占い師のようなもんじゃな」
よくないこと、か。
「ヴェロッジのエルフは柱に何が起こったのか知ってるのか?」
「だいたいはな。風によくない気が混じっておる。森におわしたハシラサマがいなくなったのだろうよ」
そこまで分かってるのか。
「セラセラの王も、王の町も、どこもかしこもよくないことが立て続けに起きておる。亜人たちはその気に乗じようとしている。それだけのことじゃ」
「上手くいくと思ってるのかな?」
「さあのう。じゃが、ヴェロッジには亜人たちが集まってきておるよ。大陸に散らばって暮らしているものたちにも、サンシチたちが精力的に声をかけておるようじゃ」
マジかー。いよいよやばいよな。今はエルフたちも戦力を集めてる最中って感じみたいだけど。
「く、かか。主、サンシチたちを止めたいのじゃろう? なんぞ、キャラウェイに知り合いでもおったか?」
「まあ、うん。キャラウェイだけじゃない。カルディアや、ロムレムとかにも」
「戦は嫌か」
「好きなやつなんていないだろ。ここのエルフたちだって、別に戦いたいから戦うわけじゃないはずだ」
キリハリリハは頷く。
「わしらはな、もともとはもっと北の森で暮らしておったのよ。主は知っておるかの。ビュリャジリャドゥドゥメという森じゃ」
「あそこで暮らしてたのか?」
「おう。じゃが、人間がわしらに立ち退くよう迫った。ハシラサマの近くで暮らすのは、神への不敬にあたるとな。そうしてわしらは別の森におったが、また立ち退くように言われたのじゃ」
「なんでだよ」
「その森の木を伐るためじゃ。道を作り、家を建て、町を作る為のな」
さらに。
森と共に生きる亜人たちは、新たな森を新天地と定めて暮らし、また人間たちに追われるようにして南下していったそうだ。
ここ、グァムシロの森はキャラウェイの南に位置する森だそうだ。……俺はあの森から、かなり離れたところに召喚されてしまったんだな。
「人間は勝手じゃ」
「戦いになったのか、その時も」
「ああ。じゃが、わしらのご先祖も勝てんかったそうじゃ。武器と魔法に長け、人よりも肉体的に優れておってもな」
エルフが人間に勝てなかった理由か。
「やっぱり数の違いか」
「それもあるが、一番は人間の適応力じゃな。人間はどんな場所でも生きられる。生きられるように場所を変える。それこそ森でも荒野でも山でも、どんな場所でも人間は生きられるが、わしらは違う。わしらが生きられるのは森だけなんじゃ。わしらは頭が固いからのう。人間の柔軟さに負けたんじゃ」
負けた、か。
「同情はせんでええぞ。所詮、主も人間じゃからな」
「ああ。俺はあくまで部外者だしな」
俺は人間だが、セラセラ家に肩入れしたいってわけでもない。
「でもさ。そんなら今仕掛けたって、また負けちゃうんじゃないのか」
「かもしれん。じゃが、それでもやるという連中はおるよ」
「キリハリリハさんもやるのか」
「……分からんと言うておる」
俺はまだ、エルフがどうなるか、そのことで起こる何かについて思いを巡らせられる余裕はない。ただ、キリハリリハが死ぬのは嫌だなと思った。
「あ。これも美味いな。木の実か、何かか」
「うむ。よく噛んで食うといい」




